[2002/2/21]

仙と仙人の神隠し

 



「仙と仙人の神隠し」

 去年、日本の映画館を席巻した日本映画があった。
宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』である。

 平凡な十歳の少女、千尋が不思議な異世界に迷い込み、そこで様々なの
っぴきならない現実と直面しながら生きる力を獲得していく物語なのだが、
実は私も同じような体験をしたことがある。

 といっても本当に神隠しにあったとかではもちろんないし、生きる力も
あまり獲得していないかもしれない。

 江東区新砂。ここに現代の神隠し伝説がある。それより南には夢の島と
東京湾があるだけで関係者以外一生行くこともないであろう工業埋立地、
陸の孤島という表現そのままの東京から置き忘れられたかのようなこの僻
地には、日本通運東京配送センターというまるで映画の中に出てくるお湯
屋のような建物がある。

 今からたかだか4,5年前、私がとんでもない経済状況の中、生き地獄の
ような毎日を過ごしていたことはこのメルマガでもチョロチョロ書いたこ
とがあると思う。

 毎日ホワイトカラー、ブルーカラーの仕事を区別なくやり、その日のう
ちになにがしかのお金を得なければ身の破滅というギリギリの攻防。

 様々な肉体労働を、学生の時みたいに生活費の足しや遊興費のため片手
間にやるのではなく、それこそ命をつなぐ生命線として頭までドップリ浸
かっていた時期。

 そんな時期、昼間は派遣としてホワイトカラーをやり、その後夕方から
翌朝まで従事したのが宅急便の仕分けという肉体労働だった。

 とにかくこの仕事をやる人間でまともな人間は一人もいない。皆それぞ
れに何らかの事情を抱えており、その事情も経済的なことはもちろん社会
的事情であったり精神的なものであったりとまさに百花繚乱だ。

 例えば最初に出す履歴書。ココでの履歴書とは経歴を見るためのもので
はなく、ただ単に日本語が書けるか、読めるかだけを見るために提出させ
るものだ。

 そんなバカな、と思うだろう。仮にも日本人しか雇わないのに日本語が
読めるかどうかなんて。

 だが実際私は一緒に働くことになった男に「東京都渋谷区」の読み方を
聞かれたことがあるのだ。しかも彼は40歳代後半である。

 文盲という言葉は知識としては持っていたけど、実際それに近い人間に
会ったのは後にも先にもこの場所以外にない。

 雇う側にすれば最低でも東京23区、全国47都道府県の漢字が読めて
手足の自由が利く男なら誰でもいいし、一緒に働く連中も必要以上に他人
の過去やプライバシーに首を突っ込まないのがココでの暗黙のルールだ。

様々な事情を抱えた人間が流れ流れてたどり着き、息をひそめて澱(おり)
のように吹き溜まっている場所、それが江東区新砂日通配送センターとい
う場所の真実である。

 私はここで1年近く仕事をした。血ヘドを吐く毎日だった。
昼間仕事がある日は電車の中で仮眠をとり、部屋に戻れる時でも3時間
くらいしか眠れない。眠るというより気を失うといったほうが正確か。10
日に1日と決めていた休日はかならず原因不明の高熱で寝込んだ。

 具体的な仕事の内容はこれから機会あるごとにおいおい書いていこうと
思うが、そのキツさは例えれば全力疾走で42,195キロのマラソンを走る、
といった感じだ。

 作業を始めて5分とたたないうちに肩でゼエゼエハアハア息をし始め、
冬でもバケツで水をかぶったような汗、夏は日本通運の水色の作業着がす
ぐに真っ青な藍色に変わる

 そのペースで夕方6時から翌朝8時までの14時間、ぶっ通しで作業す
るのだ。

 本来体を休ませるリズムになっている夜中にそれだけ体を酷使するのだ
から健康に良いわけがなく、作業員は皆、ドス黒いとも青白いともいえる
顔色をしていた。

 長く働いている人はまず間違いなく腰やヒザを痛め、サポーターを巻き
ながらの作業である。

 そして本当に様々な人間に出会った。

 外づらはイイが、異常にプライドが高くスキあらば仕事をサボろうとす
る、明らかに学校をクビになった元教師。彼の口癖は「俺は世の中のこと、
全部見抜いてるから」キ○ガイだった。

