「約束事」
冬。京都。
私は21歳で、彼女は20歳だった。
私は250ccのバイクを駆り、彼女はその後席に乗るのがとても好きだった。
カーブを曲がるときの体重移動。それは二人の共同作業。彼女は自分も
運転を手伝っているという気がするらしく、カーブが大のお気に入りだった。
まるで氷の刃のような京都の冬風は私たちを容赦なく切りつけてきたけ
ど、顔をすっぽり覆うフルフェイスのヘルメット、そして体を触れ合ってさえ
いれば全然平気だった。
彼女は私の体にしがみ付き、まわした手はいつも私のダウンジャケットの
ポケットの中。
私は信号待ちのたびにハンドルから手を離し、ポケットの中で彼女と手を
握り合った。
そんな時、彼女はよくふざけてヘルメットで私のヘルメットを、コツン、
コツンと小突いてきた。
『なに?』振り返って目で聞いても、彼女はいつも『なんにもしてないよ』
とばかり、バイザーの向こうで悪戯っ子のように微笑んでいた
ふたたび私が前を向くと、また、コツン、コツン。
いつのまにかそれらは二人の約束事になった。
春。
短大生だった彼女は大阪で就職、同じく大阪の親戚の家から会社に通う
ようになった。
私はサークルの責任者になり、その運営でほとんど部屋に帰れなくなっ
た。彼女も自宅ではないので電話が行き違いになることも多くなった。
ようやくつながった電話でよく彼女は甘えて泣いた。慣れない仕事のつ
らさ、親戚の家での気の張った生活。家人を慮っているのか彼女は声を押
し殺して泣いた。
会える回数は激減した。私も彼女もその日を指折り数えた。
そしてこの頃から彼女は私と会ってもバイクに乗りたがらなくなった。
「ヘルメットって…、会話ができないね…」
そして、「仙人くん、話をしよう。もっと話をしよ」
彼女はバイクの上で体を重ねるという会話、ポケットの中で手を握り合う
会話、お互いのヘルメットを小突き合うという“言葉のない会話”ではなく、
しきりに“言葉”を欲しがった。“声”をねだった。
私たちは本当に本当に少ないデートの機会、バイクではなく徒歩か電車
を使うようになった。
夏。
私は夏休みだったが、今度は彼女の方が激務期間となった。
会えたのはほんのわずかだった。あんなに優しかった神様は人が変わった
ように最悪のタイミングを用意し続けた。
時々ケンカにもなった。
「仙人くんは学生だから全然分かってない!」
私は彼女の愚痴や話を聞いてあげることぐらいしかできない自分の無力さ
に、早く社会人になりたいと、この頃ほど強く思ったことはなかった。
そしていつも最後は、
「ごめん」「ううん、私もごめんね」
と、謝り合って電話を切った。
そう、あの夏はお互い謝ってばかりいた。
秋。
学園祭まで2ヶ月のこの頃、私はサークル運営でさらに忙しくなり、
自分の時間は1秒もなくなった。
それでも神様に悪あがきするかのように私も彼女も無理して時間をひね
り出した。
だが2週間ぶりにつながった電話。
「もう…、無理。私、…疲れた」
彼女の憔悴しきった涙声が聞こえた。
「イヤや、別れたくない」涙をこらえながら私も声をしぼり出した。
「仙人くん、お別れしよ」
それは何かホッとした声音のようでもあった。
彼女もずっと苦しんでいた。その末に表出した声音だった。
もうすぐまた氷の刃のような風が京都に届く。
だがその季節を迎えることなく、私たちは終わった。
ふたたびの冬。
一人でバイクに乗っていた。
ふと気が付くと、相変わらず信号待ちのたびにハンドルから手を離して
ポケットに入れている私がいた。
約束事だけが残った。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
予定していた「不可思議なる女性
その3」は時間がかかりそうなので、
またいつかの機会に出そうと思います。すいません。
なんかノドがガラガラしてきました。風邪かな?
皆さんも気を付けて下さいね。