医療被曝を考える
ーアスベスト問題は私達の問題であるー
アスベスト問題が日本中を席巻しています。日本中を恐怖に陥れているといっても過言ではありません。そして国中に怒りが渦巻いています。この怒りはどこから来るのでしょうか。それは既に、欧米ではその危険性が指摘され使用禁止になっていたにもかかわらず日本では危険性が無視され使用が続けられたことに対する怒りです。業界は利潤を優先し、業界を指導するはずの国が指導を放棄し国民の命をないがしろにしたことへの怒りです。これと同じようなことは過去に医療界でもしばしばみられました。古くはサリドマイド事件であり、スモン病事件、そして最近では医原性エイズ、医原性クロイツフェルトヤコブ病、C型肝炎等々です。これらはアスベストと同じく欧米では既にその危険性から使用禁止になっていた薬剤を業界の利潤を第一として国が使用禁止の処置を放置し業界が販売し続けた結果、国民が大きな被害を被った事件です。また形こそ違えハンセン氏病も同じような状態でした。諸外国では隔離などということは全く行われていないにもかかわらず我が国では感染の危険大としてつい最近まで国策として患者を隔離し続けたのです。諸外国に比べると数十年も遅れた医療をし続けたのです。そして世界でも希にみる、甚だしい人権侵害をおこしました。このようにみてくるととてもアスベスト問題を頭から非難するほど医療界はきれいではないことが分かります。科学的ではないことも明白です。
しかしここで一つ弁解させていただきます。これはアスベストを使用した末端の企業、現場の労働者にも言えることですが、医療の現場にはほとんど(全部ではありません)責任はないということです。アスベストの吹きつけ作業をした建設労働者は犠牲者であって責任はありません。同様にハンセン氏病患者の隔離、治療に当たった現場の医師も責められるべきではありません。隔離する必要のないことを教えられなかったのです、知らなかったのです。サリドマイドを使用した医師も、キノホルムを使用した医師も責められるべきではありません。非加熱製剤を使用した医師も同様です。国が認めた薬剤を使用するに当たって一つ一つ安全性を確かめる力は現場の医師にはありません。力というよりも安全を確かめる義務は無いといった方が正確でしょう。現場の医師は国が保証を与えた薬剤を使用基準に従って使っただけなのです。国と製薬会社に責任がある問題です。
しかしこれだけいろいろ薬剤の害が出そろってきた現代においては国の薬事行政を鵜呑みにすることは医師個人の責任を問われても仕方がないことです。
現代は国の薬事行政は間違っていることを前提に、自分の目で、頭で確かめて薬剤を使わなくてはならない時代に生きているのです。薬事行政だけではなく医療全般について安全性、科学性を確かめなくてはならないのです。それだけ、国の仕事はずさんで信用がならないのです。ずさんで信用がないということを知ることが大切なのに、知らない医師があまりにも多いところに問題があります。サリドマイドもスモンもエイズもハンセン氏病も国の薬事行政、医療行政の間違いが産んだ薬害・医療被害でした。
しかしここに国の行政の責任もさることながら医療界、現場の医師自体が引き起こしている医療界の「アスベスト問題」があることを強く訴えたいと思います。
それは医療被曝です。アスベストの害がアスベストの吸入から30年、40年後に現れてきたように医療被曝もその害が数十年後に現れてくるおそれが十分にあるからです。
アスベストやサリドマイド、キノホルムが現場の労働者、医師がその危険性を知らなかったとしてもそれほど責められる必要がないことは先に述べたとうりですが、医療被曝による健康被害は医師個人に大きな責任があり十分責められる問題です。
なぜならすべての医師はレントゲン照射は放射線被爆を産むことを十分承知していなければならない立場にあるからです。知らなかったとはとても言えないのです。知らなければ知らないことそのものが大きな問題です。それなのに日本の医療被曝の現状はどうでしょう。世界に類を見ないほどの医療被曝大国なのです。国民一人あたりの医療被曝はだんとつ第一位です。この事実を意外に、多くの医師が知らないのです。知らないと言うのが正確なのか、知らされていないと言う方が正確なのか、いずれにしても知らないことだけは事実です。知らないと言えばレントゲン撮影が放射線という身体に害のあるものを人の身体に浴びせているのだということを認識していない医師達もこの国に多いことも事実です。それがこの国をして世界一の医療被爆国に成長させたのです。
