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サーチライト<1>
By.天羽ひかり
橙色の夕日の差し込む長い通路を、カカシはゆっくりと歩いていた。
三代目火影に呼び出されたが、話の内容はだいたい判っている。明後日からの諜報活動任務についての話だ。急ぐ気にもなれず、のんびりと歩みを進めていたカカシは、ふとよく知る気配が近いことに気づいた。
前方横の通路から感じるそのひとの気配に、カカシは小さく口元を綻ばせた。
間違いなくイルカだ。
こんな小さな偶然が、馬鹿みたいにとても嬉しい。
せっかくだから夕飯の約束でもと、うかれかけたカカシだったが、ふいに僅かな違和感を感じてまじまじとイルカの近づいてくる方向を凝視した。
どこがどう違うと、すぐに言葉は浮かばなかった。
いつもと変わらない澄んだ空気を身に纏って、イルカは普通に歩いてくる。通路の交差する場所で足を止めたカカシに気づいたようで、軽く頭を下げて歩みの速度を上げる。そんな仕種も生真面目ないつものイルカそのものだ。些細な違和感を敢えてあげるならば、それは本当にカカシの勘ともいうべき著しく客観性に欠いた感覚であったが、ただ、イルカを取り巻く空気の温度が少しだけ低いような気がした、というそれだけのこと。
酷く曖昧な感覚にカカシは首を傾げた。
「イルカ先生、偶然ですね」
「こんにちは。カカシ先生も、これから火影様のところですか?」
笑顔で頭を下げながら近づいてきたイルカに、カカシも極自然に笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ、ちょっと呼ばれてましてね。先生もですか?」
「はい。少々機密性の高い任務だったもので」
「あっ、任務帰りのところだったんですね。じゃ、行きましょうか」
微かな違和感の原因に納得しながら、カカシは改めてイルカを見つめた。
言われてみれば、その気配もほんの少し希薄なような気もする。
でも、それだけだ。
血のにおいもなく、表情の硬さや、通常以上の緊張感は見当たらない。どう見てもいつものイルカだった。
カカシは、イルカの忍の顔を見たことがない。任務帰りの今ですら、それを想像させるようなものは残っていない。本当に茫漠な気配の薄さや温度の低さは、名残とも呼べないくらい僅かなもので、任務帰りだと知らなかったらきっと判らなかった。違和感ともいえないような微かな感覚は、カカシでなければ到底気づかないだろう。カカシだって、これがイルカだからなんとなく感じたぐらいの差異だ。通常以上に気にかけているイルカだからこそ、である。
イルカは、どんな顔で任務をこなすのだろう。
この優しいひとが、どんな面持ちで似合わない戦いの場に身をおくのか、とても想像できない。
イルカが忍としても優秀であることは少し聞いている。
それでも、よくわからない。
今だってイルカは、まるで普通の顔で笑うから。
火影に直接報告書を提出するような任務の帰りに、いつもと変わらない笑顔のイルカ。
「イルカ先生、今日はそれを出したら終わりですよね?」
「ええ、ただアカデミーの方も少し気になるので、様子だけ見てきますけれど。今日はすぐに帰ります」
「よかったら、晩飯でも一緒にいかがですか?」
「ありがとうございます。カカシ先生は、お時間大丈夫なんですか?」
朗らかにイルカは笑う。
その声も、いつもと変わらない。柔らかく響く、耳に心地よいイルカのもの。
あまりにもイルカが変わらないから、気になって仕方ない。
なのに想像したくても、ちっとも浮かばない。
でも任務のことは、とても聞けなかった。なんだか少し、怖いような気さえした。
怪我がなくてよかった、と自然な顔で言えるだろうか。あさましく、知ろうとする意思を伝えないままに、訊ねられるだろうか。
「だいたい話は判ってるんですよ。三十分後くらいにアカデミーの外門で待ち合わせましょうか?」
「大丈夫ですか? 私の方も急な任務だったもので、少しアカデミーの仕事が気になってるんです。お時間かかるようなら合わせますから」
「ん〜でも三十分もあれば終わると思います。というか、終わらせていきます!」
断言するカカシにイルカは、無理しないで下さいと小さく苦笑した。
そうこうするうちに辿りついた火影部屋のドアの前で互いに譲りあった結果、報告書の提出だけのイルカに先に入るようにカカシは勧めた。
「すみません。あなたが先にいらしていたのに」
「いいんですよ〜、こっちも時間の約束があるわけじゃないですし。イルカ先生は、すぐにすむでしょう?」
「ええ、それはそうですけれど」
「ほらほら、気にしない!」
背中を軽く押してやっても、まだすまなそうに一礼して、イルカは扉をノックした。
「失礼します、三代目」
「イルカか、ごくろうじゃったな。お、カカシもおるのか?」
「あ〜、はい。外で待ってますよ」
「かまわん、入っておれ」
「はぁ」
火影の許しにのそのそと部屋に入れば、イルカはもう報告書を取り出していた。
赤いラインの入った機密性の高い任務にのみ用いられる専用の報告用紙。
イルカは淡々とそれを火影に手渡す。
「任務完了いたしました」
「急にすまなかったの」
「いえ、手は空いておりましたので」
補足するように話し出すイルカの口調に淀みはなく、手馴れた様子が窺える。
イルカが通常任務に赴くことがあるのは知っていた。
