【エゴロジープラザへ...】 最終更新日:2012年04月02日(月) 16時35分
政治・経済・金融用語集 (総登録数:17) 編集者:トモノリスキー

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政治・経済・金融に関連する専門用語集です。


 
 数字 

15か月予算 (15かげつよさん)

1999年度当初予算と98年度の第二次補正予算を一体として編成する方針を、宮沢蔵相が98年8月10日の臨時国会での答弁で、象徴的に15か月予算と呼んだ。政府は、景気回復への足取りをより確実にするために、99年度も2000年度当初予算と1999年度の第二次補正予算とを一体として編成する方針。当初予算の国会提出から成立まで時間差が生じることによる年度始めの公共事業の落ち込みを防ぐため、早めに成立・執行できる補正予算を活用し、前倒しで必要な事業を盛り込む。15か月予算の考え方は、福田内閣の下での78年度予算や、細川内閣の下での94年度予算編成時にも適用された前例がある。15か月予算のポイントは、公共事業予算を予算計上時でなく、前年度の補正予算を含めた予算執行で区切る点。第二次補正予算の執行は大半は翌年度にずれ込む見込みから、この繰越分を翌年度分として計上する。

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 か 

貸し渋り (かししぶり:credit crunch)

銀行が企業や個人からの借入需要があるにも関わらず、貸し出しを抑制する現象。@銀行の自己資本不足、A資金繰り難、B融資審査の厳格化、などが複合的に作用。@は自己資本比率に関してのBIS(国際決済銀行)規制(海外での業務を行なうには8%以上必要)を満たしたり、国内業務に専念する銀行に対する早期是正措置の発動を回避するために、銀行が自己資本を確保する必要性があることによる。自己資本比率の分子は資本金や資本準備金、保有株式の含み益、一般貸し倒し引当金などからなり、分母は貸し倒れリスクにさらされた資産(リスクアセット)である。日本の銀行はバブルの崩壊で多額の不良債権を抱え込み、その処理に自己資本を当てざるを得ない。自己資本が減ると、自己資本比率を下げないためには分母に入る貸し出しも減らさざるを得ない。Aの資金繰り難は、大手金融機関でさえ破綻することが目の当たりになって、金融機関同士が資金を融通し合う短期金融市場で信用不安が広まり、大手の都市銀行でも資金が足りなくなったことを反映。Bはバブル崩壊後の不良債権の発生の経験から、貸し倒れリスクが大きい企業には貸さないか、相応の高い金利を貸す営業方針への転換を反映したもの。

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貸し渋り対策 (かししぶりたいさく)

政府・日本銀行による貸し渋り対策としては、@1998年11月11日に決定した日銀の流動性供給拡充策、A98年11月16日に決定した政府系金融機関の融資・保証制度の拡充、およびB金融再生プログラムの一環でもある民間金融機関に対する公的資金注入、が三本柱となっている。日銀の流動性供給拡充策は、CPオペ(短資会社経由でコマーシャルペーパーを一定期間後に売り戻す条件<現先方式>で購入する操作)の積極的活用、企業金融支援のための臨時貸し出し制度の創設、および社債等を担保とするオペレーションの導入、の3施策からなる。政府系金融機関による対応は、基本的に融資制度の拡充と信用補完制度の拡充からなり、21世紀を切り開く緊急経済対策(97年11月)、貸し渋りに対する中小・中堅企業対策(97年12月)、中小企業等貸し渋り対策大綱(98年8月)、緊急経済対策(98年11月)といった一連の施策が展開されてきた。具体的な融資制度の拡充策としては、例えば98年12月に日本開発銀行法を改正し、97年12月に創設された「金融環境変化対応融資制度」を拡充し、融資対象として社債償還のための資金や設備投資資金と関連のない長期運転資金が加えられた。また、信用補完制度の拡充については、98年10月に中小金融安定化特別保証制度(貸し渋り対応特別保証制度)が創設され、貸し渋りを受けた中小企業及び破綻金融機関の取引先中小企業について、保証要件の緩和、信用保証料率及び保険料率の引き下げを実施した。ただし、こうした貸し渋り対策の実施により、従来の債権の保証付き債権への転換といった、金融機関によるモラルハザード行為が問題化するなど、信用保証協会のリスク負担が過度なものになっているとの指摘もなされるようになった。競争力のない企業を延命させるだけで、最終的に国民負担がかさむのは必至との懸念もある。

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過剰設備 (かじょうせつび:excess capacity)

