「ストリップ嬢と仙人(後編その2)」
「じゃあ、そこの、一番後ろ、Gジャンのお兄さん」
『! 』
心臓が跳ね上がった。お、俺かっ!? 思わず分かっていながら自分の
服装をチェックする。当然のごとくGジャン…。
引きつった顔を上げた。さゆり嬢がまっすぐこちらを向いていた。それも
さゆり嬢だけじゃなかった。100人の客という客が全員、私の方をじ〜っ
と見つめている。
とっさに私は白々しくも、『誰が指名を受けたの? 』みたいな顔で周り
をキョロキョロして、往生際が悪い必死の抵抗を試みた。
だがさゆり嬢は、「そう、今、キョロキョロしてる、お兄さん、そう、あなた」
と、はっきり私を指名した。
足元の床が急に消えたように感じた。頭の中が真っ白になり、脇から汗
が吹き出してくる。
が、ここで曖昧な態度をとれば、なし崩しに舞台に上がらされ、骨まで
しゃぶり尽くされることになるであろうことは、H君の経験から分かりすぎ
るくらい分かっていた。
なので私はすぐにものすごい勢いで手を振りながら、
「あ、あの、すいません! 私、すごい緊張しいなんで、あの、無理です! 」
と、自分でも驚くくらいの大声を張り上げた。
だがさゆり嬢は、「大丈夫。ちょっとお手伝いしてもらうだけだから」と
菩薩のような笑顔を浮かべている。
お手伝い? H君だってちょっと手伝うつもりが、ものの見事に捕って
食われてしまったのだ。絶対にダメだ!
「す、すいません、やっぱり無理です。舞台、上がれません! 」
「舞台? 上がらないわよ。ホントに大丈夫だから」
スポットライトに照らされたさゆり嬢は、まるで後光が差しているかの
ように淡く輝いていた。その薄白い光の中で彼女は優しく微笑んでいる。
私は助けを求めるように隣のS谷さんに振り向いた。だが私を巻き込
んだ張本人は、あさっての方を向いて完全に他人のふりをしていた。こ、
このオッサンなあ〜!
「さあ、どうぞお客様! 他のお客様も盛大な拍手をーっ! 」
蝶ネクタイの声がスピーカーをビリビリと震わせ、その震えに感化され
た客たちの盛大な拍手が、十重二十重の津波となって私に押し寄せて
きた。
さらに客席のあちこちからは「よっ、幸せ者っ」「がんばれっ」などの声
や口笛、親衛隊によるクラッカーなどが打ち鳴らされ、バラバラだった拍
手も次第にリズムを刻んでくる。そして最後にはそれに乗り返した蝶ネク
タイが、「さあっ! こちらへっ! 」と、謳いあげるような追い討ちをかけ
てきた。
とうとう私はそれらの声と拍手の高波にさらわれたかのように、沖に浮
かぶ“回り舞台”の方へフラフラ流され始めた。すかさずスポットライトが
私を律儀に追い始め、通路の両側から紙花びらが雨あられと降り注ぐ。
通路をギクシャクと歩く間、私は何度もつまずきそうになったが、それは
視界を覆う紙ふぶきや、ライトのまぶしさばかりが原因ではないことは確
かだった。
“回り舞台”にたどり着いた。たどり着いてしまった。“回り舞台”の高さ
は思ったより低かった。私のヒザくらいまでしかない。その上からさゆり
嬢が私を見下ろしていた。
こんなに小柄な人だったんだ。朦朧とした頭でまず思ったのがそれだっ
た。さっきのあのダイナミックなダンスからは想像もできないほど華奢な
女性がそこにいた。
さゆり嬢が口を開く。
「えっと、学生さん? 」
「い、いえ、違います」
「じゃあ、おにいさん。 おにいさん、初めて? 」
それは「ストリップに来たのは初めて? 」ということなのか、「この劇場
に来たのは初めて? 」ということなのか、それとも「舞台に呼ばれたの
は初めて? 」ということを言っているのか、とにかく考えられる“初めて”
がたくさんありすぎて、私は「いや、えっと」などとうめいたまま、二の句
を継ぐことができなかった。
だがさゆり嬢は最初から答えなど期待していなかったかのように、私の
返事を待つこともなく優しげな微笑をその場に残すと、流れ出したBGMに
乗ってすぐに踊りを始めた。
その間、舞台下で置き去りにされた私は、H君と同じように“でくの棒”
だった。恥ずかしくて踊っている彼女を見ることもできず、目のやり場を
舞台の床に求めて穴があくほど見つめていた。
これから自分は何をされるのか。どうやってこの場を取り繕おう?
