[2007/7/16]

 東京の夜空(後編)

 

 

 
 「東京の夜空(後編)」


 なにか事件が起こった時、こういうセリフを聞くことがある。
「あんなに仕事もできて責任感も強く人にも慕われている人がどうしてこ
んな事件を」「あんなに家族想いで子供のこともしっかり考えていた女性
がどうして我が子を手にかけるようなことを」「どうしてあんなに真面目な
人が…」

 私はそのたび、ああ、またかと思ってしまう。「仕事ができる」とか「人に
慕われる」とか「家族想い」とか「真面目」というのは私たちが見ること
ができる部分、つまり屋根であり壁でありその上に塗られているペンキの
色であり、家そのものだ。屋根や壁や家がどんなに立派で強くても土台が
グラグラしていればそれらは一緒になって揺れ、時には倒れてしまうこと
もある。

 つまりこうは考えられないだろうか。その人は土台がグラグラで家が
どうしようもなく揺れていた。だけど本人は土台のことなど思いもよらな
いのでその揺れを壁や柱を強化して収めようとした。壁や柱というのは
前号でも言ったように「仕事」や「性格」や「生き方」だ。つまり壁や柱を
強化するというのは、もっともっと仕事を頑張らなきゃ、もっともっと
性格を強くしなきゃ、もっともっと立派な人間にならなきゃ、ということだ。

 土台がグラグラであればあるほど家は大きく揺れるから死に物狂いの
補強が必要になる。だから「極端に」仕事にのめり込む人、極端に真面目
な人というのは、その土台がもう崩壊寸前なくらいグラグラな人なのかも
しれない。

 でもその人は逆のことをしている。その人は特別な仕事をしたり立派な
人間になることで自分はこの世に生きていてもいい証拠にしようとしてい
る。つまり家で土台を支えようとしている。そんなバカな話はない。屋根
の上に土台をのせる人がどこにいる。

 家が立派であるということと、その下に埋まっている土台がしっかりし
ていることとは何の関係もない。人に優しくしたり人の役に立つというこ
とと自分に信頼感を持つというのは全くの別問題だ。

 じゃあその土台というのはどうしたらグラグラにならないようにできる
のだろう。というかここまで書いておいて言うのもなんだけど、そもそも
土台が完璧に堅固な人など存在しない。それにそれは強化するという
よりすでにあるものに気づくと言ったほうがいい。

 それでも2つほど方法を挙げるとするなら、まずその一つはなるべく
そういう人の近くにいることだと思う。いないのならそういう人の話を
誰かから聞いたり本などで読むことだろう。

 このメルマガをずっと読んでくれている人なら分かると思うけど、私は
大学時代のアホ話を書くことも多い。それは私の人生で大学時代が確実に
一つの潮目になっているからだ。

 私の大学時代はアホの総見本市とでも言うべき人々の巣窟であった。
下宿の押入れに塩化ビニール製の恋人を隠し、夜な夜な愛撫に余念がない
と噂されたイケメンの先輩や、女性のあえぎ声を盗み聞くためなら空を飛ぶ
ことさえいとわない先輩たち。その他大勢の愛すべき阿呆たちが私の周りに
跳梁跋扈し、1年365日×4年間、毎日阿呆の闇鍋をつつくがごとき生活を
送った。彼らに共通しているのは、皆、そろいもそろって自分に安心している
ということだった。

 その中でも特A級に自分に安心している男がK先輩であった。といっても
本来彼は私が出会うはずのない人だった。なぜなら私が大学に入った時、
彼はすでに5回生だったからだ。そしてなんと私と一緒に大学を卒業した
のである。つまりだ。彼は上限目一杯、8年も大学にいたのである。自分
に安心していないとできない芸当である(笑)。

 大学好きにも程があるそのK先輩のエピソードは枚挙に暇がないが、6回
生にして一般教育科目である体育の授業を取っていたことからもその片鱗
がうかがえるであろう。

 5月のある爽やかな日の午後、まだ高校生の雰囲気を全身から漂わせて
いる初々しい新入生とともに満面の笑みでバレーボールに興じる彼を目撃
した時、私は心からの畏敬の念を抱くとともに何か見てはいけないものを
見てしまったような気にもなったものである(笑)。

 そんな彼らに薫陶を受けた私は1回生にして阿呆ブレイク。以前アホ話
で書いたように一目惚れした女性のことを来る日も来る日も考えアタック
アンドアタックを繰り返し、結果、廃人と化した私に残されたのは5科目
しか通っていない無残極まる成績表だけであった。

