[2001/4/10]

僕は死にまっしぇ〜ん その2

 



「僕は死にまっしぇ〜ン その2」

 懐かしいオフィスの匂いだった。だがその匂いは、今現在の絶望的な日々
をより色濃く浮き立たせ、この匂いを今でも身にまとっている人達と会ってし
まうかもしれないという不安をかき立てただけだった。

 私は最初、エレベーターの養生作業(ようじょうさぎょう)を志願した。
養生とは運搬する荷物で床や壁が傷つかないように、ベニヤ板や青いプラ
スチック製の養生板で保護することだ。作業自体はそれほど時間がかから
ないが、オフィスにいる時間を少しでも減らしたかった。

 エレベーターホールに分別ゴミBOXが置かれて荷物と共にゴミが捨てられ
るようになった。私は養生作業を終えてから、そのままエレベーターホールで、
台車に乗った荷物をオフィスの方へ押し出す作業部隊にまぎれ込んでいた。

 と、その時「おい、リサイクルごみはここか?」という野太い声がホールに
こだました。目をやった瞬間、血の気が引いた。知った顔だった。私のかつ
ていた部署の隣の部署の人間だった。
 私は第3営業本部だったが、彼は第1営業本部の本部長だった。第1と第3
は同じフロアにあった。直属の上司ではなかったが、1日か2日、仕事をした
ことがある。

 顔を覚えられてはいないという確信はあったが、私は帽子を目深にかぶり、
襟を立てて顔をそむけていた。顔を覚えられるだとか、そのしぐさだとか、私は
まるで指名手配の犯罪者のようだった。

 案の定、本部長は私の顔をチラと見ただけでオフィスへ戻っていった。
作業仲間とは全く違う種類の汗をかいている私に、ホールのリーダーが
「よーし、もうここはエエからオフィスの方へ手伝いに行ってやってくれ」との
命令が下されたのは、それからまもなくのことだった。

 19階のオフィスフロアは以前のままだった。窓から見える景色、1人1人
パーテーションでしきられたデスク、コピー機、簡易会議スペース。あっけな
いほど同じだった。変わったのは、汗臭い作業着を着た私だけだった。
鬱に沈んだ。

 私のかつてのデスクには休日出勤したらしい私服姿の社員がいた。入社1,
2年目の若手というところだろう。もちろん知らない顔だ。私は彼のパソコン
を運び出そうと持ち上げた。と、パソコンの上に乗っていた彼の私物がずり落
ちてしまい、床の上で派手な音を立てた。真っ青な顔で棟梁がカッ飛んできて、
私を怒鳴りつけた。「バカヤロウ!気をつけろよっ!」

 棟梁は、そのまま親子ほどの年の差のある若手社員に向き直ると、
「スイマセン。もうホントにそちらさんのように頭が良くないもんで。いっつも
コイツには注意してるんですけど」などと、コメツキバッタのように頭を下げる。

「おいおい、お前とは今日初めて仕事するんだろう」顔の私などお構いなしに
棟梁は続ける。「いやあ、もうコイツや私なんか一生かかってもこんな立派な
会社に入れませんから」

 実はその言葉は正直ショックやった。自分がショックを受けてることに対して
もショックやった。それについては、またの機会に話そうと思う。戻って、

 棟梁は、私に「こちらさんにご迷惑をおかけするなよ」と捨てゼリフを吐くと、
困った微笑みを浮かべている若手社員に軽く会釈し自分の仕事に戻っていった。

 それから私はすこしの間、会社でしか通用しない社内用語などを織り交ぜな
がら、その社員と世間話をした。彼のとまどい顔はおもろかった。「なぜ、この
ブルーカラーがウチの社内用語に詳しいんだ」という不思議ちゃんになってたね。

 だが彼は一作業員とあまり話をしたがってる様子もなかったし私もするつもり
がなかったので、すぐ作業に戻った。この頃には、知った顔は本部長だけだと
分かっていたのでちょっと余裕が出てたんやろね。その後は何事もなく仕事は
終わった。

 結局、私は「僕は死にまっしぇ〜ン」をやるチャンスが2回ありながら、1回も
することはなかった。

 だが、改めて分かったことがあった。いや今までも分かっていたつもりだっ
たけど、あくまで「つもり」だった。

 それは、道路工事の時もこの時も、昔の会社仲間や本部長は、私の「顔」を
見ていたのではなく「立場」を見ていたということだった。

 彼らは私の立場が肉体労働者という「Out of 眼中」のものだったので、私の
顔は「目には入っていたが、見えていなかった」のである。そのことは、想像は
していても、さすがにここまでとは考えなかったのである。

 考えてみれば私もそうだった。工事現場で工事してる人の顔なんてジックリ
見たことも見ようと思ったこともない。彼らは景色だった。言葉は悪いが電柱
や石ころと同じように単なる景色の一部だった。

 いや、肉体労働者だけではない。ホワイトカラー同士だってそうだ。私たち
は相手の顔を見ているのだろうか。もしかしたら、ただ単に私たちは、自分の
上司や部下という「立場」を見ているに過ぎないのかもしれない。自分の父親
や母親も、父や母という立場や関係性を見ているに過ぎないのかもしれない。
彼らのことが視界には入っていても本当に見えているのだろうか。

 そう考えてみると、我々の見ている世界というのは、本当に我々が見ている
ものなんやろか。なんやオカルトみたいになってきましたな(笑)。
そうじゃなくって、目に入ってくるものが本当に「すべて」なのだろうか。

 私たちは目に入ってくるものを、知らず知らずのうちに取捨選択し、都合の
いいものだけを「選んで」見ている気がする。「目ざわりのイイ」ものとでも
いうのかな。そうすると、見たつもりになってそれ以上は見なくなる。

 それは聞くことだってそう。「耳ざわりのイイ」ものはすっと耳に入ってき
て、分かったようなつもりになってしまうことって多いと思う。そうなると、
それ以上考えよう聞こうという気持ちがなくなっていく。

 日々流されるニュース、身の回りで起きる出来事。「見たつもり」「聞いたつ
もり」「感じたつもり」になっていることって、案外多いんじゃないかな。

「アイツは間違ってる」「あの人は正しい」「かわいそう」「うれしい」「けしか
らん」「偉業」「もうダメだ」「実力主義」「年功序列」「グローバルスタンダー
ド」「成功」「失敗」etc…

 私は今一度立ち止まって、「つもりになっていること」を、自分が本当にそ
う見ているのか、聞いているのか、感じているのか、それとも、そう見たいか
らなのか、聞きたいからなのか、感じたいからなのか、もしくは、そう見なけ
ればならないからなのか、聞かなければならないからなのか、感じなければ
ならないからなのか、考えてみなおそうと思っている。

だが、言うは易しで、それが一番むつかしいことなのだけど。


☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆

読んでくださってる方、本当にありがとうございます。
仙人はホントに嬉しいでございます。
明るい話から暗い話、不思議な話、エロ話まで、バラエティに富むようがんば
ろうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。m(__)m

 

 

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つぎ

 

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