![]() 1、ノイシュバンシュタイン城への地図 ![]() 2、宿泊したシュロスホテル・リスル ![]() ノイシュバンシュタイン城をバックに ![]() シュロスホテル・リスルの入り口にて ![]() 3、お城へ登る馬車はホテル・ミューラー前から出発します。 ![]() 4、お城へ馬車に乗ると楽です。 |
![]() 5、ノイシュバンシュタイン城 ![]() 6、ノイシュバンシュタイン城は右端の茶色の城門から入ります。 ![]() 7、城門をくぐった中庭で言語別に分かれて入城します。 |
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■ 馬車に乗ってお城へ 朝食後、シュロスホテル・リスルの右前にあるホテル・ミューラー (Hotel Muller) 前から 、2頭立ての馬車に乗って待望の 「ノイシュヴァンシュタイン城」 へ、徒歩で40分ぐらい掛るため普段馬車に乗る機会がないので珍しさ半分で座った席が最前席、2頭の大きな尻が目の前で動く迫力と馬臭の凄さでびっくり、かみさんが「コワイ コワイ〜」 と大笑い。お城の下の広場に、およそ25分で到着した。 ■ マリエン橋から眺める そのまま城に入らず、お城に沿って右手の道を15分程進むと、城が一番美しく見える高さ92メートルのペッラート渓谷 (Pöllart) に架かるマリエン橋 (Marien brugke) に到着する。この橋からの写真はNetで見ていたが、やはり実物は一見の価値がある。ニ人だけでのんびりと写真を撮っていたところ、 ワ〜!・・・ という声と共に、バスでやって来たツアー客で一杯になったためお城へ退散する。道中で木立の間から見たお城が新鮮に見えた。 ■ この城の生い立ち まだ弱冠22才のバイエルン王国、第4代国王、ルートヴイッヒ2世 (Ludwig U/1845〜1886) が、最も崇拝していた音楽家ワーグナーに、1868年 「ホーエンシュヴァンガウにあるペッラート渓谷そばの古城跡を、旧いドイツ騎士の城として純粋に再建するつもりです。大切なのは、この世の中で最も美しい城を創ることで、神聖で神のごとき友に相応しい神殿をつくることです・・・・。」 と書いた信書を送っている。 ■ 謎の溺死を遂げた王 その翌年の1869年に再建を初め、17年の歳月と、バイエルンの財政をも揺るがす巨額の費用をつぎ込み、国民からは狂気の王として、冷ややかな目で見られながら建てた白亜の城も、未完成のまま、妃もめとらず、孤独な41年の生涯を終えることになる。1886年、およそ60キロ離れたミュンヘン (München) の近郊にあるシュタンベルク湖(Starnbergersee) で、付き添いの医師と共に謎の溺死を遂げたのである。この死は自殺と発表されているが真相は不明である。崇拝していたワーグナーを1度も城に招待することなく、王自身、この城に滞在したのは僅か172日間 (約半年) の短い期間だったと言われている。 |
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![]() 8、マリエン橋とノイシュバンシュタイン城 ![]() 9、マリエン橋から見たノイシュバンシュタイン城 背景はフォルッゲン湖 (Forggensee) ![]() 10、木立の間から見たノイシュバンシュタイン城 |
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