「本質をつかみ取る女」
去年の夏ごろに配信した号だと思うのだけど、その号の内容とは関係な
く私は“あとがき”でこう書いたことがある。「何を隠そう、私は上野樹里
さんの大ファン。今日はちびまる子ちゃんの放映がある。楽しみだ」
で、OAを見たらやっぱり凄かった。ちびまる子ちゃんがどう凄かったの
かはまた長くなってしまうので省くけど、とにかくその夜、私はそれまで
彼女の演技を見るたびに繰り返してきたセリフ『ええい、上野樹里は化け
物か! 』をまたも繰り返すことになったのだった。
彼女を知ったのは5年前だ。それから私は会う人会う人に「上野樹里は
いい」「上野樹里はすごい」と言いまくってきた。しかし男性いわく「色気
がない」「あまりかわいくない」、女性は「上野樹里? う〜ん、ピンとこ
ない」「あ、私ダメ。のだめのあの演技が受け付けられない」とけんもほろ
ろの状態で、その度に「いや、役に入るとガラリと別人になって、ちゃん
と色気もあるんだよ」「違う、違う、むしろのだめが特殊で、あれは彼女の
本質じゃないし(部分的には同じ所もあるが)、とにかく他の映画やドラマ
も見てくれ」とマユつり上げて力説するのだけど、興味のない女優のため
に時間を割くほど皆ヒマじゃない。当然っちゃあ当然だった。
それがどうだろう。この4月以降、状況は一変した。先ほどの「のだめ
が受け付けられない」と言っていた知り合いの女性(30代前半)からも
「ちょっと、仙人さん! 何あの子。こんなにすごかったの! 」という
興奮したメールが届き(だからずっと言っていたでしょうが)、さっそく
上野樹里が出演している他の作品をチェックするためレンタルビデオ屋に
走ったそうな。しかしみんな同じことを考えてるようで彼女の作品は軒並
みレンタル中だったらしい。なので知り合いには私の持っているDVDの
中から5作品ほど貸してあげた。ちゃんと返してくれるか心配だ。
この手のひらを返すような状況の激変ぶりは4月からフジテレビで放送
された連続ドラマ『ラストフレンズ』によるところが大きい。彼女はその中で
性同一性障害(性別違和症候群? )の女性、岸本瑠可(るか)を演じて
いる(ドラマは先月終わった)。まあ正直ドラマのほうは完全に行き当たり
ばったりのひどいネタドラマと化してしまったのだけど、それでも彼女の
魅力が消えることはない。
ちなみにその知り合いの女性が行く美容院の美容師さんの話によると、
連ドラが始まってから「上野樹里さんのようにお願いします」という女性
客が日に最低でも2人は来るそうで、多いときには5,6人が雑誌を手に手
にやって来るのだという。なんだか隔世の感がある。
ちなみに今こんな感じ↓
http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200803/25_5/19.html
http://fashion.yahoo.co.jp/magazine/shorty/10/sho003.html
今からちょうど5年前の2003年、私は一本の映画に出会った。主演:
妻夫木聡、池脇千鶴の『ジョゼと虎と魚たち』である。素晴らしい映画だ
った。登場人物はみんなキャラが立ち、適材適所に配置された役者も抜群
にうまかった。音楽・演出も申し分なく本当に良かった。実際私の中では
2003年に観た映画の中でダントツのベストワンとなり、生まれて初めて
DVDソフトというものを購入したほどだ。
この中で上野樹里の演じた役は一見汚れ役というか嫌な女というか、偽
善者なんだけど、でもそれだけではない部分も表現しなければならない難
役で、妻夫木聡がベロベロ舌を入れてくるハードなラブシーンも体当たりで
こなし、後半に出てくる“泣きながら笑う”という難しい場面も圧巻の演技だ
った。また何でもない普通のシーンの普通のしぐさも押しつけがましさが
全くなく、そこに香苗(かなえ)という女性が本当に自然に存在している
のだった。
パンフレットを買ってみてさらに驚いた。彼女はまだ弱冠16歳だった。
彼女の役は大学4回生、つまり22歳の設定で社会人1年目までを演じて
いたのだけど全く違和感を感じなかった。
しかもこの時の彼女ときたら顔はパンパン、まゆ毛なんか味付けノリみ
たいで、まるでオカメかお多福かみたいな様相だったのだけど(上野さん、
スマン^^;)大学じゅうの男にちょっかいをかけているように思われている