現場では気軽に胸の写真を撮ります。そして少し異常な影があると胸部CTを指示します。CTが胸部単純写真一枚の100倍〜400倍もの放射線を必要としていることさえ知らないで気軽にCTを指示しています。もしも一回のCTが胸部写真一枚の400枚分にも相当することを知っていたらとても怖くて気軽にCTなど指示できないはずです。400枚分の放射線被曝があることを知ってて気軽に指示しているならばそれはもう犯罪です。日本の医師はCTの放射線量さえ知らない(知らされていない)のです。それなのに人口100万人あたりのCTの台数は64台で二位のスイス(26台)を大きく引き離しだんとつ世界一位なのです。
気軽に胸の写真を撮るよい例は入学時の健診、入社時の健診、そして様々な職場健診です。この中には確かに肺結核の者もいるでしょうがほとんど99.999%いないことは誰でも承知しています。誰でも承知しているのに胸部のレントゲン撮影が半ば強制的に撮られています。ここにも大きな問題がありますが決して医療者側から異論は出てきません。こうして多くの若者がレントゲンの被爆に曝されてしまうのです。
胸の写真を撮るのは健診だけではありません。医療現場ではわずかに咳がある、痰がある、熱があるというだけで胸部のレントゲン写真が撮られています。一方向だけならまだしも気軽に二方向撮影が指示されたりもします。そしてまた、その咳が鎮まったら鎮まったで確認のためと称してまたまたレントゲン撮影が行われます。消化器系のレントゲン撮影も同様です。気軽にバリュウム撮影をする。そして毎年胃のレントゲン撮影する事が正しいと信じている医師は誰彼と無差別にレントゲン撮影を指示します。若者であろうと女性であろうとレントゲン撮影を指示することは医学的に正しいと思っています。上部消化管のレントゲン被爆量(胸部単純写真の300〜400倍)は胸部の比ではないことは誰の目にもあきらかであるのに何ら心の痛み無くバリュウム撮影が繰り返されています。大腸のレントゲン撮影(600〜800倍)でも同様です。そして腹部に異常の気配があると気軽に腹部CT撮影が指示されています。CTの撮影には莫大な被爆が伴うことを知らないのです。
以上は内科での話ですが外科でも整形外科でも歯科でも殆どすべての科で同じようなことが行われています。そして日本中で莫大な量の被爆が国民の上に注がれています。
これが医療界における「アスベスト問題」です。アスベストは業界の利潤追求を第一としたがために長年、その危険性を知りながら放置されました。医療被曝も同様です。
アスベストは安価であり、しかも耐熱性や耐摩耗性が優れていることを理由に日本中の現場で使用されました。現場でも大きな利潤を生みました。しかしそれは危険と裏腹な存在でした。そして、そのつけが今、来たのです。
医療におけるレントゲンも同様です。安価であり、疾病の発見、管理にきわめて有用です。
多くの人の命が救われたことも事実です。そして現場でも大きな利潤をうみました。しかしそれは危険と裏腹な存在であることはアスベストと変わりはありません。
アスベストと違うところはまだ、人の命に大きな影響を与えていない(本当はアスベストの比ではなく、見えないだけで大きな害を与えてしまっているようです)ところです。そこで、アスベストのようになる前に、私たちはなんとしてもこの害を食い止めなくてはなりません。 それにはどうしたらいいのでしょうか。
まず第一は、医師、医学生に医療被曝をきちんと教育することです。そして医療現場ではレントゲン照射を極力少なくすることです。今、医師は気軽にレントゲン撮影をしすぎます。レントゲンに代わるものを第一にして、レントゲン撮影は止むにやまれない、どうしてもこれしかないという最後の手段にするという考え方をしたいものです。普段は各種の内視鏡、エコーなどを駆使し、血液検査やその他の検査を活用します。とにかくレントゲンの機械が無いことを前提に医療を進めます。各種の健診における胸部レントゲン撮影は禁止することは勿論です。濫用とも言えるCT撮影を大幅に規制すべきでしょう。
第二は国民の教育です。レントゲン撮影は危険であることを周知徹底させます。そしてレントゲンを気軽に撮るような医師はボイコットするくらいの力を国民に持たせることです。そうすることが医療被曝を少なくするもっとも近道かもしれません。
第三は医師のレントゲン読影能力を高めることです。読影能力が低いところに再撮影,CTの指示が生まれます。一枚の写真を読み切る能力を高める必要があります。また、それにも限界がありますので専門医が読影する体制を作り出します。
第四は、利潤の追求の誘惑に負けてはならないということです。
