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ブランディスは平地時代にも3勝をあげて1000万下条件までいった馬ですが、5歳の12月に障害入りしてからは素晴らしい障害適性を見せました。 障害デビュー戦こそ4着でしたが続く未勝利戦を勝利すると、中山代替開催の春麗ジャンプSでは実績馬に混じって半馬身差の2着とその能力の片鱗を見せてくれました。その後は中山の平場オープンを2連勝しましたが、賞金不足などもあり中山グランドJは見送ることとなりました。 放牧から帰ってくると、初の直線芝コースとなった中山での平場オープンをこれまた楽勝します。久々のOP特別挑戦となった東京の秋陽ジャンプSでは初コースに不利も重なって1着馬に大きく離された3着と敗れてしまいますが、満を持して出走した1月の中山大障害では初重賞で初G1ながら完璧な飛越で逃げ切って完勝し、見事障害デビューから約1年でのG1制覇となりました。 春はステップを使わないで中山グランドジャンプに直行、1番人気こそギルデッドエージに譲りましたがレースでは3番手追走から4コーナーで馬なりで先頭に立つと、直線では突き放してメルシータカオー以下を5馬身ちぎってのレコード勝ちと、圧倒的な力を見せ付けました。 2004年は前年の中山大障害が降雪で1月に延期となったため一年にJ・G1が3レース行われる非常に珍しい年となったのですが、ブランディスは2連勝し空前絶後の年間J・G1三勝への挑戦権を得たのです。 秋は大記録を達成するために中山大障害に向けて調整されてきました。東京オータムジャンプにも登録はしましたが回避、秋陽ジャンプSでの始動が考えられていましたが、右前脚繋靱帯炎を発症し復帰にはかなりの時間がかかることから引退となってしまいました。 年3冠のかかった中山大障害には出走すら出来ませんでしたが、G1二勝が評価され最優秀障害馬に選出されました。セン馬のため種牡馬にはなれませんが、ノーザンホースパークで乗馬になるということで、長生きして欲しいものです。 |