とりとめのない考えが浮かんではすぐに消えていった。救いと言えばまだ
舞台に上がっていないことと、H君の経験から、舞台には絶対に上がらな
い決意を固めていることくらいのものだった。
と、客席が拍手に包まれる。気がつくとすでにさゆり嬢は踊り終わって
いた。いや、それどころかなんと衣装を脱いで全裸になっていた。
うわわ!
彼女が私の正面に立った。私はすぐに目を伏せた。私の目線がちょうど
さゆり嬢の胸あたりに当たってしまうので、私はまともに彼女の姿を見ら
れなかった。
「それじゃ、おにいさん、手、出してみて」。
さゆり嬢が私の目の前に手を差し出してきた。
突然全裸になっていた彼女にすっかり気が動転してしまっていた私は、
釣られてサッと手を差し出した。するとさゆり嬢は、「あら、イヤイヤ言って
たわりにはけっこう大胆ね」と意地悪く笑った。
客席がドッと受ける。私は真っ赤になって手を引っ込めた。
そう、これだった。入ってみて初めて分かったことだが、ストリップが普通
のコンサートや芝居と違うのは、演者と客との、この圧倒的な距離の近さ
だった。
それは舞台と客席との物理的な距離の近さはもちろんのことだが、むしろ
私は精神的距離の近さの方が大きいような気がしていた。
恋人でも配偶者でもない異性の裸を「公然と」見たり見られたりという、
日常では考えられない行為が行われているこの場所では、脱ぐ方も脱が
れる方も皆、どこか背徳的なものに触れている自分を感じながら息をして
いるような印象があった。
すると何て言うのだろう、女優と客との間に、ある種の“共犯関係”と
でもいうのだろうか、そういった独特の“絆”で結ばれているようなところ
があって、そこから生み出される強力な磁場のようなものがその空間を
隅々まで満たしている雰囲気があるのだった。
今にして思えば、すでに出来上がっているそういう関係の中へたまたま
紛れ込んでしまった私の姿というのは、彼女たちにとって毛色の違う異分
子として相当目立っていたに違いないのだった。
と、蝶ネクタイが渡り廊下から“回り舞台”に近づいて来ていた。見れば
その腕にはバスケットのカゴのようなものが提げられている。なんだかそ
の姿は、どこかの王家の食卓で世話をする執事のようにも見えた。
蝶ネクタイはスッとさゆり嬢に近づくと、まるで王女に謁見するかのよう
な恭しさ(うやうやしさ)で片ひざをつき、バスケットのカゴを貢ぎ物のよう
にさゆり嬢に差し出した。
さゆり嬢はそのカゴの中から、ものすごく優雅な手つきで「あるモノ」を
取り出した。
『! 』
コンドームだった。
うわわわわわわ、まずい! いきなりだ!!
顔を引きつらせ、後ずさりする私をよそに、彼女は事も無げにコンドー
ムの封を切ると中身を取り出し、自分の胸の前でゴムの口を、ぐわん、ぐ
わん、と、大きく広げたり閉じたりし始めた。
私はまばたきもせず、その様子から目を離すことができなかった。彼女
が少しでも次に進むそぶり、私のズボンに手をかけたり、パンツを脱がそ
うなどとしたら、速攻で逃げ出そうと準備を整えていた。
だが次にさゆり嬢の口から出てきたのは、意外な言葉だった。
「もう一回、手、出して」
え、手?
