ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱百弐拾
〜どうでもいい頃〜


Photo by mii

音楽家という生き物は、やはりどこか根無し草というか、行き当たりばったりというか、その都度その都度の場面を生きている気がする。積み上げない。重なり 合わない。そんな傾向にある。御多分にもれず私もそういった性分だと思われる。

学生時代、中学から大学まで繋がっている付属校へ通っていた。そこでは誰もがガキがオトナになるまでのおよそ十年間を共にする事になる。オトロチイ。ハズ カチイ。互いが互いの殆どを知っている。そんな友達ってなかなか出来るもんじゃない。

高校を四年、大学を五年かけて卒業した私はバンドマンの世界にどっぷり浸かり、学生時代の友人達とあまり逢わなくなってしまった。住む世界が違ったから だ。

十二歳からの友人、オサムは西麻布でBARをやっている。彼の店を中心に四十路になったかつての友人達は再び顔を合わせるようになった。オサムは何かにつ け出無精な私に声をかけてくれる。LIVEにも頻繁に顔を出してくれる。彼の店で唄った事もある。イイ男だ。

三十路の頃は、久し振りに友人に逢ったりすると、懐かしさよりもまず恥ずかしさや気まずさが先に立ってしまって上手く話せない事が多かった。

それが最近では、例えば三十年振りに逢った友人でも、なんのてらいも無くすっとあの頃に戻れる様になった。懐かしく、そして嬉しくなる。理由は分からない が、住む世界がどうとか、生活がどうとか、いろんなモノがどうでもよくなって来たのかもしれない。だってどうでもよかった頃の友人だから。

そしてそれはイイ事だと思っている。


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