「裏切り」というダイナマイト
今から5年ほど前、私の財政事情は最悪のピークであった。台所は猛火に
包まれていた。バックドラフトであった。で、もうデスクワークから肉体労働
まで入れられる仕事は毎日バカみたいに入れていた。その中でもメチャしんど
かった仕事の一つが「ペリカン」である。
ペリカンとは日通のペリカン便のことである。宅急便の。その仕分けをする
のだ。夕方6時から翌朝8時までの14時間ぶっ通しで14000円。夜勤にして
は、そしてこの超ハードな作業にしては激安なのだが、背に腹は代えられない。
何より昼間は他の仕事を入れることができた。
ペリカン便。それはもう精神的にも肉体的にも生き地獄以外の何物でもなか
った。いつ心臓マヒで死んでもおかしくはなかった(笑)。その詳しい内容や
結構おもしろいエピソードについては、またいつか話していこうと思う。
今日は、vol:008の「僕は死にまっしぇ〜ん」でもチラッと話したことから
書いていこうと思います。
その中で私は、サラリーマン時代に勤めていた会社を辞めてから、今度は何
と事務所移転の肉体労働者として、その会社へ足を踏み入れるという体験をし
たことを書いた。
その時、私が以前そこの会社に勤めていたとはつゆとも知らない肉体労働の
棟梁が、社員に「いやあ、私やコイツ(仙人)なんかは、一生かかってもこん
な立派な会社には入れませんから」と言っているのを聞いて、結構ショックを
受けたとも書いた。その言葉自体にショックを受けたのではなく、ショックを
受けている自分にショックを受けたと。
なぜショックだったかというと、それまで私は、俗に言う学歴とか社会的地
位というものに、あまり興味がない人間だと思っていたからだ。会社を辞める
時も「せっかくの学歴や社歴を…。もったいない」みたいな感じの周囲の意見
など、どこ吹く風で、何がもったないのかさっぱり分からなかった。別に世間
のために、行く学校や会社を選んだことはなかったからだ。事実、転職などで
はなく、先も決めないままスッパリ辞めてしまった程なのだから。
自分のしたいこと、夢に向かって歩くという快感の前では、社歴はもちろん、
大学の卒業証書などトイレットペーパーの代わりにもならんと思っていたので
ある。実際、卒業証書、固いしね(笑)。
そうそう余談だけど、私は夢という言葉の「使い方」があまり好きではない
のだけど、それは長くなってしまうので、それについてはいつかね。戻って、
で、先の棟梁のセリフに私は、「何でお前みたいな学のない肉体労働者に、
しかもこの会社で仕事してたワシが、そんな事言われなアカンねん」と心の中
で呟いてしまっていたのである。
「えっ?」である。ワシって、学歴とか社歴とか頭に浮かんでしまってるやん、
である。いや、浮かんでもいいのである。だがワシの場合そんなことはそれま
で全く考えたこともなかったし、実際、スッパリ会社を辞めるような行動も取
ってきていたので、そういう自分がいることにちょっと面食らったのである。
そしてペリカン便ではこんなことがあった。20歳くらいの青年と一緒に汗
を流した時のことだ。彼は前歯がなかった。知らず知らずにその空洞の前歯
部分を私は見てしまっていたのだろう。彼の方から理由を話し始めてきた。
「これ、中学ン時にシンナーやり過ぎたんスよ。歯、溶けちゃったんスよ」
彼は高校中退の中卒だった。彼は続ける。
「仙人さん、何でペリカンなんてやってるんスか?」
「いやあ、ちょっと首回んなくなっちゃって。毎日が自転車操業で」
彼は答えた。
「へえ、仙人さん、ペリカンの他にも自転車屋さんで働いてるんスか」「…」
最初はジョークかと思った。だがその後話をしていて違うことが分かった。
彼は大真面目に言ったのである。なんと彼はこの世に自転車操業という慣用句
があることをこれっぽっちも知らず、本当に私が自転車屋さんで働いていると
思っていたのである。
「何でこのワシがこんな奴と同じ仕事せなアカンねん…」
もちろん、これらは学歴社歴がどうこうではなく、棟梁や歯溶け男(笑)の、
モノの考え方などの下衆さ加減を軽蔑していただけかもしれない。実際、ペリ
カンでも数は少ないけど尊敬でき、感銘を受けた人にも出会った。
また、精神的肉体的に限界だったからそう思ってしまっただけかもしれない。
だけど、ツライ状況によっては学歴社歴のことがチラッと頭に浮かんだこと
もまた事実だった。昔はチラッとでも浮かんだことはなかった。自分の大学の
価値について考えてみたこともなかった。逆に同じ大学の知り合いが大学名を
