古琴物語 第二巻 


師文 《列子 湯問第五》

 昔、瓠巴という琴の名手がいた。瓠巴が弾く琴の音に感応して、飛ぶ鳥は舞い、淵すむ魚は躍りだした。この話を聞いた鄭国の師文という楽士が、琴を志そうと発念して家を捨て、魯国の琴の名演奏家、師襄に従い入門した。三年間、弾琴指法や絃調を習ったが、まったく曲にならなかった。師である師襄が愛想をつかして言った。「お前は家に帰ったほうがよい」と。すると、師文は琴をおいて嗟嘆して言った。「私は絃調がととのえないのではありません。曲が弾けないのでもありません。私が志し求めているのは、音調がととのって上手に弾くことではないのです。音楽の神髄が我が心に修得できなければ、琴を弾くことができないのです。だから指使いを上手にこなそうという気にはなれないのです。もう少しお待ちください。きっと出来ます」と。それからしばらく後、師文はまた師襄にお目にかかった。師襄は聞いた。「お前の琴はどうなった?」と。師文は答えて言った。「ようやく得ることができました。試みに弾いてみましょう。どうかお聴きください」と。それはすばらしいものだった。秋の音である商の絃を弾き秋八月の律である南呂の曲を奏でると、忽ち涼風が吹きよせ、草樹が実をむすびはじめ、春の音である角の絃を弾き春二月の律である夾鍾の曲を奏でると、温かい風がやわらかく吹きはじめ、草木の花が咲きだした。また冬の音である羽の絃を弾き冬十一月の律である黄鍾の曲を奏でると、霜や雪がこもごも降ってきて、川も池もにわかに凍りついてしまった。かと思うと、夏の音である徴の絃を弾き夏五月であるズイ賓の曲を奏でると、太陽が燦々と照りつけ、凍てついた氷もたちどころに溶けてしまった。そして最後に、宮の音階に絃を合わせ、商角羽徴の絃を弾くと善き風が吹きおこり、瑞雲たなびき、甘露の雨が降りだして、醴(うまざけ)の泉が湧きだした。これを聴いた師襄は胸をたたき足踏み踊りながら感激してこう言った。「妙なるかな、お前は琴は素晴らしい。かつて師曠が弾いた清角の名曲も、鄒衍が吹いた笛の音律もお前の琴には叶うまい。彼らは琴を抱え、笛を手にしてお前に教えを請うしかないだろう。」

師襄:春秋時代、魯国の音楽師。孔子の琴の師
師曠:晋の音楽師。晋の平公のために「清角」の曲を奏し大風豪雨を巻きおこした。
鄒衍:斉国の楽師。寒冷不毛の地に鄒衍の笛の音は、地を暖め五穀を生じさせた。




伯牙と鍾子期 《列子 湯問第五》

 伯牙は善く琴を弾き、鍾子期は善く琴を聴いた。伯牙が高山を登る思いで琴を弾くと、鍾子期は言う。「素晴らしい曲だ。峨々として高く聳え立つ泰山のようだ」と。また、大河の流れの思いをこめて琴を弾くと、それを聴いて鍾子期は「素晴らしい。洋々流れる揚子江のような曲だ」と言う。伯牙の胸中の念を必ず鍾子期は言い当てた。
 伯牙と鍾子期はともに泰山の北の麓に遊びに出たところ、思いがけず大雨にあって岩陰に雨宿りをし、心細く思うのだった。そこで伯牙はやおら琴を援きよせ弾きだした。はじめは「霖雨操」を弾じ、つづいて「崩山引」を弾じた。一曲奏するたびに鍾子期は伯牙の琴の趣を理解した。伯牙は琴を舎いて讃嘆して言う。「素晴らしいよ、ほんとうに、君が琴を聴く耳は。君が想像するその通りに、私の心の中と同じだ。私の琴の音は君の耳から逃れることはできない。」



孔子と顔回 《荘子  讓王篇第二十八》

 孔子があるとき顔回に向かって言った。
「回や、君は家が貧しく地位も低い。どうかな、仕官してみては。」
 「私は仕官など望んでおりません。なぜなら私には城下の外に五十畝の田圃があり、それで粥ぐらいは食べられます。また城下には十畝の田圃があり、桑や麻を植えれば糸をつむぐくらいは出来ます。私には琴を弾じて自ら娯しむことで足りているのです。あなたから学んだ道は、自ら足ることを知るにあるではありませんか。だから私は仕官など願わないのです。」
 孔子は顔回の言葉を聞いて、さっと居ずまいを正した。
 「素晴らしいよ、君の信念は。私は聞いている。「足ることを知る者は、利益を求めて自らを苦しめず、道を体得して悠々自適するものは、失っても恐れず、修身理性するものは、地位が低くとも恥じることはない。」と。私はこの言葉を誦し続けてきたのだが、今、それを実際に体得した顔回を見るにおよんで私の得るものは大きい。」



