ルツェルン
Luzern
LU ルツェルン州 ルツェルン州

1、ルツェルンの旧市街地全景
左:ムゼック城壁と塔、 手前はロイス川、 右端:カペル橋と水の塔、
右奥に広がる フィーアヴァルトシュテッテ湖 (別名 ルツェルン湖) 

   ■ ルツェルンへの道 (Luzern)  

 ルナーオーバーラント観光も終わり、ウエンゲンの宿を8時前にチェックアウト、ラウターブルンネン駅裏の大駐車場に預けたレンタカーに再び乗って、ルツェルン (Luzern) までのおよそ80kmのドライブを開始する。インターラーケン (Inerlaken) から、高速8号に乗ると、素晴らしいブリエンツ湖を左に見ながらが快適なDriveが続く、スイス鉄道はこの湖の対岸側を走っており、ブリエンツの湖が終って暫くすると、左に線路が近づいて来た。高速8号は終点となり、そのまま直進すると、メイリンゲン (Meiringen) を通り、グリムセル峠 (Grimselpass) へ行く国道6号に入ってしまうため、ルツェルンへの標識に従って国道4号方向に入る。

 れから先のサルネン (Sarnen) の町までのおよそ30キロの間は、高速道路が未完成で、ブリューニック峠 (Brunigpass/1008m) を越え、左に見える綺麗なルンゲルン湖 (Lungern See) を過ぎると、小さなギスウィル (Giswil) の町に到着した。ここで給油を兼ね、飲み物を購入して1息付く。このルートは、さらにサルナー湖 (Sarner See) 、アルプネチャー湖 (Alpnacher See) と、小さな湖が次々と現れ、快適なDriveコースが続く。かみさんは窓からのビデオ撮影に余念がない。やがてフィーアヴァルト・シュテッテ湖の大きな湖が右手に見えだしたところで、アンデルマット (Andermatt) 方面からの高速2号と合流した。ラウターブルンネンを出発してからおよそ2時間半後の11時頃、ルツェルンのシンボル 「カペル・橋」 の袂に到着 した。
    ムゼック城壁 (Museqqmauer)

 
きなフィーアヴァルト・シュテッテ湖 (Vierwaldstatter See) (別名 ルツェルン湖)の水が、ロイス川へ流れ始める場所にあるルツェルンは、中世の面影を残すスイスでも貴重な古い街並みである。1386年に作られ、かって街全体を取り囲んでいた 「ムゼック城壁」 は、いまでは、旧市街の北側に9つの塔を含む、およそ900mが残されているだけとなった。その城壁の片側は、上部を歩くことも出来、スイス最古の1535年に作られ、いまも現役中の時計を持つツァイト (Zeit) や、シルメル (Schirmer)、マンリ (Mannli) の3つの塔は、夏の期間のみ公開されている。


 暗くて狭い階段を登って行くと、中世の兵士になったような気分で、当時もこのように、この階段を昇り降りしていたであろう・・?と想像するだけで、胸の高鳴りを覚える。城壁の上から見下ろすと、遠くに広がる 「フィーアヴァルト・シュテッテ湖」 をバックに、湖に向かって広がる 「旧市街地」 の大パノラマを一望することができる。【写真1】 


「瀕死のライオン像」 記念碑前にて
2、「瀕死のライオン像」 記念碑前にて


   瀕死のライオン記念碑 (Löwendenkmal)

 ペル橋から北へ500mほど走った街の中に、氷河の痕跡を展示している氷河公園がある。そのすぐ横の岩壁には、横たわるライオン像が刻まれている。これは今から210年前の1792/8/10 フランス革命の時、フランス王家に仕えていたスイス人衛兵の786名が、パリのチュイルリー宮殿で、押し寄せる革命人民からルイ16世とマリー・アントワネット王妃を、最後まで守り続けて全員戦死した。その忠実さと英雄的悲劇を讃え、デンマークの彫刻家 「トルバルセン」 が制作したものである。
 壁をくり貫いたおよそ5mほどの彫刻は、異国で没したスイス衛兵をライオンに見立て、その左背には折れた槍が刺さり、十字マークの盾の上に苦しそうに横たわるその姿を、マーク・トゥウェインは 「この世で最も悲惨で心を打たれる岩塊」 と記し、碑文には 「ヘルヴェティア人の進行と美徳に寄せて」 と書てある。 210年前の悲劇を想像しながら、じっとそのライオン像を眺める。【写真2】

  ここでも「旅先での感動を二人で・・・」 かみさんが 「旅っていいわね〜」・・と囁いた。
 

カペル橋から右岸のレストラン・テラスを眺める。
カペル橋から


3、カペル橋の傍で
         ■ カペル橋 (Kapellbrucke)

 
がロイス川に流れる場所には、美しい瓦屋根を持つ2つの橋がある。その代表が 「カペル橋」 で、1333年に造られルツェルンのシンボルとも言える木造の橋で、もうひとつはカペル橋から400mほど下流にかかるシュプロイヤー橋である。 このカペル橋はヨーロッパ最古、最長のもので、もともとはルツェルンの湖側からの防備のため造られた要塞の一部で、当初は285mであった。後世の修復で橋の両端が短くなり、今日の姿になったもので、川の流れに対抗させるため、わざと斜めに架けられ、その全長はおよそ200mある。橋が途中で折れ曲がる場所にある八角形のヴァッサートゥルム(水の塔)は、灯台も兼ねた見張り塔で、この塔は橋よりも古く、1300年頃の城壁の一部である。市の公文書の保管や、時には拷問塔になったりもしたが、現在では芸術クラブの団体集会場として使われている。

 
の屋根の梁に架けられた112枚の三角形の板絵は、17世紀の画家ハインリッヒ・ベグマンの作品で、スイスやルツェルンの歴史や生活やこの地の守護聖人の生涯などが描かれている。 それらを見ながら渡るのも面白い。 川辺のテラス席のレストランで橋を眺めながら昼食をとる。 「この街ってとても素敵なところね!」 と話し掛けるかみさんの笑顔を見ながら、ゆったりと流れるロイス川を眺めていると時間の経つのも忘れてしまう。 来て良かったと思う瞬間である。【写真3】

 
のカペル橋は、1993年8月、橋の下に係留されていたボートから出火し、橋中央の大半が焼失してしまった。さすがにルツェルンのシンボルである翌年4月にはすぐに再建されたが、残念ながら新しい中央部と、左右に焼け残った継ぎはぎの橋となってしまった。 丁度焼失前1992年7月に訪れたのが見納めになろうとは・・・。 その屋根の梁に架けられた112枚の板絵も、僅か10枚ほど残っただけだと言われ、写真は焼失前と再建後のカペル橋と屋根に架けられたオリジナルの板絵である。 これが自然に調和するには長い年月が必要であろう。【写真4・5・6】
 焼失前のカペル橋 (1992/07撮影)
4、焼失前のカペル橋
(1992/07 撮影)




焼失前のカペル橋 (1992/07撮影)
5、焼失前のカペル橋
(1992/07 撮影)
(当時はボートがこんなに係留されていた)




再建後の屋根とオリジナルの板絵
6、再建後の屋根とオリジナルの板絵


カペル橋とロイス川 (水は左から右へ流れる)
焼失前のカペル橋


5、 ロイス川に架かる「カペル橋」をバックに

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