「ストリップ嬢と仙人(後編その1)」
予想とは違っていた。
恐る恐る足を踏み入れたストリップ劇場の内部は、私が友人たちから
聞かされていた恐ろしげなイメージとも、銭湯のような外観から想像さ
れる古めかしいイメージとも全く程遠いものだった。
一言で言えば、昨今増えている複合型映画館“シネコン”に優るとも劣
らない洗練さとでも言おうか。
チケットをもぎってもらって最初に目に飛び込んできたロビーは、とても
広く、そして明るく開放的だった。そこかしこにゆったりしたソファがいくつ
も鎮座し、壁ぎわには天井まで届こうかという花輪がぎっしり並べ立てら
れて、まるで壁全体が花で出来ているかのようだった。
その花たちに埋もれるようにしてあった売店では、小奇麗な制服に身を
包んだお姉さんが、飲食物をはじめ、パンフレット、ポスター、各種グッズ
を売るのに大忙しだった。もし、そのパンフレットやポスターのモデルが
ストリップ女優でなければ、やはりそのまま映画館で通用する光景だった。
私とS谷さんは、売店の横で大きく口を開け放たれたままになっている
分厚い扉から、場内に入った。
うーむ、広い。真正面に舞台があるのは映画館と同じだったが、違うの
はそこから細い渡り廊下が客席の真ん中を割って伸びており、その先に
まあるい小さな“回り舞台”があることだった。
それはまるで客席の海の中に浮かぶ小島のようだった。客席は総勢100
名といったところか。堂々たる劇場だった。
ただ、客の年齢層は予想とそんなに違っていなかった。私とS谷さんは
当時まだ20代ギリギリであったが、さすがに30才以下は私たちしかいな
いようで、他は30後半から40歳代の人が大半を占め、それ以上の人も
かなりいた。
それに全員堅気(かたぎ)っぽかった。H君たちの時のように“やさぐれた”
感じの人も見当たらず、普通の人の普通の休日という雰囲気があふれて
いた。まあ、本当は普通であってはならないこの場所で、普通の雰囲気
というのも何かおかしな感じなのだけど。
とにもかくにもそれらの人々で場内は超満員。立ち見も出ているほどで、
ギリギリに入った私とS谷さんには当然座る席などなく、一番後ろの柵に
もたれかかるようにして立つこととなったのだった。
ショーが始まった。
驚いた。
照明、音響などの舞台装置は、そこらのライブハウスなどと全く遜色な
いばかりか、上といってもよかった。そして何よりストリップ嬢たちのダン
スのレベルの高さに驚いた。
私はダンスなど習ったこともないし、その方面に関してもド素人なのだ
けど、激しいジャズダンスのような踊りから、バラードに合わせたしっと
りしたものまで、かなりハードな練習を積んでいることは一目瞭然だった。
どうせやる気のない踊りをダラダラ見せられるに違いない、という私の
先入観は一瞬にして霧散した。たぶん私が同じ踊りをすれば、1分もたた
ないうちに息が切れて膝を折ってしまうだろう。
そうそう、それと興味深かったのがBGMだった。なぜだか分からないが、
やたらサザンオールスターズの曲がかかるのだ。「愛の言霊」や「いとし
のエリー」なんて、妙に合っているから思わず笑ってしまった。
それに私の好きなミスター・チルドレンの曲もかかったりして二重に驚
いたのだけど、もしかしたらサザンやミスチルのプロデューサー、小林武
史がプロデュースする音楽というのは、案外ストリップに馴染むものなの
かもしれないな。本人が知ったらどう思うか知らんが(笑)。
そしてこの日、踊りでも曲でも舞台装置でもなく一番驚いたのが、踊り
子さんたちに対する客の反応だった。何と言おうか、まるでコンサートの
ようだったのだ。
客が全員で踊り子さんたちの踊りに合わせて拍手を送るのはもちろん、
一部の熱狂的な客たちは、彼女たちの“決めポーズ”の時に一斉にクラッ
カーを鳴らしたり、色とりどりの紙テープを何本も投げ込んだり、また、あら
かじめ自分たちで作って用意してきていたのだろう「紙吹雪」を、これでも
かと空中に撒き散らかしたりしていた。
