「あけまして… (後編)」
「お父さん、やめなさい!」
「やかましいっ、大丈夫や!」
遠くで罵り合いの声がする。
う〜、ノドが痛い。鼻がつまって息ができん。唇がカサカサに乾いて
ひび割れてる。血の味がする。気持ちわりー。
トントントントン。
誰かが階段を上がってくる。目、開けたくねえ。スシ食いたくねえ。
ドアが勢いよく開いた。「兄ちゃん、お父さんが!」
私は飛び起きた。途端に「スシ食いねえ!」「ワインでも飲むかい?」
シブがきと河村隆一が目に飛び込んでくる。気を失いそうになる。
「兄ちゃん、お父さんが」再び母の声。
「また倒れた?!」と私。「じゃないけど、でも倒れそうで。もう、
お父さん、ちっとも言うこと聞かへん。ちょっと言ってやって」
今度は何が起きた? ドキドキしながら手早く身支度した私は階段をヨ
ロヨロ降りると、玄関の戸をガラリと開けた。
ウッ。一瞬白い光に包まれ手をかざす。
何もかも真っ白だった。門も木も向かいの家も道路も山も、目に入るもの
すべてに雪が、3,40センチはあろうか、器用に積もっていた。
門前にはスコップがささった雪山、その脇には雪に半分埋もれかかった
車。その傍らに父が膝をついてしゃがみ込んでいた。
「オヤジ…、」おそるおそる声をかけてみる。
「おう、仙人」振り向いた父の顔は真っ赤で汗だく、しかも肩で息をして
いる。
だが一瞬息を飲んだのも束の間、よくよく見ると父はチェーンを装着す
るため車をジャッキアップしていたのだった。
父はハアハア言いながらジャッキのハンドルを回し続けている。聞けば
母が止めるのも聞かず、朝から2時間ほど家の前の雪かきもしていたら
しい。
寒い中での脳溢血。これが高血圧の典型的なパターンだ。
「オヤジ、ちょっと貸せや」私はジャッキハンドルを取ろうとした。
父は「大丈夫や」と言ってなかなか渡そうとしない。
「エエから、貸せや」強引に奪い、私はジャッキを上げ始めた。しゃがみ
込みながらの作業は思ったより重労働だった。
すると父は今度はスコップを持って車の反対側に回り、雪かきを始めた。
「お父さん、いい加減にして!また昨日みたいに倒れたらどうするの!」
母が怒る。「うるさい!昨日は一酸化炭素中毒なんや!」
夢うつつに聞こえた罵り合いはこれか。私はジャッキアップを終えると、
「俺がチェーンやるから、家ん中に入っとけや」
父は聞こえているのかいないのか黙々とスコップを振るっている。
ジャッキハンドルやスコップをなかなか渡さないそのかたくなな姿は、
まるで自分の誇りを奪われまいとしているかのようにも見えた。
仕方ないので「オヤジ、チェーンの着け方が分からんから、ちょっと教
えてくれ」とエサをまいてみると、「なんや、そんなことも分からんのか、
情けない奴め」と、嬉々としてこっちへ来た。ひっかかった。浅はかな奴
め(笑)。
ところがこのチェーン装着、渾身の力を使うものすごい力作業だった。
熱が39度まで上がり、しかも空きっ腹、鼻も詰まって呼吸もままならな
い私は全く力が入らず、結局二人で作業をした。
二人とも雪ぞりの犬のように、ハアハアゼエゼエと白い息を吐いた。
半病人父子であった。
そしてこの作業で完全にダウンした私は、この日一日中“隆一の間”で
寝ても悪夢、覚めても悪夢という半覚半睡を繰り返すこととなった。
年が明けて3日。おめでたいどころか何か着実に悲惨になっていく私
であった。
「お父さん、絶対一人でやったらダメだからね!すぐ仙人呼んでくるわ」
遠くで母の声がする。う〜、ノドが痛い。息ができん。血の味がする。
トントントントン。誰かが上がってくる。目、開けたくねえ。スシ食い、
「兄ちゃん、お父さんが!」
私は飛び起きた。「スシ食いねえ!」「キャビアでも食べるかい?」
すぐにシブがきと隆一が問い詰めてくる。目がグルグル回る。
事件だった。今日1月4日は仕事初め。父は朝、昨日チェーンを着け
た車で家を出たそうなのだが、3キロくらい離れた人気のない農道でチェ
ーンが外れ、立ち往生しているらしい。たまたま母が父の携帯に電話して
分かった。
「オヤジ、どこや。絶対一人でチェーン着けるなよ」ガラガラ声で怒鳴る。
父は「時間がない。来るな。一人でやる」
私は舌打ちするとふらつきながら急いで身支度した。PHSをポケット
に入れ、キッチンからバナナを1本失敬するや小雪ちらつく白銀の世界
へ一気に飛び出した。
歩道の雪は半解けだったが凍っているので何回も転びそうになる。
私はバナナをかじりながら及び腰で走った。雪ゴリラであった。
途中から農道に入るとまわりは田んぼで見渡す限りの大雪原だ。どこに
もピントが合わず目まいがしてくる。時折ヒザに手をついて休む。
しかし何で私は正月早々病身にムチ打って雪中マラソンをしているのか。
たまたまトレッキングブーツを履いて帰省して良かった。ただ本当にトレ
ッキングすることになるとは思わなかったが(笑)。
1時間近くかかってようやく現場に到着した時、父は運転席で休んでい
た。案の定チェーンを途中まではめている。
父は豪語したのに休んでいたのが恥ずかしかったようで「お前に何回も
電話したけど全部留守電やったぞ。その携帯、アホみたいな奴やろ」「そ
の点、俺の携帯は強力やぞ」とか訳の分からないカラ元気を吹いていた。
私はアンテナも3本立ってるし、ちゃんとつながるはずやと反論したが、
父は「いーや、何回かけても留守電やった」と譲らない。
私は「ちょっと貸してみ」と父から携帯を受け取ると送信履歴を見た。
「…」
父は、東京の私の部屋に電話していた。
ア、アンタなあ、いくら携帯オンチでも東京に電話してどうする。
「オヤジ、これ、東京にかけてるぞ」
「よし、チェーン頼む」
オイオイ、携帯の話は打ち切りかよ!?