 しかしK先輩は5科目どころの話ではない。ある年などは何と4単位、
つまり1科目しか通らなかった年もあったのだ。いったいどうやったら
1年かけて4単位しか取れないようにできるのだ? 逆になぜその授業
だけ単位を取れてしまったのかという言い方もできるが(笑)。

 そんなK先輩は頭は悪くなかった。阿呆だったが頭は良かった。何より
人間に精通し人間を信頼し女性にも人気があった。勉学にいそしみ何かを
学ぶことは好きだったがそれ以上に惰眠をむさぼるのが好きだっただけだ。

 私は大学を卒業し何やかやがあってボロボロになり、そのとき先輩後輩
男女年齢性別の区別なくお金を借りまくったが、K先輩は「まあ仙人が助け
を求めるなんてよっぽどのことなんやろ」と、なんと消費者金融でお金を借り、
それをそのまま私に貸してくれたこともあった。

 私は日本海溝より深い彼の男気に胸打たれ感涙にむせび、それ以来彼の
ことを鉄腕アコムと呼んでさらに尊敬の念を増すこととなった。

 K先輩は8年も惰眠をむさぼったため大学卒業時にロクな就職先があろ
うはずもなく色々な職業を転々としたが、今は先生となって子供たちを教
えている。私はその光景を想うとき涙が出そうになる。

 自分に安心している人間は必ず人を安心させる。特に子供たちには「君
は無条件でこの世に生きていてもいい」という土台を作ってやる必要があ
る。その役目に8年も惰眠をむさぼりその後もどっこいちゃんと生きてきた
K先輩はうってつけである。

 K先輩は無類の子供好きで大学時代は町内会の子供たちを遠足に連れて
行くボランティアをやっていたし、今現在3人の子供の父親でもある。私は彼
に出会えてとても幸運だった。自分の土台というものを意識させてくれたうち
の大切な一人だ。今、彼と接している人もとても幸せだと思う。

 さて、あともう一つの方法は身もフタもない言い方なんだけど、ありと
あらゆる失敗、喪失を体験することだろうか。といっても別に無理に何か
を失わなくてもいいけど。それなりに生きている人なら誰でも失敗や喪失
の経験を持っている。

 よく「どん底に落ちた経験がある人は強い」と言われる。それはどん底
からはい上がってくる時にハングリー精神を培ったからだみたいな解釈が
一般的なんだけど、それは表面的なことを言っているに過ぎない。

 どん底に落ちた人間がなぜ強いか。それは彼らがどん底に落ちた時に
一度、“安心”を得たからなんだろうと思う。

 どん底に落ちて安心というのも変な話だけど、どん底まで落ちて他人や
世間から笑われ、あざけられ、ケナされ、なじられ、否定され、拒否され、
拒絶され、敬遠され、軽蔑され、無視され、あなどられ、はずかしめられ、
身ぐるみはがされて、職もお金も愛も友もプライドも尊厳も何もかも失い、
社会の中で居場所がなくなって際の際(きわのきわ)まで来てしまった
その時、彼らはあっけなく気付いてしまったのだと思う。

 結局のところ、自分が自分たる証拠をすべて失ってしまおうが別に何と
いうこともないということを。頭の中で考えているほどそれは大したこと
ではなかったということを。

 そして基本的に他人は私が私たる証拠を失うことに何の興味もない。そ
んなことで人と人はつながっているのではない。

 今、自分が生きているのはなにか理由があってのことではなく、いわん
や誰かから許可を得ているのとも全く関係がない。誰とも何の関係もなく
動いて息をしている。

 最後の最後、その当たり前の事実ただ一個きりが当たり前のように存在
していることを頭でも理屈でもなく体そのもので気づいてしまった時、人は
ある日突然「安心」するんだと思う。

 その安心感がすべての土台になる。たぶん私たちはこの世に生まれてか
ら人生のどこかで一度、その無条件無意識の安心感を体験・体感する必要
があるのだろう。理想をいえばウンコやオシッコを垂れ流しても拒絶されない
赤ちゃん時代や、世の中に目に見える形で役立つことがなくても存在を許
されている幼児時代に。

 だけどふだんは家の下にあって土の中に埋まっている土台が他人の目に
も自分の目にも触れることがないように、その安心感を日常的に意識する
のは難しい。なぜなら私たちはモノ心ついた時から誰もが多かれ少なかれ
「査定」や「評価」という視線の中で毎日を過ごすからだ。査定する側は
親であったり教師であったり友達であったり会社であったり、はたまたそ
れら全てを含んだ曖昧模糊とした世間だったりする。また、自分自身が自
分を査定し、そして何らかの評価を自分にくだしてもいる。