アスベスト被害は利潤追求の会社、業界に負けてしまった結果です。医療界でも健診の業界、医師の団体がレントゲン撮影の禁止に反対を唱えています(05年7月17日、毎日新聞)。利潤が無くなる、もうけの種が無くなるという事で反対しています。医師個人の中にはそれに対して真っ向から異を唱えようとはしない、むしろ業界が矢面に立って禁止に反対してくれることを望むようなものを本能的に持っているように思えます。レントゲンを撮ることが即、利益に結びつくことを知っているからです。レントゲンを撮らないことが即、減収になることを本能的に知っているからです。しかしそれに負ける事は自分が加害者の側に立つことになります。数千万円から億の単位にのぼる設備投資を回収しようと、過剰な検査をする場合があるという指摘も多くあります。残念ですがとても反論できるような状態ではないことも事実でしょう。
第五はなるべく避けたいことですが、レントゲン照射が診療報酬上メリットが少なくなるようにすることも必要だと思います。
第六は悪性疾患に対する考え方を根本から見直すことではないでしょうか。癌を早期発見すれば癌で死なないかのように医師も、国民も思っているのでレントゲン撮影が頻回に行われるのだと思います。とくに医師がそう思っているところに大きな原因があります。
癌を早期発見早期治療の対象疾患にしている限りレントゲン照射は減少しないでしょう。
きちんとしたEBMによりアメリカでは肺ガンの早期発見は意味がないとしています。こういう事実があまりにも日本の医師には知らされていません。こういうことをきちんと知らせば癌の考え方は大きく変化するでしょう。早期発見が意味無いものとなれば早期に発見しようとしなくなり、レントゲン撮影は激減します。日本の医療被曝が世界第一位であり、その医療被曝による癌の発生数も世界第一位であるという科学的論文(ランセット)があるにも関わらず、早期癌発見のためには医療被曝は問題にすべきではないと言う医師もたくさんいます。そういう医師がいる限り日本の医療被曝は決してなくならないでしょう。癌の考え方が以前、日本が辿ったハンセン氏病の歴史と同じでないと誰が言えるでしょうか。ハンセン氏病では世界で行われていなかったことを日本中の医師がつい最近まで行っていたのです。信じて疑わなかったのです。大学でも何の疑問もなしに学生に講義がされていたのです。ハンセン氏病は伝染する、隔離が正しいと。
今、癌は早期発見すれば必ず治る、手遅れは早期発見を怠っていた患者が悪い、医師が悪いと叫ばれています。誰かがどこかで大きな力をもって真実を歪めていることはないでしょうか。ハンセン氏病が戦争遂行のために真実を曲げられてしまったように。癌というものの考え方も違うのではないでしょうか。
アスベストもハンセン氏病もその他の多くの薬害も、医学を真摯に世界から学ぼうとしなかった結果です。日本という狭い枠の中だけで、日本特有のローカル医療が行われていた結果が悲劇を生んだのです。世界では今、癌というものをどのように考えているのか真面目に学ぶ必要があるのではないでしょうか。早期発見すれば治るのでしょうか。死なないのでしょうか。世界はどうもそのようには考えていないようです。しかしこの六番目が一番の難関でしょう。
最近、さらに新しい医療被曝が広がろうとしています。小さな癌の発見に有効だというPETです。PETではレントゲンによる被爆は起こりません。PETの医療被曝は放射性物質を体内に注射することによる医療被曝です。その被曝量は胸部単純撮影の20倍〜80倍と言われています。PETそのものの医療被曝はCTよりも軽微です。しかしPETとCTとを組み合わせたPET・CTという機械がもてはやされるようになってきました。そして放射線被曝は全く語られずに、その癌発見の精度だけが語られています。PETだけでも被爆を産んでいるのに更にPET以上の被爆量を持つCTを組み合わせるPET・CT。精度は上昇するでしょうが医療被曝は語られなくてもいいのでしょうか。医療被曝が全く語られないまま国民の中に、医師の中にPET・CTが持ち込まれているという現実に身震いを覚えます。癌を発見する機械ではなく癌製造器ではないでしょうか。
ちなみに英国オックスフォード大学では次のように推定値を発表しています。医療機関での放射線検査による被爆が原因の発癌は日本が最高で、年間の全癌発症者の3.2%(7587例)を占める。
人は非常に保守的なものです。変化を嫌います。医師というものは一層その傾向が強いように思えます。しかしアスベスト問題は私たちにとって人ごとではありません。
アスベストで多くの国民が胸を病んだように、医療被曝で国民から非難されて我々自身が胸を痛めることのないように今、立ち上がろうではありませんか。
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