水軒駅見学(その3)

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廃止の原因となった踏切 廃止の主要な原因である和歌山港1号踏切です。和歌山港と水軒のちょうど中間点付近にあります。遮断機や警報機があるごく普通の踏切ですが、この踏切が閉まるのは1日4回だけです。踏み板などの老朽化は激しく、ゴツゴツとしています。

極端に狭くなる道幅 和歌山港1号踏切から山側をむいて撮影。片側2車線の道路が踏み切り直前で片側1車線となっています。そのためここでつかえて渋滞が起きやすくなっています。また和歌山港線と平行して片側2車線の臨港道路が通っており、踏切の隣に交差点があります。この臨港道路はかなりのスピードで車が走ってくるので交差点付近で曲がろうとする車などによって渋滞が起きやすくなっています。大型車も頻繁に走っているので、かなり危険な場所です。

 この交差点は踏切の横にあるので信号機がありません。ここに信号機をつければいいだけの話という見方もできますが、南海としてはここを廃止するいい機会ということにしたのでしょう。

踏切が閉まってるわけでもないのに渋滞 踏切が閉まっているわけでもないのに、この様にしょっちゅう渋滞します。しかも大型トラックが多く、いつ事故が起きてもおかしくないといった状況です。この辺りは歩行者や自転車が少ないのが唯一の救いでしょう。

和歌山港駅駅名表 和歌山港駅の駅名表です。毛筆体になっているこのタイプの駅名表は今ではなかなか見ることができません。水軒駅が廃止されたときに新しいものに交換されるのか、それともただ「すいけん」のところを隠すだけに終わるのか、というところにも注目です。

南海21000系(旧塗色・和歌山港線) これは1995年頃鉄研部長が撮った写真です。この頃は高野線を追い出された旧型ズームカー(高野山行急行用、17m級車輌)が和歌山港線を走っていました。水軒駅も改修工事をうける前で、木造の柵となっていました。

 和歌山港線は、天王寺支線に閉じこめられた1524−1526が復活したり、写真のように21000系クロスシート車輌が高野線を追われてここにやってきたり、22000系の未更新車の晩年の活躍場所であったりと、南海電鉄の車輌の最期の活躍場所となることが多いです。ちなみに写真の21000系は大井川鉄道に譲渡されました。

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