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The vocal cords <3>
By.天羽ひかり
ずっと穏やかな笑顔を湛えていたひとの、すべてが凍りついた。
否、カカシが凍りつかせたのだ。
カカシの言葉に、こちらが驚くぐらい反応して、笑顔が消えた。大好きなイルカの笑顔が……。
カカシは慌てた。上忍任務中だってこんなに慌てたことはないというくらいに、滑稽なほど内心は動揺しまくっていた。あまり表情に出ないのだけが救いではあったけれど、理由がわからないようじゃどうしようもない。フォローしようもない。
あたふたと言い訳にもならないような言葉を継いでも、一向に笑顔は戻らない。
どうしよう。
途方にくれながら、わけもわからず謝った。どうみてもカカシに原因があることだけは確かだ。
それなのに、イルカは俯いてしまって、その瞳さえ見せてもらえない。
(ああ、俺の馬鹿!!)
なにがいけなかったのだろう。
暗部をやめて何年か経って、やっと日常に慣れてきたと、浮かなくなってきたと思っていたのに。ちょっとしたところで、己と他者との違いを思い知らされる。表面は取り繕えても、深い付き合いをしていくと化けの皮は容易く剥がれてしまう。別にどうあっても他者と迎合して生きていこうなんてことは思っていない。普通じゃない生活をずっとしてきたんだから、基本的に自分は自分でいいと思う。
でも、だ。いまはそれよりも重要なものがあるのだ。
たとえば、見ているだけでほんわりと幸せになれるような、目の前のひとの笑顔、とか……。
ここ数年、何かに強く拘ったり、心の奥底から欲しいと願うそんな迸るような強い感情とは無縁だった。でも今は、欲しいと強く思っている。このひとと一緒にいられる時間がもっともっと欲しいのだと、声高に喚きたくなるぐらいに強く。
ただおそらくは、こういうひとと自分のような人間が判りあうには時間が必要だろうと、急く心をずっと宥めてきていた。
それでも随分近づけたと思っていたのだ。最初のうちは、自分自身の感情すら定かではなかったから、本当にのんびりしていたのだけれども。自覚した後も、極々常識的なイルカを見るにつけ友達になれるだけでもいいかな、なんて半ば諦めてもいた。ただ近くにいられたらそれでいいのだと、納得しようと思っていた。
それなのに。
生真面目なこのひとがまさかと思っていたのに、なんだかイルカは優しくて、不意打ちみたいに仕掛けたキスに怒ることさえなくて――カカシはちょっとだけ期待していた。
イルカとて惹かれあっている自覚ぐらいはあるだろうと思えてきていたし、事実、今までだっていい雰囲気になったことはあった。少し押せばキスから先に進めそうだと思ったことも。
それでも少しでも無理してほしくはなくて、ゆっくり進もうと思っていた。
なによりも、身体を繋ぐことよりもっと大事なものを、手にいれかけているような気がしていたから。
言葉にできないような、なにかきらきら光る珠玉みたいな、ほんの一滴の奇蹟のようにやわらかく暖かく心を包むなにか。
理屈でない心のどこか深いところで、イルカはほんものだと感じた。なにがどうほんものなのだと、自分で突っ込みながら、そのわけもわからぬ閃きに似た感覚が忘れられなかった。
それなのに、もう全部が消えてしまうかと思った。こんな悲しい顔を、このひとにさせてしまったのだから。
困って必死な顔を、もうごまかす余裕もなくなっていたと思う。
いくら言葉を重ねても、イルカの笑顔は戻らない。
絶望的な気分になりかけた時、ふいにイルカが動いた。優しく頬に添えられた指先に、どきりとする。
思考が停止しているうちに、柔らかく唇が重ねられた。
え……。
口づけに、カカシの身体は動きを止めた。
(心臓が、止まりそうだよ、イルカ先生)
間違いなく云いきれる。
キスで一番驚かされたのは、絶対今に違いない。そんなバカみたいなことを真剣に思う。
でも、わからない。
これは、どういうキスなんだろう。
そんな、今にも泣きそうな顔で、口づけをくれるのはなぜなんだろう。
こんな切なそうな泣きだしそうな顔で、唇を重ねるひとを見るのも初めてだ、と思う。わかりやすい欲はそこに見えず、カカシにはイルカの心すべては到底見えない。