 能力のない人間だとは思われたくない、空気の読めない人間だとは思わ
れたくない、面白くない奴だとは思われたくない、暗い人間だとは思われ
たくない、変な人間だとは思われたくない、ダメな人間だとは思われたく
ない、自分で自分を嫌いたくない。

 私たちは雨が降ってくれば傘をさす。傘がなければ手をかざして雨を防
ごうとする。突然の夕立ちなら雨宿りの場所を探す。同じように査定や評
価という雨が降ってくれば、まず何はともあれその雨に対処することを考
えてしまう。

 だから土台より先にまず屋根や壁から作り始める。土の中に埋まってい
る土台じゃ雨は防げないからだ。そして屋根や壁を作って家を建てていく
うちに土台は隠れていく。そして完全に見えなくなってしまう。今度土台を
見ることができるのは家を壊した時か、家が壊れた時だ。

 幼児虐待が罪深いのは土台を作るべき時にどしゃ降りの雨や風にさらさ
れることだ。そうなると土台どころか柔らかい土の上に直接突貫工事で家
を建てざるをえない。

 しかも常に台風や地震に見舞われているのでその揺れ方は尋常ではない。
だからとにもかくにも強い家を建て続け、常に補強し続けていなければなら
ない。それは一見すれば性格も意志も極端に強い立派な人間であり続ける
ということだ。

 しかし受験失敗という台風やリストラという巨大地震に襲われた時、土台
のない家など一発で倒れる。土台があればそれがグラグラしていようとまた
家を建てられるが、彼らの場合土台がないので最悪の場合死を選んでしま
うこともある。

 それが人の目には「あんなに頑張り屋で精神力も強かった人がどうして
自殺なんかを」と映る。立派な家を建てたかったから建てたのか、“建て
ざるを得なかったから”建てたのか、見た目は同じでもその動機には天と
地ほどの違いがある。

 先にも言ったように私は少なからぬ人が逆のことをやっているのではな
いかと思うことがある。たくさんの証拠をかき集めて、それでようやく自分
が生きていてもいいという証拠にするようなこと。

 違う。私たちが日々意識していなければならないのは、「社会のために
役立つ自分、会社のために役立つ自分、人のために生きる自分、あるいは
自分のために生きる自分、夢を追いかけている自分」という証拠や理由で
自分を支えるのではなく、「証拠や理由などいらなくても自分はこの世に
いてもいい」という土台の上に「社会に役立つ自分、会社に役立つ自分、
人のために生きる自分、自分に正直な自分、夢を追いかける自分」という
家を建てることだ。

 皮肉なことに証拠などいらなくてもこの世で生きていてもいいと思えて
いる人ほど、その上にいとも簡単に証拠を積み上げていく。
 「役に立たなくてもいい自分の上に、役に立つ自分が建ってしまう」と
でも言ったらいいだろうか。


 さて、さっきどん底なのに安心というのも変な話と言ったけど、ここで
あの山の話に戻る。私たち3人の小学生もあの時、まさにどん底なのに
安心していた。真っ暗闇なのに心の底からホッとしていた。

 それは光を見つけたからだろうか。違う。その段階ではその光は幻かも
しれなかったし(実際また幻だろうと思っていた)、本文では書かなかっ
たけれど一瞬にして消えてしまった。でも私たちはもう焦らなかった。

 なぜなら光のようなものを一瞬見たことで、暗闇の“意味”が違ってき
てしまったからだ

 それはつまり暗闇というのは光がない状態なのではなく、光を見るため
には欠かせない状態なのだということ。そのことに身体が気づいたからだ。

 私が生きてきた中であれほど闇が心強かったことはない。闇は暗ければ
暗いほど、どんな小さな光も逃さず私たちの元に届けてくれる。そしてその
光がたとえ見えなくなってしまったとしても、というかほとんどの時間見えて
ないのが普通なのだけど、その存在に気づいただけで暗闇はただの“状態”
になり下がる。

 ふだん私たちは山の中で査定や評価や評判という木や下草に囲まれて
生活している。いざ前に進む時にはそれらが邪魔になってとても鬱陶しい。
でも一方でそれらが恵んでくれる木の実や果物を食べて生きている。

 昼間は遠くの光なんて当然見えない。見えるのはまわりの木や下草ばか
りだ。で、夜になると光を見るチャンスはある。だけどたいがい懐中電灯を
つけてしまうから中々光は見えない。懐中電灯をつければ見えるのはこれ
また近くの木や下草ばかりだ。

 だから私はあの時もし懐中電灯の電池が切れなかったらと思うと本当に
ゾッとするのだ。電池が切れず懐中電灯がついたままだったら私たちはあ
の光に気づくことができず、かなり危険なことになっていたと思う。