さらに自分が応援する踊り子さんが踊り終えるや否や、花束を手に手に
舞台に走り寄って、彼女たちに次々と手渡しているのだ。
みるみるうちに両手で抱えきれないほどの花束に埋もれてしまった踊り
子さんは、本当に嬉しそうな顔をして一人一人と握手していた。
そういう『親衛隊』のような人たちというのは、大体、“回り舞台”や渡り
廊下の辺りに陣取っているのだけど、それはもう裸を観に来ているという
よりは、いわゆる「自分たちだけのアイドル」に熱狂する若者と何ら変わ
りないように思えた。
そして実際彼らからは、自分たちはデビューの時から彼女たちを応援し
て育てているのだ、みたいな自負のようなものが感じられるのだった。
いったい何なんだ、ココは…。
私とS谷さんは、想像だにしなかったそんな光景を目の当たりにして、
ただただ唖然とするばかりなのであった。
と、4,5人の踊り子さんが演技を終えたのと入れ替わるように、舞台の
袖からタキシードの男が姿を現した。首元には赤い蝶ネクタイが結んで
ある。どうやら司会のようだ。
蝶ネクタイはマイク片手に渡り廊下を渡って“回り舞台”にやって来る
と、本日は当劇場にお越しくださいまして誠にありがとうございます云々、
と挨拶を始めた。マイクを握った手の小指が立っていて、ちょっとカマっ
ぽかった。
「それではここで、当劇場の看板女優、さゆり嬢(仮名)に登場いただ
きたいと思います。皆様、盛大な拍手でお出迎えくださあーい! 」
蝶ネクタイの威勢に負けず劣らずの、盛大な拍手が場内を埋め尽くした。
蝶ネクタイが再び引っ込んだ舞台の袖にスポットライトが当たる。すると
その光の輪の中に、赤い和傘で顔を隠した花魁姿の踊り子さんが現れた。
客席の拍手が一段と強くなった。その拍手の中、ご丁寧にも高下駄まで
履いた彼女は、正月の商店街に流れているような琴の音色のBGMに乗っ
て、しゃなりしゃなりと、渡り廊下を進んできた。後ろには和服姿の踊り子
さんを2人ほど従えている。
そうして彼女が“回り舞台”の中央まで来ると、割れんばかりの拍手が
さらに大きくなった。まるで滝のそばにいるようだ。その拍手が最高潮に
達したところで彼女がおもむろに和傘を外した。
「さゆりーっ! 」「日本一っ! 」
客席のあちこちから声がかかる。まるで歌舞伎の襲名披露のようだった。
私の隣にいたおじさんも急に「さゆりぃーっ!」と叫んだのでビックリしてし
まった。だってその人、それまでずっと置物のようにジッとしていたんだ
から(笑)。
私が彼女の仮名をさゆり嬢にしたのは、その第一印象が演歌歌手の
石川さゆりさんに似ていたからだが、実際の彼女も本家に負けず劣らず
の妖艶な感じの人だった。
年齢は30半ばだと思うけど、よくは分からなかった。前号でも言ったよう
に、女優さんというのはあまり年が分からないのだ。色白な人だった。
そのステージの様子を詳細に書くと長くなってしまうので割愛するけど、
それまで出てきた若い踊り子さんと比べると、そのキャリアの差は歴然と
していた。
激しいダンス、しっとりしたバラード系の舞いと、どの踊りも全体的には
前の若い踊り子さんと変わったところはない。だが指の先、爪の先々まで
神経が行き届いている繊細さ、優美さとでも言うのだろうか。
それはたぶん、ホンのちょっとした部分なのだろうけど、その取るに足り
ない部分がとても大きな差なのだろう。何か、客が安心して身をゆだねる
ことができる演技だった。
それが証拠に彼女が踊り終わった時がすごかった。
さゆり嬢が踊りを終えた途端、親衛隊ばかりか、そこら中の席から花束
を抱えた客たちが舞台に殺到したのだ。あまりに殺到しすぎるので、直接
さゆり嬢に花束を渡すことが出来ない者が続出し、そういう人はそのまま
“回り舞台”に投げ込むしかなかった。
みるみるうちに“回り舞台”の上は花束の山となっていく。それを舞台の
袖から走り出てきた若い踊り子さんたちがどんどん拾い上げていった。
この客たちは一体どこに花束を隠し持っていたんだ? 目の前の大騒動
