「げに不可思議なるもの、女性(にょしょう)その1」
私は3人兄妹である。下に妹が二人いる。
ということは私は小さい頃から女性の心理にごく普通に触れながら成長
しているはずであった。
彼女たちのお守りをしなければいけないわ、ケンカをすれば親に叱られ
るわで、毎日無意識のうちに彼女たちの気持ちを推し量りながら暮らさざ
るを得なかったからである。
少し話が飛ぶ。私は中学に入るまで子供部屋が一つだったので、妹たち
と同じ部屋で寝ていた。当然お互いの寝顔は見られ放題、見放題であった。
だが私も妹もそれがオカシイとか恥ずかしいと思ったことは一度もない
し、それで彼女たちから苦情が来たこともない。当たり前か。
つまり私は彼女たちの気持ち、女の子の気持ちを推し量ることを毎日気
付かぬうちにやっていたけど、寝顔を見ないようにしようと思ったことは
1度もないのであった。
妹がいて、これである。男兄弟しかいなかったKクンは、まさか寝顔
一つであんなことになろうとは思いも寄らなかったであろう。
前置きが長くなってしまった。すまぬ。
古来、女性が「にょしょう」と呼ばれていた時代から、男にとって女と
いうのは謎であった。今日はそのことについて書こうと思う。
これはKクンと私たち中学生男子が経験した涙ぐましくも微笑ましい
“にょしょうの謎”事件の記録である。
そして妹というのはあくまで家族であって、女の子でも何でもないとい
うことを私が思い知らされた事件の記録でもあります。
中学2年の修学旅行で行った(来た?)東京でのことだ。
クラスにKという男子がいたのだが、泊まっていた旅館で、彼が深夜に
男友達数人と連れ立ってKのカノジョの部屋に遊びに行った。
だがKの彼女も同じ部屋の女の子も完全に寝入ってしまっていたので、
Kたちはしょうがなく自分たちの部屋へ戻ってきたのだが、Kは帰り際、
思わず彼女の寝顔をカメラに収めてきたらしい。
次の日の上野公園。Kは私たち男子に昨日の夜のことを得意げに吹聴し
ていた。
「いやもう、ホントに寝顔が可愛かったぞ。思わずみんなでしばらくの間、
○○ちゃん(Kのカノジョ)の寝顔を見続けてもうたよ。写真も撮ったか
ら帰ったら見せてやるよ」
我々男子は愛らしい彼女の寝顔を想像して興奮しながら羨ましがってい
た。バカ丸出しであった。
と、向こうの方から公園のハトを蹴ちらしながら、ものすごい勢いで走
って来る女子の一団が見える。噂をすれば何とやら、先頭はKの彼女だ。
Kは笑顔で手を振ろうとしたが、その一団が近づいてくるにつれ、彼女が
とんでもない形相をしていることに気付いて笑顔が固まった。
普段の彼女はおしとやか系の顔と声と雰囲気を持っているのだが、その
時の彼女は目はつり上がり口は裂け、まるでセーラー服を着た般若のごと
し。
彼女はKの前に転がるように到着するや、髪を逆立て仁王立ちになり
口から火を噴きながら絶叫した。
「出してぇっ!」
いつもの彼女からは想像すらできない金剛のような鬼相と金切り声に、
Kを始め私たち男子は「何を?」という言葉を喉で止め、全員その場に凍
りついてしまった。
そんな私たちになおも彼女は、カメラ屋に押し入った外国人強盗のよう
に叫ぶ。
「出してっ!」「カメラッ!」「早くっ!」
日本語を話せる日本人が、片言の日本語を叫ぶくらい迫力があるものは
なく、顔面蒼白になったKはかばんの中からカメラを取り出すとオズオズ差し
出した。
彼女は豹のごとく獲物に食らいつくと、なにかケモノのような息づかいを
立てながらカメラの背をガチャガチャいじくり始めた。
私たちは正しいカメラの開け方を教える勇気もないまま、事の推移を見
守ることしかできなかった。
半分壊すようにしてカメラを開け、フィルムを臓物のように引きずり出して
いる彼女の様は悪鬼羅刹以外の何物でもなく、そこにいる男子は腹の底
から震え上がっていた。
そして彼女はすべての臓物を取り出すと、腹からフィルムを引きずった
