|
サーチライト<2>
約束の時間より少し遅くなってしまったので、早足でアカデミーへと向かう。外門へ続くなだらかな坂道を急げば、ちょうど中から出てくるイルカの姿があった。
既に太陽は落ちて薄暗く、夜が近付いていたが、カカシにはその影がイルカだとはっきりわかった。その足元を潜り抜けるように小さな影が一つ。
「あー、イルカ先生!」
「どうしたんだ? こんな遅くに」
おそらく生徒の一人だろう。イルカはすぐに腰を屈め、目線を合わせてから問いかけている。
「あの、忘れものしちゃって」
「見つかったのか?」
「はい!」
「そっか、遅いから気をつけて帰りなさい」
くしゃくしゃと男の子の頭を撫でるイルカの大きな掌。
あの日、酔った勢いで強引に触れた掌を、思い出す。
欲しい、と強く思う。あの温かさを、もう一度識りたいと。
暖かさの具現のような情景に、眩しいものを見つめるようにしてカカシは目を細めた。
踏み出す覚悟もないくせに。
内側から囁く声に、小さく自嘲する。
ふわりと、イルカに頭を撫でられた子供が笑ったのが、遠目にもわかった。
子供はなんの気負いもなく、イルカの優しさに触れられる存在だ。
「はい、さようなら!」
「また明日な」
明るいイルカの声。
子供は元気に走り出し、カカシの前を通り過ぎていく。
もしもカカシが、こんな子供だったなら。
もっと無邪気に、もっと簡単に、イルカに近づけただろうか。
「……でも子供じゃできないことあるしな」
小さな呟きが、イルカに少し届いてしまったようだった。訝しげに視線が上がる。
「カカシ先生?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「すみません、お待たせしましたか?」
小走りに近づいて、イルカは申し訳なさそうな顔をする。
「いえいえ、俺も今歩いてきたとこです。ちょっと話が長くなっちゃってね」
「大丈夫だったんですか?」
「ええ、どちらかといえば余談の方が長かったんで、全然平気です」
カカシが上忍であるということを除いたとしても、まだこの人との距離は遠い。
そろそろ、友人、とぐらいは呼んでもいいだろうか? どちらにしても、カカシの望むような距離からはまだまだ遠い。
こうして一緒に歩いていたって、酒という名目でもなければ手を繋ぐことすらできない。第一、イルカがカカシとの付き合いをどう思っているのかすらはっきりしないのだ。
とりあえず嫌われてはなさそうだ、という頼りなくおぼろげな感触ぐらいしかない。
そもそもイルカが顔を顰めて嫌がるような相手が存在するのかどうかすら、カカシは知らない。喜怒哀楽がはっきりしているようでいて、受付で見かける彼の表情からは容易に真意がよめないことがある。子供達を相手にしている時は、ほぼ素直に感情が表れているようなのだけれど。そんな点も、カカシ自身ここ暫くイルカに注意を向けていて気づいたことだった。
総合して考えてみると、どんなにカカシに贔屓目に甘く見積もったとしても、恋愛感情を懐かれているなんてことはまずありえないだろう。
誰にでも優しいひとは、罪作りだ。優しくされれば、期待してしまう。
職業柄、人の心の機微に疎い方ではないが、相手も忍なうえ、惚れた弱みか今回は勘もあまり当てにできそうもない。
「……望みないのかなぁ……」
思わず口を衝いてでたぼやきに、イルカは微かに首を傾げた。
「どうかされましたか?」
「あ〜、そのねぇ〜、……そうだ! イルカ先生って今、恋人いらっしゃいますか?」
「は? どうしたんですか、急に」
アカデミーの子供だって、もう少しマシな聞き方をするに違いない。しかも唐突な質問に、イルカは驚いた顔をしている。
「いや、俺の知り合いがイルカ先生に気があるらしくてね。恋人がいるのか気にしてたんですよ〜」
なんて使い古された言い訳。あからさますぎただろうか。
精一杯、ちょっと聞いてみました!、を装って軽く云ってみる。
こんな時、顔半分を覆うマスクと、変わらぬ声がありがたかった。どぎまぎしているこの内心を綺麗に隠してくれているだろうから。
「あはは、光栄ですね。いま、恋人はいませんよ」