イルカの心理はとても理解しきれなかった。ただ心地いいことだけは確かで、離れる気もなかったのだが。
もどかしげな黒目。
間違いなく、自分が悪いのだろう。
もしかしたら同情かもしれない、と思いながら、頭の片隅でそれでもいいと肯定する自分がいる。たとえば、呆れてでも憐れまれてでも、ひょっとして軽蔑されていたとしても、この手は離したくない。自分のプライドなんてどこにもなかった。
それぐらい、ただ触れ合うだけの口づけに、驚くほど高揚していた。キスの理由さえわからなくても、酷く嬉しかった。
もっと、したい。
そうして触れても、いいのだろうか。
もっとイルカの深くまでを探り当てて、つよく抱きしめていいのだろうか。
たぶん、あまりにも言葉が通じないから、キスをくれたんじゃないかとは思う。このまま抱き合えばわかるのだろうか。もっとたくさん触れ合って、二人で気持ちよくなって、ギリギリまで繋がったなら、あと少しだけでも近づけるだろうか。
急ぐつもりはなかったけれど、イルカが嫌でないのなら、話は違う。でも、いまいち確信ももてない。なにしろ、イルカと自分の間には、随分と色々なことに隔たりがある。
やはり、きちんと聞いた方がいいのだろう。
酷くマヌケかもしれないけれど、これ以上イルカを傷つけるよりはよほどいい。
「……あの、」
イルカのベストに触れながら、目を見る。言いかけたものの、言葉に詰まったカカシに、イルカはほんの微かに笑ったような気がした。
「ハイ」
ゆっくりと、カカシの背に回される腕。
近づきすぎて、顔が見えなくなってしまって、しっかり確認できなかったけれど。
確かに了承するように微笑んで、腕をまわしてくれたのだ。
(い、いいのか? いいんだよなぁ……)
イルカは、思ったより落ちついている。今のカカシよりは、よほど冷静に見える。
イルカは、実は結構もてるのかもしれない。イルカはどう見ても「結婚相手」向きだ。優しいし包容力がある感じだし、子供も好きだし、いいお父さん候補では上位に違いない。
今までそんな話を全然してきていないので、あくまで想像にすぎないけれど。
話したことがないというより、聞きたくなかった。イルカが過去にどんなひとを好きになって、どんなひととどんなふうにしたのかなんて話は、とても冷静に聞けない。尤も聞いたところでそんな話を口にするのは嫌がりそうだから、カカシが知ることなどなかったかもしれないが。
でも、至ってノーマルそうなイルカが、男相手にどうこうなんてのは聞いたこともない。
それだけカカシを特別にしてくれていると思ってもいいのだろうか。
でも、この腕は、たぶん、きっと間違いない筈だ。
少しでも嫌われるのが怖くて、不安でたまらない。何をそんなにイルカが哀しんでいるのかすら、わからないから。
こんなことに悩む日がくるなんて、一生ないと思っていたけれど。他人の話だったらお笑い種以外の何物でもないけれど。カカシは、悲しいくらいに真剣だった。
なんだか心臓もばくばくしている。イルカに聞こえてしまいそうだ。こんなにも激しくては。
覆うことに慣れた額あてを、どうやって外したのかも覚えていない。
ただ、驚かせないように、ゆっくりとゆっくりと口づけを深く交わしていく。
嫌がるそぶりがないか確認しながら、恐る恐るイルカに、触れた。
初めて触れるイルカに、ドキドキしている。多分初めてした時より、緊張してる。そう言い切れる妙な自信がある。
イルカの眼差しは、まだ暗い。まだ引き摺っている。それぐらいは、わかる。
そうして、深い口づけに頬をわずかに紅潮させながら、なにかを考えている。多分カカシのことを。カカシに理解しきれないなにかに拘泥して、困って悩んでくれている。
やさしくて、いとおしいひと。
「イルカ先生、あなたが好きです。ほんとうに」
「カカシ先生」
「あなたのことを、知りたい。もっともっと。……ごめんね、俺はあなたの悲しみの理由さえわからなくて」
「あなたが悪いんじゃないんです。俺も、なんていえばあなたに伝わるのか、わからない。
でも、あなたが好きです。それは、ほんとうです」
真剣な顔で、真剣な声でイルカは射抜くような強い瞳で、カカシを見つめた。
「ありがとう、イルカ先生」
それが、とても嬉しくて。同情なんかじゃない気がした。
ほんとうだと、思えた。
