「偽タケノコと愛人の子供のお守り (その1)」
私が学生時代を過ごした京都という街は日本で有数の観光地であるとと
もに、学生の街でもある。
そこには京都ならではのバイトというものが存在し、多くの学生が陰に
日なたに従事している。そして会社の中には学生が貴重な働き手として
数えられ、社長以外はすべてバイトという所も少なくない。
今回の話に登場する会社もまさにそんな感じで、社長と番頭(ホントに
番頭という言葉がふさわしい。それは後で分かります)の他は2,3人の学
生バイトだけで商いをしていて、会社というより家内制手工業と言ったほ
うがいいようなところだ。
そこで私は非常に面白い仕事と面白い人に会った。その仕事というのは
タイトルのとおりなのだが、何のことか分からないと思うのでさっそく書こう
と思います。
私が大学3年になる直前の春休みだからちょうど今くらいの季節だ。
事の始まりはこのメルマガでも度々登場してもらっている高校からの親友
Y沢君が「仙人、いいバイトがある」と持ちかけてきたことだった。
彼は春休みに韓国旅行を計画していてその資金かせぎに短期のバイトを
入れていたのだ。
「俺の後釜を誰か紹介せなアカンのや。で、仙人を推薦しようかと思って」
唐突な申し出に私がいぶかしそうな顔をすると、
「いや、ほんっとに良いバイトやから。メッチャ楽やしコーヒー飲み放題
やし昼飯代もちゃんと出るしっ」
スゴイ勢いで良いバイトと力説しているわりには彼の表情は明らかに
追い詰められている者のそれであり、額面どおりのバイトでないことは
一目瞭然であったが、比類なき貧乏学生で、しかも3回生になればサー
クル活動が忙しくなりしばらく長期のバイトが入れられない私も断るまで
の決心がつかず、イヤな予感に後ろ髪引かれながらもとりあえず引き受
けることにしたのだった。
次の日、鞍馬山に向かう京福電車に私とY沢君の姿があった。バイト
の面接には紹介する人間も立ち会わなければならないとのことであった。
そんなバイト、聞いたことがなかった。
「でな、仙人、とりあえず言葉づかいだけは気をつけてほしいんや。これ
から会う社長、60過ぎの爺さんなんやけど、とにかく礼儀にめっちゃ厳
しい人でな」「厳しい?」「敬語はもちろんやけど、なんて言うか、社長の
ことも社長って呼んだらアカンねん」「どうやって呼ぶん?」
Y沢君はちょっと真顔になると、「ダンナ様って呼ばなアカンねん」
「旦那様ぁ〜?」「そうやねん」「ちょっと待て、そこ、どんな会社や。
確か、」
昨日の彼の話によれば、接待などで使うちょっと高級なお土産を扱って
いる会社と聞いていた。
「詳しいことは行けば分かるから。とにかく旦那様やで、な、頼むで」
「…」
なぜか昨日から重要な情報を小出しに小出しにするY沢君であった。
そうこうするうち電車は目的の駅に到着し、案内され着いた先はごく普通
の民家だった。ここが会社?
Y沢君は奥の玄関ではなく、真正面の縁側からサッシを開け家の中へ声
をかけた。
「Y沢です。私の後任を連れて参りました」
すると中から27,8才の男が顔を出した。「おー、Y沢。ま、入れ入れ」
と笑顔を向ける。どう見てもこの人は旦那様ではないな。
縁側から中へ入るとそこはキッチンだった。新聞やら調味料やらポット
やらが乱雑に載ったダイニングテーブルに3脚ほどのイス、それに冷蔵
庫、ガス給湯器、適当に散らかった流し、食器棚。
どこからどう見ても普通の家庭のキッチンだった。
さっきの27,8才の男が奥の部屋から戻ってきた。そしてやおら正座す
ると両手を床に付き、
「京竹(会社の名前、仮名)の土川(仮名)でございます。本日はお忙し
いところお手間を取らせて申し訳ございません」
と、深々と頭を下げる。ほとんど土下座である。
「い、いえっ」面食らった私もあたふたと正座して頭を下げる。
「せ、仙人でござ、ござり、ございます」と、妙ちきりんな敬語で返す。
土川さんは名刺を渡す時また深々と頭を下げた。彼の頭頂部はハゲあが
っていた。サッカーフランス代表のジダンみたいだ。
それから土川さんは一通りの仕事内容などを説明し始めたが、5分と経た
ないうちに奥の階段を下りてくる足音が聞こえた。土川さんとY沢君の表情
がサッと緊張する。
旦那様の登場だった。確かに齢六十を越える老人であった。俳優の柳生
博にちょっと似ているか。どうやら昼寝をしていたようで白髪が跳ねている。
それにステテコ姿だ。
礼儀礼儀というわりには…、であったが、その眼光は鋭く、キッチンが威圧
の空気に満たされる。
旦那様がテーブルの上の煙草に手を伸ばした。即座に土川さんが灰皿を
貢物のように差し出す。が、すぐに顔色が変わり、
「申し訳ありませんっ。吸いがらが残ってましたっ」と流しへ行って灰皿を
洗い始めた。なんか猛烈に丹精こめた洗い方である。その背に旦那様が、
「おうっ、土川、名前は何て言うんや」
「○○大学の仙人です」
「○○か。Y沢と同じやな」
旦那様は私に「仙人はコーヒー飲むんか?」「はい」
「Y沢っ」
「へいっ」
「仙人にコーヒーを入れてやれ」
「ヘイ」
『ヘイ?』私は心の中で『なんちゅう返事しとんねん』と吹き出しそうに
なったが、Y沢君は構わずポットを手に取る。
今まで見たこともないような人間たちの姿であった。私は修行僧の