その一言に、馬鹿みたいにとても安堵する。糸みたいに細くでも、望みが繋がった気がして。
「そうですか。俺もいないんですよ」
突然の質問を不審に思った様子も見せず、イルカは変わらない口調で返事をくれた。自分が好きだと告げたからといって、ある日いきなり態度が変わるようなひとには見えないけれども。多少なりともぎくしゃくとしてしまうだろうし、警戒されてしまったら悲しい。
「カカシ先生もいらっしゃらないんですか? もてそうですよね、先生は」
優しいイルカは、あえて誤魔化されてくれたのかもしれなかったが、深く追及するでもなくかろやかに笑った。
「いやいや、そんなことないですよ! あ、じゃあ好きなひともいないんですか?」
「好きなひとですか。うーん……」
真面目に考え込むイルカに、カカシはおや、と伏せがちだった視線を上げた。
「……好きというか、不思議なひとはいます。よくいう『なんとなく気になってしまう』、という感じでしょうか」
軽く笑ってイルカはカカシに視線を向けてくる。
「そうですか」
「俺が、こんなことを云うのは意外ですか?」
「やや、そんなことはないですよ」
否定しながらも、正直少し意外な気がした。
イルカらしい真摯さで語られた言葉とその様子から、そんな感情に意識がないわけでもないのがわかる。率直さがイルカらしくもあり、そんな一面は新しく見たイルカの一部のようでもあり、複雑だ。
ただ、『俺』という一人称とともにカカシに対して隠すことなく語ってくれたことは、嬉しい。
公の場を離れると最近少しイルカの態度が柔らかく砕けてきていて、そんな些細な変化に、喜んでいる自分をカカシは自覚している。
「どうも俺は、随分と堅い人間に見られているようで、」
イルカは慣れたように苦笑する。向けられるイメージをよくわかっているのだろう。かといって、本当はそうでもないと、云いふらしたいわけでもなさそうだ。
「仕事のことしか頭にないように思われてるみたいなんですよね」
「はぁ、確かにアナタ、生真面目に見えますよ。俺は、最近アナタが真面目なだけの人ではないなと思ってますけど」
でもわからないところが多いんですよ、とまでは云えなかった。
曖昧に笑うと、イルカは照れたように頭をかいた。
「はは、この間はだいぶ酔ってしまいましたし」
「いやいや、イルカ先生強いじゃないですか。もっと酔った先生見てみたいんですけど、俺の方が先に潰れちゃうかなぁ」
「はは、勘弁して下さい。カカシ先生こそ相当お強いでしょう? 俺なんてまだまだですよ」
そんな他愛もない話をするうちに、目当ての店まで歩いてきていた。
「イルカ先生、今日ちょっとゆっくりお話をお聞きしたいんで、ここでいいですか?」
今までカカシと二人でよく入っていた居酒屋などとは違う高級な懐石料理の店を前にしても、イルカはまったく動揺しなかった。
「それはかまいません。なにか大切なお話ですか?」
カカシの口調に話の気配を感じたようで、イルカは無意識にか背筋を伸ばした。
「火影様に云われましてね。イルカ先生の今日の任務と明後日から俺が引き受ける任務にだいぶ関連があるらしいんです。それで、お伺いしたいことが何点かあって」
「わかりました」
きりりとイルカの表情が引き締まったようだった。
「無粋ですみませんね」
「とんでもないです!」
「俺としてはのんびり楽しい話でもしたいとこなんですが……ま、話が終わったらせめて、いい酒飲みましょう」
「そうですね」
「イルカ先生、日本酒お好きでしたよね。ここならうまい大吟醸が頂けるでしょうから」
「たまにはいいですね」
にこやかに笑ってイルカは、臆することなくカカシと並んで庭石を歩きだす。入り口のところでさり気ない仕草でカカシが先に入るように身を引いた。
店内に入っても、イルカは落ち着いた物腰で店の女将に会釈をしている。顔なじみなのかもしれない。そんな雰囲気もあった。
火影と共に来たこともあるかもしれないし、任務上でこういった場にも行きつけているのかもしれない。ついつい憶測を働かせながら、カカシは見知った女将に奥座敷への案内を頼んだ。
