[2001/11/18]

おいおい、戻ってるよ!

 



「おいおい、戻ってるよ!」

 「伝えたいことがある」
時々このフレーズを聞く。

 本を書いた作家が、映画を撮った映画監督が、曲を作り披露するアーチ
ィストが、読者や観客や聴衆に自らの作品を発表する時、特によく聞く。

 でもそれは伝えたいことがあると同時に、聞いてもらいたいことがある、
ということであるとも思う。“皆さん、私の話を聞いてください”

 もちろん皆、お客さんのために作ってるんだけど、それは自分のためで
もあると思うからのう。お客さんが喜んでくれて一番嬉しいのは、そりゃ
誰あろう自分なのである。

 ワシがものを書くのは自分の中の想いを成仏させようとしているところ
があって、みんなにはその供養を手伝ってもらっている感じだ。ワシの方
がみんなに話を聞いてもらっているのだ。だからわしゃ、みんなには大感
謝なのであるよ。

 プロにせよ、アマにせよ、その自己満足を客観的に自覚していないと、
こっ恥ずかしいことになるとすら思っている。

 この思案生首もおかげ様で40号近くを発行することができ、読者数も
最初の数十人から今では400人ほどに膨れ上がった。年齢層も様々で、
10代20代30代、下は学生さんから上は何と57歳の読者さんまでいる。

 以前その57歳の方から「いつも楽しく読ませていただいております」
という丁寧なメールをいただいた時はホンマに恐縮してしまったよ。

 学生さん、サラリーマン、主婦や主夫の方、OLさん、無職の方、フリ
ーター、クリエイター、とにかくありとあらゆる方に読んでもらっている。

 だけどそういう状況になって、いつからだろう、ワシはうまく書こうと
思い始めた。いや、意識はしていないんだけど無意識のうちにイイ文
章を書こうとし始めたように思う。

 イイ内容、見栄えのイイ文章、そしてみんなに何かを伝えないとなあ、
と気付かぬうちに自分で自分を縛り始めたような気がするのだ。

 最初はもっとフットワークが軽かった。
「さあさあ、皆さん。バカな男のバカ話やマジメ話をどうぞ聞いてってお
くんなまし。へっへっへっ」みたいな心境で書いていたと思う(どんな心
境やねん、笑)。

 それは別にふざけているとか手を抜いているという意味ではなく、いい
具合に肩の力が抜けていたというか、その分、何物にもとらわれず書いて
いたというか。

 40号も近くなって今一度初心を思い出す、なにかそんな気分になって
いるのである。

 初心忘れるべからず、とはよく言われる。

 罪なことわざである。だって成長するってことは、良くも悪くも最初の自分
から変わっていくことではないのかい?10年前の自分と変わらなかったら、
そりゃ悲しいぜよ。

 だけど、変なのである。皆さん、どうですか。仕事でも日々の生活でも
いいのだけれど、成長していくと必ず初心を思い出さざるを得ないような
事態が持ち上がるってことありません?

 あと、気が付いたら以前と同じようなことをしているというか。
仕事だって恋愛だって生き方だって、いろんな経験をして目からウロコが
落ちているはずなのに、気が付けばまた同じようなウロコが覆ってるって
ことありません?

 なんだかそれらを考えていると、山手線に乗っているような気分に時々
なるのである。

 例えば新宿から世の中という電車に乗るのである。電車は池袋、上野と
過ぎていき、その間に窓の外の景色、自分が目にする風景も刻々と変わっ
ていく。

 電車が進むたび、駅に着くたび人は、色々な街の匂い、喧騒、そしてた
くさんの乗客と出会う。そして世の中という電車には様々な人間、様々な
ルール、様々な身の処し方があることを学んでいく。

 酔っ払いとは目を合わさず、満員電車では痴漢に間違われないよう注意。
人に話し掛けられれば適当に話を合わせ、雨の日は傘のしずくで人が濡れ
ないにようにする。時々お年寄りに席を譲っていい気分になり、時々眠った
ふりをして自己嫌悪。人の話し声に耳をそばだててみたり、空いている席に
座ろうかどうか人との距離を測ってみたり。

 秋葉原、東京、品川。人や景色を見るだけではない。時には本を読んだり
して暇をつぶすことを覚え、時には疲れてこっくりこっくり居眠りなんかして
電車はドンドン進んでいく。

そして恵比寿、渋谷を過ぎるあたりになると、俺も色んな駅を通って色んな
ものを見て色んな人に出会ったなあ、色んな経験したなあ、最初の頃に比べ
たらだいぶ成長したなあって、ちょっと悦に入り出す。
 俺もけっこう世の中が分かってきたよ。新宿を出てだいぶ走ってきたけど、
はて、ここはどこだろう。その時、車内アナウンス。
「しんじゅくぅ〜、しんじゅくぅ〜」「…」

 オイオイ、戻ってるやん!

 そんな時、ガックリくるのである。戻ってきてもうた、と。
でも何だか生まれてからこれを何回も繰り返しているような気がするので
ある。時を経ようが、場所や境遇が変わろうが。

 以前、この話を4歳年上の先輩に話したことがある。その先輩はメチャ
いい加減で口八丁で、同時にマジメな人なんだけど、笑いながら答えた。

「人が生きていくというのは、らせん階段を登るようなものなんかもしれ
んね」「?」「らせん階段を上がってる人は、上から見るとグルグル円運動
して回ってるだけや。同じ場所に戻ってきてしまう。ああ、また俺は同じ
失敗してるわ、また同じような生き方になってしまってるって落ち込むん
やけど、その人は着実に階段を上がっている」

 なるほどねえ。考えてみれば、最初出発した新宿と戻ってきた新宿では
見え方捉え方が違うのかもしれんね、同じ新宿でも。

 経験を経た上での失敗は、最初と同じ失敗をしたように見えてもワンラ
ンク上なんかもしれん。ちょうどらせん階段を一回り上がったように。

 なんか人間というのはピラミッドの時代から同じようなことを悩んで同
じような失敗をして、で、戦争も相変わらずなくならず、同じような歴史
ばっかり繰り返してるねえ。

 でも同じことをグルグル繰り返してるんだけど、文明は着実に進んでい
るもんなあ。

やっぱりわざわざ初心忘れるべからずなどと言われなくても、人は一通り
成長すると初心に戻って来ざるを得ないようになってるのかもしれんねえ。

 新宿に戻ってきたらまた二回り目の山手線の旅、成長の旅に出るのかも。

 基本的には一回り目と変わらないように見えるんだけど、一周まわった
からこそ分かる二周目の発見というものも確実にあって、その発見を血肉
にしていきながら新たに成長していく。

 だけどまた恵比寿、渋谷あたりで「コツはつかんだ、いやあ、俺もけっこう
分かってきたよ、成長したなあ」などとイイ気になり出した頃、やっぱり3回目
の新宿という初心に戻ってくるのである。

 これを何回も何回も繰り返しながら人は成長していくんやろか。もしかしたら
初心と初心の間にあるのが成長というものかもしれんのう。

 うーむ、それにしても相も変わらずこんなことを考えてるワシ。
このワシが一番成長していないことだけは確かなんやろうね。
うぐぐ、悲しい(T_T)

☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆ 

寒くなってきましたね。皆さん、風邪などひかぬよう。
わしゃ、これからコンビニおでんを食うよ。

 

 

book1.gif - 684Bytes
つぎ

 

book1.gif - 684Bytes          book1.gif - 684Bytes
もくじ
           表紙