「偽タケノコと愛人の子供のお守り(その5)」
京竹のトイレはちょっと暗がりにある。しかも和式だ。
もちろん和式といっても水洗なのだが、旦那様とその愛人との間に生ま
れた娘、愛ちゃんが、母親と住んでいる東京のマンションは洋式トイレだ
った。
子供を持っている方なら分かると思うが、3,4歳くらいだとまだトイレの
しつけが充分でないことが多い。
愛ちゃんは暗がりにある京竹のトイレをすごく怖がった。しかも初めて
の和式。
で、いつも私がトイレに付いていくことになったのだが、それだからと
いう訳ではないだろうけど、愛ちゃんはとても私によくなついた。
元々私には妹が二人いてお守りというものには慣れていた。そしてこの
メルマガでも度々書いてきた裸踊り(笑)でも分かるように、時々発動さ
れる過剰なサービス精神がここでも発揮され、とにかく手を変え品を変え
愛ちゃんを喜ばそうとしていたことも、よくなついてくれた原因だと思う。
色々遊んであげている中でも、現代っ子の愛ちゃんが意外に興味を示し
たものが「あやとり」であった。
実は私は少しだけあやとりができた。小さい頃、母が妹たちにしてあげ
ているのを見て、私もやりたがったのが最初だ。
愛ちゃんは私の手の中で次々と紡ぎ出される“橋”や“ホウキ”などの
あやとり技に目を輝かせ、「わたしも、わたしも」と毎日のようにせがん
できた。
京竹には竹カゴを縛るヒモがいくらでもあり、私も作業をしている時、
愛ちゃんが横でおとなしく遊んでくれているので好都合でもあったのだ。
そんな私と愛ちゃんの姿を見て、あの手厳しい旦那様が、
「愛は仙人によう懐いとる。とりあえず仙人にまかせといたら安心やな」
との賛辞まで口にするようになり、私は京竹で初めてと言っていいほどの
充実した時を過ごしていた。
が、好事魔多し。
事件は起こった。
その日は午後一番から旦那様と土川さんが市内に商談に出かけ、私と愛
ちゃんが留守を預かっていた。
私は庭の真ん中でナイフ片手に偽タケノコ作りに没頭し、私のすぐ後ろ
では愛ちゃんがあやとりをして遊んでいた…、はずだった。
物思いに耽っていたのはホンの数分だったと思う。突然イヤな予感に頭
を殴られハッと我に返ると、先刻まで背中に感じていた愛ちゃんの気配が
すっかり消えていた。私は全身を総毛立たせて振り返った。
愛ちゃんは煙のように消えていた。
頭に血が上るのと血の気が引くのが同時に起こる感覚というのはあのこ
とを言うのだろう。
「愛ちゃん…? 愛ちゃん! どこ? 愛ちゃんっ?」
呼んでも無駄だとなぜか直感しているのに叫ばずにはいられなかった。
返ってくるのは腹が立つほどの静寂ばかりだった。
考えるより先に私は家の中に飛び込んだ。なぜ家の中に?と思った時、
自分がトイレに向かっていることに気づいた。あまりの動揺に頭の方が後
から付いていってる感じだった。
「愛ちゃんっ? トイレなのっ? 」
返事も待たずドアを開ける。が、便器だけが阿呆のように口を開けてい
た。後にも先にもあれほどマヌケ面に見えた便器は初めてだった(笑)。
「愛ちゃーん!愛ちゃーん!」
探すというよりただ走り回ってるという感じで私は愛ちゃんの姿を求めた。
とにかく動いていないと得体の知れない恐怖に押しつぶされそうだった。
私はそのまま縁側から庭に飛び降り、スニーカーも履ききらないまま、
門前から道に飛び出した。道の左右、どちらにも愛ちゃんの姿はなかった。
何をどうすると決めないまま走り出す。口の中がカラカラになり、走り
始めたばかりなのに息が切れて苦しい。10メートルほど走ってまた走り
戻る。全く意味のない動きを繰り返す私の心臓は今にも破裂しそうだった。
警察…、いや旦那様に連絡するか、もしかして用水路に落ちた? それと
も線路で電車に…、 何で目を離したんだ! 次々と恐ろしい推測や後悔、
これからやるべきことなどが脈絡なく湧き起こってきて、まったく意思と
