「カエルを欲しがる女」
私には妹が二人いる。
前にも書いたことがあるが、彼女たちは拾い食いの責任を私におっかぶ
せたり、私あてのバレンタインチョコをかすめ盗って人の恋愛話をぶっ潰し
てくれたりと、まあやりたい放題やってくれたアニマルだ。
そんな憎たらしい彼女たちにはある特徴がある。それは大の動物好きと
いうことだ。二人は小学校時代「ムツゴロウの動物王国」のファンクラブ、
『ムツゴロウゆかいクラブ』なるものに入るほど動物を愛し、特に上の妹は、
哺乳類はもちろん、鳥類、爬虫類、はては両生類にいたるまで何でも
ござれだった。
なのでバカ犬“ムクすけ”が来るまでの我が家は、文鳥、インコ、金魚、
カメ、ひよこなどがひしめくミニ動物王国で、中でも彼女のお気に入りだ
ったのが「トノサマ、アマ、ツチ」などの数種類のカエルたちだった。
とにかく彼女は自他ともに認める、大のカエル好きだった。
風呂場に置いた青いポリバケツに水を張り、その中に20匹ほどのカエ
ルを飼い、しかもその全てに名前があった。
「よーし、ケロ太郎、出ておいで」「ケロ子、元気? 」「ケロ蔵、どうした
の? 」
何のことはない、名前といってもケロの後を変えてあるだけなのだが、
彼女は朝昼晩関係なくケロの後を変えたカエルどもに声をかけ、手のひら
にのせて頭を撫でたり、時には奴らの口にチュっとキスしたりして家族の
度肝を抜いていた。
父などはその度に「嫁に行けなくなったらどうする! 」と怒っていたが、
それもなんか違う気がする(笑)。それでも妹は一向に気にする様子は
なかった。
さて、そのカエルたちであるが、誰が捕まえてくるかというと私であった。
兄であるこの私が必死こいて捕まえてくるのである。
私が住んでいたのは周りを山と田んぼに囲まれた自然いっぱいのところ
で、カエルを捕獲するのに十分おつりが来る環境だったが、私も小学校3
年生くらいの遊び盛り、友達との予定だってあるしカエル捕りはめんどく
さくてしょうがなかった。
それでも妹が泣き叫び、父や母の「お兄さんなんだから我慢しなさい」
の一言が付け加われば、やらないわけにいかなかった。
私は家に帰る途中、毎日のように田んぼや用水路で泥だらけになりなが
らカエルを追っかけた。
そうやって私が捕まえてきたカエルはさまざまな騒動を引き起こした。
ある日、風呂に入ろうとした父はこんな被害にあった。
「うわー! 」という父の悲鳴で私と妹が風呂場に行ってみると、ビニ
ール袋で作ったフタが外れたのか、ビニールの空気穴が大きすぎたのか、
カエルたちが一斉にバケツから逃げ出しており、ある者は床のマットの上
でピョンピョン跳ね、ある者は浴槽の中で優雅に平泳ぎ、またある者は壁
や天井に張り付いて風呂場はさながら熱帯雨林の様相で、裸で立ちつくす
父はまるでアマゾンの裸族のようだった。
ぬる目の湯が好きな父のおかげで“ゆでガエル”にならずに済んだカエ
ルたちを捕まえながら父は「もう捨ててまえ」と怒鳴り散らしていたが、泣
き出した妹に対抗もできず、結局ずっと風呂場で飼うこととなった。
しかし壁を登っているカエルをタイルから引き剥がしたり、浴槽で泳いで
いるカエルを捕まえバケツに入れている父の姿は、やはりどこから見ても
食糧を捕っている裸族にしか見えなかった。
また、ある朝のこと。顔を洗いついでになにげなく風呂場のバケツをの
ぞいた私は、小さなトノサマガエルが仰向けになって浮いているのを見つ
けた。手にとってみると死んではいないが相当弱り、ほとんど死にかけて
いた。
実はこの頃、私の周りでは化石がマイブームになっていて、皆、古代の
葉っぱの化石とか貝殻の化石を学校に持ってきては自慢し合っていた。
私も欲しくてたまらなかったが、化石を買うお金もないし、買えないの
なら何とか自分で化石を作れないものかと、ガキの頭をひねっていつも
考えていた。
この朝はまさにチャンス到来だった。こんなにカエルがいるんだから一
匹くらいいなくなっても分からないだろうと、私はそのまま庭に行って穴
を掘ると、そのカエルを埋めてしまった。
もちろん化石ができるまでは何億年もかかることは知っていたが、衝動
的にダメ元で埋めてしまったのだ。
どこに埋めたか分からなくなると困るので、目印としてアイスクリームの
棒を立てておいた。
そして何食わぬ顔で朝ごはんを食べていると、起き出してきた妹がいつ
ものように家族より先にカエルに挨拶に行った。
と、すぐに「いない! 」という悲鳴が風呂場から聞こえ、血相を変えた
彼女が「ケロすけがいない! 」とキッチンに駆け込んできた。
『あのカエルはケロすけと言うのか』という感慨とともに、どうやら全て
のカエルの顔と名前が一致しているらしい妹にゾッとした私であったが、