私はジャッキを上げながら、もしかしたら父は本格的にボケ始めたんで
はなかろうかと真剣に考えていた。
それから何とかチェーンを着け直し仕事に旅立った父を見送った私であ
ったが、それが限界だった。
小雪ちらつく中、青白い顔で来た道をフラフラ戻る私はまるで男雪女の
ようで、「俺の2002年はもうダメだ。早く2003年になってほしい」と、
起きながらにして寝言を唱えていた。
しかし昨日といい今日といい、父と二人で何か作業するのはいつ以来だ
ったろう。
ここ数年、私は父との関係が悪かった。いや、ここ数年だけではなく、
実は一緒に暮らしている頃は気付かなかったが、私は家にいてあまり安心
したことがなかった。そして誰より父親を憎悪していた。自分の中のそう
いう感情に気付いたのは20も半ばを過ぎてからのことだ。
徹底的に周りを全否定することで自身の脆弱な自尊心を支え続けてきた
父と、その父を受け入れるためもの心ついた時から徹底的に自分を切り刻
み続けてきた私。
その関係はあまりに複雑で特殊で膨大すぎて今は詳しく書けないのだけ
ど、とにかくこの数年は私の自覚も相まってかなり険悪なものだった。
ところが去年あたりからだと思うが、その関係性が少し変わってきたよ
うな気がする。こうやって父のことを笑いといたわりの視線で書けるよう
になったことがその証だと思う。
お互いの何が変わったわけではない。でも確実に何かが変わってきている。
それはあたかも今耳元でチリチリと舞い散る雪が、時に氷となり、雨に
変わり、水蒸気となって霧になり、そして雲になるという、元は“水”と
いう本質は変わらないのにその姿かたちは刻一刻と変わっていくような、
そんな感じかもしれない。
父の本質、私の本質はこれからも変わらないだろうと思う。だがその関
係は自分で意識するよりはるかに刻一刻と姿を変えていっているのかもし
れない。そしてそれは親子関係のみならず、恋人、友人、夫婦、すべての
人間関係にも言えることだろうとも思う。
雪はまた本降りになっていたが、なぜか雲間からは太陽がのぞいていた。
真っ白に煙る雪のカーテンの向こうに山や家々がまばゆく光っていて、ま
るで光と雪だけで描いた水墨画を見ているようだった。
その幻想的な光景に私は少しだけ気分が良くなり、また一歩また一歩と
雪を踏みしめながら歩いた。そして命からがら家にたどり着くと風邪はピ
ークを迎え、それから丸2日間、生きる屍となった。
2日後。東京に戻る前夜。父がひょっこり“隆一の間”に上がってきた。
「明日戻るんか」「おう」「そうか」「…」「…」
「まあ、しっかりやれ」「おう」
それだけだった。
父は部屋を出るとき天井や壁のポスター群を見回し、
「しかしこの部屋は…、ヒドイな」
それは言えてる。
「和洋折衷か」
それは少し違う気がする(笑)。
悲惨な正月だった。でも運が良かったのかもしれないとも思う。
私がいる間に大雪が降ってよかったし、何となくではあるが父との新しい
関係も再確認した。
これから先どうなるかは分からないが、とりあえず今は東京で頑張ろう、
そう思った。
翌日、私は東京に戻った。
部屋に帰り、着替えながら留守電のメッセージを聞く。1月4日分には
3件のメッセージが入っていた。農道でチェーンが外れた時の父であった。
「もしもし、あれ?」「どうなっとるんや、つながらんやないか」
「おい仙人、お前、今どこにいるんや?」
私は心の中でつぶやいた。
『今は、東京にいます、お父さん』
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
私の田舎は言うほど雪は降らないんですが、今年の正月は凄かったですね。
チェーン外れ事件の日、父はあれほど勿体無いと言って履かなかったスタ
ッドレスタイヤで帰ってきました。
でもそれから全く雪は降ってないらしいですけど(笑)。