「あけまして… (前編)」
その部屋の壁は河村隆一で出来ていた。
この正月、帰省した私の寝起きのためにあてがわれた部屋である。
私が高校時代使っていた部屋は今や物置と化しているので、結婚して
家を出たすぐ下の妹の部屋を使わせてもらうことになったのだ。
うーむ、しかし何なんだ、ココは? 文字通り壁が見えん。
四方はLUNA
SEAと河村隆一のポスターがお互いタイル細工みたいに
絡み合い、悪趣味なモザイク模様のようになっており、その中にいると
何だか三半規管をやられて目まいがしてくるのである。
よく大丈夫だったな、アイツ。
とにかく夜眠れないのだ。
横がダメなら上ということで天井に救いを求めても、そこにはそこで
河村一味とは真逆なポスターが私を見下ろしている。
シブがき隊である。
といっても若い人には分からないか。「はなまるカフェ」の薬丸である。
樹木樹林と内田裕也の娘ムコの本木雅弘である。あと一人、フッくんは
どうしてるんだろう
そんな今や妻も子もある3人が、古文書のように黄ばんでしまったポス
ターの中から派手なハッピとねじり鉢巻で「スシ食いねえ!」と笑いかけ
てくるのだ。
一体どんなセンスがあったらLUNA
SEAとシブがき隊を同居させること
ができるのか。というかいいかげん剥がせよ、シブがき隊。
毎朝毎晩メーク男たちににらみつけられ、天井からスシを食えと笑いか
けられ、そんな中で寝起きするのだから体調を崩さぬ方がどうかしている。
私は元旦早々ヒドイ風邪をひいた。
思えばこれが波乱に満ちた正月の始まりだった。
この正月、家には体調のすぐれぬ人間がもう一人いた。
父である。
実は去年の秋、父が突然倒れ入院した。父の六十有余年の人生の中で
初めての入院だっただけに、本人はもちろんのこと、母もけっこう精神的に
マイってしまった。
その時、結婚してはいるが車で30分ほどの所に住んでいる妹二人が、
毎日のように実家と病院をフォローする大車輪の活躍をみせ、大いに株を
上げた。
幸い父は心配された高血圧から来る病ではなく、以前から調子の良くなか
った前立腺に菌が入っての急性前立腺炎とのことだったが、この入院騒ぎ
で“役立たずの長男”というありがたい評価を重ねた私の方は、狭い肩身
をさらに狭くしての帰省だったのである。
そんな1月2日。事件は起きた。
私の実家では毎年この日、妹夫婦たちを呼んで新年会をすることになっ
ている。今年は父の快気祝いも兼ねていた。
食事を始めて1時間の頃だ。頭がやたら痛くて手巻き寿司どころでは
なくなっていた私は、冷たい空気を吸いに廊下に出た。
「こりゃ相当ヒドイ風邪だな。メシ食ったらすぐに寝よう」
いくぶん頭の痛みもおさまってきたので戻ろうとしたら、父が出てくる
のが見えた。
『トイレかな?』
しかし父はキッチンの出口のところで突っ立ったままだ。あれ?