低金利であるにも関わらず、企業の設備投資さえない。景気回復が遅れ、将来の見通しがつかないうちは設備増強に走れないというのが主因だが、資本ストックそのものが過剰という側面もある。1980年代後半期のバブル経済時代に、資本調達コスト(資本コスト)が低かったことから、内在するリスクを顧みないずさんな設備投資が大量になされ、それが当然上げるべき収益率を上げない過剰投資として残されているという。その額は50兆円とも140兆円とも推計され、政府も優遇税制を導入して償却させる方針。しかし、設備が過剰か否かは、あくまでも有効需要の水準に依存する。過剰設備とみられるのは、景気後退で総需要(有効需要)が総供給を下回るデフレギャップが長期間続いているからであり、いったん景気が回復し出せば過剰感はなくなるとの見解もある。また、過剰設備の推計は資本係数(産出・資本比率)が不変として行なわれているが、近年のような産業構造の変化が急速に進む場合には、本来技術的な関係である資本係数もマクロレベルでは大きく変化すると考えるべきであろう。さらに、設備が変われば適切な雇用水準も変わるはずであり、設備廃棄が雇用減とセットになる可能性もある。実際に雇用整理が進めば強いデフレ圧力が働き、デフレギャップが拡大する不安定な状況に陥る可能性もある。

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株価回復 (かぶかかいふく:stock price recovery)

東京証券取引所一部上場225種の平均株価(いわゆる日経平均株価)は、1989年末にバブル経済の最大膨張点である3万8916円の天井を打つや否や破裂。90年代に入ると短期的にはアップダウンを繰り返しながら、トレンドとしては下落の一途をたどり、98年10月には天井値から66.9%下落した1万2880円というバブル崩壊後の最低値を記録した。平均株価は99年2月に日本銀行がゼロ金利政策に踏み切った頃から上昇基調に転じた。株価上昇の原動力は個人と外国人の買いである。ともに日本経済の景気回復への確かな期待感があるのと、個人では低金利下で資産の運用先がほかになくなってきたのが大きい。外国人投資家にとっては、活況が続くニューヨーク市場で生じた余裕資金を、規制緩和による利潤機会の拡大や、本格的にリストラに取り組みだした日本企業の割安感に投資した日本買いの色彩がある。これに対して、業績低迷が続いてきた企業や金融機関の国内法人の多くは、財務内容の改善を目指して投資効率の低い持ち合い株式の売却を急いでおり、株価の上げ値は必ずしも軽いものではない。

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完全失業率 (かんぜんしつぎょうりつ:unemployment rate)

労働力人口に占める失業者の割合。労働力人口は「満15歳以上の人口のうち学生・主婦・家事従事者・病弱者など職を持たず職を求めない非労働力人口を除いた、就業者・休業者・完全失業者の合計」、失業者は「毎月末日に終わる1週間中に収入を伴なう仕事を1時間以上しなかった者のうち、就業が可能でこれを希望し、かつ求職活動をした場合」と定義される。「完全」失業率となっているが、対応した不完全失業の概念があるわけではない。月末の1週間、全国の約4万世帯、約10万人を標本調査して総務庁が算出。日本の失業率は長い間1〜2%台で推移してきたが、1999年代に入ってからは労働市場での構造変化を反映して急速に上昇。98年には景気好調のアメリカの失業率と並び、そのまま逆転、99年6月と7月には2か月連続で戦後最悪の4.9%を記録した。日本の失業統計が各国のそれと比べて低く算出されやすいと主張される場合があるが、相違があってもほとんど影響がないとの主張もある。アメリカも同じ標本調査であるが、求職活動は4週間と長い。ドイツ、フランスなどは職業安定所の業務統計から推定している。

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景気対策 (けいきたいさく:macro stabilization policy)

伝統的な景気対策は、本予算における公共事業の前倒し比率(上半期契約進捗率)の操作と、補正予算における公共投資の操作によった。予算措置を伴なった秋の景気対策は、1975〜98年度の24年の間に15回あり、98年度までの平成不況絡みでも92年8月、93年4月、同年9月、94年2月、95年4月、同年9月、98年4月、同年11月と合計8回あり、事業規模の合計で100兆円強となる。しかし、これらの政策の実施によっても必ずしも力強い景気回復に繋がらなかったために、公共投資の乗数効果が構造的に低下した可能性や、そもそもケインジアン流の裁量政策は財政赤字を増やすだけで、財政再建にとって「百害あって一利もなし」との見解が影響力を増した経緯がある。本来は、政策効果の低下をいう前に、意図された政策が実際に実施されていたかを確認する必要があるが、近年この面での公共事業の効率性について多くの問題点が指摘されている。実際、政府がまとめる経済対策の中で国と地方が減税や公共事業のために実際に支出する真水部分は、おおむね総事業規模の半分に過ぎない。また、総事業規模では国の直轄事業と同等に扱われる地方単独事業は単なる見込み額であり、結果的に施行されなかった例も多い。最初に規模が決定され、それに向けて数字を急ごしらえする現行政策決定方式の限界露呈との批判もある。