キッと疑いのまなざしを向ける彼女と、新聞の端からジロリと向ける父の
視線に耐え切れず、思わず「ケ、ケロすけなら、死んでたよ。だ、だから
庭に埋めてあげた」と言ってしまっていた。
妹はすぐさま庭に飛んでいき、私が指差したアイスクリーム棒の下を
掘り返し始めた。
「ケロすけがまだ生きていたらどうしよう」という私の心配をよそに、
生き埋めにされたケロすけはちゃんと死んでいてくれた。涙目の妹
の後ろで、ほっと胸を撫で下ろす鬼畜兄であった。
化石を掘り出す時の目印として立てておいたアイスクリームの棒は、
そのままケロすけの墓標となった。
妹はその日から毎日ケロすけのお墓参りをしていたが、線香がないので、
蚊取り線香を立てていた。もちろん私も毎日お参りした。が、私の場合は
ケロすけを手にかけた犯人としての贖罪の気持ちの方が大きかった。
そんなこんなの騒動(? ケロすけ事件は私が起こしたものですが・汗)
を引き起こした妹のカエル熱であったが、小学校高学年になるとさすがに
「実物」を欲しがるようなことはなくなった。
その代わり、カエルグッズ集めに狂奔するようになった。
柄の部分がカエルになったスプーンやフォーク、カエルの絵皿、カエル
のスリッパ、ペンケースetcと、妹の生活用品全てが緑一色になった。
それは彼女が中学、高校、大学に進学しても、そして就職しても変らな
かった。
妹の部屋は壁や天井にLUNA
SEAと河村隆一のポスターがざわざわと
生い茂り、床やテーブルやドレッサーではおびただしい数のカエルグッズ
が鳴き声をあげていて、ここでもある意味、妙な熱帯雨林を形成していた。
そして私が京都や東京で生活し始めるようになってからは、事あるごと
に「京都には変ったカエルグッズない? 東京にはたくさんあるでしょう?
あったら買ってきて」と矢の催促が飛ぶようになった。
そんな4年前、妹が結婚することになった。
私は近くの商店街にあるお気に入りの雑貨屋さんへ行った。私は男であ
るが雑貨屋さんを見て回るのがけっこう好きな人間で、前にその店に行っ
た時、カエルグッズばかりを置いてあるコーナーを見かけていた。
結婚祝いとしてカエルグッズでも贈ってやろうと思ったのだが、ちょうど
店内改装工事中で休みだった。
時間もなかったし他で探す余裕もなかったし、正直めんどくさかったりで、
私は「ま、いっか」と、そのまま帰郷して妹の結婚式に出た。
が、その披露宴の最後、新婦から両親への手紙の中に、思いもかけず
「お兄ちゃん、今まで私を守ってくれてありがとう」という一節があり、情け
なくも感極まり涙してしまった私は、そのままの勢いで帰京し、遅れはした
ものの結婚祝いを贈ってやろうと例の雑貨屋へ走った。
幸いにも改装工事は終わって、その雑貨屋はリニューアルオープンして
いた。
しかし意気揚々と店に入ったものの、どこにもカエルコーナーはなかった。
焦って店員に尋ねると、「申し訳ございません。リニューアルを機にな
くしてしまいまして…。今はこちらにあるものだけになっております」と、
どこにでもあるようなカエルのキャラクター商品を紹介された。
あからさまにガッカリした様子の私に店員さんは「倉庫の方にまだ在庫
とか残ってると思いますので出してきましょうか」とも申し出てくれたが、
私は「いえ、そこまでしていただかなくても。ありがとう」と丁寧に辞して
店を出た。
だが店を出た時、私は確かにガッカリはしていたが、その一方で安堵し
たような不思議な気分に包まれている自分にも気づいていた。
そう、いつのまにか私の役目は終わっていたのだ。
何をするにも私のマネをし、どこへ行くにもいつも私の後をヨチヨチと
付いて来た妹。そんな彼女が拾い食いをしないか、車にはねられはしない
かといつもハラハラしていた私。
だがその心配をすることはいつのまにかなくなっていた。
文句を言いながらも、彼女の喜ぶ顔見たさに泥だらけになってカエルを
捕まえてあげることも、もうないだろう。
散々言われた「お兄さんなんだから我慢しなさい」も、これからはどれ
だけ我慢したくても、もうしてあげることはできない。
私と彼女はそれぞれにいつのまにか大人になっていた。
今さらながらのその当たり前すぎる感慨を、リニューアルしてカエルコー
ナーがなくなった雑貨屋に噛みしめた私は、商店街をぶらぶら歩き始め
た。
そしてふと、そう言えばもうずいぶん長い間カエルの鳴き声を聞いてい
ないなあと頭に浮かび、試しにケロケロっと自分で鳴いてみた。
全然うまく鳴けなかった。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
皆さんは何か集めているものってありますか?