 60近いおじいさんであまり体が動かず足手まといになり皆からとても
嫌われていたが、少なくとも私にとっては命の恩人だった人。

 前にも書いた、中学卒業後フラフラしていて仕方なく日銭を稼いでいる
前歯がシンナーで溶けて無くなってしまっているアンちゃん。

 10代から50代、暴力団風、サラリーマン風、学生風、茶髪、金髪、ロ
ン毛、坊主、タトゥー(というより刺青か)、何でもござれだ。

 私が普通に人生を歩んでいれば会うことのなかったであろう人々。映画
で言えばお湯屋にいるあの妖怪のような従業員や神様たちだ。

 ちなみに私もその頃、肩まで髪があった。だが俗に言うロン毛ではない。
ロン毛というのは「伸ばした髪」のことを言うのであって、「伸びてしま
った髪」はただ単に髪を切るお金がない極貧人である(笑)。

 その頃の私のキーワードは一言で言えば「やるしかない」だった。それ
はお湯屋で働かせてもらえなければ殺されてしまう状況の千尋が「ここで
働かせてください! ここで働かせてください! 」と、必死に女主人に
頼みこむあの心境だ。

 彼女は働かせてもらえるようになったら、あとはもうやみくもに働く。
おにぎりを泣きながら食べるくらい辛くても、ただやみくもに働く。体を
動かす。

 そうやって彼女はドンドンたくましくなっていくのだが、逆に私はあの
仕事でドンドン体が悪くなっていったねえ(笑)。

 でも当時の私にとってもあの仕事は生きるか死ぬかの、まさにお釈迦様
の垂らしてくれた蜘蛛の糸だった。ただやみくもにやるしかなかった。

 そして尊敬などできない人ばかりの中でも、1人2人の素晴らしい人間
にも出会った。人間というものの本当に深い、大きな根幹の部分を見せて
くれた人に。

 その時の色々な具体的エピソードや感じたことなどは、これから機会あ
るごとに「仙と仙人の神隠し」の号で面白おかしくまた真面目に書いてい
ければと思います。実は今日はそのプロローグを書いたつもりです。

 そしてもう一つ。

 人間というのはつくづく「習慣の動物」だと思う。いい習慣も悪い習慣
もそれを続けていくうちに慣れていってしまう。

 あの頃に比べたら格段にマシになったものの、私は今でもけっこう苦し
い生活を続けている。だが一方でその苦しい状況に慣れてきてしまっても
いる。

 本当はそんなものに慣れてしまってはいけないのだと思う。

 よく手段と目的の逆転という言葉を聞く。

 夢をかなえる目的でも、家族を支える目的でも何でもいいのだが、そう
いう目的を達成するための、手段としての苦しい状況。
 それがいつのまにか、“苦しい状況に耐えること自体が目的”になって
しまっていることがある。

 この手段と目的の逆転はサラリーマンをはじめ、どんな生活を送ってい
る人でもけっこう身に覚えがあるのではないだろうか。

人は苦しさでさえ、それが“馴れ親しんでしまった苦しさ”であるならば
積極的に抜け出す努力をせず、それに安住しようとすることがあると思う。

 私はあの頃があまりにシンドかったので、そこから抜け出しただけでこ
の1,2年はホッと一息ついている。だが当たり前のことだがまだ何も成し
遂げてもいないし、それどころか苦しい生活から脱してもいない。

「やるしかない」のだろう。とにもかくにも。今、これから。そしてただ
やみくもに。


☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆ 

全くの偶然なのですが、今号を書いてたら『千と千尋の神隠し』がベルリ
ン国際映画祭のグランプリを取ったというニュースが飛び込んできました。

記者の「この賞がこれからの創作活動に影響を与えることは?」の質問に、
監督、即座に「ありません」
そして一瞬おいてからニコニコニコーッと笑顔。

私、彼のこの人を食ったようなタヌキ笑顔が大好きなのです。

 

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つぎ

 

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