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景気動向指数(DI) (けいきどうこうしすう:diffusion index)

あらかじめ選定された景気に敏感な経済諸変数のうち、3か月前と比べて上昇ないし拡張を示している変数の割合を示す指数。経済企画庁から毎月公表され、景気循環波動の谷(底、床)と山(天井)の転換点の決定(景気基準日付)に利用されている。公式にはその決定は「景気動向指数(DI)の一致系列の動きを参考しつつ、他の主要経済指数の動きや専門家の意見を勘定し行なう」とある。DIの値が50%を上(下)回る場合が景気拡張期(下降)傾向の中で50%に達する時点が景気の谷(山)と判断する。DIには景気とほぼ一致して動く一致指数の他に、景気に対して先行して動く先行指数、遅れて動く遅行指数がある。先行指数は予測、一致指数は現状判断、遅行指数は確認の役割を担う。各指数に採用される具体的な経済指標は、1つの景気循環が完了するごとに再検討することになっており、一致指数でさえ時代とともに変遷してきた。最近の景気基準日付は、戦後11番目の循環である平成景気(ないしバブル景気)の拡張期が1986年11月から91年2月まで、後退期が91年2月から93年10月まで。第12循環の拡張期が93年10月から97年3月。97年3月以降はその後退期にあるが、専門家の間では99年4月前後に転換点を迎えた可能性が高いとされている。同じ経済企画庁による月次の景気判断として月例経済報告がある。これは基本的には景気動向指数に基づきながらも、大蔵省や通産省など関係省庁との協議を経て閣議決定され公表される、政府公式見解となる景気判断。小渕内閣の堺屋太一経済企画庁長官が、従来の官僚言葉に代わって「変化の胎動」等の表現を用いたことで有名になったが、報告は毎月の景気動向を微妙な文章表現の違いで伝えようとするために、景気判断としては恣意性が残り、タイミングを逸した政策発動にも繋がってきた。

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景気の底打ち (けいきのそこうち)

バブル崩壊後の1990年代、日本経済は長期の景気低迷を続けてきた。それでも96年度までは経済成長率(実質GDPの増加率)はプラスを保ってきた。しかし、97年度中に消費税率の引き上げ、特別減税の排紙、社会保障料率の引き上げ、公共投資の減少など、前年度に比してGDPの2%相当額が民間部門から引き上げられた緊縮財政と、大手金融機関の破綻で拍車がかかった金融システム不安が重なり、一気に景気後退が鮮明になった。ところが、六大構造改革の推進を優先した橋本内閣は、97年11月には緊縮財政を盛り込んだ財政構造改革法を成立させ、結果的には景気後退のタイミングと深刻さの判断を誤るといった政策不況に陥った。しかし、98年に入ってからの政策転換には素早いものもあり、98年4月と11月の事業規模にして合計40兆円に達する景気対策(総合経済対策)の発動、合計60兆円の公的資金投入による金融システム不安の払拭、財政構造改革法の凍結などが図られた。99年に入ると、こうした政策発動が徐々に効果を発揮しだした。とくに@公共投資と住宅減税や低金利に支えられた住宅投資の大幅な増大、Aゼロ金利政策、銀行の貸し渋りの緩和、株式市場での株価回復などの資金面での流動性制約の緩和や資産効果の実体経済への好影響、B97年のアジア通貨危機以降低迷していたアジア諸国の景気が回復基調となったこと、それによるアジア向けの輸出増大、などが対前期比で第1四半期の2.0%、第2四半期の0.2%と2四半期連続のプラスの成長をもたらし、景気局面の転換がもたらされた。ただし、景気の牽引役である企業の設備投資や個人消費の動向は未だ弱く、公共投資や住宅投資の持続性にも不確実な面があり、景気回復の強さには慎重な見方もある。また、経済企画庁によって正式に景気基準日付の転換が宣言されるまでには、まだ相当の時間がかかる見込み。