ままのカメラをKに投げ返し、突然、「わぁーっ!」と地面にしゃがみこみ
泣き始めたのだった。
即座に女子たちが一緒にしゃがんで彼女をなぐさめ始める。なぐさめな
がらも時折チラチラと私たち男子を見据える女子たちのまなざしの怖さと
いったら…。
女子のリーダー格がズイズイッとKの前に出る。
「なんで撮るのよっ!」
「え?」
「なんで寝顔の写真なんか撮るのよっ!」
「あ、あの、それはその…」
Kは完全に敬語になってしまっている(笑)。
「バカじゃないの!男子は!」
そう吐き捨て、リーダーは彼女のところに慰めに戻った。
何が何やらサッパリ分からず、足元でエサをついばむハトのような顔に
なってしまっている我々男子であったが、さらに私たちを驚かせたのが彼
女の泣き声であった。
普段の彼女のおしとやかさには全く似つかわしくない「うぉ〜んうぉん
うぉんうぉん」という、どこの相撲取りが泣いてるのか、みたいな声で彼
女は泣くのである。ドスの効いた泣き声とでもいうのだろうか。
私たちは何を怒られているのかも、なぜ彼女が泣いているのかも、なぜ
女子が怒っているのかも分からない代わりに、女の子というのは、おしと
やかそうに見えても金剛のような形相になり、怒り、吠え、髪を逆立て、
そして相撲取りのように泣く、ということだけは深く心に刻み込んだのだ
った。
ちなみに私たち男子は女子がいなくなってから我に返り、ムラムラと怒
りがこみ上げてきたことを覚えている。
「何で、寝顔ごときであんなに怒られなアカンねん!」「そうや!そう
や!」
だが、女子の前でそう言える者は一人もいなかった(笑)。
本当に我々男子は揃いも揃って腰抜けなのであった。
そして自分のカメラをオシャカにされたあげく怒鳴り散らされたKは、
修学旅行から帰ってきて速攻で、彼女に振られてしまったのである。
いと哀れなり、K。
ただ、この大騒ぎは寝顔写真はもとより、Kとその友人たちがしばらく
の間、寝顔をのぞき込むようにして見続けていたことも彼女の逆鱗に触れ
たらしい。
今にして思えば確かにカレシだけならともかく、自分の知らないうちに
関係ない男子にジーっと覗かれ続けていたらイイ気持ちはしないだろう。
ヨダレを垂らしてるかもしれんし、しかも写真まで撮られたらもっと多く
の関係ない人間に見られるし。
そういったことに加えてあの世代特有の自意識過剰が化学反応を起こし、
すさまじい破壊力となってKを粉砕してしまったんやねえ(笑)。
化粧をするのが当たり前になった大人の女性は素顔を人前でさらすのが
恥ずかしいというが、あの世代の女の子にとっての寝顔というのは、大人
の女性の素顔のようなものだろうと思う。
うーむ、それともどうなんだろう、電車の中で化粧を直している人がいる
くらいだから、今の時代の中学生の女の子はそんなに気にならないのかな。
時代も関係しているのかも。田舎という土地柄のせいもあるのかな。
それかあくまで個人差というか、個人的なものなんだろうか。
あの時の女子の激怒ぶりから何かタブーのような気がして、そしてただ
単にめんどくさくて今まであまり女の人には聞いてこなかったのであるが、
うーむ、こうやって書いてるうちにやっぱりホントのところは今でも謎の
ように思えてきた。
ただ、あの場にいた男子はそれ以後の人生で、女の人の寝顔に過剰なま
での気を遣う人間になってるやろね。ホントに怖かった(笑)。
今日は極端な例になってしまった。
それにしても私は今でもブラウン管の中や日常生活でおしとやかそうな
女性を見るたび、あの「うぉ〜んうぉんうぉんうぉん」という遠吠えと、カメラ
をこじ開ける時のケモノのような息づかいが耳について離れないのである
が、これは一種のトラウマと言っていいのであろうか。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
新宮様がお生まれになりました。“にょしょう”だそうですね。