[2002/5/21]

偽タケノコと愛人の子供のお守り (その4)

 



「偽タケノコと愛人の子供のお守り (その4)」

 旦那様は毎月、延べ1週間ほど東京出張に出かける。

その期間というのは、鬼のいぬ間の洗濯、の言葉どおり、京竹で働く人間
にとってまさに命の洗濯をする期間で、特に番頭の土川さんのリラックス
ぶりがひどかった。

 土川さんは和歌山の実家が会社を経営しているいわゆるお坊ちゃんで、
彼の父親はいずれ会社を継ぐことになる息子を古くからの親友である旦那
様に預け、会社経営とはいかなるものかを学ばせようとしていた。

 昔でいえば奉公というやつだ。京都の大学を卒業して7年、旦那様に
丁稚のように付いている。

 それにしてもあの旦那様に付き従えて7年か…。まだ30にもなってい
ない土川さんの頭頂部の理由が分かるような気がした。

 「しかしあのジイさんもよくやるよなあ」
 ソファにだらしなく寝っころがり、床に灰が落ちるのも構わずタバコを
くゆらせる土川さんの姿が目の前にあった。

 “じいさん”という言葉に軽い驚きを見せた私を気にすることもなく、
土川さんは紫煙を天井まで吹き流し、

 「仙人、ジイさんって東京行った時どこ泊まってると思う?」
 「さあ…、ホテルじゃないんですか」
 「ちゃうちゃう」

 土川さんは大げさに手を振って起き上がると、わざとらしく声を潜め、
「旦那様な、東京にコレ囲ってんねん」と、小指を立てた。

 「え?そうなんですか?」「そうや。しかもな、子供まで作ってもうた
んや」「ほんまに?」

 そういえば旦那様の奥さんに関しては不思議と記憶がない。土川さんが
旦那様の身の回りの世話をしていたからもう亡くなっていたのだろうか。
それとも別居中だったのだろうか。なぜかその辺の記憶があいまいだ。

 ただその東京の女性にはマンションを買い与え、毎月それなりのお小遣
いを渡していたということなので愛人ということには間違いないのだろう。

 「せやけどあのじいさん、もう65越えてんねんで。子供つくるのに男は
トシ関係ないっちゅうけど、ホンマやなあ」「…」

 そこで土川さんは喋りすぎている自分に気づいたのか、ハッとし、

「仙人、このことは内緒やぞ。それから俺がジイさんって呼んだことも」と、
人差し指を口に当てた。今日の土川さんの小指や人差し指は大忙しで
あった(笑)。

 だけど土川さん、「仙人は彼女おるんか」って小指立てないでください。
私の恋人は愛人じゃないんだから(笑)。

 それから3日後。旦那様が出張から帰ってきた。

 3日前のあのだらけた姿はどこへやら、門前で「おかえりなさいませっ」
と腰を90度に折り曲げた土川さんの横を旦那様の車がすり抜け、庭の中
央で停まった。と、すぐに助手席のドアが勢いよく開いて4,5歳の女の子
が飛び出してきた。 

 「愛ちゃ〜ん、愛ちゃぁ〜ん、これこれ、走っちゃ危ないよ」

 女の子の後をネコなで声の旦那様が追う。女の子はキャッキャッと嬉し
そうにそこら中を走り回り、偽タケノコを作っていた私のところにもやっ
て来た。

 とろけそうな顔をしていた旦那様の顔色がサッと変わる。
「仙人っ、愛ちゃんがケガしたらどうするんや!刃物なんかしまえっ!」
「はっ、申し訳ございませんっ」

久々の旦那様の怒声に急いで小刀をしまおうとしたが、よく考えたら小刀
無しでどうやって偽タケノコ作るねん。

 これが旦那様と愛人との間に生まれた娘、愛ちゃん(4歳、仮名)との
初めての出会いだった。

 いかなる事情があったか分からないが、その日から一ヶ月ほど愛ちゃん
が京都で過ごすことになり、私の仕事にそのお守りが加わった瞬間でもあ
った。

 とにかくあの旦那様の愛娘なのである。その宝物になにかあったら…。
考えるだけでも恐ろしいプレッシャーの日々が、バイトの残り2週間を
切ったこの日から始まった。

つづく

 

 

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