香苗という役にその表現力・演技力ですごくリアルな説得力を持たせてい
た。
ちなみにこの作品でその後の彼女の仕事への取り組み方を彷彿とさせる
撮影秘話がある。これは監督がDVDのコメンタリーと『情熱大陸』という
ドキュメンタリー番組の中で語っていて、映画の後半、身体障害者の女(池
脇)に自分の恋人(妻夫木)を取られ、それまでの偽善をかなぐり捨てて
自暴自棄になった香苗が偶然恋人と再会するというシーンがあるのだけど、
そこで彼女は「この時の香苗の気持ちが分からない」と完全に煮詰まって
しまって演技が出来なくなってしまったのだという。
これは別に彼女がわがままを言っているわけではない。彼女は2007年
にNHK・BSで放送されたドキュメンタリー『輝く女』の中でも「映画やドラマ
は監督のもので自分はその監督のイメージをいかに理解し、そのイメージ
にいかに近づけていけるかを考えています。監督さんのことはとても信頼
しています」みたいなことを語っていて、この時も監督の求める香苗像を
何とか理解して表現しようと思っているのだけど、いかんせん中学生に毛
の生えた程度の16歳では22歳の社会人の女性の気持ちを推し量ること
は容易ではない。というか当時は弱小事務所所属でコネも何もない彼女を
香苗役に抜擢した監督の慧眼と度量もスゴイものがある。
それで監督はかなり長く彼女と話し合う時間を持ったのだけど、その時
の彼女を「結局すごく信用できるってことなんだよね。だって分からない
んだから。分からなきゃできないんだから。分からなかったら分からない
と言う人間のほうが人としても役者としても信用できるわけ」と評し、16歳
の彼女に絶大な信頼を寄せている。
彼女はオーディションでこの香苗役を手に入れたのだけど、もし彼女の
目的が映画に出て顔を売ることだけだったのならここまで悩んで演技する
必要もない。しかもまだペーペーの新人女優、現場とギクシャクして得す
ることなど何もないし、分かったふりをして適当に流しておけば少なくとも
自分の姿はフィルムに残るのだから。
監督の言葉は上野樹里がすでにこの頃からプロの女優として“作品を作
り上げる”ことにいかに真剣にこだわっていたかということを強烈に示して
いる。
それはジョゼ虎の次に出演し彼女の代表作品ともなった映画『スウィン
グガールズ』(04)でも見てとれる。彼女がこの映画で演じたのは悪知恵
は働くくせに肝心なところで間が抜けていて、何事にも懲りない・めげな
い・屈託がないの三拍子で突っ走る素朴で元気な東北なまりの女子高生
「鈴木友子」。ジョゼ虎の香苗とは似ても似つかない役だ。
その中で友子が鼻クソをほじったり、イノシシに追っかけられてツララ
のようなすごい鼻水を流すというシーンが出てくる。当然、撮影現場には
上野樹里の事務所の人間も詰めていてそのシーンの撮影に大反対する
わけだ。「一生、鼻たれ女優って言われ続けるぞ」「将来が台無しになるぞ」
と。
しかし彼女はまったく動ぜずそのシーンの撮影を敢行し、後の雑誌の
インタビューで「自分がキレイに撮られるかどうかはまったく興味がない。
それよりそれがちゃんと監督のイメージどおりになっているのかどうか、
それをやることでその作品がより良くなるのかどうか、それだけが気にな
る」とコメントしている(AERAから)。
私はジョゼ虎、そして偶然一瞬だけ“流し見”したNHK朝の連続テレ
ビ小説『てるてる家族』、そして『スウィングガールズ』で完全に彼女に
打ちのめされ、以後、彼女の出演したドラマ・映画・ドキュメンタリー、
インタビュー記事をむさぼるように見ていくことになる。
そして年が明けての2005年春、私はまたも彼女にブチのめされること
になった。しかもキムタク主演の月9ドラマ『エンジン』でである。ちなみ
に私は10年以上ドラマはおろかテレビというものをまともに見ておらず、
この『エンジン』にしても録画しておいて彼女の演技を見たらすぐに消す
という邪道で悪趣味な見方をしていた。
このドラマで彼女の演じた美冴(みさえ)という役は、小学生のころ家
族が自分を残して失踪、しかもその失踪の仕方が彼女が修学旅行から
帰宅したら家はもぬけの空、両親は自分ではなく姉を連れていなくなって
いたというもので、以後、施設に入った彼女はどんな時でも決して他人に
心を許さず、同部屋の年下の女の子を妹のように守りながら生きている
孤高の女子高生だ。
同じ女子高生なのに『スウィングガールズ』で見せた明るく元気な鈴木
