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flowerやみぃのノート 医療編   ― Index ―


インターネットの向こう側 「月刊がん もっといい日」2002年1月号より
そっとはじまり 2002. 1. 27


医療の雑誌に短い文を書きました。

編集部から依頼があったのはクリスマス前のとても忙しく、(正確に言えば、物事をするのに時間が掛かりすぎるせいで、つまり何でも効率よくこなせる人なら決して忙しいなんて形容はしないだろう「忙しさ」で) 宿題にも追われていた時だったので、「どうしよう? 」と迷いつつ、

やさしい友人 ARIさんの紹介でやってきた話でもあったし、 ―  きっと失敗するぞ。でも気づくことだってあって、結局は「得しちゃった」って思うのよね〜♪ 
という、いつもの楽観的な思い込みに従って、引き受けました。

案の定、いろんな失敗や読みちがいにがっかりもしたけれど、それでもやっぱり
 ああ、おもしろかった〜!!   なのでした。(笑)

以下、掲載文と所感のノートです。
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* インターネットの向こう側  ― ウェブの糸をつたって ―


海の彼方のまだ会ったことのない友人達から、誕生日やクリスマスにたくさんのカードや花束が届きます。二年前には想像もつかなかったことに少し照れながら、とても感謝しています。

私は自分のサイトを持ち、その中では英文のページも作っているので、よくコンピュータや語学が得意だと勘違いされます。でもがんが見つかった時にはインターネットは未経験、英語もほとんど出来ませんでした。


そんな私が初めてネットで検索をした日のこと。

操作を間違え迷い込んだサイトで米国の乳がんの女性アイナと出逢ったのです。辞書とにらめっこしながらなんとか訳してみると、彼女は自身の体験から、闘病には共感できる仲間が必要だと考え、患者のML(メーリングリスト)を作っていました。

心惹かれながらも、英語じゃ無理よねと入会を躊躇していると、翌日、MLの仲間達から歓迎のメールが12通も届いたのです。皆の優しさが嬉しくて、涙が止まりませんでした。


グループには様々な国の人がいて、各国の医療やサポートの様子、最新の医学情報なども教え合います。でも私は皆の知識よりも知恵に魅了されています。とくにユーモアのセンスがすごいの。

たとえば、入院中のポールからしばらく連絡がなくてやきもきしていると、「やみぃ、心配で痩せちゃったろう。僕はまだ生きてるよ! 今度チョコレートを送るから太っておくれね! 」なんて。

昨日のモニーの返信は、たった三文字「LOL」だけ(Loughing Out Loud 大笑いしてるよ、の略)。思わず吹き出してしまいました。

時々人種間の摩擦や宗教的な揉め事も起きますが、問題がこじれることはありません。たぶん「生きること」が私たちの根っこのテーマだから。ケンカしながら、歓びも悲しみも分かち合う、まるで多国籍の家族みたい。皆が互いの身を案じ、祈り合う瞬間がとても好きです。

出逢いが新たな出逢いを作り、白血病やエイズの仲間もできました。


友人達はおしなべて聡明で個性的です。

カーラは、がんが見つかったばかりの患者さん向けに「サポートガイドブック」を作りあちこちの病院で配っています。現在は中南米の移民の人たちのためにスペイン語版を制作中。

ヴィッキは多くの仲間の相談役として地元のホスピスへ通い、ベスは詩人として生命の歌を綴っています。
イヴは綺麗なサイトを作り、いつも皆を愉しませていました。今は亡きリンダも、病気の家族を持つ子ども達と寄り添うことが日課でした。

患者でありながら、それぞれが自分にできることを見つけ、今という時を精一杯に生きている。エッジに立った人ほど美しく輝いている。

この事実が、私には何よりも大きな希望です。Life is beautiful.


交流を続けていると、仲間達の訃報にも接します。その度に悲しくて、生き残ることが辛くて、泣いてばかりいました。けれど昨年の春、親友イヴの死から二ヶ月半を経て、私はサイト開設の準備を始めました。

私のHPは子ども部屋みたいで、間違っても医療サイトとは呼べないけれど、イヴのお茶目な雰囲気は受け継げているかな。 とにかく「泣き虫やみぃ」も少しだけ成長しました(笑)。


サイトを開いてからは、日本にもかけがえのない仲間がたくさんできました。

インターネットは情報収集のツールに過ぎないかもしれないけれど、画面の向こう側には必ず温かな人がいます。声を掛けたらどこからか答えの返ってくる素敵に不思議なクモの巣です。

私はしっかり絡まって、今は、体温が伝わるようなサイト作りを夢見ています。

   ― 2001年12月
Just another day in Cancerville

flower


"やみぃ語" を 最大公約語的日本語に 添削・修正してくださった編集者さんに感謝です。
そして、その辺りのことで凹み トッチラカッタ私を、励ましてくれた友人たちに、ほんとうにありがとう! !
 