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 さ 

消費回復 (しょうひかいふく:consumption recovery)

価格や流行など個々の商品の需要を左右する要因は多いが、マクロ的には民間消費の最大の決定要因は国民所得の水準といえる。しかも過去の経験によると、景気後退期には平均消費性向(可処分所得に占める消費の割合)が上昇することから、GDP(国内総生産)の6割強を占める民間消費は、景気の下支え役を果たしてきた。これを消費のラチェット効果(歯止め効果)と呼ぶが、今回の景気後退に際して消費はこの役割を果たさなかった。その原因としては、@消費税率や社会保障料率の引き上げによる家計負担の増大、A卒業率の上昇を受けて将来の不測の事態に備えて貯蓄率が上昇、B低成長が続き将来所得の伸びが期待できなくなったことによる消費水準の切り下げ、C地下や株価の下落による逆資産効果などが上げられる。消費のラチェット効果は一時的な所得減に対して発揮されるが、永続的な所得減には働かないのである。1999年春には消費喚起のための商品券(地域振興券)が全国で7000億円支給された。子どもや特定の老人対象という支給ルールが問題になったが、マクロ的には所得減税とほぼ同様の効果を発揮したはずである。経済企画庁や日本生活協同組合連合会による全国規模のアンケート調査によれば、地域振興券は直接的には生活必需品中心に支出されたことが判明しているが、それを根拠に消費喚起策としては効果がなかったとはいえない。家計の予算制約を考えれば、その分他の支出に回るはずであり、もし貯蓄に回っているとすれば、所得減税でも同じだからである。このように低迷を続けた民間消費であるが、景気が底入れする頃から堅調な動きを示すようになった(因果関係は逆ともいえる)。所得税率改定を伴なう所得減税、地域振興券支給、株価上昇による資産効果、といった効果もあるが、金融システムへの不安が後退したことによる消費マインドの回復が大きい。残るは雇用不安の縮小や持続的な右肩上がりの所得増の期待であるが、この面では依然として苦しいものがある。

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ゼロ金利政策 (ぜろきんりせいさく:zero interest rate policy)

1995年9月以降、公定歩合が0.5%に維持され、98年9月には日本銀行の日々の金融調節において、無担保コール翌日物の誘導水準を0.25%に引き下げた。さらに、99年2月以降は誘導水準を取引手数料水準の0.03%とし実効金利水準がゼロになるというゼロ金利政策がとられている。標準的な経済学の教科書では、低金利は金融緩和を意味する。実際、最近では国債の大量発行などによって若干上昇したものの、債券市場では長い間、国際指標銘柄の利回りが1%を割ったまま推移してきたように、長期金利は過去最低水準にあった。国内普通社債の発行市場も拡大している。歴史的な低金利を背景に企業が積極的に長期資金を調達しているためで、信用度が高い大企業の場合には銀行から長期プライムレート(最優遇貸出金利)で借りるよりも低コストになる。ところが、こうした直接金融(証券市場などからの資金調達)面での緩和に対して、銀行に代表される金融機関を通じた間接金融の分野では、金融仲介の後退を示す貸し渋りが問題となってきた。銀行の貸し渋りは、債券発行といった直金融の手法による資金調達が困難な中小企業にとっては死活問題であり、倒産に至る企業数・負債額はうなぎ登りの状況であった。ゼロ金利政策も、もともとは、金融機関の短期的な資金繰りを支援することによって貸し出しを円滑化するのが主眼であったが、結果的には、マネーサプライの増加に結びつく金融の量的緩和の効果も発揮している。もっとも、日銀自体は、量的緩和がマネーサプライの急増から将来の物価上昇につながることを警戒し、公式見解では量的緩和策は追求しないとしている。99年9月21日の日銀政策決定会合において、大方の関係者や市場の期待に反して、「円高対策として外国為替市場で円売り・ドル買い介入した円資金を不胎化しない」で量的緩和を図ることを見送った。ここで不胎化とは、外国為替市場での介入による円資金の増減額を公開市場操作で相殺することをいう。この決定は為替市場や株式市場で失望され、大蔵省や直後のG7(先進主要7カ国蔵相会議)での評価も芳しくなく、結局日銀もより弾力的な方向に転じ、日銀の独立性やアカウンタビリティー(説明責任)の重要性に一石を投じた。

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 た 

調整インフレ論 (ちょうせいいんふれろん)

