[2001/5/18]

約束を破った子供仙人

 



「約束を破った子供仙人」

 最近暑いですね。なんか梅雨とかすっ飛ばして夏になりそうな気配である。
仙人、毎年初夏というか梅雨の前というか、この時期特有の空気の匂いや
気温にさらされると、なにげに思い出してしまう一つの記憶がある。

 皆さんは約束を破ったことがあるだろうか。というか破ったことがない人な
んていないと思う。私もそうである。そしてつい最近ならいざ知らず、10年
20年前に誰とどんな約束をして、どんな破り方をしたかなんて覚えている人
はそんなにいないと思う。

 だがその点に関していえば、私は1つだけ強烈に覚えている約束がある。
それは、ある人が言った「じゃ、明日、またここで待ってるよ」という約束で
ある。そして私、子供仙人はその約束を破った。

 私の田舎は中部地方の山奥である。大学に受かって京都に出るまで、
小学2年生から10年あまりをそこで暮らした。それほど険しくもない優しい
山々と、その間を縫うように流れている川、季節ともなれば様々な命を賑々
しく実らせる田畑に慈しみ抱かれた町だった。

 まあ、山奥といってもバスに30分も揺られれば市街に出てしまう小じんまり
とした何の面白みもないといってしまえばそれまでの、そんな町でもあった。

 小学校3年生の頃だったと思う。、日の長さが体感できるようになったちょう
ど今頃の時期、友達数人と一緒に学校から帰る途中のことだ。

 畑に囲まれた通学路に一人の背の高い男が立っているのが遠目に見えた。
通る子供達みんなに声をかけている。私達が最初ちょっと警戒してしまったの
は、その男の髪が茶色っぽかったからだ。彼は外人さんだった。

 私たちの町は村と言ってもよい佇まいだったし、自分の人生でも外人さん
なんてじかに見たこともなかったので、私たち子供の外人さんに対する印象
は、まさに鬼が島の鬼みたいなものだったと思う。
私たちは緊張しながら横を通り抜けようとした。

「コンニチワ」

日本語だった。
「こ、こんにちは」
私たちは彼がまだ若くて、それに優しく人懐こそうな顔をしているのに気付
いて挨拶を返してしまった。だって小学校でも「あいさつをしましょう」とか
いつも言われてたし(笑)

「東小の生徒サンデスカ?」意外にも流暢な日本語だった。
「は、はい」私たちの中でも、あまり人見知りしない友達が答えた。
「チョット、お話イイデスカ?」

 どうやら彼はモルモン教の布教のために日本に来て、全国を回っている
人らしかった。確かアメリカ人だったと思う。まだ青年という感じで、どことなく
アジアのテイストもあった。大昔のことなので顔は忘れてしまったが、今で言
えば映画「スピード」に主演した、キアヌ・リーブスの面影もあったと思う。
 だからキアヌと呼ぶことにしよう(笑)。キアヌは上着を脱いで手に持ってい
たけど、スーツ姿だった。礼儀正しそうでそれも安心感を持った理由だと思う。

 それから10分くらいたつと、子供の柔軟性とは恐るべきもので結構打ちと
け合ってしまっていた。キアヌは非常に子供好きらしく、子供の心をつかむ
のが上手かった。それでも私は人見知りする方だったので、そんなに会話
には入っていけなかった。

 だが突然「ナニカ、聞きたいコト、アリマスカ?」とキアヌに話を振られて
動揺した私は、「モルモンって、モルモットに関係してるの?」とか聞いてし
まったことを覚えている。友達が「モルモットって何だよ」とか聞いてきたの
で、私は「実験とかに使うちっちゃなネズミだよ」と律儀に答えた。
 そしたら、キアヌが「キミは、物知りダネ」とか言ってきたので、私は消え入
りそうな声で「図鑑とか好きだから」と応えた。

 その頃から私は読むこととか好きな子供で、本だけでなく、図鑑や百科事典
を床に置いて眺めているのが大のお気に入りだった。

 キアヌは「ソレハ良いコト。ワタシも本でニホンのコト知った。ズット続けナサ
イ」と私を誉めてくれた。私は学校の成績も普通で、あまり誉められたこともな
かったので、すごく嬉しかった。
で、それからは皆と同じようにキアヌと積極的にしゃべった思う。

