2003年8月、今井さんに直接お話を伺うことが出来ました。というのも私のホームページを偶然発見された今井さんの中学生時代の同級生の方からメールを頂いたのがキッカケ。やはり今井さんの同級生の方がママをされている東大赤門近くの「カフェテラス本郷」で今井さんの同級生の方々とお話をしてるうちに今回の企画が持ち上がり、(というか私が持ち出したんですが)今井さんと連絡を取っていただき、直接お話を伺うことが出来ました。今回の企画に協力いただいたHさん、そして忙しい時間を割いて会って下さった今井さん、ありがとうございます。

なお、お話を聞きながらメモをとったものをまとめたので、必ずしもお話の順番どおりにはなってません。また、今回の掲載内容については今井さんに事前に原稿をお送りした上で、了承をいただいています。


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やっと美浦に到着。 えらいところに造ったな・・・。トレセン。

トレセン前で高速バスでやってくるH氏と待ち合わせ。そして今井さんも到着。
トレセン内は作業時間ということで今井さんの運転で近くのファミレスへ。そこでお話を伺いました。

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☆ 今井さんのことについて話を聞いてみました  ☆

〜痛めていたヒザの具合はどうですか?

もう大分よくなって、まぁ、8割から9割ぐらいって感じかな。

〜体重は少し増えられました?

2キロぐらい増えたかな。でもまだ「痩せてます」ってとこだけど。

〜身長が高いので減量には苦労したのではないですか?

減量で苦労したのは24,5歳の頃。あの頃は減量騎手の資格が数え年で27歳までで、その頃はまだ▲ で3キロ減だったから。牝馬のレースとかだと49キロで乗らないといけない時とかがあってね。あれは キツかったかな。 最近では減量の苦労というのはなくて、ジャンプに乗るときなんかは軽すぎていつも何キロも鉛背負って たよ。

〜障害の調教ももうつけているのですか?

もう大丈夫。こないだ使ったオンワードビビアンの稽古もつけてたし。

〜騎手になるきっかけは?

子供の頃に父に競馬場に連れてってもらったこともあって、あー、こういう仕事もいいなぁ、と思って。

〜では競馬の仕事をするには理解があったと・・・・

でも、やはり実際騎手になる、となるとね・・・・。

〜いままで障害が主戦というわけではなかったのに障害専門になったのはなぜで すか?

体重のことではなくてね。徐々に乗る馬がクセがある馬ばかりになってしまって ね。 たとえばゲートの中で立ち上がったりだとか。そんなことで怪我ばかりしていて も 何だかな、という感じで。同じ怪我でもレースに乗っていて、というのな ら・・・。

〜昔と今のジャンプレースの違いを感じる事はありますか?

最近はたまにだけ乗ってくる若手が多いね。 でも、怪我は誰しも怖いのだから、やはり、勇気も必要だよ。若いうちからたく さん乗らないと。 減量がついてるうちがチャンスだね。

〜今改めてレースを見ていて注目してる騎手はいますか?

横山義行君なんかはいいね。レース中は必ず”オッ”と思うところに位置してるしね。 田中剛君とか大江原隆君なんかもそう。前の方でレースして、負けても納得のいくレースしてるよね。

〜中山のバンケット、あれは乗っているほうからしたらどんな感じですか?

特に怖いとかいったことは無いけど、最終障害手前がなんとなく嫌だったね。 ガァっと登りきって、パッと目の前に最終障害が見える感じが。どうしても 慎重になるね。

〜福島のような山形のバンケットはどうでしたか

あれは、ちょうど頂上あたりにさしかかると前に飛びだすような感じだね。 ビュっと・・・

〜”障害が5レースに組まれているのは障害の影を馬が怖がるから、あの時間に 組まれている”というまことしやかな噂がありますが、どうなのでしょう?

