007:制 御不能
よく利用するスーパーのある商店街の一角に、毛糸店があ る。
色とりどりの毛糸が、きっちりと、しかし暖かい雰囲気で木の棚に陳列されていて、
店主であろう老境の婦人の優しい心根を表しているかのようだ。
僕は毛糸などには縁のない人間だが、通りがかるとつい覗いてしまう。

そこへある日、毛糸たちを背景に、卵色のセーターがぽっと灯りをともすように
ハンガーに掛け られているのを見た。
おそらく見本としてあの婦人が編んだ物だろう。
僕はびくりとした。
あのセーターに似ている。

なかなか綺麗な色の服が手に入らない国の状況の中、彼女に似合うものを
さんざん探して、ふたりで初めてのクリスマスにプレゼントしたセーター。
あんまり気に入って着るものだから、質の良くないそのセーターは
すぐに毛玉だらけになってしまい、彼女はいつも悪戦苦闘して
憎き毛玉を取るのに勤しんでいた。
新しいのを買ってあげると言っても聞かず、ぶつぶつ言いながら一生懸命に
毛玉の根元をはさみで丁寧に切っていた。
その必死な横顔。
頬は高潮して耳朶まで赤くなって、意地を張る子供のようだった君。

気がつくと僕はそのショーウィンドウの前に立ち尽くし、
両方の目から馬鹿みたいに涙を流していた。
店の奥から不思議そうに見ていたであろう婦人が駆け出して来て、
ハンカチを差し出しどうしたのと訊いた。
通行人があきれた顔で通り過ぎてゆく。

僕は本当に馬鹿みたいにしゃくりあげながら、店の奥に招き入れられて
差し出された椅子にへたり込み、ただ泣いていた。

「差し支えなければ、何か言って頂戴、どこか具合が悪いの?」
優しい老婦人が訊く。
僕は話し出した。止められなかった。
「恋人が死んだんです。」
「まあ…最近のこと?」
「ずっと…ずっと前です、僕がいけなくて、至らなくて、
だから彼女は、あんなに綺麗なのに、
なのにあんなに…あんなに傷ついて」
「………まあ……」
「彼女はあそこにあるみたいな卵色のセーターが気に入ってました、
ぼろぼろになってもいつまでも着ていました、きかんぼうの子供みたいに
初めて話す相手なのに僕は話すのを止められなかった。
こんなことは誰にも話したりしないで来たのに。

婦人はそっと立ち上がると、セーターをハンガーからはずし、
ふわりと僕の肩を暖めるように掛けてくれた。
そのセーターに顔をうずめて、婦人に肩をさすられながら、僕はまるで
真夜中にぐずる子供のように、いつまでもいつまでも泣き続けていた。


                                  (2004年 6月27日)


Der vierte Platzのいき楓さん に図々しくもリクエストさせて頂き、
 このお話に 後日談を頂き、感激しました。こちらど うぞ

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