口づけの合間にゆっくりと忍び服を脱がせていく。指先が、首筋を辿り、鎖骨に触れる。あたたかな、イルカの身体。カカシの指の冷たさに、ぞくりとその身が震える。
「ごめんね、冷たかった?」
「……だいじょうぶです」
直に触れた肌の感触を確かめながら、指で唇で、触れるたびに、イルカの反応が気になる。愛撫を受け慣れない躰は、けれど確かに反応を返し、息も乱れていく。
こんなに相手のことばかり考えて、ひとを抱くのなんて初めてかもしれなかった。本気の相手など、いなかったということだろう。
僅かに開かれたイルカの唇から、深い吐息が漏れた。
徐々に滑り降りていく唇で、イルカの胸の突起を口に含み舌を絡める。軽く立てられた歯に、イルカは大きく身体を捩らせる。
「……あっ」
イルカのすべてに触れたかった。こころのすべては、とてもわからないから。せめて、もっと知らないイルカの顔を見て、知らない声を聞いて、たとえ刹那でも近づきたかった。
触れていくところどころで、確かにイルカの反応が返る。それが嬉しくて、いいところを探して、丁寧に丁寧に触れていく。
背筋を辿る指先がイルカのウエストで止まり、煽情的な動きをする。そうして、イルカ自身に指を絡めると、びくりと大きくその身体が震えた。
「うあっ……」
既にイルカはかなり高まりつつあった。それを更に高ぶらせてから、ゆらめく腰を押さえ付けて、口中に取り込んだ。ぬめる舌先で、丹念になぶっていく。
「あっ……」
快楽に揺れるイルカの瞳は、いつもの強い輝きが失せ弱い光が灯っている。酷くそれが、綺麗だとカカシは思った。
「あっ……くっ……」
充分準備してから、入りこんだのだけれど、イルカの中はとてもきつくて、おそらくイルカはもっと辛いだろうと思えた。
「大丈夫ですか?」
「カカシ、先生」
それなのにイルカは、微かに笑って掠れた声で名を呼ぶ。
それに、酷くそそられた。ぞくぞくと背中を伝い落ちる快楽。
背に回された指先が、痛いほどの強さでカカシを抱きしめる。
「ぅあっ……」
ゆっくりと動きだすカカシの動きに、最初は痛みが勝っていたようだったが、段々にイルカの顔から苦痛が消えていく。
「あ……っ」
のどの奥で、苦しげに殺される声が痛々しい。
「声、殺さないで。苦しいでしょう?」
その瞬間、イルカは大きく目を瞠った。
「……カカシ先生。カカシせんせい」
掠れた声で、耳元に響く声音は、知らないイルカの声だった。
ああ、たまらないよ。
なんて声で呼ぶんだろう。なにかが伝わってくるような重みをもったイルカの声。
たまらなく煽られた。
「イルカせんせ、いたくない?」
それに小さく頷いて、イルカはまたカカシの名を呼ぶ。それが、心地いい調べのように響く。
「カカシ先生、ああっ……」
「もっと、聞かせて」
訴えるような強い眼差しで、イルカは切ない声でカカシの名を呼び続ける。
強くまわされた腕が、離さないとばかりに背中を擁いている。
そして、カカシの全てを支配するように響く調べ。
「カカシせんせい」
呼び覚まされていく情感に、カカシは夢中になっていた。
「カカシ、先生、俺も、アナタの声が聞きたい」
快楽に涙で潤ませながら、それでも、まっすぐに見上げてくる瞳。
ぞくりと戦慄が走る。
ああ、そうなのか。
声。
すとんと、胸に落ちてくる。
今まで、こんな風に、情事の最中にその名を呼びたいと、強く思ったことがあっただろうか。己の名を呼ばれただけで、こんなにも熱くなる。
こんな強い感情は、知らない。
「ごめん、ごめんね、イルカせんせい」
謝る声に、必死に首を振る仕草がかわいい。
「おれだって、アナタの声が聴けないのは嫌だ。そういうことだよね」
なんだ、そういうことか。
たしかにイルカの声は、ただの音の連なりとはとても思えなくて。
「カカシせんせい」
イルカは、どこか安堵したように笑う。
強い欲求に蠢きながら、イルカの名を呼んだ。
「イルカ先生、ごめんね。好きです、アナタが。とても」
微かに震えて、快楽の限界を訴える身体を、深くまで貫いた。
「あああっ」
弾けるすべて。
イルカのぜんぶを、覚えていられるだろうか。
快楽に歪む視界の中で、カカシはうわごとのように思った。
update 20030218
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