「住めば都、は本当か」
連日、あの国に拉致された被害者のニュースが流れている。
私は昔からあの国に対して、というかあの国のごく一部の人々(指導者
たち)に対しては、怒り狂うなんてレベルではなく、頭が真っ白になるくらい
激昂しているので、今回の拉致被害者のニュースはほとんど見ないように
している。尋常でないストレスが溜まることは分かりきっているから。
だけど拉致被害者5人が帰国した時の記者会見は見た。皆、極端に口
が重く不安な面持ちで、とても緊張していた。当然だろう。
ああいった記者会見自体、初めての経験だろうし、あの国から派遣され
てきた諜報員が5人の発言はもちろん、その一挙手一頭足まで本国に報
告しているらしいし、何より家族を人質として残して来ている。
ただ今日はあの国がどうこうという話ではなくて、ちょっと別に思うところ
があったので、それを書いてみようと思う。
最初5人は日本に2週間滞在ということで帰国した。私が気になったのは、
本人たちが2週間であの国に戻ることに何のわだかまりもない表情を見せ
ていたことだ。
それは事前に言われていたようなマインド・コントロールが施されてい
るような感じでもなかったし、先に挙げた、家族を人質にされているとか、
発言が本国に漏れるといったことに対する恐怖だけでもないような気が
した。
考えるに、たぶん次のようなことが大きく関係しているような気がする。
それは最初のキッカケがどうであれ、今現在、自分たちの生活基盤が
完全にあの国で出来上がってしまっているという事実だ。
拉致被害者の人たちは、最初は「日本へ返してくれ」と抵抗しただろう
と思う。だけどそれが叶わぬと知ると、彼らは生きるために、自分たちを
袋詰めにして誘拐してきた国であっても、想像を絶する不安や怒り、その
他もろもろの感情があっても、あの国に適応せざるを得なかった
あの国の言葉や習慣を覚え、与えられた仕事をこなし、食料や衣服や
燃料を配給してもらう。家族ができてからはますます適応に力を注がな
ければならなかっただろう。
その間も事あるごとに日本に帰りたいと思ったろう。ここは自分がいる
べき場所じゃないとも思っただろう。
しかしそういった感情が日々の忙しさや生活、あきらめに塗り込められ
ていった時、いつしか適応は“依存”へと変化していったのではないだろ
うか。
また、拉致被害者はおおむねあの国ではそれなりの地位を与えられて
いることも依存に拍車をかけていったと思う。
今回あの国は、拉致しておいたくせに急に日本に帰れと言ってきた。
24年間日本を離れていた彼らにとって、現在の日本は未知同然の国だ。
不景気だと聞くが仕事はあるんだろうか。あったとしても自分にできるん
だろうか。子供たちは? すんなり溶け込めるだろうか。
24年かけてあの国に完全依存する生活パターンと思考形態を身に付け
た彼らにとって、それ以外の自分を想像するのが不安になっても無理はな
い。
あれほど待ち望んだ救助の手を差し伸べてくれなかった日本政府への
不信だってある。
拉致被害者が日本の地を踏んだ時に見せていた不安な表情。あれは
あの国に対する不安と同時に、日本に対する不安、言わば環境を変える
ことへの不安も混じっていたのでないかと思う。
拉致被害者の一人は自らの永住帰国について、「2週間後、一回北に
戻って夫と子供と相談してから決めたい」と言っていたが、普通に「戻る」
という言葉を使えてしまっていたことが、この問題の度し難さを示している。
そしてこれは別に拉致被害者だけが陥る特別な感情ではなく、私たちに
も当てはまることだと思う。
例えば会社員。最初どんなキッカケで入ったにせよ、今現在、その会社
を中心に生活基盤を築いているのは確かだろう。
入社以来長い時間をかけてその会社の常識、やり方に適応してきた。
その間には、ここは自分がいるべき場所なんだろうか、と思うこともあっ
ただろう。もしかしたら今もそれほど情熱を持って仕事に打ち込めてない
かもしれない。
だが今ではそれなりの地位も与えられ、家族もでき、衣食住はもちろん
人間関係に至るまで、自分の生活基盤全てをその会社に頼っている。
今さら全く違う環境で、新しいやり方や新しい常識に適応するのも不安
だしシンドイ。
そうなるとやはりそこから出るのが怖くなる。追い出されることに恐怖
するようになる。仕事はイヤでも、仕事を失うのはもっとイヤだ。
人間というのは「依存した苦しい状況」と「依存していない未知の状況」
なら、依存した苦しい状況の方に安心感を覚えるものだと思う。安心とい
う言葉が言いすぎなら、まだ不安が少ないと言い換えてもいい。
それは会社などの組織だけではなく、夫婦や恋人など、あらゆる“関係”
“状況”にも言えることじゃないだろうか。適応と依存は常に背中あわせ
の関係だ。
拉致被害者が日本に帰国して2ヶ月半が経った。久しぶりに見てみる
と、彼らの表情が驚くほど変わったことに気づく。
それはもちろん家族とのふれあい、自分たちの生まれ故郷に包まれた
安心感が大きいだろう。
その一方で、外交カードとして使い終わり何の役にも立たなくなった、
言わばあの国を“リストラ”された彼らが、新しい転職先「日本」に手ご
たえを感じ始めてきた証でもあるように思う。
また、中にいると分からなかったことが、というより生きるために意図的に
見て見ぬふりをしてきたあの国の悪辣非道な状況が、外から眺めてみると、
まるで霧が晴れたようにハッキリとその姿を表し、それはつまり自分たちが
あの国でいかに色々なものを失い、あきらめてきたかいうことを頭でではなく
“手触り”として認識できるようになったということだ。
そこへ次々入ってくるようになった嘘偽りも検閲もない正確な情報という
ものが、彼らに安心と希望、そして冷静さを与えたんだと思う。
しばしばマスコミはマインド・コントロールという言葉を、何か非日常的な
もの、奇々怪々なものとして扱う。
が、実を言うとマインド・コントロールというのは催眠術とか薬物とか
そういった大げさなものではなく、私たちが日々送っている日常生活
それ自体が、すでにマインド・コントロールになっているんだなとつくづく
思い知らされる。
極端な話、私たちと拉致被害者5人との違いは、「望んで拉致されたか」
「望まずに拉致されたか」の違いだけのような気もする。
拉致被害者と違い、私たちを拉致しているのは自分たち自身だ。自分を
解放するのに複雑怪奇な交渉など必要ない。毎日のほんのちょっとした
心がけで、依存に傾いたスタンスを適応に戻し、解放に導いていく能力を
みんな持っていると思う。
最後になってしまったけど、タイトルの「住めば都」という言葉。
私はこの言葉に、「適応という人間の強さ」と「依存という人間の弱さ」
の両方を併せ見てしまうのである。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
今回の拉致被害者の帰国というのは、むしろ私が私自身を考えるのに
良いキッカケになりました。
寒くなってきましたね。先日、この冬初めての銭湯に行ってきました。
気持ちよかったぁ〜 く(⌒◇⌒)ノ
しかし怖い目にも (T▽T)
それは笑い話として近いうちに。