「だいじょうぶなのか? 」
10月10日は「晴れの特異日」だそうな。
とにかく過去数十年間、10月10日(旧体育の日)はものすごい確率で
晴れるらしい。理由は分からんけど。
私にも個人的な特異日がある。11月3日だ。何の特異日かは分からな
いが、とにかく必ず訳の分からないことが起る。怖いくらいに。
で、先日の11月3日。やっぱり起った。
昼の11時ごろ、携帯が鳴った。
「おう、仙人か。俺や。父さんや。今、東京駅に着いた」
「!!」
何と、父からだった。父が私の携帯に直接電話をかけてくることなんて
初めてだ。しかも東京駅にいる? 何で? そんな話聞いてないぞ。
「いやあ、東京駅で散々迷ってもうた。お母さんに代わるぞ」
え? オフクロも来てるの? 言いかける前に電話から甲高い声が飛び
出す。
「仙人? 今、お父さんと東京駅にいるよ」
それは今、聞いたって。
「オフクロ、なんで東京なんかにおんねん」
「俺は父さんやぞ」
もう電話代わってるよ!
「オヤジ、何で東京におんねん? 来るって言ってたか? 」
「名古屋から“のぞみ”で1時間40分や。のぞみはスゴイぞ。だけど
東京駅は広いな。どこにおるか分からんようになってもうた。今、
丸の内におる」
相変わらず人の話を聞かない人だ。そう言えば今年の正月もそうだったな。
というかどこにおるか分からんと言いながら、丸の内にいるってどうい
うことやねん(笑)。
「丸の内のどこ? 」
「知らん。とにかく丸の内で日なたぼっこしてるから、すぐ来てくれ」
電話が切れた。
「もしもし? オヤジ? もしもし? 」
すぐにかけ直してみたがメッセージセンターにつながる。どうやら電波が
届かなくなったらしい。
丸の内で日なたぼっこって何やねん。
状況がよくつかめないが、とりあえず行くしかあるまい。私はすぐに出
かける用意をした。
東京駅に着いた。父の携帯に電話を入れてみたが、まだつながらない。
丸の内って言っていたから、とりあえず丸の内中央口から出るか。
改札を出ると、11月とは思えないほど燦々とした日差しが降り注ぐ中、
先ごろオープンした丸ビルが見えた。
「仙人」 急に呼び止められた。
いた。
本当に両親がいた。確かに父と母は駅前の柵に、まさに日なたぼっこ体勢
で腰掛けている。
何だかその姿は“日なたぼっこするためだけに”東京に来たような印象
さえ抱かせる。
「オヤジ、その携帯つながらんぞ」「え? そんなことないやろ。あ、
電源切ってたわ」「…」
父は電源を入れると、液晶画面を見せて、
「ほれ、お前の番号はアドレス帳に入っとるぞ。これで通話ボタン押し
たらすぐかかるんや。便利なもんやな。お前の携帯はそんなことできんやろ」
誰の携帯だってできるっつうの! なんかそれも正月に聞いた覚えがあ
るぞ。
「急にどうしたん? 」「いや、連休やしな、観光や。俺もお母さんも
東京なんて何十年も来とらんし、それにお前の病気見舞いも兼ねて、
こりゃ、ちょうどいいってな」
ちょうどいいって、俺の病気は景気づけかい。
「で、検査の結果はどうやった。お母さん、虫の知らせがするって言う
もんやからな」「…」
おいおい、俺の病気って2ヶ月前の話だぞ。前に話した時、やっぱり
聞いてなかったのか。
しかも何て遅い虫の知らせなんだ。
だ、だいじょうぶなのか? オヤジ、オフクロ。
「とりあえずキュウジョウ連れてってくれ」
「キュウジョウ? 東京ドームのことか?」
すると母が、
「宮城(きゅうじょう)のことやよ。皇居。お父さん、昔の人だから」
「昔の人って言うな」
うー、もう何でもエエ。夫婦喧嘩に発展する前に2人を連れて、私は
皇居に向かった。
それからはもう、何が何やらよく分からん道中になってしまった。
皇居では、父が警備員を捕まえ、皇居について延々講釈を垂れてイヤな顔
されるわ、国会議事堂前の機動隊車両のドアをガンガン叩いて警官を呼び
出し、「やっぱりテロ対策ですかな」って“したり顔”して警官から怒られるわ、
石原慎太郎ファンの母は、都庁へ行けば慎太郎に会えると思ってるわ、
しかも知事室はガラス張りだと思ってるわ、そりゃ、田中康夫だよ、オフクロ。
新宿での昼食。和食が食べたいってんで和食中心のメニューの店に入れ
ば、なんと父はハンバーグきのこソースがけ、母はチキンカツレツ。
思いっきり洋食やんか!で、何で俺の方が“サンマ塩焼き定食”食ってん
だよ。
新宿アルタ横の『洋服の青山』を見て「洋服の青山なんてウチの方にも
あるぞ。東京東京言うわりには田舎と変わらへんな」って、洋服の青山が
基準なのかよ、オヤジ。
「それに車が1台も走ってへんやんか」って、歩行者天国だよ、オヤジ!