私は急いで父の元に駆け寄った。
父は目をつぶっていた。それどころか息が荒く顔面蒼白、キッチンのドア
でなんとか体を支えていた。
「おい、オヤジ…」
突然父の体がガクンと膝から崩れ落ちた。
「うわわわわ」
私は父の体を抱きとめた。妹たちが小さく悲鳴をあげる。
父は意識を失っていた。
すぐに一番下の妹のダンナ、つまり私の義弟が駆け寄ってきて後ろから
父を羽交い絞めするように支える。
「お義兄(にい)さん、お義父さんの膝を曲げて持ってもらえますか」
義弟は父の左腕を右脇にはさみこんだ。
実は私の義弟は親子二代の消防士である。それもボンベを背負い酸素マ
スクを付けて勇猛果敢に火の中に飛び込んで行くレスキュー隊員なのだ。
私はその道の専門家である義弟と父を日本間に運んでいった。
とりあえず畳の上に寝かせたところで父が意識を取り戻した。
「あれっ、なんやお前ら」一瞬キョトンとした後、むりやり笑顔をとりつくろって
起き上がろうとする父を私たちが強引に押さえ込む。
父は「だ、大丈夫や、目の前が真っ暗になっただけや」
じゃあ、やっぱり大丈夫じゃないでしょうが(笑)。
父の顔色は未だ紙のように白く、何と額からは本当に湯気が立っている。
なんか漫画みたいだ。って、笑いごとか。
「いいからちょっと休んどけ」と父に毛布をかけ、私達もむりやり笑顔を
作った。動揺した母などなぜか風呂場から洗面器を持ち出していた(笑)。
父を日本間に残し、戻ったキッチンの雰囲気は重苦しかった。
妹たちの視線がチクチク刺さる。
ここ数年、妹たちは口には出さないが老いてきた両親が心配で私に実家
に戻ってもらいたいと考えているらしい。実は一昨年も入院こそしなかっ
たものの、父は高血圧で病院に担ぎ込まれているし母も持病を抱えている。
30を越えて数年、いつの間にやら私も両親の老いというものを考えな
ければならない歳になっていたのだ。
一番下の妹が口を開きかける。「兄ちゃん、やっぱり、」その時だった。
「ハッハッハッ、もう大丈夫」
父がひょっこりキッチンに戻ってきた。そして軽く手を挙げ、
「いやあ、心配かけたねえ、諸君」
その場をなごませるために冗談っぽく言ったその言い回しは異様に寒か
ったが、父は顔色も元に戻り一応正気のようだ。とにもかくにも私たちは
ホッと一息ついた。
で、結局今回の卒倒の原因なのだが、何と一酸化炭素中毒というマヌケ
きわまるものだった。実は私の頭痛も中毒の初期症状だったのだ。
これ、いつ買ったっけ?という不完全燃焼丸出しのファンヒーター、しかも
その温風に直接あたるという愚行、風邪薬を取りに中座して戻った時、2つ
あるキッチンのドアを両方ともピッチリ閉めてしまった私の不注意、換気扇を
回し忘れた母のウッカリ、そして久しぶりに大勢が集まって嬉しさのあまり
空きっ腹にガブガブ酒を流し込んだ父の無謀、それらすべてが絶妙なハー
モニーとなって今回の悲劇を生んだのだった。
さっそく妹が換気のため窓を開けた。
「うわ、何これ!」
ものすごい大雪が舞っていた。
この夜の未明には新幹線をも止めることになる中部地方の大雪であった。
蜂の巣をつついたようになった妹夫婦たちは大急ぎで帰り支度を始めた。
ここは積もり始めると早い。
帰り際、妹たちは私に「兄ちゃん、お父さんとお母さんのこと、頼むね」
と念を押し、雪と競争するように帰っていった。
頭と肩を真っ白にしながら妹の車をいつまでも見送っていた父は、私と
目が合うと一言、「お前にも心配をかけたな」と言った。
そんなことを言う父は初めてだった。外面は穏やかだが内面は自身も
気付かぬ横暴さを秘めた父。その父の意外な言葉に戸惑い、私は何も
答えられなかった。
母に促され玄関に入っていく父の背中、体がなんだか一回り小さくなっ
たようで、ふいに目と鼻の奥がツンとした。
雪はシンシンと音を立てながら降りそそぎ、すべてのものに白い毛布を
かけていった。
あすは相当積もるに違いない。だが雪が降ってもそれほど喜べなくなっ
たのはいつ頃からだろう。同じように父のことをいたわりのまなざしで見
るようになったのはいつ頃からだったろうか。
私は急に悪寒を感じ、今さらのように自分が風邪であることを思い出した。
急いで家に入ると風邪薬を飲み、“隆一の間”に戻った。
あいかわらず天井にはスシを食えと笑顔で脅迫するセピア色の3人がい
たが、熱と鼻水とノドの痛みと父の卒倒で疲弊しきっていた私は「さっき、
食べたよ」とつぶやくのが精一杯で、あとはただ布団をかぶってメーク男
たちの射るような視線から身を守ることに専念した。
つづく
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
遅ればせながら(ホントに遅くてスミマセンm(__)m)、皆さん、あけまして
おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
この正月の大雪、今度はこれが悲劇となって私に襲いかかります。
今回のタイトル「あけまして」の後におめでとうが続かないのは、明けて
もあまりおめでたくなかったんですな、私の場合(笑)。