 だいぶ、日も落ちてきたのでそろそろ帰る時間であった。その日何の話を
したかサッパリ忘れたのだけど、たぶん宗教的な話はなかったと思う。後日
あらためてするつもりだったのかもしれないが、それも定かでない。

 キアヌは明日、ココデ会えないカイ?と聞いてきた。
私達は外人さんとしゃべったという誇らしげな気持ちも手伝い気が大きくなっ
ており、その口約束を安請け合いしてしまった。

「うん、絶対来るよ!」あんなに恥ずかしがっていたのに、一番大きな声で
返事をしたのが私だった。よっぽど誉められたのが嬉しかったのだろう。
「じゃ、アシタここで待ってマス」と答えたキアヌと私たちは指きりげんまん
をした。「うわー、指きりげんまん知ってるぅー」と私たちはゲラゲラ笑った。
なんか幸せな気分だった。

 次の日は土曜日だった。学校は昼前で終わる。キアヌとの約束は夕方で
ある。まだ時間があるので、私たちは友達のウチへ遊びに行った。だが、
キアヌとの約束の時間が近づいてきた頃、ちょうど興が乗ってしまって手が
離せなくなっていた。

 私の「キアヌ待ってるし、そろそろ行かないと」との言葉に、友達も分かって
はいるんだけど、目の前に楽しいことがあれば我慢できないのが子供で、
行かなくてもいい理由とかを考え始めてしまっていた。

 で、誰かの言った「たぶん、他に約束してる子もいるはずだし、俺たちは行
かなくても大丈夫じゃないかな?」が決め手となり、あっさり遊び続行となった。

 実は私はキアヌの所にけっこう行きたかった。それは約束したからという
理由だけではなく、キアヌともっとしゃべりたかったのだ。アメリカのこととか
旅のよもやま話を聞いたり、自分のことをまた誉めてもらいたかった。
でも遊びも楽しかったので、そのまま最後まで遊んだ。

 辺りが暗くなり始めたので、友達のウチから私は家路についた。キアヌとの
待ち合わせの通学路は通らなくてもいいのだが、ちょっと気になってのぞいて
みることにした。待ち合わせ場所が見える位置に来ると、恐いので建物の陰
から覗いてみた。

キアヌはいた。

待ち合わせの時間から2時間は過ぎていた。だが、キアヌは待っていた。
昨日と同じ服装でキアヌは、日も沈んで真っ暗な中、一人でたたずんでいた。

 私はものすごくショックだった。まさかまだ待ってるとは夢にも思わなかった
からだ。「どうしよう。キアヌのとこに行かなきゃ、行って謝らなきゃ」と思っても、
足がすくんで動けない。
 怒られるのではという気持ちや、昨日は友達もいたけど今日は一人だし恥ず
かしいとかの気持ちが湧いてきてしまって、どうしても動けない。

 そこに私は30分くらいいたと思う。行こうか帰ろうか、ものすごく迷っていた。
一方で、キアヌ早く帰ってくれないかなと期待する私もいた。
もう待たなくていいよ、誰も来ないよ。お願いだから帰って。でも彼は帰らない。
頑なに私たちとの約束を守ろうとしていた。

 もしかしてキアヌはもっと遅くなっても、夜中になっても、それこそ明日に
なっても待ち続けるんじゃないかと思うと、急に恐ろしくなって私は、一刻も
早くその場から逃れようと走った。
 背中のランドセルをガタガタ鳴らしながら一目散に家に走った。振り返らず
走って走って走り逃げ帰った。

 家に帰っても動揺は収まらなかった。夕ご飯もうわの空で食べると、すぐに
自分の部屋に引きこもってしまった。

 まだいるかな。今からでも行こうか。やっぱりさっき行っておけばよかった。
でも、もしかしたら昨日声をかけていた他の子供たちとは会えたかもしれない。
たぶんそうだ。大丈夫だ。でも最後に僕たちを待ってるのかもしれない。

 ドキドキして体が熱かった。私は気を紛らわすために図鑑を取り出し無理や
り眺め始めた。だけど、内容は目には入ってきても全く頭に入ってこない。

 もしかしたら、他の子供たちも誰も来なかったんじゃないか…。
最後の望みで僕たちを待ってるんじゃないか…。真っ暗な中、一人で寂しそう
に立ってるキアヌの姿がまた目に浮かんできた。一人で日本に来て一人で回っ
て一人でいつまでも待っているキアヌ。僕たちに色々な話をしてくれたキアヌ。
「うわー、指きりげんまん知ってるぅー」とゲラゲラ笑った光景が蘇ってくる。
「本をヨムコトはイイコト。続けナサイ」キアヌの言葉が聞こえてきた。