廣陵散 《世説新語  雅量篇第六》

 けい中散(けい康)は洛陽の市場で処刑される際、表情も変えず、琴を索めて弾じ、廣陵散を奏でた。曲が終わると言った。
 「袁孝尼がかつてこの曲を学びたいと頼んだが、私は渋って教えてやらなかった。廣陵散はこれでおしまいだ。」
太学の学生三千人が、上書して先生にしたいと申し出たが許されなかった。文王(司馬昭)もやがて後悔した。



琴書 《世説新語  雅量篇第六》

 戴公が東(会稽)から都へ出てくると、謝太傳(謝安)は彼に会うために出かけた。謝は本々戴を軽く見ており、会って話しても琴書について論じるだけだった。しかし戴は惜しむことなく話し、琴書について愈々妙を得るのだった。謝はしみじと彼の雅量を知るのだった。



撫琴 《世説新語  傷逝篇第十七》

 顧彦先は平生から琴を好んでいた。喪におよび、家人は常に琴を霊柩を安置した上に置いていた。張季鷹は弔問に出掛け慟哭にたえぬまま、遂にその琴を取って弾じた。数曲を奏し終わると琴を撫でながら言った。
 「顧彦先よ、今の曲を聴いてくれたか?」
 そこで又、大いに慟哭して、喪主の手を執らずに出て行った。



人琴倶亡 《世説新語  傷逝篇第十七》

 王徽之と王献之は共に病気で危篤となった。まず弟の王献之が先に死んだ。王徽之は側近に問うた。「何故弟の消息を聞かないのだろう。これはもう死んだのだ!」
 そう語ったあと悲しむことなく、すぐに輿を索めて喪に駆けつけた。しかし哭くことはなかった。王献之はいつも琴を好んでいた。王徽之は霊柩に上がり込んで座し、王献之の琴を取って弾じた。絃は既に調わなかった。王徽之は琴を地面に投げつけた。
 「子敬(王献之)よ、子敬よ。人も琴もともに亡んでしまったよ。」
 そこで王徽之はしばらく力のかぎり慟哭した。一月あまりで彼も死んだ。



荊元と于老人 《儒林外史  第五十五回》

 ひとりは仕立屋で、姓を荊、名を元といい、年は五十余り、三山街に仕立屋を開いていた。毎日人から頼まれた仕事をし、残りの時間は、琴を弾いたり字を書いたりしている。また詩を作ることも好きだった。
 友人や知合いの人たちから、
 「あなたも文人になろうというんなら、なぜいつまでも、そんな商売をしているんですか?どうして学校関係者の人たちと付き合わないんですか?」
 とたずねられたとき、
 「私はなにも文人が望みなわけじゃないのです。ただ性分がそれに近いだけの話で、それで、しじゅうその真似事をやっているのですよ。私たちのこの商売は祖先から代々受けついできたもの、読書や習字が、裁縫をやると、まさか汚れるってこともありますまい!それに、あの学校関係のかたたちは、別にひとつの見識をお持ちなのだから、どうしてわれわれとお付合いをなさいましょう!いま私は、毎日六、七分の銀を儲け、飯をたっぷり食べていて、琴を弾くのも、字を書くのも、万事しほうだい。人さまの富貴にあやからず、人さまの顔色をうかがわず、恐ろしいものなしでいられるとは、これこそ愉快至極!」
 友人たちは荊元のこのおしゃべりを聞くと、親しく付き合うのをやめてしまった。
 ある日のこと、荊元は食事をすまして、する仕事もなかったので、ふらりと清涼山に出かけた。この清涼山というのは、南京城西の極めて幽静な地にあり、荊元の親友の于というのが、この山の裏手に住んでいた。
 于老人は、読書人でもないし、商売もしていない。五人の子供を育てあげ、長男が四十あまり、末っ子もすでに二十をすぎていて、老人はこの子供たちを従えて畑仕事をしていた。畑は二、三百畝の広さがあり、中央の空地には、たくさんな花が植えられ、いくつか石も積まれている。老人はそのかたわらに間口三、四間ほどの小さな茅葺の小屋を建て、何本か植えこんだ梧桐が、三、四十抱えもの大きさに育っていた。老人は子供たちの畑仕事を見守りながら、その茅葺の小屋まで来ると、火をおこして茶をたて、それを飲み飲み、あたりの新緑を賞でるのだった。
 その日、荊元がはいって行くと、于老人は出迎えながら、
 「しばらく見えなかったが、仕事のほうが忙しかったのかね?」
 「そうなんだ。今日やっと片が付いたので、わざわざあなたに会いに来たのさ」
 「ちょうど入れたての茶があるよ、一杯やっていきなさい」
 老人は茶をさしてすすめた。荊元はそれを受け取り、坐って飲みながら言った。
 「この茶は色といい、味といい、たいへん結構だが、こんないい水をあなたはどこから手に入れるんだね?」
 「この城西の地方は、城南のあなたの所とちがって、どこの井戸でも飲めるんだ」
 「昔の人はよく、『桃源に俗世を避ける』というが、私が思うには、『桃源』なんて別にいらないやね!あんたのようにこうやって、のんびり気ままに城内の山林で暮らしていれば、そのままでこの世の神仙なのだから」
 「だが、私は老いぼれて、何ひとつやれるものがない。もしもあんたみたいに琴でも弾けたら、さぞかし気がまぎれるだろうと思うよ。近ごろは、ますます腕があがったんじゃないのかな?いつかひとつ聞かせてもらいたいね」
 「おやすいご用だ!あなたが聞いてくれるというんなら、明日にでも琴を持ってきて、ご批評を仰ごう」
 しばらく語り合ってから、別れを告げて帰った。
 翌日、荊元は自分で琴を抱え、畑へやって来た。于老人はすでに香炉に上等の香を焚いて、待ちかまえていた。たがいに挨拶をして、二こと三こと言葉をかわすと、于老人が荊元のために琴を石の腰掛けの上においた。荊元は地面にむしろを敷いて坐り、于老人もそのわきに坐る。
 荊元はゆっくり弦の調子を整えていたが、やがて弾きはじめた。鏘鏘と鳴る音は林の樹々を震わし、小鳥たちも枝に羽を休めて耳をかたむける。しばし弾きつづけたかと思うと、調べはたちまち変徴の曲に変じ、物寂しく冴えて流れた。
于老人は深奥な妙音に打たれて、思わずハラハラと涙を流したのである。
 これより後、ふたりはたえず往来するようになるのだが、この時は、これで別れて帰った。

