[2001/3/29]

連れ

 



☆ ☆ ☆ まえがき ☆ ☆ ☆ 
読んでくださっている方、本当にありがとうございます。
発行は不定期となっておりますが、なるべく煩雑に出そうと思っております
ので、これからもよろしくお願いします。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

「連れ(つれ)」

 仙人、大学時代は京都にいたのであるが、関西の方では友達のことを連れ
と言う。仙人は元々関西の人間ではないので、「連れって何?」と聞かれたら、
友達としか答えようがない。まあ、関西人もそうかもしれないが。ただ、仙人の
独りよがりかもしれんが、友達と連れは微妙にニュアンスが違うように思う。

 花粉症の号でも紹介したように、大学時代の仙人の部屋はいつも何らかの
人でひしめき合っていた。サークルの人間、大学のクラスの人間、高校時代
からの知り合いで京都に来ている人間。年齢もバラバラで、一番下の者から
一番上の者まで7つか8つ離れていることも珍しくなかった。みんな、あの狭い
部屋で器用に自分のスペースを確保し、毎日毎日愚にも付かぬバカ話や
アホ行事にうつつを抜かしていた。

 ある日の夜中(2時半ごろだったと思う)にこんなことがあった。二条城
近くに住んでいた先輩の部屋をおいとました私は、後は寝るばかりの心持ち
で「キ○ガイの館」と呼ばれる自分のアパートへバイクを走らせた。

 大きなアクビをしながら自分の部屋のドアを開けた私は一瞬キョトンとして
しまった。私の寝ぼけまなこに飛び込んできたのは、見ず知らずの者達が
マージャンに興じている光景だったのだ。それはその見ず知らずの者達とて
同じであった。一瞬前まで白熱のポン・チー合戦を繰り広げていた彼らも、
今ではキョトンとして水を打ったように静まっている。そのあまりの冷静な
様子から、部屋を間違えたと考えた私は、部屋を出て標札を確認した。

自分の部屋だった。

「あの…、だれ?」
恐る恐る声をかけた私の問いに、人懐こそうな笑みを浮かべた一人が、
「あ、ゴメンゴメン。俺ら、○○の連れ」と答えた。
○○とは私の連れである。○○はもちろんその場にはいない。それでも私は
妙な安心感を覚えながら、
「あ、ほんまに」と、笑顔で応えてしまっていた。
私は彼らに対して、私の部屋を許可なく占拠しているテロリストとしてより
も、私の連れの連れという“共有感”にも近い安堵を持ってしまったのだ。

 これは普段から部屋にカギをかけず、人の往来が絶えない特殊事情も追い
風にした私の特異な心境なのかもしれない。だがそれでもなお、「連れ」と
いう言葉の持つマジックをも感じざるを得ないのだ。同じ釜の飯を食ったこ
とがないにもかかわらず、食ったことがあるかのように錯覚させてしまう
魔力が「連れ」という響きにはある。

 私は彼らに、
「今、どれくらいなん?」と聞いた。彼らは、
「ちょうど、半チャン終わったとこ」と言うので、
「そりゃ、止められんなあ」と思い、「ほんま。じゃ、まあ、頑張って」と
手を挙げると、「ほんま、スイマセン」とか「部屋代置いときます」とか「次、
誰が親やったっけ?」などの彼らの声を背に、自分の部屋をあとにしたのだ
った。(すごいホンマ尽くしになってもうた(笑))

 また舞い戻ってきた私を出迎えてくれた二条城の先輩は、「全然知らん奴
なんやけど、連れの連れが麻雀やってました」との言葉に、これまた「あ、
ホンマに」と一言で片付け、何事もなかったかのように私を泊めてくれた。
先輩も「連れマジック」に毒されていたのであろう。

 さて今回、なぜ「連れ」について喋ってきたかというと、明後日に15年
の間、苦楽を共にしてきた「連れ」と永遠の別れをしなくてはいけなくなっ
たからである。それはまた次号で。


☆ ☆ ☆ あとがき ☆ ☆ ☆ 

今日、メチャ安いトイレットペーパーを見つけたので、大喜びで買って帰っ
たら、キッチンタオルだった。だが、仙人はけっこう負けず嫌いなので、
意地でも使うと思う。明日から、ワシはキッチンタオルで尻を拭くぞ!

 

 

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つぎ

 

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