デフレ化の景気対策の一環として、マネーサプライの増加を図り、政策としてインフレを引き起こすのが調整インフレ。これによって、将来のインフレ期待を惹起し、実質利子率の低下を誘って民間投資の増加による景気回復を狙うのが目的。1990年代後半の日本経済は、バブル経済崩壊後の長期停滞状態にあり、91年7月以来、9次にわたる公定歩合の引き下げが行なわれた。その結果、公定歩合は95年9月以来空前の0.5%の水準で据え置かれており、歴史的な金融緩和政策が続いている。ところが、金融機関等が抱える多額の不良債権の存在が金融システムの安定性に対する不信感を誘い、またグローバル化した経済環境化にも関わらず、80年代後半期のバブル経済時代に頂点を経験した日本的経済システムに固執する優柔不断さもあって、結果として実体経済は長い間好転の兆しを見せず、デフレ・スパイラルの懸念さえ指摘された。こうした状況下で、景気対策の一環としての量的緩和策として、調整インフレ論の是非をめぐって論争が起こっている。反対論者は、物価番の日本銀行自らがインフレを引き起こす原罪論から、調整インフレに留まらず本格的なインフレが生じる危惧、さらには国内での魅力ある投資機会が払底している環境下では、マネーサプライの量的増加はそのまま海外への資本流出につながり、実体経済に対しての直接的なインパクトが不在のまま、ひたすら外国為替市場での円安をもたらす、との量的な金融緩和策の無効論もある。

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倒産関連法の見直し (とうさんかんれんほうのみなおし)

相互に複雑に絡み合った倒産関連の5つの法律を統合した新倒産法制定の動きが出てきた。現行の倒産関連法は戦前に制定されたから70年近く、企業が再建と清算のどちらを選ぶかで手続きが大きく異なるなど、時代遅れとの批判が強い。現行法は倒産に伴なう関係者の利害調整が主目的になっているが、新法では企業再編が効率的に進むよう法体系を改める。具体的には、倒産が決まった企業の人材や営業網、ノウハウなどの外部流出を防ぐため、従来は3〜7か月要した債務確定のための財務審査期間を1か月程度に短縮する。また、これまでは企業が清算を選ぶと事実上再建の道が閉ざされたが、新法では財務審査の後に企業が清算と再建を選択可能にする。通産省の諮問機関の産業構造審議会が1999年をメドに改正要綱案を提示し、法務省が法制審議会倒産部会で2002年までに答申をまとめる予定。

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 な 

日銀短観 (にちぎんたんかん:short-term economic survey of principal enterprises)

日本銀行が全国の主要企業や中小企業など9000社以上を対象として、四半期ごとに実施する「企業短期経済観測調査」。調査表の送付から集計までの期間が短く速報性があり、かつ主要企業の回答率がほぼ100%であることから、足元の景気動向を知る上で注目度の高い経済指標となっている。業況が「良い」や「上向いている」と答えた企業の割合(%)から、「悪い」や「下向いている」と答えた企業の割合を引いた業況判断指数が基本。理論的にはプラス100からマイナス100の範囲の値をとる。全産業を対象とした指数と大企業・中小企業といった規模別指数、製造業・非製造業といった業種別指数がある。また、生産高、受注残高、総売上高、設備投資額、社債、金融機関借入金、投資有価証券、雇用者数といった客観的統計と同時に、業況判断、海外での製品需給判断、資金繰り状況判断、金融機関の貸し出し態度判断、などの主観的判断指数がある。

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日本的経済システムの転換 (にほんてきけいざいしすてむのてんかん)

1980年代後半のバブル期に頂点に立ち「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで評価された日本的経済システムが、90年代に入ってバブルが崩壊するとともにその地位から失脚、10年間近くの試練を経て、競争を通じて効率性向上をもたらすアメリカ型の市場経済システムに転換を図りつつあること。日本的経済システムが逼塞したのは、@高度成長期以来、国内市場を海外市場から隔離しつつ加工型貿易によって付加価値を生産してきた体制が、長期の円高で限界に達し、多くの製造業企業が海外に生産拠点を移し産業の空洞化を招いたこと、Aその流れの中で、日本経済の規模が大きくなり国際舞台でのプレゼンスが高まるにつれて、海外に開かれたシステムへの転換を迫られ、バブル期までは余裕のある部分的な開放にとどまったが、バブルの崩壊による不良債権の重圧により一挙に身動きが不自由な逼塞状態に陥ったことが上げられる。日本的経済システムが有効に機能するのは、労使関係、下請け関係、メーンバンク関係、株式持合い、長期顧客関係、行政指導、といった経済活動全ての面での強調的行動が維持される時に限られ、どれかがかけると早晩システム全体が崩れざるを得ない。しかし、日本的経済システムも基本は市場経済システムに基づいており、過渡期の混乱が落ち着き、旧来のしがらみから脱して効率性追求に専念する環境になれば、グローバル化の世界標準は楽々とクリアし、再び高い競争力を誇ると期待される。ただし、その時には、所得・資産格差の拡大、大企業と中小企業の格差拡大など多くの面で二極分化が必至。