友子とは真逆といってもいいこの役で私が確信したのが、彼女の“目”の
力だった。彼女は何もセリフがなくとも“視線の揺れ一つだけ”ですべて
を表現できる才能がある。
自分に何かとおせっかいを焼いてくる小雪ふんする施設員へのいらだち
や自分の内面を見透かしズカズカと土足で踏み込んでくるキムタクに対し
ての怒りや戸惑い、たまたま見かけた幸せそうな親子への嫉妬、自分の将
来への絶望と不安、日々襲われる寂しさ、一転して一瞬の希望を感じた後
の照れや自分の大切な人への優しいまなざしなど、その目を通して痛々し
いくらいに“伝わって”くる。
そしてその目の演技を支えているのが彼女が登場人物の本質を完璧につ
かみ切っているという事実だ。目は心の窓と言うが彼女の中身がそのまま
目に出ているわけだ。
だから彼女の場合、演技テクニックうんぬんではない。もちろん元々演
技の引き出しというか表情の引き出しというものを豊富に持っている人な
んだろうが、ヒドい脚本だとそんなテクニック的なものだけではごまかし
きれないからだ。
例えば彼女はその登場人物ならそういう泣き方以外にありえないという
泣き方で泣く。今回の『ラストフレンズ』の中でも印象的な泣きのシーンは
いくつかある。中でも第4話のカフェのバーカウンターで見せた“男泣き”
というか、“男の子泣き”は筆舌に尽くしがたい。
そのシーンでは愛する人のために強くなりたいのに体はどうしようもなく
女という、自分の中に抱えてしまっている男と女の避けがたい不和を絶妙
の表情としぐさで表現していて、私は連ドラで久しぶりに泣いてしまった
ほどだ。
また第8話のラストシーンで、ずっと隠してきた性別違和が親友のタケル
に受け入れられたときの感情を開放した表情や、第10話の最初、DV男と
の対決のあと命からがら逃げ出して飛び込んだ無印良品吉祥寺店の試着室
で見せた「プライドを打ち砕かれた悔しさ」と「後からジワジワ襲ってきた
恐怖」で声を上げずに泣く泣き方など、岸本瑠可という人間の本質をつか
んでいなければできない演技ばかりだった。
しかも彼女の場合、ただ泣くんじゃなくて、泣いている中で何かを決心
したり、迷ったり、吹っ切ったりと、感情の流れみたいなものをちゃんと
表情に乗せて表現できる強みがある(『のだめカンタービレ』ヨーロッパ
SP第2夜でも、壁にぶつかったのだめがそれを一人で乗り越えていくシ
ーンでそんな場面がある)。
『幸福のスイッチ』(06)という映画でも、反目している父親のある姿を
見た時に見せる泣き方が「そうそうそうそう! 確かにそういうときって
そういう泣き方になるわ! 」という泣き方をしていて、私はもう鳥肌が
立つやら身の毛がよだつやら、小型犬よろしく映画館でプルプル身震い
していたものだ。
「もう(彼女を選ぶことは)しょうがないですよね。だってそこにいる
んだもん、鈴木友子本人が」
これは『スウィングガールズ』のオーディションで監督の矢口史靖が上
野樹里を選んだ時のセリフだ(『スウィングガールズ』のDVD「スペシャル
エディション」の中に収録されている)。
結局この言葉に尽きるのだと思う。彼女の場合、彼女自身のファンにな
るのはもちろんだが、「役にファンが付く」ことがとても多い印象があるから
だ。それは今回の『ラストフレンズ』で彼女のファンになった人も異論は
ないと思う。
2005年は『エンジン』を皮切りにスペシャルドラマ『やがて来る日のため
に』『金田一少年の事件簿』、そして映画『亀は意外と速く泳ぐ』と『サマ
ータイムマシンブルース』と見たが、余命いくばくもない少女から平凡な
主婦(これが傑作! )まで、一体この女優の役の幅の底無しさ加減は
どこまで行くのだと驚き呆れていたものだ。一本一本紹介したいのは山々
なのだけど紙数が果てしなく増えてしまうのでこのあたりで端折らせても
らいます。
さて、そんなかんやで彼女にとっての記念すべき年、2006年となるわ
けだが、これはもうドラマ『のだめカンタービレ』と映画『虹の女神』が
双璧となるだろう。
『のだめカンタービレ』については私は元々原作コミックの大ファンで
全巻そろえているし、連載している「kiss」を発売日に女の子たちに交じ
って立ち読みまでしているし(これが相当恥ずかしい^^;)、あげくドラマ
のエキストラにまで参加してしまったほど思い入れのある作品なのだけど、
