「偽タケノコと愛人の子供のお守り (その3)」
京竹の仕事は5時までということになっている。だがクロネコヤマト
での発送を完了すると、大体4時過ぎには主な仕事は終わる。
それから5時まではほとんど仕事がない。じゃあその間何をしているか
というと、旦那様の説法タイムが始まるのである。簡単に言えば旦那様
の「仕事とは何か」「人生とは何か」という語りタイムが始まるのだ。
それを聞くのも京竹での重要な仕事のうちで、旦那様はコップ酒片手に
朗々と謳い(うたい)あげるように自分の立身出世を語る。
その間、土川さんと私は絶妙のタイミングで相槌を打ったり、灰皿を取
り替えたり、お酒を注いだりしなければならない。4時からの1時間、私は
“ホストクラブ京竹”のホストであった。
まあ、旦那様の説法といってもだいたい詐欺話なので(笑)それなりに
おもしろくて毎日5時ちょっと過ぎくらいまで付き合っていた。
それが終わるとようやく帰宅であるが、実はその前に最後の最後の仕事
が待っている。皆さんは覚えておられるだろうか。面接の時、私のバイク
通勤を知った旦那様がニヤリと笑ったことを。
それは初日から炸裂した。
帰り支度をし、日も落ちて暗くなった車庫に行くと誰かが私のバイクの横に
立っている。ギョッとして目を凝らすと旦那様だった。
闇に塗り込められたその表情までは分からなかったが、口元に白いもの
がのぞいていることから微笑んでいるようだ。
そしてさらに目を凝らしてみると、旦那様の両手にはペンチだのレンチ
だのドライバーだの、様々な工具が握られているのだ。
『なんだろう?』
思いつくまま考えられる限りの可能性を頭に結んでいると、突然、旦那
様が私のバイクに取り付き、何と! エンジンのボルトを外そうとし始めた。
『!!』
「ちょちょちょちょっと、旦那様、え、え? 何ですか」私は動揺し、
バイクに走り寄った。
旦那様は一旦手を止め、私をじっと見つめた。だが私がそれ以上何もし
ないでいると、ええい、察しの悪い奴めとばかり、またバイクに取り付いた。
「うわわわわ! 旦那様、ダメです! 」
しかたなく私が旦那様の腕を抑えると、ようやくちょっと満足げな表情に
なった旦那様が、
「仙人、バイクを分解されたくないか」「は、はい。それはもう」「そうか。
じゃ、今日のところは勘弁しといてやるか。気をつけてお帰り」
は?
狐につままれたような私をそこに残し、旦那様は家に戻っていった。
「出たぁー、旦那様のバイク壊し! 」
韓国旅行を楽しんでいるY沢君が、国際電話の向こうで膝を打って喜
んでいた。
「仙人、これから毎日毎日やられるぞ」
Y沢君によるとそれは一種のおふざけというかお遊びみたいなものらし
かった。旦那様がバイクを分解するマネをするのでそれに対して命乞いの
姿を見せなければならないのだという。
何じゃ、それは。Y沢君はそんなバカみたいなことを毎日してたの?
だがそこで真剣に相手をしないと、旦那様の機嫌が悪くなって本当にバ
イクを分解してしまうのだという。
じゃ、全然おふざけじゃないやん!(笑)
確かによく考えれば他にも思い当たるフシはあった。例えば毎日のよう
に繰り広げられるクロネコとの値段交渉。
ペリカンに乗り換えるぞと脅され「それだけはご勘弁をーっ」と動揺する
クロネコの担当員を見る旦那様の喜悦に満ちた顔って、明らかに普通じゃ
ないもんな。
どうやら旦那様は、毎日誰かを勘弁したくてしょうがないらしいのである。
しかもY沢君によると大げさに命乞いすればするほど旦那様は大喜び
なのだという。
なので私も次の日から帰りの車庫でそれを実践するハメとなった。
ちょっと気弱な笑顔を浮かべて「そ、それだけは勘弁してください」と
懇願してみたり、瞳をウルウルさせた深刻な顔で「本当に本当に、もう、
おねがいですから」と泣きベソをかきながら腕に取りついてみたりと、様々
な芝居を試みた。
するとその度に旦那様は狂喜し、毎日「今日のところは勘弁しておいて
やるか、今日のところは勘弁しておいてやるか」と、いつになったらホントに
勘弁してくれるんだろうとツッコミたくなるくらいノリノリになり、さらにタイヤを
パンクさせるしぐさなどを追加して、私に新たなコラボレーションを求めてくる
のだった。
なんだか毎日毎日SMプレイをしているような気分になってきて、一体
俺はここで何をしているのか、と自問自答せずにはいられない夕方のひと
ときなのであった。
うーむ、というか旦那様はホントにSなのかもしれんな(笑)。
それなら「堪忍して」とか言わされなかった分だけまだマシだと考える
べきか(笑)。
しかし私もこの世に生まれて30有余年。様々な人間の様々な奇行を見
てきたが、1日の最後に締めくくられる、この老人の奇行っぷりほど際立
ったものはなかった。
ヘレン・ケラーが奇跡の人なら、旦那様は、奇行の人、であった。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
すぐに次号を配信します。もともと今号と次号は一つの号だったんですが、
区切りがいい場所で分けて配信することにしました。