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モンツァ
私が小学生の頃は、いわゆる一つの
「ピアノに燃えてますっ!!」
状態の子供であった。
親が私をピアニストにしたかったらしく、来る日も来る日も練習練習・・・・・・・・・・・・
ってほどは、実は練習していなかったのだが(へへへ)、まぁでも少なくとも学校から帰って
きてから夕食の時間までの間は、毎日練習・・・って程度は、やっていた。
で、あるときピアノの先生が、
「モンツァのピアノ・コンクールを受けましょう」
と言ってきた。
っておいおい、それって大人の人ばっかりが受けるわけで、小学4年生の子供なんかまず
参加しないんだけど・・・
と思ったが、とにもかくにも「経験って大切よね」のノリで、モンツァに行く事になったのである。
結果はもちろんむろんオフコース、一次予選にて落選だったのだが、正直な話、ぜんっぜん
レベル的に違ったのに加え私は天才少女でも無かったため、「落ちて当たり前」だったという
具合。
で、モンツァ。
んまーーー子供心にも
「イタリアって、すばらしい!!!」
と感激したことを覚えている。
日頃パリのくら〜い空の下で生活していた私にとって、すれ違う人の多くが、当時わずか
10歳の自分に
「ニコッ♪」
と微笑みかけてくれたり
「バチッ!」
とウィンクしてくれたりという「イタリア人気質」は、かなり衝撃的であった。
彼らは恋に生き、音楽を愛し、食を楽しみ、芸術を愛でる人々・・・。そう、まさにイタリアは
アモ〜レアモ〜レ!!!♪♪♪
の国だったのである。
熱い太陽がまぶしい国、そんな表現がピッタリなのだ。
さて、モンツァに行くに際し、私は弟に頼まれていたことがあった。それはズバリ
「モンツァのサーキットの写真を撮って来て」
というもの。
1970年代後半、いわゆる「スーパーカーブーム」というものが世を(あるいは日本だけを)
席巻し、当時の男の子達はランボルギーニカウンタックだとかフェラーリなんとやらの
ミニカーを、競うようにしてコレクションしていたものである。
弟もその例にもれず、部屋の中は日本から送られてきたスーパーカー図鑑だとかミニカーで
一杯であった。
その頃人気のあった少年漫画に
「サーキットの狼」
というのがあり、どうもその中にモンツァのサーキットが出てきたらしく、「イタリアったらモンツァ、
モンツァったらサーキット」という図式になるのは、至極ありがちなことだったのだ。
で、行って来た。
モンツァ・サーキットにて 1977年 9月
なんというか・・・
ほんとに、上の写真のままだったのである。
たまたま出入り自由だった入り口から入っただけなので、本当はもっと全貌を見渡せる場所
もあったのかもしれない。
だが、私が見たのはこの風景のみ。
へ?
って感じである。
この席に座ってF1レースとかを観たとしても、右から左へわずか一瞬の
ひゅんっ!
という間に首を振らねばならない。
そうか、それがカーレースというものなのか・・・。
私や母やピアノの先生は、このような結論に妙に納得し、10分後にはここを後にした。
「さ〜ジェラートでも食べよっか!」
・・・女の子には、サーキットよりもジェラート、のようである。