にただただ気圧されるばかりの私であったが、驚くのはそれだけではなか
った。さらにスゴイことが起こったのだ。
私とS谷さんの近くの扉が、ばーんっ、と勢いよく開いた。外の光が一気
に場内に入ってきて思わず手をかざした。その光の洪水の中から、一人の
50代くらいの男性客を先頭に、4人の、たぶん劇場の従業員だろう、男たち
が入ってきた。
その大の男たちが4人がかりで抱えて、いや、担いで(かついで)いたのは、
花束? 花輪? というような、とにかく何と呼べばいいのか分からない、
花の神輿(みこし)だった。
なんと200本から300本くらいの薔薇の花(赤、ピンク、白、その他さまざ
まな色の薔薇)に、アクセントとしてカスミソウやら何やら、名前も知らない
色とりどりの花が散りばめられ、そしてこれが恐ろしいのだが、その中に
何十本もの“蘭の花”が埋もれていたのだ。
まあそれはそれは豪華というか豪気というか、何か胸焼けしそうな、や
たら油っこい組み合わせの花束、いや、花の塊だった。一体全体、値段は
どれくらい張ったんだろう。薔薇の花だけでも10数万円はかかってるだろ
うし、そこに蘭が加われば確実に数十万円はいく。
スポットライトに浮かび上がったその一団が通路をゆっくり“回り舞台”へ
向かう間、場内は興奮のるつぼだった。おおおおおおおお〜という、どよ
めきとも咆哮ともつかない、何かとてつもなく重量のある空気が波打って
いた。
そしてその花の塊を受け取る方も大変だった。当然さゆり嬢だけでは舞
台に上げることができず、踊り子さん総出でキャーキャー言いながら引っ
張り上げていた。
さゆり嬢がその男性客を軽く抱擁した。さゆり嬢もその男性客も、瞳が
ちょっとウルウルしている。他の客は全員スタンディングオベーションだ。
何なんだ、これは! 私とS谷さんは周りにあわせて拍手をしながらも、
二人で顔を見合わせて爆笑し合ってしまっていた。もう笑うしかなかった。
だって、もう、何が何だか訳が分からないのだ。でも、なんか面白いぞ。
私はS谷さんに、「すごいですね」と言うと、S谷さんは私から褒められた
と思ったらしく、「な、入って良かったやろ」とちょっと自慢げに胸を張った。
そして私は密かに胸をなでおろしていた。
ココはH君たちが入ったような場末の劇場じゃない。外見は汚いけど
中はキレイで洗練されてるし、照明だって音響だって素晴らしいし、女優
さんだってプロ意識を持ってやっている。それに何より客層が違う。しか
も横浜の繁華街、警察の指導だって厳しいはずだ。私は確信した。
ココは間違ってもマナ板本番ショーなどない!! (⌒◇⌒)
その矢先だった。
踊り子さんが花束と共に舞台の袖に去り、“回り舞台”に一人残った
蝶ネクタイが口を開いた。
「それではここで、さゆり嬢のお手伝いをしていただく方を、さゆり嬢の
方から選んでいただきます」
え?
お、お手伝い!? 私は総毛だった。おいおいおいおい、まさかマナ板
本番ショー? ちょちょちょちょっと、待て!
「それではさゆり嬢、お願いしまーす」
蝶ネクタイが促すと、舞台の袖から再びさゆり嬢が姿を現した。今度は
天女の羽衣のような衣装をまとっていた。彼女は“回り舞台”にやって来
ると、島から海を眺めるように客席をぐるりと見渡し始めた。
うわわわわわわ!
私は彼女と目を合わさないよう下を向き、彼女のレーダーに引っかから
ないよう息を殺してじっとした。さっきまでの浮ついた気分が一瞬にして
吹き飛んでいた。
神様、お願いします。俺じゃありませんように。俺じゃありませんように。
私は必死に祈り、自分の気配を消すことに躍起となった。
下を向いていても、さゆり嬢の視線がビンビンと伝わってくる、ような
気がした。柵を握りしめた手に汗がじっとり滲んでくる。息もできない静
寂の中、ドッ、ドッ、ドッと早鐘を打つ自分の心臓の音が邪魔でしょうが
なかった。
ガピッ。マイクの雑音が入った。
さゆり嬢の、凛、とした声が、スピーカーを通して場内に響き渡った。
続く