訳が分からないままに身構え、戸惑った表情の私が躊躇していると、
「手ぐらいは出せるでしょ」と、さゆり嬢が諭すような笑顔を見せる。
私は恐る恐る手を差し出した。
「それじゃあ、さすがに無理。もうちょっと“すぼめて”」
さゆり嬢は自分の手のひらをチューリップのつぼみのようにすぼめる
仕草をしてみせた。私は見様見真似で手のひらをすぼめた。
さゆり嬢は私の手の前でコンドームの口を、また、ぐわん、ぐわん、と
大きく広げたり閉じたりしていたが、その何度目かに勢いをつけて広げき
ったタイミングで、私のすぼめた手に一気にくぐり被せてきた。
逃げる間もなかった。私の指がポキポキッと鳴り、ものすごい締めつけ
が右手を襲った。しかし彼女は構わずゴムの端を引っ張って、コンドーム
を私の手首の方まで、ぐぐっ、ぐぐっ、ぐぐっと被せきった。
キ、キツイ。いや、痛い。そりゃそうだ。元々手にハメるもんじゃないのだ。
ハマったこと自体、驚きだった。半透明のゴムごしに、私の手の甲の静脈
が透けて見えた。しわも消えてツルツルのセルロイドのようになっている。
彼女は私の手首をつかむと、もう片方の手でゴムの被さった私の手の形
をぐりぐりと丹念に整え始めた。とても真剣な表情だった。
そこで初めて私は彼女の顔をマジマジと見ることとなった。だが彼女の
素顔はあまりよく分からなかった。やはりストリップ女優というのは、基本
的に「舞台女優」なのだった。
彼女の顔は目元だってマスカラなんてレベルではなく、ほとんど目張り
というか、完全に舞台メークと呼ばれる化粧だった。彼女のうなじには、
はたかれた白粉(おしろい)が白白としていて、その匂いがスンスンと鼻
に届いてくすぐったかった。
相当熱いのだろう。さゆり嬢の体の表面には汗が小さな粒子となって
染み出し、それがライトにきらめいて金粉をまぶしたように見えた。それ
なのに私の手首を掴んでいる彼女の手は異様に冷たいのだった。
ふっと彼女が顔を動かし、私と目が合った。ちょっと茶色がかったその
“瞳本体”には、当然メークなどされていなかった。化粧されていない素
の彼女を初めて見てしまったようで、私は気恥ずかしくなってドギマギと
目をそらした。
彼女が小さく「よし」と言ったような気がした。私は自分の手を見た。
右手が“つくし”のようになっていた。つくし怪人の一丁出来上がりだった。
さゆり嬢が私の右手を客席の方へ大きく掲げてみせた。客席から大きな
拍手が返ってきた。なんか俺、試合に勝ったボクサーみたいだ。グローブ
の代わりにコンドームをハメてるけど。
さゆり嬢はご丁寧にも、右、左、後ろの客にも同じ動作を繰り返した。
そのたびに拍手が寄せては返す波のごとく、大きく打ち寄せてくる。
やはりここは海に浮かぶ島のようなのだった。
さゆり嬢は私の手を持ったまま、舞台の端に腰を下ろした。手首をつか
まれている私もつられるようにその場にしゃがんだ。私は体を舞台下に、
右腕だけを舞台上にのぼらせている状態となった。
BGMが心持ち大きくなる。緊張しすぎて場内に音楽がかかっていたこと
さえ忘れていた。私の手首をつかんださゆり嬢の指の力がぐっと強くなっ
た。彼女が自分の足を左右に広げた。そして、私の“つくし状の右手”を、
自分の方にゆっくりと引っ張り始めた。
ここまでくれば彼女が何をしようとしているのか、さすがに分かった。
客席が息を呑み、私の体が一気に緊張する。
彼女は私の右手をゆっくり、そう、本当にゆっくりと、自分の広げた足
の間に導いていった。
続く