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 は 

プラス成長 (ぷらすせいちょう:positive economic growth)

経済成長率(実質GDPの増加率)がプラスのあたいになること。戦後の日本経済は、いくつもの景気循環を経験しつつも、基本的には継続的に成長し規模を拡大してきた。景気循環そのものの局面区分も成長率の相対的高低により、第一次石油ショック直後の1974年度を唯一の例外として、景気後退期といえども成長率はプラスに留まるのが常であった。ところが、20世紀末の日本経済は、97年度の年率マイナス0.4%、98年度の年率マイナス1.9%と2年度連続のマイナス成長となった。その原因には政策不況の様相も含まれることから、橋本内閣の後を襲った小渕内閣は99年度には断固としてプラス成長に転じる意向を表明。そこで、@98年度中の公共事業増や金融システム安定化のための公的資金注入など、大規模な財政資金の投入を図った効果、A99年度向けの所得税率改定や住宅減税等の政策減税の効果、さらにB政府の希望的観測も含めて、小渕内閣は99年度の成長率見直しをプラス0.5%に設定し政治的にも公約した。成長率の設定当初はプラス成長の達成は困難との見通しが強く、多くの民間シンクタンクやIMFの予測もマイナス成長としていた。しかし99年の第1四半期(1〜3月)に対前期成長率が2.0%と予想外に高いことが判明し、第2四半期(4〜6月)も0.2%とプラスが続いたことから、政府の公約の達成を確実視する向きが増えている。これは、前年度の最終四半期である99年第1四半期が、98年度の年間平均を大きく上回ったことにより、初期条件が高い発射台から打ち上げられたこと(成長の下駄<ゲタを履いた状態という比喩>)により、四半期ごとの今後の対前期成長率が多少マイナスになっても、計算上では成長率の公約を達成できるからである。

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 ら 

六大構造改革 (ろくだいこうぞうかいかく)

橋本内閣が、21世紀に向けた経済社会システムの「変革と創造」の実現を目指し一体として断行すると決意表明したもの。行政改革、財政改革、社会保障改革、金融システム改革、経済構造改革、及び教育改革の6つの改革。行政改革では、現行の中央政府1府21省庁を、2001年1月から1府12省庁に再編する中央省庁改革基本法が成立。財政改革については、2003年度までに国と地方を合わせた財政赤字の対GDP比率を3%以下に抑え、短期的には1998年度の歳出削減策を盛り込んだ財政構造改革法が97年11月に成立。しかし、長引く景気低迷に財政の出動が望まれ、早くも翌年5月には歳出削減を改め、財政赤字の目標を先延ばしする改正が行なわれた。社会保証改革については、急激な高齢化と少子化に直面し、将来を見通す上で医療費も年金財政も抜本的な改革の必要性に迫られている。金融システム改革については、2001年までに不良債権処理を進め、日本の金融市場を欧米市場並みの国際金融市場として再生することを目指し、改正外国為替法が1998年4月から施行されたのを皮切りとして、98年6月には金融システム改革法が成立。また、与野党間での政治的紛糾の末、公的資金の投入スキームや不良債権処理スキームを策定。経済構造改革では、経済的に効果の大きい規制の撤廃や緩和を通じ、経済の効率性や柔軟性と産業の競争力を高めることを目指す。97年12月の行政改革委員会の最終意見書、98年3月の規制緩和推進3か年計画の策定、99年2月の経済戦略会議の最終報告書、3月の産業競争力会議の発足、などと形の上では規制緩和の具体的な方向は検討されている。産業再生のための税制改正や雇用対策も策定する。教育改革については、文部省の「教育改革プログラム」がこれまでの中央教育審議会などの議論を踏まえて、教育制度の複線化を中心に受験戦争の緩和やボランティア活動の重視などを掲げる。国立大学の独立行政法人化も検討されている。

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