『monochrome -prologue-』
夏が近付いてくると、ホグワーツの図書館は生徒達でごった返す。
地獄の学年末試験さえ乗り切ればあとは楽しい夏休み。
それだけを希望に1年分の成果を頭に詰め込もうと、皆必死である。
年間を通じて、図書館に最も活気が溢れる時期(ただし館内ではお静かに)がまさに今なのだ。
けれど本日の図書館は、一種異様な雰囲気に包まれていた。
教授は図書館に入るなり、妙な空気を感じ取った。
ぎこちなく歩く生徒、囁き声の応酬、…何かあったのだろうか。
一歩踏み出して、彼女はすぐさま原因を見つけた。
「まぁ、あんなところに…」
溜息をついて、図書館の突き当たりやや右、総記の棚に近いその席を目指した。
無言でぱらっと頁をめくった彼の後ろに立つと、こほん、と一つ咳をする。
「図書館で読書とは、珍しいこともあるものですね。セブルス?」
「…ミス・マクゴナガル?」
「捜しましたよ。まさかこんなところにいるとは思わなくて」
振り返ったセブルスが、驚きの表情で緑のローブを羽織った副校長を見上げる。
「よく我輩を見つけだしましたな」
「いえ。図書館にいると聞いたので、あとはすぐに見つかると思いました。実際、入った瞬間に貴方がどこにいるのかはわかりましたとも」
その言葉に眉をひそめるセブルスに、彼女は言ってやった。
「その視野の狭さはなんとかしたほうがよろしいわね、セブルス。周りをご覧なさい」
「…………あぁ、そういうことですか」
言われるがままにざっと周囲を見回したセブルスは、自分を中心にした半径十メートル以内に一人も生徒達がいないことに気が付く。
超満員の図書館で、そこだけぽっかり穴が開いたように誰も近付こうとしないのだ。
「また、恐がられたものね」
「嫌われているのですよ」
「そんな嬉しそうに言うことはないでしょう?」
「おや、笑っておりましたかな?」
セブルスは薄い唇の端を少し持ち上げ、やや瞼を落とした。
生徒から見れば「え…怒ってるの笑ってるの、どっち?」と首を傾げたくなる表情だ。
「まぁ、とにかく近所迷惑ですから場所を移しましょう」
「心外ですな。我輩には図書館で読書をする権利もないということですか」
「これが試験前でなければね」
ミネルバはつい、と視線を投げかける。
「先ほどイルマに泣きつかれました。この時期に一人で五十席も占領されては困るのだ、と」
不機嫌そうに沈黙したセブルスが、しばらくして溜息と共に本を閉じた。
「全く教師というのは因果な職業ですな。生徒のため、と言われれば引かざるをえん」
しっかりと本を抱えて立ち上がったセブルスに、ミネルバはふと笑った。
「ふふ…懐かしいこと。その席は学生時代から貴方の指定席でしたものね。いえ、貴方達と言うべきかしら」
愛おしげに、いくつかの空席を見つめる。
「リリー、ジェームズ、リーマス…。貴方達6人がいるとき、ここは図書館で一番にぎやかな席でした」
「昔のことです」
セブルスは表情を消した顔でそう言った。
「もう過ぎたこと。戻ってこない時代です」
「そうですね。戻ってきてはいけない時代です」
目の色を深くし、彼女は同僚を見上げた。
「……でもここにいると、このホグワーツにいると、時に古き時代と新しい今日が混じり合うような気がするわ」
「昔は昔。今は今です。その証拠に、年々生徒達の学力は低下している」
「それはねぇ」
ミネルバは溜息をつく。
「仕方のないことなのよセブルス。貴方には気に入らなくとも。もう、皆が皆必死で学ばなければならぬ時代は過ぎたのです。これからの学問は、生きるための学問であって生き残るための学問ではないのです」
「世の中全体が平和ボケで腹立たしいことだ。まだ全てが終わったわけではないのに」
「…し。それを口にしてはいけません」
「…わかっておりますよミネルバ。わかっておりますとも。時代は戻ってこないし、戻してはならない。あのような、暗い時代には。それは我々の責務です」
厳しい顔つきになった男に向かって、彼女は複雑な心境で笑いかけた。
「セブルス、私の部屋でお茶などいかがかしら。知らせたいことがあって捜していたのよ」
「何か重要な話でも…?」
「嬉しい知らせよ。もっとも、貴方にとってはどうだか私にはわかりかねますが」
「というと?」
心当たりもなく、セブルスは首を傾げる。
ミネルバは一歩彼に近付き、そっと耳打ちした。
「ハリー・ポッターが」
「先ほど正式に決定したのです。ハリー・ポッターに来年度の入学許可が下りました。来年、彼はホグワーツの一年生です」
目眩がした。
「…もう、十年も経ったのですか。あれから?」
「まぁ、貴方こそ昔と今をごっちゃにしているではありませんか。経ったのですよ、十年が」
「それで、七年もこの学校に在籍するのですか?」
「当然でしょう?」
「…………」
沈痛な面持ちで首を振るセブルスの背を、ミネルバが押す。
「さ、行きましょうセブルス。詳しい話は私の部屋で」
「ミネルバ。我輩を一年生の時間割から外して貰えないだろうか」
「何を言うのです。貴方が教えなくて誰が魔法薬学を教えるのですか」
「誰でもいい。我輩は御免です」
ひそひそと、囁き合いながら2人の教師は図書館を出ていく。
彼らが扉から出て、完全に姿が見えなくなると一斉に、生徒達の溜息が重なった。
何も起こらなくてよかった、と呟く者もいたし、何も起こらなくてつまんない、と唇をとがらせる者もいた。
先生方の話を聞き取ることは出来なかったが、なんとはなしに彼らは思った。
何かが、始まるかもしれないと。