主人公の野田恵(通称“のだめ”)を上野樹里が演じると知った時の興奮は
例えようがない。
果たして第1話を見たときの感動は永遠に忘れないだろう。そこにまご
うことなき“のだめ”がいたからだ。まさかあのキャラクターを3次元の世界
で立ち上げることのできる女優がいるとは思わなかった。
『のだめカンタービレ』は音楽大学を舞台に繰り広げられる青春群像コ
メディで、のだめはピアノ科に籍を置き、曲を楽譜どおりに弾くことが苦手
で耳で覚えた曲を「自由に楽しく」自分流にアレンジしてしまう天才肌の
女の子だ。しかしこれが私生活となると変態の一言で、部屋はゴミ溜め、
鍋には1年前のシチューがとぐろを巻き、放置された下着からはキノコが
生えていたりする。
そんなのだめがあこがれているのが同じピアノ科に在籍しながらも指揮
者を目指し、バイオリンやピアノも堪能な万能S男、通称「オレ様何様千秋
様」こと千秋真一だ。のだめは事あるごとに千秋に付きまとっては彼にぶ
っ飛ばされている。
というように一見とてもエキセントリックなのだめだが、だからといって
のだめというのは髪をボブにして頬にチークをたっぷり施し、ワンピース
をひらめかせて口をすぼめながら「千秋しぇんぱ〜い(先輩)」と身体を
くねらせたり、「ぎゃぼー」とか「ムキャー」と奇声を発していれば誰もが
なれるわけではない。
また千秋のシャツを盗んで臭いをかいだり寝姿を盗撮したり、方言を隠
すために妙な言葉づかいになったり、お風呂は1日おき、シャンプーは3日
おきなど、そういう設定を見せてさえいればのだめに見えるわけでもない。
そういう上っ面な部分の裏にある野田恵という女性の本質の一つに、こ
と音楽の壁に対しては必ず彼女一人の力で乗り越えようとする、というも
のがある。S男だが実はとても世話好きな千秋にご飯を作ってもらったり
部屋を掃除してもらったりと私生活においてあれほど全面的に頼っている
割りにはそのへんはきっちりストイックなのである。
千秋がのだめを評するセリフにも「いつも一緒にいるようで、そうでも
ない。一人で旅をしていつのまにか帰ってきてる」というのがあって、そ
れはのだめのキャラクターとこの物語を刺し貫いている重要な本質の一つ
でもあるのだけど、のだめを演じる人間はそこのところを理解していない
と、いくら格好やしゃべり方を似せたとしてもただ単に「妙にハシャいで
いるテンションの高い変な女」で終わってしまう。
もちろん上野樹里はそういう“のだめの本質”を完璧につかんでいる。
だからこそ少々“はっちゃけた”演技をしようが、大げさな身振り口ぶり
でデフォルメしようが、のだめが「役として成立してしまう」のである。
彼女は別にマンガののだめの“モノマネ”をしているわけではないのだ。
彼女がコメディからシリアスまでこなし、与えられた役になりきってしま
うカメレオン女優と称されるのは脚本に書かれてあるセリフやト書きを忠
実に再現するのはもちろん、その脚本や登場人物の行間の部分、余白
の見えない部分をちゃんと真摯に誠実に掘り下げて身体に染み渡らせ
ながら役を作り上げているのが大きい。
そしてのだめと同時期に公開された映画『虹の女神』であるが、これが
またすごかった。泣いた。
この映画は『ラブレター』(95)を監督した岩井俊二が初プロデュース
した作品で、『ラブレター』の主人公の男女を入れ換えた焼き直しのよう
な切ない映画だ。その中で上野樹里は大学の映画サークルに籍を置く
佐藤あおいという女性を演じている(後半は社会人として働いている)。
このメルマガでもたびたび書いてきたように私も大学時代は映画を撮っ
ていたので、上野樹里が8ミリ映画を撮っているという設定を知っただけ
でもう胸張り裂けんばかりにワクワクして公開初日にすっ飛んで観に行った。
佐藤あおいは行動力があって男まさりで何ごとにも物怖じしないくせに
恋愛に対しては臆病で不器用な女性だ。あおいと市川隼人演じる岸田智也
は大学生の時、あおいの友達を智也がストーカーみたいに追っかけ回して
いた縁で知り合いになる。
映画は大学卒業後、智也が働く映像制作会社のシーンから始まる。そこ
で智也は佐藤あおいの死を知る。つまりしょっぱなから私たちはあおいは
もうこの世にはいないということを念頭に置きながらこの映画を観ていく
ことになる。
最初のストーカーエピでも分かるように智也に対する私の最初の印象は
『なんじゃこのいい加減で気持ち悪い男は』であった。それはあおいも同