 それから山の中を右往左往して疲れ果ててしまったのも良かった。なぜ
なら疲れ果てたことで何の先入観もなく何かを見つけようとすることもなく、
ただ遠くの方を見るとはなしに見ていたからこそあの光に気づくことがで
きたからだ。

 つまり電池が切れて真暗闇になり、歩き疲れてヘトヘトになるという条
件がそろった時、ようやくあの農家の小さな明かりが見えたということだ。
それはつまり私たちが農家の明かりに気付くための準備が整ったというこ
となんだろう。

 不思議なもので物事というのは、その人の準備ができるとそのタイミング
でその時気付かなければならないもの、その時の自分にとって重要なもの
や必要なものが何か気付くことになっているらしい。そしてその準備という
のは多くの場合、何かを失ったり、右往左往や試行錯誤を繰り返すという
状況を伴うものらしい

 ようやく景気の先行きが明るくなってきたみたいだけど、この10数年の
不況で、年齢や性別、職業に関わらず、心が疲れてしまってカウンセリン
グを受ける人が増えてきている。

 あの真っ暗闇の中の私たちと同じように「もうどこに進んでいいのか分
からなかった。どこに進む元気もなかった。どこに進んでも同じような気
がした」状態にいるのかもしれない。

 でも実はその人は幸運の真っ只中にいる。なぜならものすごく重要な光、
その後のその人の人生になくてはならない「その人の土台そのもの」に気
付くチャンスだからだ。

 誤解の無いよう言っておくと、遠くの光というのは人生の目標とか目的
とか、そういうくだらないもののことではない。

 あの時の遠くに瞬いていた弱くおぼろげな光。それは自分はこの世にい
てもいいという原初的な安心感だ。その光はふだんは目の前にあるたくさ
んの木や枝や下草という障害物(たくさんの常識や世間の目、誰かからの
査定・評価、固定観念、自分の先入観、失敗や喪失へのおびえ)に邪魔さ
れて中々見ることができず、たとえ一瞬見えたとしてもまた隠れてしまい、
隠れればそれ以上目をこらしてみようともせず、すぐに近くの明かりをつ
けて見失ってしまう。

 悲しいかな、目の前の些事・雑事に振り回されてしまうのが人間で、そ
の前では私たちの心の天気など現実の天気と同じように今日晴れていても
次の日には簡単にどしゃ降りになってしまう頼りのないものだ。今日この
メルマガを読んでいくばくかの元気が出た人も明日にはやっぱりどん底ま
で落ち込んでしまっているかもしれない。一瞬見えた光もすぐに見えなく
なり、そして何ヶ月も何年も何十年も見えなくなってしまう。でもそれは
見えなくなっただけで光そのものが消えて無くなってしまったわけではな
い。

 光と私たちの間にはたくさんの木々や枝や下草があって、しょっちゅう
それらに隠れてしまうだけで光は相変わらず逃げも隠れもせずそこにある。
自分が生きて呼吸している限り光はそこにある。それを信じ、そう信じら
れる自分を信じて、一歩一歩、暗闇の中を進んでいく。顔を左右上下に動
かし、必死に目をこらす。そうするとまた草や木の間から光がチラチラッ
と瞬いてくれる瞬間がある。

 私たち3人の小学生は光を見つけてからは懐中電灯の明かりを邪魔だと
感じていた。明かりを消せば真っ暗闇になってしまうのにもかかわらず
誰も懐中電灯をつけなかった。

 それは私たちが暗闇を克服したということではない。私たちが見ようと
している弱くおぼろげな光は真っ暗闇の中でなければ見えないということ
が分かっただけではなく、暗闇というのは単なる状態であって、暗闇自体
が私たちを殺すわけでないということを頭ではなく体で理解しただけだ。

 たぶん何かを克服するというのはそういうことなんだろう。それは何か
に打ち勝つとか何かを打ち負かすとか、そういう力強いイメージで表され
ることではなく、ただ理解する、という、動きとしてはとても静かなもの
のことを言うんだろうと、今、ふと思う。


 今年の七夕。東京はあいにくの空模様だった。しかしたとえ晴れていた
としても星空は望めなかっただろう。東京の街はいつものように様々なネ
オンやイルミネーション、車のヘッドライトなど、人が作り出した強力な光の
濁流に飲み込まれていた。でもいつかの七夕の夜、ほんのちょっとの間、
ほんの一瞬でいい、東京上空に流れるけなげな光の川を見てみたいと
切に願う。

 

 東京の夜空には星が無いと人は言う。

 違う。

 本当は東京の夜空にだって満天の星がきらめいている。

 確実に。

 


つぎ

 

          
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