「高島屋だってウチの方にあるよねえ」って、オフクロは高島屋が基準かよ!
それでいてソフト・モヒカンの若者を見かけると、「お、ベッカムやな」
ベッカムは分かるのかよ。
人が多すぎて疲れたと言うので適当にコーヒーショップに入った。そこ
で健康について延々と講釈を受けた。
しかし言うに事欠いて「腎臓取るんなら1個だけにしとけよ」って、
さらっと言うなよ、さらっと。それは俺が決めるんじゃないって。医者が
決めるんだよ、医者が。
「2個は取るなよ」って、当たり前だよ。ていうか結石って話したろ。
やっぱり人の話全然聞いてないな。
私は再び、オヤジ、オフクロ、大丈夫なのか? と思いながら、
「で、今日はどこに泊まるん? 」
「いや、今日帰るわ。一応泊まる用意はしてきたけど、明日エンドウ植え
なイカン」
「え? そうなの」
父の趣味は家庭菜園というか野菜づくりだ。実家の近くにわざわざ畑を
借りて休みの日に鍬を振るっている。私も小さい頃は首根っこひっつかま
れてよく連れて行かれた。本当に恐ろしい父だった。この世で一番理不尽
で、憎くて、怖い存在だった。
今年の正月号にも書いたけど、私は実家とあまり折り合いが良くなく、
実家を嫌いに嫌っていた。正月に帰ればいい方で、それさえしない年も
あった。
私はあらためて二人をじっと見てみた。ずいぶん小さくなってしまったな。
私はこの時初めて、今回の東京訪問、実は旅行の方がついでで、両親は
病気になった私の様子を見に来たのだと気づいた。
両親にとっては、この10年、無理に無理を重ねているように見える息子の
方が「だいじょうぶなのか? 」だったのだ。
私は「オヤジ、オフクロ。体の方は大丈夫か」と聞いてみた。父は「お
母さんの脚はまあアレやが、俺はすこぶる元気や。小便もジャアジャア
出る。お前より出るぞ。今度見せたるわ」
この後父はトイレでホントに見せてくれた(笑)。やめなさいって。
私はちょっとしんみりし、「心配かけてスマンな」
「なあに、体が健康やったらそれでエエ」
「あんたは一つのことにバカみたいに熱中する所があるからねえ」
父と母はそれだけ言い、私たちはしばらく会話が途切れた。
隣のテーブルでは女子中学生2人が誰に遠慮することもなく笑い合い、
スパゲッティを口に運んでいる。
母が目を細めて「あの2人、たくさん食べとるねえ」
「仙人やU子(妹)やK子(妹)もあんな風やったな」と父。
鼻の奥がツンとし、思わず涙が出そうになった。
それから父と母を見送りに東京駅まで行った。父は新幹線の右側の席を
取れて大喜びしていた。
「行きは富士山がメチャクチャ綺麗やったわ。帰りは富士山、右側やからな」
オヤジ、どうせ真っ暗で見えんぞ、の言葉が喉元までこみ上げてきたが、
大喜びの父に言うのは忍びなく、やめておいた。
代わりに網入りミカンを手渡した。父は「お前が食え」
私は「ミカンだけ提げて中央線乗るのはアホみたいや」
父はそうか、と黙って受け取った。
「正月はちゃんと帰る」「おう、箱入りミカン買うとくわ」「気をつけてな」
「お前もな・仙人もね」
両親を乗せた新幹線がホームを滑り出し、私の今年の特異日が終わった。
正月には元気な姿を見せてやろう。そう誓う親不孝者なのであった。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
今年の11月3日は、自分の親不孝ぶりをしみじみ実感する日となりました。
次号は私の高校1年生の時の話です。私の話というより私のクラスの話
でしょうか。なんとなく切ないような、さわやかのような、そんな話です。
全4話で、4日連続で配信する予定です。お楽しみに。