 みんなを笑わせてくれたのに、僕を誉めてくれたのに、キアヌは何にも悪い
ことをしていないのに、それなのに誰も約束を守らず誰も来ずに、真っ暗な中、
一人ぼっちで待っている。

 図鑑のモルモットの上に涙がポタポタ落ちた。私は声を殺して泣き始めた。
声を上げて泣きそうになったので、急いで布団にもぐり込み、「ウッ、ウッ、
ウッ」と声にならない声を上げて泣いた。

 それから体じゅうをこわばらせて泣いた。涙は後から後からとめどもなく出
てくる。まるで全身の細胞から涙が溶け出してくるようだった。自分の体じゃ
ないみたいだった。全身を震わせながら泣いた。

 なぜだか分からないけど、悲しくて悲しくてしょうがなかった。それまで生き
てきた中で一番訳が分からないのだけど、一番悲しかった。全然理由が分か
らないのに、どんな理由で悲しくなるより悲しかった。それまで泣いたどんな
理由より悲しくて泣いた。

 悲しいのと同時に怖かった。何が怖いのかわからないのだけど怖かった。
悲しくて怖くて、怖くて悲しくてどうしようもなかった。

「おーい、8時だよ全員集合、見んのか?」階下で呼ぶ父の声に「見ん!」と
返事をするのが精一杯で、子供仙人はしばらく泣き止むことができなかった。

 週があけた月曜日。私は学校が終わると、急いでキアヌとの待ち合わせ
場所に行ってみた。とにかくキアヌに謝りたかった。行かなくてごめんなさいと
言いたかった。
 だがキアヌはいなかった。もう次の町へ行ってしまったのだろうか。
私は日が落ちるまでキアヌを待つことにした。他の子供たちが怪訝そうに私を
見て通り過ぎていく。結局その日、キアヌは現れなかった。

 次の日も私は待った。途中から、あの日一緒に約束を破った友達が来た。
彼らと一緒に待った。だが、その日もキアヌは来なかった。
 それから毎日、友達と待った。そのうち待つことだけに飽きてしまい、キャ
ッチボールとかしながら待った。最後には、待ってるのか遊んでるのか分から
なくなってしまった(笑)。子供の回復力は早かった(笑)。

 結局、私たちは1週間くらい待って、また元の日常に戻った。2度とキアヌ
の姿を見ることはなかった。

 あれから20年以上が経ち、子供だった私は大人と呼ばれる年齢になった。
その間に、私は数多くの約束をし、数限りなく約束を破り、そして数限りなく
破られてきた。だが、あの時のような感情のうねりになったことはない。あれ
が最後だった。魂をわしづかみにされて引き裂かれるような悲しみ、苦しさ、
怖さを、少なくとも約束を破る破られるに関して感じることはなくなった。

 すごく不思議な感情だった。彼に対する罪悪感ともまた違うような気がする。
とにかく、ただ悲しくて怖かった。
もっと体の奥、心の深いところから湧き上がってくるものに突き上げられたと
いう感じだった。

 あれからそこはかとなく思い出して考えてみるのだが、全然分からない。

 だが2.3年前だったかヒントになりそうな一節を、TVだか、本だか、人の話
だかで偶然目にしたか耳にした。なんか分かりそうな気がしたが、ヒントの
ままで今に至っている。シックリ来そうで来ない。これは永遠に分からない
のかもしれないし、分からないままでいいのかもしれない。

最後にそれを紹介しておきます。次のような一節だったと思います。

「幼児は怖れ(おそれ)を怖れ、子供は悪を怖れ、大人は罪を怖れる」

今年もまた、もうすぐ梅雨がやってくる。


☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆ 

外国で、牧師さんが体を張って、街の不良少年達を大人や世間から守ってあげ、
心を通わせるようなドキュメンタリーがあるけど、それを見るといつも鼻の奥
がツーンとして涙してしまう仙人なのです。

 

 

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つぎ

 

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もくじ           表紙