[2002/12/26]

本当の人脈

 



 「本当の人脈」


 数年前、派遣で行っていた会社で次のような光景を見た。

 仕事が始まる前の朝のひとときのこと。上司が自分のアルバム状の
名刺ホルダーをヒラヒラさせながら、「これがまあ、オレの人脈だな。
みんな俺のために“いざ、鎌倉!”って奴らばっかりだよ。ぐわっはっ
はっはっ」と、豪快に椅子の背もたれをきしませていた。

 その様子を見た私たちは、正社員も含め皆、朝から鼻白んだことを覚え
ている。それは人脈があることをひけらかしていることに対する鼻白みな
のだが、私はそれだけではなく、彼の人脈という言葉のとらえ方にも何か
釈然としないものを感じていた。

 彼に限らず世間一般で言われる人脈という言葉は、いかに自分の役に
立ってくれる人間がいるか、いかに自分を助けてくれる人数がいるか、と
いう意味で使われていることが多いような気がする。

 でも私は逆だと思う。

 私が考える人脈というのは、自分の役に立ってくれる人たちのことでは
なく、「自分が役に立ってあげられる人たち」のことだ。

 考えてみれば人の役に立つというのは簡単なようでいて、実は中々やっ
かいである。

 例えば皆さんがJR山手線に乗っているとしよう。皆さんはコンビニおにぎり
やサンドイッチを持っている。それをいきなり見知らぬ乗客に「お腹すいてる
でしょう。このおにぎり食べてください」とか「このサンドイッチあげます。いえ
いえ、遠慮なさらずに。私はあなたを助けたいんですよ」と言っても、大抵の
人は怪訝そうな顔をするか、目に警戒感を滲ませた笑顔で断るだろう。

 いざ、自分が誰かを助けたいと思っても、自分に助けられてくれる人を
見つけるのは簡単ではない。それはそれで一つの人間関係で、なんと言っ
ても相手がいることなんだから。

 最初の上司の「自分のために役に立ってくれる人間」という考え方は、
その人の地位や利用価値が高いうちは成り立つだろう。だけどそれは
いつまでも続かない。

 その人がそれまでどれだけ“無心で”他人のために「有形無形」の助け
をしてきたのか。

 それが「結果として」自分に還ってくる、その人間関係の在り様、総称が
「人脈」と言うのだと私は思う。

 相手が自分にどうしてくれるのかなんていうのは二の次で、自分が相手
にどうしてあげられるのかの方が先だ。

 そう考えてみると、この数年の私の人脈、悲しいことに“ゼロ”だ。ナッシ
ングだ。

 この数年、私は周りに助けられる一方だった。

 「仙人がシンドそうにしてるってことは、ホントにしんどいんやろ」と、
定期を解約してお金を貸してくれた先輩。

 遊びに行ったとき、帰り際に「これでも食べて栄養つけてください」と、
コンビニ弁当2個を渡してくれた後輩。私は元気なつもりでいたが、彼
にはお腹が減ってるように見えたんだろうなあ。彼には大量の映画鑑
賞券も送ってもらった。

 また、コーヒーやらソウ麺やら風邪薬やら(中々ユニークな詰め合わせ
でした・笑)を宅急便で送ってきてくれた後輩の女の子もいた。彼女はそ
の時お母さんの病気の看病で大変だったろうに。

 それに私の秋の病気の時は、メルマガ読者の人からたくさん励ましても
らった。ホントに涙が出そうだった。

 それにひきかえ、果たして私は誰かの役に立っているんだろうか、助け
になっているのだろうか。

 お寒い限りだ。

 私には貸すお金も食べさせてあげられる弁当もない。誰かに仕事を紹介
してあげるどころか自分の生活で青息吐息だ。

 もちろんそういう物質的な援助だけが助けや役立ちではないし、人脈の
ために人を助けたり、人の役に立ったりするものでもない。

 やはり人脈うんぬんにかかわらず、どれだけ人を愉しませ、幸せにし、
そしてそれを自分の喜びにできるか、だと思う。それは個人でも会社でも
一緒だ。どれだけ人を幸せにしてあげられる商品を生み出せるか。

 幸せにするという言葉が傲慢なら、一瞬でもいいからいかにその人の
人生にそっと寄り添ってあげられるか。

 そうやって作られた1本の映画が誰かの人生を変えることもあるし、1冊
の本、1曲の音楽が、誰かを救うこともある。

 たぶん本当の人脈というのは目に見えない部分を言うのだろうと思う。

 誰のためというより山や森や全ての生き物のために降り注ぐ雨が、大地
に沁み込み出来上がる地下水脈のようなもの。そうやって普段は隠れてい
て、いきなり思いも寄らぬところから湧き出してくる湧き水のようなもの。
そんなもののことを言うような気がする。

 私が今できるのはこうやって文章を書くことだけなのだろう。

 日々、ああでもない、こうでもないと紡ぎ出す、時にバカ話、時にマジメ話
などのたわいない文章が、どこかで誰かの励みや助けや楽しみになり、
一瞬でも寄り添っていることを信じて。


☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆ 

来年3月でこのメルマガも丸2年になります。

1年目は勢いだけでした。

でも読者の方が増えてきて、そして2年目になると、妙な欲が出てきて、
うまく書こうとか、うまくまとめようなんてことを考え出したりして、筆が
進まなくなってしまうこともしばしばでした。

そういう意味では2年目の今年の方が試行錯誤だったように思います。

そんな私にお付き合いくださった読者の皆さん、そしてオススメなどに選
んでくださった発行スタンドの方々、また知らぬ間にリンクを張ってくだ
さったり、掲示板などで紹介してくださったりした方々には感謝の気持ち
しかありません。本当にありがとうございました。

来年3年目への抱負。それは初心に返ることでしょうか。

知らず知らず頭デッカチになってしまった脳をほぐすために、前号で告知
したように来年早々新たにもう一つメルマガを立ち上げようと思います。
といってもそんな告知するほど大げさなもんではありません。かなり思い
つきなので。

年内にはと思っていたのですが、てんてこ舞いの毎日なので年越しになっ
てしまいました。すんません。

今年の思案生首は今号が最後です。来年の発行はいつになるか分かりま
せんが、「スタート」という題でエッセイだかコラムを書こうと思っています。

それでは皆さん、風邪などに気をつけて、残り少ない今年を過ごしてくだ
さいね。

よいお年を。

東京仙人

 

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