![]() 1、ネコ城 (Burg Katz) ![]() 2、ネズミ城 (Burg Maus) 正式名 トゥルンブルク城 ![]() 3、ラインフェルス城 |
■ ネコ城とネズミ城
(Burg Katz und Burg Maus) ローレライの岩山を大きく右カーブすると、正面の山の上に、ザンクト・ゴアルスハウゼン (St.Goarshausen) の町を見下ろすように建つ 「ネコ城」 (Burg Katz) が見えてくる。1371年、フォン・カッツェネルンボーケン伯爵が建てたもので、略してカッツ城、すなわち 「ネコ城」 と呼ばれるようになった。 【写真1】 ねこ城のすぐ先のヴェルミッヒ (Wellmich) の町の上にある 「ネズミ城 」 (Burg Maus) は、1356年にトリアー (Trier) の、大司教によって築城されたもので、後にネコ城の城主が所有者となったために、対象的に呼ばれるようになったが、 「トゥルンブルク城」 が正式名である。 【写真2】 ■ 泊まれなかった古城ホテル (Villa Rheinfels) ザンクト・ゴアルスハウゼンの、対岸の山の上にあるのが、古城ホテルで有名な 「ラインフェルス城」 (Burg Rheinfels) で、13世紀半ば、ライン川の通行料取り立てのため築城され、18世紀末のプファルツ戦争でフランス軍に破壊され、ドイツ最大の廃墟となったが、現在では1部が 「古城ホテル」 とし使用されている。当初このホテルに宿泊計画を立てたが、満室のため予約が取れず、残念ながらあきらめたホテルでもある。【写真3】 ■ シュテレンベルク城へ車で登る ねずみ城のさらに先にある 「シュテレンベルク城」 (Burg Sterrenberg) へ、山道をぐねぐねと曲がりながら登って行くと、門のすぐ前が垂直に落ち込んだ渓谷で、車1台やっと通れるほどの橋があり、おそるおそる渡って城内に入る。中には城を利用した新しいレストランが開店していた。城内から見おろすライン川は、対岸のバート・ザルツィヒ (Bad Salzig) の町並をバックに素晴らしい広がりの景観を見せてくれる。丁度ライン川を観光船が走り、コブレンツ (Koblenz) 側から白い航跡を残しながら 「ライン川登り」? をしているところだった。 【写真4】 |
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![]() 4、シュテレンベルク城 ![]() 5、ザンクトゴアールハウゼンSt.Goarshausen ![]() 6、ザンクトゴアールハウゼンからザンクトゴアール (St.Goar) のフェリー |
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■ 対岸へフェリーで渡る 古城観光を終えたあと、ザンクトゴアールハウゼンから対岸のザンクトゴアール (St.Goar) までフェリーで渡る。この 「ラインの谷」 と言われるマインツから、北のコブレンツ (Koblenz) までの約50キロほどの区間は、古城含めたライン流域の景観を守るために、なんと橋が全然ないのだ。その代わり生活道路として、低価格のフェリーが数多く用意されている。景観を守るため生活をも犠牲にする徹底さに頭が下がる思いである。 【写真5・6・7・8・9】 ■ 親切なドイツの人達 フェリーを待っていると、丁度一緒に乗り合わせる親切そうなドイツ人が、わかり易い英語で話し掛けてきた。ハイデルベルクへの道を地図を片手に聞いてみると、丁度その人はオートバーンの方向に帰るところで、BMWに付いて行くことになった。5年前には日本に商用できたらしい。オートバーン入り口近くになると、車を寄せてきて、逆方向に乗らないように・・と再度親切に教えてもらう。 繰り返し2人で 「ダンケ・シェーン」 を連発しながらお別れする。旅先での暖かい出会いに、二人とも気分は最高。教えられたオートバーン (A61) に乗ってハイデルベルク (Heidelberg) へ向かう。約130キロほどの距離で、赤い小さなゴルフも良く走り、快適なドライブとなった。「気ままな夫婦の2人旅」 もやっと軌道に乗ってきたようである(^^)。 |
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![]() 9、ザンクトゴアール (St.Goar)へ到着
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