平凡社刊「中国古典文学大系43」稲田孝訳



琴馴らし 《茶の本  第五章藝術鑑賞》

 大昔、龍門の峡谷に、これぞ眞の森の王と思はれる古桐があった。頭は擡げて星と語り、根は深く地中に下して、その青銅色のとぐろ巻は、地下に眠る銀龍のそれと絡まってゐた。ところが、或る偉大な妖術者がこの樹を切って不思議な琴を拵へた。そしてその頑固な精を和らげるには、唯樂聖の手に俟つより他はなかった。長い間その樂器は皇帝に秘蔵せられてゐたが、その絃から妙なる音をひき出そうと名手が代る代る努力してもその甲斐は全くなかった。彼等のあらん限りの努力に答へるものは只輕侮の音、彼等の欣んで歌はうとすると歌は不調和な琴の音ばかりであった。
 終に伯牙といふ琴の名手が現はれた。馭し難い馬を鎮めようとする人の如く、彼はやさしく琴を撫し、靜かに絃を叩いた。自然と四季を歌ひ、高山を歌ひ、流水を歌へば、その古桐の追憶はすべて呼び起された。再び和かい春風はその枝の間に戯れた。峡谷を躍りながら下ってゆく若い奔流は、蕾の花に向って笑った。忽ち聞えるのは夢の如き、數知れぬ夏の蟲、雨のばらばらと和かに落ちる音、悲しげな郭公の聲。聽け!虎嘯いて、谷これに應へてゐる。秋の曲を奏すれば、物淋しき夜に、劔の如き鋭い月は、霜のおく草葉に輝いてゐる。冬の曲となれば、雪空に白鳥の群渦巻き、霰はぱらぱらと、嬉々として枝を打つ。
 次に伯牙は調べを變へて戀を歌った。森は深く思案にくれてゐる熱烈な戀人のやうにゆらいだ。空にはつんとした乙女のやうな冴えた美しい雲が飛んだ。併し失望のやうな黒い長い影を地上に曵いて過ぎて行った。更に調べを變へて戰を歌ひ、劔戟の響や駒の蹄の音を歌った。すると、琴中に龍門の暴風雨起り、龍は電光に乘じ、轟々たる雪崩は山々に鳴り渡った。帝王は狂喜して、伯牙に彼の成功の秘訣の存する所を尋ねた。彼は答へて言った、「陛下、他の人々は自己のことばかり歌ったから失敗したのであります。私は琴にその樂想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か伯牙が琴か、ほんたうに自分でも分りませんでした。」と。

岡倉覺三著『Book of Tea(茶の本)』村岡博訳





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