じで初めは智也にまったく良い印象を持っていなかった。それが徐々に打
ち解けていくようになるわけだが、この映画のリアルなところは他のよく
ある話のように智也の分かりやすい長所をキッカケに仲良くなっていくわ
けではなく、むしろ彼は最初から最後まで根性なしでいい加減で鈍感で優
柔不断なお調子者の男としてそこにいる。
しかしこの智也役の市川隼人が異様にウマい役者で智也の憎めない男の
子ぶりを嫌みなく演じ、その魅力を存分に引き出してくれている。そして
私たちは気づいた時には「ああ。あおいは智也に惹かれ始めてるんだな」
ということをあおいの表情やしぐさから知ることになるのだ。
そこには何のキッカケもない。というよりそこで描かれるのは一見恋の
キッカケとは程遠いような智也の姿ばかりで、智也が気になっている女の
子へのラブレターの代筆をあろうことかあおいに頼んで呆れられたり、卒
業してからも映画監督になろうと積極的な動きを見せるあおいに対して智
也は何事にも終始フラフラしている。
だが人を好きになるのに理屈めいた理由なんていらないのだ。あおいが
折にふれ見せる表情がすべてでそれで十分だ。彼女が智也に対して表で
見せる高圧的というかつっけんどんな態度とは裏腹に、時おりチラっと顔を
のぞかせるまなざしやしぐさの切ないこと切ないこと。それこそ上野樹里
十八番の視線の揺れで、抑えた演出ながらこちらの胸に迫ってくる。
しかし智也はあおいの気持ちに気づいているのかいないのか今の状態を
キープしようとする。男がやりがちなことである。あおいが傷つくさまは見て
いて本当に胸が痛い。
そしてラストシーン。私は「ここでそれを使ってきたか! 」と注文どおりに
轟沈。号泣しながら映画館を出ることになったというわけだ。
それもこれも上野樹里と市川隼人が丁寧に丁寧にキャラを作り上げてき
た結果である。さらに言えば共演者がまたみんなウマい。あおいの妹役の
蒼井優をはじめ、父親役の小日向文世、会社の上司の佐々木蔵之介など
役にピッタリはまった芸達者ばかりだ。
さらにもっと言えばそれはこの映画だけではなく、上野樹里には共演者
に恵まれる「持って生まれた縁の強さ」みたいなものを感じる。
虹の女神の公式サイトの予告ページ。
http://rainbowsong.jp/trailer.html
の予告(1分30秒バージョン)を見るだけで大体のイメージをつかめる
と思います。私はこれを見るだけで鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。
虹の女神の公式サイト
http://rainbowsong.jp/start.html
最初に流れるイントロダクション画像が中々イイ。彼女は元々猫背気味な
ところがあるのだけど、それが佐藤あおいに似合っている。
ついでにのだめカンタービレ公式サイト
http://wwwz.fujitv.co.jp/nodame/index2.html
さて、延々と彼女の魅力に語ってきた今号だけど、他にも紹介したい作
品はあるし、逆にちょっと残念な作品、今のドラマ界や映画界の問題点、
ジョゼ虎の撮影が私の住んでいる街の商店街で行われて、まだ無名の
彼女を偶然見かけたエピソードなども一応下書きしてみたのだけど、とて
もじゃないけど紙数が足りない。
また彼女の演技を下支えする脚本や演出の素晴らしさなども紙数の関係
で割愛しました。
次に彼女を見ることができるのは、さしあたっては秋に公開される映画
『グーグーだって猫である』であろうか。この映画は小泉今日子主演で彼
女はそのアシスタント役だ。しかも監督は彼女を見出したジョゼ虎の犬堂
一心である。
上野樹里が女優として風格の出てきた小泉今日子とのコラボでどうなる
のか今から楽しみでしょうがない。また共演したお笑い芸人“森三中”と
仲良くなって現場で森四中と呼ばれていたことも彼女らしくて笑える。
グーグーだって猫である公式サイト
http://www.gou-gou.jp/
しかしこの映画でもまた彼女は彼女自身をさらすことはないだろう。
私たちがテレビの画面やスクリーンの上で見る彼女は上野樹里ではなく、
それは香苗であり秋子であり鈴木友子であり美冴でありスズメであり柴田
であり美雪であり涼子であり稲田怜であり佐藤あおいであり野田恵であり
チビまる子であり松永由紀子であり奈緒子であり、そして岸本瑠可“本人”
なのだ。