は無関係に目に涙が滲んできた。
と、向こうから近所のおばさんらしき人が歩いてくる。根拠のない希望が
一瞬差しこみ、私は猛然とダッシュした。
「あのっ、4歳くらいの女の子っ、見なかったですかっ?」
だがなぜかおばさんは息を呑んでいる。
『あっ』
私はその時になって初めて自分がナイフを持ったままであることに気づ
いた。おばさんの私を見る目は明らかに通り魔を見るそれであった。
「いや、その…、すいませんっ!」
私は全速力で逃げ出した。
とにかくナイフを戻そうと京竹に走る。そして門から庭に駆け込んだ時、
「愛ちゃんっ!!」
庭の真ん中にしゃがみ込んでいる愛ちゃんの姿が目に飛び込んできた。
「愛ちゃんっ、愛ちゃんっ」
にっこり笑って立ち上がった彼女に、
「愛ちゃんっ、大丈夫っ? どこにいたの?」
彼女は私の勢いに気圧されたように車庫の方を指差し、
「おヒモ探してたの」蚊の泣くような声で答えた。
「良かったぁー、愛ちゃん、良かったぁー」
私は腰が抜けたようにひざまづくと、そのまま愛ちゃんを抱きしめた。
確実にそこにある“命そのもの”の暖かみが全身に広がり、凍り付いて
いた血がいっぺんに溶け出すのを感じた。
が、それも束の間、愛ちゃんがしゃがみ込んでいた地面を見て、溶け出
していた血が再び瞬間冷凍されることとなった。
無残な切り傷の入ったタケノコが10本ほど、地面に転がっていた。
「私もタケノコ、つくったの」
屈託のない愛ちゃんの声に、私の偽タケノコ作業を毎日見ていた彼女が
自分も手伝ってみたくなったのだろうとの推測が頭をよぎったが、それも
新たな恐怖にすぐかき消された。
あと3,40分で旦那様が戻ってくる。
どうしよう。
3,4本ならともかく、10本もの予備タケノコはない。旦那様に事情を話
すか。でも、どのように?
愛ちゃんに刃物を使わせた→旦那様に殺される。
それよりなぜ愛ちゃんがタケノコを?→私がその場にいなかったから
なぜ私はいなかった?→愛ちゃんを探しに行ったから
なぜ愛ちゃんを探すことに?→愛ちゃんから目を離したから
つまり?→旦那様に殺される
どうしたって殺されるやん!( ̄□ ̄;)
またも考えるより先にキッチンの電話に飛びついた。
「大至急っ、タクシーお願いしますっ」
5分後、門前に到着したタクシーに私と愛ちゃんは乗り込んだ。
「タケノコ売ってるスーパーっ、とにかく近いところでっ」
「タ、タケノコて…、八百屋か何か?」
いかにも実直そうな運転手の当たり前の反応であったが、私は、
「とにかく、とりあえず出してくださいっ」
運転手はこの汗みどろ男の妙ちきりんなリクエストに、訝りながらも応
えてくれた。
走り出したタクシーの中、私はとうの昔にオーバーヒートしてしまって
いる頭を無理矢理フル回転させ始めた。
代わりになるタケノコは見つかるのか、見つかってもクロネコヤマトが
取りに来る前に商品をすべて完成できるのか、いやそれよりも旦那様が戻
ってくるまでにこっちが戻って来られるのか。
どこかにお出かけするものと思い込み、大はしゃぎで窓にへばり付いて
いる愛ちゃんを横目にしながら、私は自分が経験する一番長い日になるで
あろうことを覚悟した。
つづく
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
皆様〜、申し訳ないです〜。。・゜゜⌒(TOT)⌒゜゜・。
最終回も2号に分けてしまいました。お、お許しください〜m(__)m
なぜにワシはこんなに力を入れてこの話を書いてるんだろう(@_@?)
ただけっこう評判はいいようで、それが救いです。
次こそホンモノの最終回です。もう半分ほど書いてますので確実です。
あさってか、明々後日配信する予定です。
しかし笑い話をする時は時効も考えて、昔の話をすることが多いんですが、
もしかしたら京竹は今でもまだ営業してるかもしれんのう。
もしそうなら、思いっきり営業妨害してる気がする(笑)。