別子銅山(愛媛県新居浜市)     1/2
                                   ・撮影:2006.09  



 以前から念願の別子銅山に初めていってきました。四国の愛媛県新居浜市の南東方向の山の中、車で市内から約30分ぐらいでしょうか。途中、「別子銅山記念館」に寄ってその後「マイントピア別子」と「マイントピア別子東平(ト-ナル)ゾーン」に、そして一番行きたかった「旧別子銅山」にいってきました。今回の本命はもちろん「旧別子銅山」を歩くことです。天気がいまいちあやしい限りでしたがなんとかもちました。ちなみに別子銅山は住友財閥の発祥の地でもある。


                               


 第四通銅専用の鉱・人車牽引用6トントロリー電車。第四通銅とは別子銅山では最大のメインの通洞である。マイントピア別子あたりから南へほとんど高知県境近くまで地下を走っている。中央構造線を東西に分断するような格好になっている。
 別子銅山記念館の前庭には他にも当時のドイツから輸入した蒸気機関車や後に活躍したディーゼル機関車なども展示されている。


 別子銅山記念館の建物です。屋根が全部植物で覆われている変わった建物です。いつの建築か知りませんがECOの先取りでしょうか。


 だいたいどこの観光地にでもある看板です。どこでもコミカルに書いてあるのでファミリー向けになっているのでしょう.


 トロッコ電車です。結構立派なものだ。と言っても中は狭い。  観光坑道の入り口”端出場坑道”です。この中を左のトロッコ電車が入っていきます。


 トロッコ電車で観光坑道内へ。9月でしたが中はごらんのとうりの気温です。でも坑道内にしてはちょっと高め?  


 これは別子銅山最初の坑口、”歓喜坑”の写真です。もちろん観光用ですが。実際は旧別子銅山のヤマをどんどん登って銅山峰の方に行かないと見れません。「歓喜坑」というぐらいですから江戸時代の初期のこと余程感動したんでしょうね。


 銅山だからといって銅の鉱脈なんでしょうか。白いのはたぶん石英脈でしょうね。私にはそっちの知識はとぼしいので詳しくは分かりません。  暗闇でそれらしい場所を撮ったものです。これも銅の鉱脈でしょうか? PCで多少加工してますがこの虹のような色は金属がストロボに反応したのではないでしょうか?


 四国は地層学的にはこういう風になってるんですね。別子銅山は中央上部。
東西に青い部分の上が中央構造線である。


 坑道の垂直の断面図です。これを見てるとただただスゴイ! の一言。本当に人間ってものすごいものを作りますね。ここへ来るまでの「別子銅山記念館」にはこれを立体的にした模型があります。落ち着いて見るとそれもやっぱりスゴイです。


 左はその昔、人力で鉱石を運搬していた頃の背負う重量です。私もそこにあった体験用のリュックを担ぎましたがはっきり云って「キツッ!!」かったですね。ややもすると腰痛になりそうですね。


 左の写真が第四通洞(大斜坑)の入り口です。もちろん今は閉鎖です。マイントピア別子から南方向の山の中腹に見えます。入り口へはチェーンが張ってて行けませんでした。写真の下の道路が県道です。右の写真は変電所です。


 ここはマイントピア別子から15分ぐらい南へ来た「マイントピア別子・東平(トウナル)ゾーン」です。ここは全体としては旧別子銅山時代の最大の作業場、坑夫たちの生活の場であり憩いの場でした。最盛期は人口も一万人を越えていたとのことです。そして詩人の土井晩翠もここに投宿したとのことです。


 ここは当時のインクライン(傾斜鉄道)の跡です。この階段が昔のインクラインだった場所です。どこもそうですがインクラインは勾配が非常にきついです。当然ですが。この日はこの辺り一帯、雨はたいしたことなかったのですがガスがものすごくてこの写真もほんの一瞬の間でした。ここで出会った元ここで働いていらっしゃった方に聞くと天気がいいとここから殆ど旧鉱山全体が見えるとのこと。ザンネン!


 マイントピア別子東平ゾーンの選鉱所と貯鉱所のかつての基礎部分です。濃いガスがかかっていたせいもあるでしょうがすごい迫力です。見方によっては他の鉱山もそうですが何か神殿のようにも見えます。  昔の鉱夫たちの住宅の跡です。こういう住宅跡が他にもたくさんあります




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