給仕の女性にお通しと酒の準備だけさせて、食事を遅らせ暫く来ないように言い含め、八畳ほどの座敷に上がる。
静かな室内に緊張した様子もなく、イルカは極自然体で正座している。
「イルカ先生も、こちらへはよくいらしてるんですか?」
「いえ、以前に何度か火影様関係のお客様をご案内したことがある程度ですよ。女将さんにはその際にお世話になりまして」
「あ〜そうなんですか」
「お相伴にあずからせて頂いたこともありますけれど」
「火影様はイルカ先生をとても信頼してますもんね」
「火影様には、両親を亡くした後随分とお世話になりました。まだ俺は中身の幼いガキでしたから……。せめて御恩返しができたらと思うんですが、俺なんかではまだまだですよ」
微かに伏せられる眼ざし。
遠い痛みを思い出すような視線は、カカシにも覚えがあるものだった。
「そんなことないですよ。アナタは立派な先生じゃないですか! ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいましたね」
「そんな、カカシ先生のせいじゃないですよ!」
「いや、すみません。立ち入りすぎたら、話してくれなくていいんですよ」
「ええ、わかってます。どうもカカシ先生とお話していると口が滑りすぎてしまって。つまらない話をお聞かせしてすみません。本題に入りましょうか?」
それは、どういう意味なんだろう。
(俺にだから、話してくれるの?)
自分の都合のいいように解釈しようとする頭を、必死に宥めている。
気を許してきてくれていると、思っていいのだろうか。その確認をする間もくれずに、イルカはもう真面目な顔でカカシを見ている。
「……そうですね。あ、イルカ先生足は崩して下さい。アナタが崩してくれないと俺も崩せないから」
聞いてみたいのに、結局聞けないまま、変わらない顔でカカシは頷いた。
いつまでこうしているつもりなんだろう。付かず離れずに不満があるのなら、踏み込むべきなのに。
「ですが、」
「話長くなりますから、お願いしますよ」
「……はい」
カカシだけ崩してくれとおそらく云おうとしていたのだろうが、敢えて言葉を遮るようにして告げれば、イルカはすまなそうな顔をしながら正座の足を崩した。
イルカが線を引こうとするのは、カカシが上忍で年上だからだ。上に対して、恐れることも、媚びへつらうこともなく、きっと必要なことだと思えば遠慮なくイルカは何でも云える人間だ。そのつよさは、識っている。
それでも礼儀作法や目上を敬う言動はまた別のようで、しっかりと守ろうとするのだ。そうして崩しきれない壁のように、カカシの前に立ち塞がる。
棘のようにカカシを、小さな痛みで苛ませる。
「じゃ、火影様から大まかな話は伺ってるんですけれど、気のついたことや何かを教えて頂けますか?」
右目だけ露出したカカシの顔は、きっと何も変わっていないだろう。
取っ払ってしまいたい。イルカの前では、マスクなど外してもいいのだ。それで、一歩でも半歩でも、近づけるのなら。
「では、時間を追ってお話しますね」
イルカは教師らしく、無駄なくわかりやすく任務概要を説明してくれた。説明するのに慣れた口調だな、と火影の部屋でも思ったことを再度感じる。偉そうなわけではないのだがなんとなく「先生」を感じさせる。
イルカの生徒になってみたいな、なんて馬鹿なことを頭の片隅で思いながらもカカシはイルカの話と明後日からの任務を重ね合わせ、地図を頭に描きながら俯瞰するような視点から全容を把握していった。
イルカの表向きの任務は、火の国本国への使い。無論、入り込んでいる敵がいるならば、イルカにもなんらかの手出しをしてくるだろうと予測してのもので、戦闘覚悟で向かった任務だった。単独の使いであるならば敵も油断するだろうとイルカが見て取った通り、行きにはさほど強い忍は現れず幻術の罠も避けて通った。そうして僅かな時間に動けるだけ動いて不審点を洗い出し、表向きの火影からの文書も無事に大名へ手渡す。
そしてイルカを罠にかけそこねた敵は、帰る途中に姿を現したのだ。
「イルカ先生の見た敵について、情報を教えてもらえますか?」
「三人、見ています。二人は、中忍か下忍で、恐らく砂の忍ではないかという気がしました」