そんなことは無いと思うよ。実際に特別戦は9レースにやったりしてるしね。だ けど いつもと違うコースを走るわけだから、警備の人の配置や救護の人の配置に手間 が掛かるから。障害の準備の都合もあるし。

〜私自身の考えでは暮れの大障害は有馬記念のひとつ前にやれば全国ネットの中 継 にも入るし、アピールにもなっていいと思ったのですが、現状では難しいでしょ うか・・・

残念だけどちょっと難しいと思うよ。

〜残念な結果になってしまった最終騎乗の時のことなんですが、あれは地下馬道 での事故だったのでしょうか・・・

あれは返し馬のときにバンケットで。馬場に入ってから障害を見せてたのだけど ガァーっと引っかかっていってしまって。そうしたらバンケットのところで急に 止まって 前に放り出されてしまってね。

〜あの日は私も今井さんの久々のレースということで競馬場に行ってたんです よ。

実はあの日は嫁さんと子供も来ててね。子供はあれでショックを受けちゃって ね・・・ あの日は食事も出来なかったくらい。

☆  海外での騎乗について聞いてみました  ☆

〜海外で騎乗されたこともありますが、キッカケは?

ちょうどこの頃、今度こういう研修があるけどどう?みたいなのが募集されてね。それで、よし、行って みようと。以前に一度は海外研修を言葉とか解かんなくて挫折したことがあったんだけど、今度は英会話 も習ってある程度は会話も出来るようになったから。 で、応募したらまず最初に作文を書かされた。何で応募したのか、とか。それが通ったら今度は面接。 しかも英語で。そこでいろいろ聞かれるわけ。何でだ、とか。だからそこで言ったの。”これは男の夢だ 、男のドリームだ”(笑)と。やっぱりただ海外に行くだけじゃなくて、たとえ参加するだけでもいいから乗 るのが夢だと。

〜レースに乗れるまでの経緯は?

ライセンスなんだけど、向こうは受入先のジョッキークラブと調教師の話で免許がおりる。 免許がおりたらいろいろ話をされてね。こっちにはこっちのルールがあるからと。 たとえば、ムチを使う回数だとか、ムチを入れるときには肩より高く手を上げてはダメだとか。 あとは、ムチの太さ。日本から持っていったムチは使えなかった。”細すぎてダメ”だって。細いムチ で叩くと馬の筋肉の繊維が傷みやすいから、ということで。

〜レースには2回騎乗されてますが、思いではありますか?

ケンプトンで乗ったレースは6着に来たのだけど、あれも惜しいレースでね。あの日は天気が悪くて手が 滑っちゃってね。向こうは”ゴム手綱”だから。追い出してからがスムーズにいかなくて。あれがまとも だったら3着はあったと思うよ。 アスコットの時はハンデ戦で48キロぐらいの軽いハンデの馬だった。そんなに強いという訳じゃないか らハンデも軽いんだけど。だけど後ろから行って何にもしないんじゃ面白くないからスタートして思い切 って逃げたんだ。

〜日本とイギリスの違いというのはどのあたりなんでしょう?

たとえば調教でも日本のようにテンションを上げていくという形ではないね。調教でムチを使って追うと いうようなことも無いし。だからレース前に競馬場でテンションが上がりきって興奮してるような馬もい ないね。 あとは突き詰めていくと”伝統”ということかな。たとえば頭絡の着け方ひとつにしても日本とは違う。 日本のように前からカパッと・・・というのではなくてね。最初に口の部分をつけてそれから頭の後ろ をまわして(ジェスチャー付きで説明して下さいました)・・・・。普段からこういうスキンシップをとってるから頭を触られるのを嫌がる馬とかは いないね。脚を洗うのにしてもシャワーでジャーっとやるのではなくて傍によって脚をとってね。 スキンシップの差というかな。

☆ 今までの騎乗馬のこと、私の気になった馬について聞いてみました ☆

〜初勝利の「ハギジョー」についての思いでは・・?