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   * そっと はじまり



雑誌に載せた上の文章は、四度書き直しています。
短いけれど、それとも短いからか、とにかく難しくて。(やっぱり作文、向いてないなぁ。)

編集者さんは「当然でしょ」という感じで「サイト運営の抱負や目標、始めた動機、普段心掛けていることも書いてください」などとおっしゃる。

抱負とか目標なんて考えたこともないし、考えたいことでもないので、作業は遅々として進まず、だけど軽々しく受けたのは、誰でもない私なわけで . . . 。
またしても、自分の考えなしとオフビート加減を思い知るのでした。( トホホギスが鳴く )

でも、そういったことにキチンと答えられる人は、こんなにゴチャゴチャしたサイトは作らないと思うなぁ。方法が分からないからやっている訳だしサ。 と、かなり強引な 「まあいいか♪」
で、締め切りにはなんとか間に合いました。(笑)


ほんとうにスリリングな良い経験でした。そして何よりも、サイトを作り始めたきっかけ ― 今まで屋根裏のどこでも、友人たちにさえ話せなかったイヴのことを、少しだけれど書けて、嬉しかった。



2001年2月21日、イヴが死んでしまった。

今思うと、その頃の私は、悲しみに疲れるという表現があるかどうか、とにかく友人たちの相次ぐ訃報に、かなりヒサンな状態でした。慣れない英語で、誰かをなぐさめようとか、お悔やみを言うとか、そういう「どだい無理でしょ」もギリギリだったか。  (今でも悲しい時は、日本語で泣きたい!  と心底思います。)


そんな時にイヴも逝ってしまって、準備はしていたけれど、やっぱりすごく辛かった。悔いも残っていたし . . . 。
死んじゃう4 ヶ月前にイヴが言ったの。肝転移が進んでしまったとき。

ウェッブサイトのこと、教えるわよ。私のチップで良ければ喜んで。やみぃはきっと素敵なページを作るでしょう。だって、あなたって "楽しい" の天才だもの。(You are the Einstein of fun.)

なぜ 「教えて」って言わなかったんだろう?

彼女の体にさわるんじゃないか、苦手なコンピュータのことは英語じゃもっと分からないし。. . . 些細なことを気にして、私は動かなかった。

好きなことについて話す時は、痛みだって少しは和らいだかもしれないのに。どうして見逃したんだろう。
「わあ、嬉しい!」 「お願いね!」 . . . ただそう言えば良かった。
泣いて泣いて、泣いた。(人間のからだは 大部分が水でできているって 本当です。 )


そうして泣き続けていたら、突然、激しい怒りがこみ上げてきたんです。

 もうイヤだ!  なぜ?  どうして素敵な人ばかり死んじゃうの?
 あんまりだ! こんなのひどすぎるよ!


堆積したいろんな想い . . . 。誰にお礼を言っていいか分からないときに「ありがとう」を伝える相手だった神様にさえ(たぶん生まれて初めて)腹を立てて、泣き叫んでいました。いっそ先に死なせてよ。もう森羅万象、宇宙さえ呪うって感じの ヒステリー


それから「死に神」モードにも入りました。

  代われたらよかったのに. . . 。
  好きになると、みんな死んじゃう。どうして?
  お願いだからそばに来ないで、じゃないとあなたも死んじゃうよ。
  もう、誰も好きにならない!  誰とも友達になんかならない!!


後悔や怒りや厭世 . . . 様々な感情がぐるぐる繰り返しやってきて、泣いたり落ち込んだりアパシー(感覚や感動がなくて妙に醒めた感じ)だったりしました。 ―  こうした感情の乱れも サバイバーズ・ギルト(Survivor's Guilt - 生き残ってしまったことへの負いめ、生存者が抱える罪悪感)のあらわれなのだそうですが。―

そのうちホントに訳がわからなくなって、40度の熱に浮かされました。

(私は "いっぱいいっぱい" になると 決まって高熱を出します。まるでブレーカーを落とすみたいに。外界からも遮断される、究極のシェルターなのかもしれません。それで、子どもの頃から熱が好き、なんて、ちょっと変ですが。 )

高熱は三日ほど続き、たぶんその間に、夢の中で いろいろなことと和解する仕度ができたらしく、目が覚めたら 少し元気になっていました。

この場所でやっていこう、サイトも作ってみよう、と思うまでには、もう少し時間が掛かったのだけれど。


こんなこと、サイト開設の理由と言えるかしら . . . 。 わかりません。
まあ、とにかく、そんな風にして、この屋根裏は 「できちゃった」 のでした。(笑)



クリスマスの前に、メソメソしながらも、イヴのことを言葉にできて良かった . . . 。
雑誌の取材がもう一月早かったら、書けなかったかもしれない。彼女との日々を思い出として受け止められる時が来ていることを、偶然が教えてくれたのだと思います。


ほんとうに。 タイミングって不思議 . . . 。
先週、イヴの一人娘ジェシカから手紙をもらいました。


やみぃ、どうしていますか。
私は元気にやってます。奨学金とバイトで、学校もなんとか続けられそう。猫たちも元気よ。まだまだ淋しいけど、私もようやく母の死を受け入れることができたような気がします。それでね、母の書いたTRANSITIONSという詩を贈ります。彼女が残した唯一の詩です。あなたの素敵なサイトに載せてもらうこと、とっても歓ぶと思うから . . . 。



いつかイヴの詩を日本語にして、音楽もつけてみたい。

そして、最初に書いたきり、なぜかずっと更新できなかった「がんの戸棚」だったけれど、そろそろまたオシャベリをしようかな、などなど思う冬の朝。

そっと はじまり。 やっとはじまり。


 Dedicated to the memory of Evelyn Reed  (8/25/1948 - 2/21/2001)        cherry
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Special thanks to all of my bosom friends . . .
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