ひけらかしているのを聞いた時、ホントに反吐が出そうだった。
今、日本の企業でも実力主義の考え方が主流になって、たぶん、ほとんどの
人が学歴なんて関係ないと胸を張って断言するだろう。だが、そうやって胸を
張って断言する自分というのは、100パーセント自分なのだろうか。
今日書きたかったのは、実力主義や学歴主義とかの問題ではなくって、人間、
ホントに自分は自分が思ってるような自分なのだろうか、ということなのだ。
ワシは棟梁、歯溶け男との一件を始めとする仙人生活の中で、自分の知って
いる自分なんて、実はすごく曖昧なものではないかなと、素直に心から思うよ
うになった。
自分のことは自分が一番良く知っていると思っていた。自分はこういう性格
をしている、自分はこういう考え方を持っている、自分はこういう人間である。
だが何のことはない。自分が知っている自分なんて「自分が知りたい自分」
「自分が思いたい自分」が、少なからず混じっていることに気付き始めた。
確かに私は人よりは学歴社歴にこだわらない男であった。だが、自分で思って
いる程こだわらない人間ではなかったのだ。
いわば自分から裏切られたんやね。誰から裏切られてもつらいけど、自分か
ら裏切られるのは結構つらい。人からの裏切りはその人を信じられなくなるだ
けだが、自分からの裏切りは人も自分も両方信じられなくなる。自分に自信が
なくなり弱気になる。ギリギリの勝負をしかけている時などは特につらい。
ただその一方で、逆に「良い裏切り」もあった。よもや自分が人生の先も見
えない中で、超ハードな借金生活に耐えていけるとは、それまで思ってもみな
かった。案外強い自分もいるやん、であった。それは新発見であった。またそ
の他でも、それまで思いもよらなかった自分の感情や行動を知ることができた。
程度の差こそあれ、人は今まで生きてきた中で、裏切られたと感じたことが
たくさんあるだろうと思う。恋人、友達、親、先生、同僚、上司、そして自分。
その度に人は、これも程度の差こそあれ、ストレスを感じ、辛いと思う。相手
を憎むことだってある。自分に裏切られれば自分を嫌いになってしまうかもし
れない。
だが、裏切りによって、人は自分の知らなかった自分、新しい自分、本来の
自分に出会うとも思う。
もしかしたら「裏切り」というのは、人からの裏切り、自分からの裏切り、
良い裏切り、悪い裏切り、どのような裏切りにせよ、それまでの「自分が知っ
ていた自分」を打ち砕くツルハシの一振りみたいなものなのかもしれない。
地面に亀裂が入り、その下から未知なる自分がヒョッコリ顔を出す。その自
分は自分にとって都合の悪い自分かもしれない。逆に自分にとって嬉しい自分
かもしれない。だが、もしかしたらその新しい自分を知ったことが、新たな人
生の転機となるやも知れぬ。
人は「自分の知っている自分」に従って、身の処し方や人生計画を立てる。
思い通りにいかないこともある。だけど、時には思い通りにいかなくても当た
り前で、それでいいような気もする。それほど落ち込まなくてもいいような気
がする。自分が一番良く知っているはずの自分だって怪しいものなのだ。それ
を基本ラインにした計画もけっこう怪しくて当たり前なようにも思うのだ。
ワシにしても、今こんな人生になってるとは、高校大学の時には思いもよら
んかった。大学で裸踊りをするとは考えもしなかった(笑)。えっ?それは
ワシが頭オカシイだけだって?(笑)
「裏切り」というのは、未知なる自分という「鉱脈」を見つけ出すのに最適
なダイナマイトのようなものだとも思う。自分という鉱山に仕掛けられ爆破さ
れる。その結果、顔を出した新たな自分というのは、大喜びで受け入れるべき
鉱石なのかもしれない。
なるほど、ダイナマイトは結構な衝撃だ。使いようによっては命取りになる。
だが、そのおかげで豊かな鉱脈が顕わになり、そして採掘した新たな自分とい
う鉱石から色々なものをこしらえることができる。何を創るかはその人の自由。
新たな自分を使って、自分の人生を豊かにするものを新たにたくさん創ればい
いのだ。
よくよく考えてみれば、ダイナマイトを発明したノーベル賞のノーベルさん
だって、破壊のためではなく創造のためにダイナマイトを発明したのだから。
☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆
次号は「実録 ある愛の詩」の中でチラッと紹介した、大爆笑の野郎コンパの
ことを書きます。「実録 仁義なき戦い 野郎コンパ編」です。
笑えると思うんですが、一応、お下劣警報出しておきます(笑)。
お楽しみに。