あの馬は同じ厩舎に所属してた先輩の矢野照正さんが乗ってたのだけど、どうにもゲートが悪くて。だから 誰も乗りたがらなくって。それでお前乗ってみないか、みたいな感じで任されたんだけどね。 だけど乗ってみたら手があったというのかなぁ、3着・2着と来てね。あ、初勝利はこの馬かな、という手ご たえはあったね。 未勝利ということについては、 やっぱり最初の1年はさほどあせりというのは無かったけど、1年過ぎたあたりからちよっとそういうあせりみたいなものを 感じていてね。だけどゴールした瞬間は”あ、こんなもんなんだ”という感じだったよ。 だけど、ゴールした後に初勝利ということでいろいろ聞かれてるうちにホッとしたからのかなぁ、なんだか涙 があふれてきちゃってね。ボロボロと。それは良く憶えてる。

〜最近の代表馬ともいえるマイネルタスクのお話を聞かせてください。 最初に跨ったときの手ごたえはどうでしたか?
マイネルタスク全成績についてはこちら

ま、血統的にもいいとこありそうだな、と思っていたんだけど。やっぱり最初か ら センスがあったね。もう練習初日からスイスイ障害飛んで。嫌がる馬は横木をま たぐ だけでもブレーキかけてしまうのに、あの馬は違ったね。

〜レース中の故障で結果的には最後のレースになってしまった最後の京都大障害のお話を・・・

あれは3段飛びの次の障害だったかな。「アッ」という感じがして。これはもう どっちにしろ終わりかなという・・・・。 最後だったらこれは何とかしてゴールまでもたせてあげようと思ってあとは ソーっと ね。無事だったら大きいところが狙えた馬だったけど残念だね。



〜ドミニカシチーについて
ドミニカシチー全成績についてはこちら

あれはちょっと惜しかったなぁ。あの落馬したレースの前の日に大雨が降って ね。 なんとなく「これは嫌だなぁ」という感じがして。そうしたら案の定着地の時に 脚を滑らせてしまって。ちょっと疲れもあったのかもしれない。

〜ギャロップリックについて

あれもセンスが良かったね。障害入り1戦目はちょっと慎重になりすぎてしまっ たかなぁ・・・。

〜タヤスハマーについて

あー、これはいいトコ行くと思ってたんだけど。だけど最初のレースで飛越の時 にパッチン(筆者注:前をカットされる)くらっちゃって。あれからもうダメ。 ズルズル後退してしまって・・・・。

〜ニシノイブでは重賞を制覇したわけですが、そもそもあの馬に乗る事になったのはなぜですか?
ニシノイブ全成績についてはこちら

あの馬には同門の田所現・調教師が乗ってたんだけど、ちょうど中京と同時開催だった阪神 のレースにお手馬が重なってね。どうも阪神で使う馬のほうが手応えがあったらしくて、ニシノイブ は僕が乗ることになって。

〜何か乗り方の指示はあったのですか

いや、乗り方についてはなにも無かったよ。人気になりそうでもなかったし。”勝つんなら勝っちゃったっていいよ”(笑)って、 そんな感じ。 出馬表が発表になったとき、今は調教師やってる蛯名(信広)なんかと「明日はどうする?」みたいな感じで展開考えててね。 それで、”じゃ、お前は逃げ馬だから先に行ってさ、そんで俺は大外だし追い込みだから4コーナーでグァーッと追い込むからさ” なんて話をしてたらさ、ホントにそうなっちゃった!(笑)

☆ 今後は・・・・ ☆

ことしも10月の調教師試験を受けようと思って。今、勉強してるところだけど、なかなかはかどらなくってね・・・(苦笑) 競馬法から厩舎の経営、とにかく範囲が広くて。


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と、いうわけでいろいろお話を聞かせていただきましたが、競馬をかなり深くご存知の方でないとお楽しみ頂けなかったかもしれません・・・・。私の文章力不足をお詫びします。今回のお話の中でいちばん印象深いのはニシノイブでの勝利の話をしているときの嬉しそうな表情でしょうか。あとひとつ言うなら、私がハンバーグプレートを平らげる間に今井さんが口にしたのはサンドイッチ2切れ程度。やはり日頃の節制が違います・・・・。

 


最後に美浦トレセン広報会館で写真を撮らせて頂き、そして私が以前、東京競馬場で行われていたゼッケンプレゼントでゲットした「今井さんが騎乗していた時のタヤスハマーのゼッケン」にサインをして頂き、今日はお別れとなりました。
忙しい中、本当にありがとうございました!

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