ように黙々と作業する土川さんとY沢君の姿を見て丁稚(でっち)という
言葉を思い出した。
コーヒーを入れ終わったY沢君が自分の席に戻ると旦那様が「Y沢、
紹介せい」と腕組みをして目をつぶった。
「ハイ」Y沢君は一つ小さく咳払いをして口を開いた。
「それでは私の後任に仙人を推薦する理由を述べさせていただきます。
えー、仙人は私の高校時代からの親友でありまして、とにかく真面目で
責任感が強く皆に慕われ、高校3年の時には私とともに生徒会役員も
務めていました」
『 ! 生徒会役員?俺とY沢が?』
初耳であった(笑)。
その後もY沢君は目を丸くする私をよそに恥ずかしげもなく美辞麗句を
並べ立て、私がいかに京竹にふさわしいかを力説した。
なるほどY沢君が今日一緒に来たのは私の推薦理由を言うためだったのだ。
それがこの会社の決まりらしい。しかし推薦理由、大ボラやんか(笑)。
自慢じゃないが高校時代の私たちは真面目な生徒会役員どころか、自転車
で下校する途中、近くの短大から出てくる短大生たちを追い抜きざま奇声を
浴びせかけてどちらがより彼女たちを驚かせることができるか、またある時は、
サドルの上に浮かせた腰を高速で前後に振りながら「セックスマシーン!」と
絶叫してやはりどちらがより驚かすことができるか、今から考えれば全く意味も
訳も分からない度胸試しなどをして遊ぶいたずら坊主だった。
どこが生徒会やねん(笑)。
目をつぶってY沢君の口上を聞いていた旦那様は満足とも不満足ともいえる
表情で腕組みを解いた。「大体、分かった。まあ、エエやろう」
コーヒーを一口すすり、旦那様は静かに、だが腹に響く声で話し始めた。
「ええか、仙人、これだけは言うとくぞ。お前が今までどんなバイトをし
てきたかは知らん。だがな、そんなもんはウチに比べたらお遊びや。この
世で一番アホな仕事教えたろか。ハンバーグとチキンや。ああいう決まり
ごとを繰り返すだけのもんは牛や馬の仕事や。人間が腐る」
どうやらマクドナルドやケンタッキーのことを言っているようだと気づいた時、
旦那様の声がひときわ高くなった。
「Y沢から聞いとると思うがウチは基本的な決まった仕事の他にも色々や
ってもらうで。電話番はもちろん、お客様との折衝、雑用、とにかく仕事は
なんぼでもある。仕事は自分で見つけるんや。ボーッとしとる暇なんてあら
へん。朝は30分早く来て家の掃除や。便所掃除だってあるで」
『べ、便所掃除?』
私はY沢君を見た。Y沢君はアサッテの方を向いた(笑)。
その後、土川さんがバイトの勤務条件を説明した。時給800円、勤務
時間は朝8時から夕方5時まで。遅刻は10分ごとに1000円の罰金。
1時間遅刻すれば食事代を残してその日のバイト代はほとんど吹っ飛ぶ
計算だ。
そのバイト代は原則として週払い、そしてこれが特異なのだが辞める時
自分の後任を紹介できなかったらその週の給料は払わないという契約だっ
た。
なるほど昨日のY沢君の死に物狂いはそういうことか。私はまたY沢君を
見た。Y沢君は私と目を合わそうとしなかった(笑)。
私は早くも頭の中で自分が辞める時の後任人選のソロバンを弾いた。
帰り際、旦那様が私に尋ねた。
「仙人は明日電車で来るんか」「いえ、バイクで伺おうと思っております」
「そうか、バイクで来るのか」
旦那様がこの日初めて笑った。ニヤリと笑った。
私はその訳を翌日知ることになる。
帰りの駅、私は思いっきりY沢君に悪態をついていた。彼は平謝りだった。
だが私も当時付き合っていた彼女のことで彼には借りがあるので(vol:016)、
あっさり許してやった。
私はふと引っかかっていた疑問を彼に投げかけた。
「なあ、旦那様に返事する時って、『へい』って答えなあかんの?」
「え? 何のこと? 」
「だって、Y沢、返事する時、」
「えー?俺、『へい』なんて言ってへんで」
何と彼は自分が「ヘイ」と受け答えしていたことに気付いていなかった。
私はY沢君の顔をマジマジと見つめた。
Y沢君は私の顔つきを仕事への不安と受け取ったのか、
「大丈夫やって、仙人。とにかく礼儀にさえ気をつければ楽勝やから」と
カラカラ笑った。
昨日とはうって変わった彼の晴れ晴れとした表情は、明後日旅立つ韓国旅
行への期待感から来るものなのか、それとも無事いけにえを捧げ終わった
開放感から来るものなのか、胸に不安の水紋が広がり始めた私には判断も
想像もつかず、その後はただ、まるで自分の心の内を引き写したかのよう
な京都北山の曇り空をジッと眺めている他ないのであった。
つづく
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
久しぶりの配信となってしまいました。すいません。
この1ヶ月、個人的に3月危機でかなり忙しく、また例のみずほ騒動に
も巻き込まれてテンテコ舞いでした。
それと今号が50号ということで記念にかなり力を入れた話を書いていた
んですが、それが自分にとってかなりヘビィな内容ですっかり落ち込んで
しまい、書けなくなってしまいました。
この1ヶ月で10号ほど書いた気分です。やつれました(笑)。
で、今回の話に変更です。といっても別に軽く書いてるわけじゃないんで
すが(汗)。楽しい話にしようと思ってます。