「えっと、風の術を使ったというやつらですね」
「そうです。追いつめて何か特徴を見たいと思っていたのですが、武器も確か砂の忍がよく使う物でしたし」
「あと一人は?」
「後から現れたくのいちが一人います」
「くのいち?」
「ええ、幻術の使い手のようで、特別上忍クラスでしょうか。こちらは、はっきりしないんですが、砂の忍ではないような気がします」
「別の里の忍ということですか?」
「どの忍も額あてもなかったので確証はないのですが、多分違います。彼らの連携もあまりよくないようでしたし、即席の小隊の一部ではないかと思いました」
淡々とイルカは説明していく。当然のように一人きりで任務をこなして。
「厄介ですね。しかしアナタ一人で対峙したんですか? 三人と」
「まぁ二人は、下忍だったかもしれないので。その幻術使いのくのいちが現れた時点で、退散してきました。もう少し情報を引き出したかったんですが、こちらの手の内は知られていませんし、ひとまず報告をと思いまして」
「いや、充分でしょう。そもそもその接触も偶然だったんですし」
「まだ他にもいるようでしたので、全て調べられなかったのが残念です。あと、国内の有力者の屋敷のいくつかに、大掛かりな術の痕跡が見受けられます。広範囲ですし、おそらくは、記憶操作の類だと思うのですが、その辺は確認願えればと思います。大名本人及び屋敷に関しては、今のところ異常はなく、警戒にあたる忍にも問題はないようでした」
「暗部が配置されてますよね、屋敷内には」
「ええ、人数も不自然でない程度に増やしてあるようです。火影様からの命はきちんと届いているようでした」
「そうですか」
「敵側は、どうも大袈裟に動きたくはないんでしょうね、少なくとも今の段階では。かなり慎重なように思えます。これで術を解除した後にどう出てくるかが、気になりますが」
「そうですね、だいたいそれで全部ですか?」
「はい、わかることはこれで全てです」
「しかし火影様がアナタに任務を任せたくなる気持ちがほんとによくわかりますよ」
「そんな。まだまだ手落ちも多いんです」
「いやいや、いつも先生だってのが信じられないくらい手際いいじゃないですか。だって今回二、三日で戻っていらしたでしょう? こんな短期間になかなか調べきれないですよ」
率直に凄いと思った。急な代理で行った任務で極冷静に、無駄なく無理なくできる限りの成果をあげている。
「こんな話でもお役に立てればいいのですが」
「いや、助かりました。ほんと先生と一緒に任務に行けたら楽だろうな〜なんて思っちゃいますね」
イルカの忍としての優秀さを、話だけでも具体的に聞けて、なんだか垣間見たような気分になる。きっと一緒に任務に行けたなら、忍の顔のイルカをもっと知ることができるのだろう。
自分の知らないイルカの顔を、たぶん全部知りたいのだ。
知って、そしてそれからどうするのか。なにを、期待しているのか。自分でもよくわからない。ただ、近づきたいと思う以上のことは、なにも考えられない。
掌の温度以上の、何を識ればいいのだろう。なにかで、変われるのだろうか。
「恐れ入ります」
照れたような、微妙に居心地の悪そうな顔のイルカに、カカシは極自然に話を切って、酒を勧めた。
「さ、じゃあ食事にしましょうか。日本酒は、冷やがお好きでしたよね」
「はい。カカシ先生もですよね?」
「ええ、俺も冷えてる方がさっぱりとしていて好きですよ」
「それはよかった。では」
用意された徳利をさり気ない素早さで先に手にし、酌をしようとしてくれるイルカに、にこりと笑ってカカシは杯を受けた。
「ありがとうございます」
イルカを取り巻く空気が、なんだか柔らかくなったような気がする。任務の話が終わったからだろう。
この暖かさが、なんだかとてもいいなぁと思うのだ。
焦がれるようにして、イルカのそんな部分を欲しがっている。
酌を返しながらカカシは、かつて失ったそれに近いものを思いおこしていた。
もしもまた手にしたなら、今度こそは失わないように。
つよく願うのは、それだけだった。
next
update 20050113
|