けれどイルカは任務について多くを語ろうとしたことはなく、あまり話したくないのだろうとか、教師の仕事の方が好きなんだろうなとか勝手な憶測をしていた。
しかしこの様子では、こんなことはよくあることなのだろう。意外に思うよりは、働きすぎではないか、とその心配が先にたった。イルカの話から察するに、Bランク以上は間違いない任務でしかも単独のようだった。
知らず眉間に皺がよる。どうせ額あてで見えやしないが。
「……暫く注意が必要かと思われます」
「ふむ、よくやってくれた。ちゃんと休みをとるのじゃぞ」
「は、折を見て頂きます」
「……そういって、この間も取らなかったじゃろう?」
「今度はきちんととりますから。では、失礼します」
問い詰めるような火影にイルカは苦笑しながら一礼し、そそくさと身を翻した。
背後で火影は仕方ないというように嘆息している。
イルカの視線はごく自然に、ソファーに座って待っているカカシに向けられた。夕日を背に軽く会釈するその所作がとてもきれいに見えて、カカシをどきりとさせる。
落日の光が、イルカのやわらかな表情を半分隠す。
食い入るようにしばし見惚れて、はっとしたようにカカシは慌てて会釈を返した。
ああ、やっぱりこのひとが気になって仕方ない。
完全にはまっちゃったなぁ、とぼんやり思う。
扉を閉める間際にも軽く一礼して、イルカは出ていった。
カカシの話はこれからだったが、なんだか全部終わってしまったような気がしてしまう。
(さーて、お仕事しますか)
のんびりと腰をあげて、イルカの報告書に目を落としている火影の前へと移動した。
「イルカ先生、単独任務だったんですか?」
「そうじゃ。もともと任務を割り振られていた者が怪我しおってな」
「急に?」
視線を下げたままの火影が、声に出たカカシの感情に心引かれたように顔をあげた。
「そうじゃが、……意外か?」
「いえ、あのひとが強いのはなんとなく知ってますが、たまの任務で一人でというのは驚きですね」
基本的に、任務は四人小隊でこなす。けれどそれに当てはまらない任務も無論ある。暗部のこなす任務や、上忍の受ける任務には型にはまらないものも多い。無論、ある程度の実力がなければ、一人での任務などまわされないが。
「イルカが、単独任務を好んでおるわけではないのじゃ。ただ、複数で任務に赴く時の方が、怪我を負って帰ることが多くての……」
困ったような火影の声を聞きながら、カカシは天を仰いだ。
「……確かにイルカ先生らしいですね。仲間のミスまでかばっちゃいそうですもんね、あのひと」
苦い表情で火影が頷く。
任務の場でのイルカは見たことはないけれど。容易に想像がついてしまう。
いざという時に保身などまるで考えずに全身で庇ってしまいそうな、そんな姿は。
想像するだけで、胸がちりりとざわめく。
ナルトを庇って大きな傷を負った時も、まるきり当たり前のように動いたのだろう。ミズキの一件の話をした時、あの明るいナルトが顔を顰めて、「俺なんて少しぐらい怪我したってすぐ治るのに」と後悔とも自身への歯痒さともつかない苛立ちめいた言葉を吐いた。
ナルトの存在はイルカにとっても特別であるのだろうけれど、火影の言葉から察するに、そんなふうに庇ってしまうのはナルトだけじゃないのだろう。
誰にでもやさしいあのひとは、きっと誰もが傷つくのを嫌がるのだろう。
そうして簡単に、自身を投げ出すのか。
酷く、もどかしい気がした。
誰にも、それは、止められないのか。
心のざわめきが、止まらない。
ただ、もどかしい。恐らくは、何も関われない自身への苛立ちが一番大きい。
「最初は判らなかったのじゃが、どうもそういうことらしいのじゃ。単独任務の時は、殆ど怪我もせず帰ってくるあやつが、チームで赴いたBランク任務で大怪我をしてきて、もしやと思っておったのじゃが……。本人はそれでも仲間との任務をどちらかといえば、好んでおるのだろうと思うのじゃが、一人の時の方が精度が高いようでの」
「……なるほど」
「今回とてBランク設定じゃったが、報告書を見た限り実情はAランク並じゃな」
「一人でAランク……」
「そんな事情があってな、イルカは単独任務が多いのじゃ。今回など暗部の代わりじゃったが」
なんでそんな任務をまわすんだ、と非難しそうになる口を慌てて閉ざした。
イルカへの信頼が厚いのは聞かなくてもわかっている。
「偶然イルカが居あわせてな。忙しいようなら他を当たろうかと思ったのじゃが……」
知らず咎めるような視線になっていたのだろう。フォローするように火影が付け足した。
「ちょっと、働きすぎじゃないですか? イルカ先生」
「……本人が休みをなかなかとらんのじゃ」
それもいかにもイルカらしいけれども、度が過ぎるようなら見すごせない。
「火影命令で休ませるべきですよ」
「珍しいな、お前の言葉とも思えん」
他人に関心をしめすなんて、と火影は云いたかったのだろう。
「そうですか?」
空惚けてみせたら、矛先がこちらにまわってくる。
「昔は、無茶をしてろくに里にいなかったことも多かったじゃろうが。仲間を庇って怪我をするのも、お前もじゃな。イルカはおぬしよりも不器用じゃが……」
「私の無茶してた時と今とでは置かれている状況が違うじゃないですか。そんなに人手が足りないんですか?」
「……里に、スパイがいる可能性もあっての。今回は特に確実な者に任せたかったのじゃ」
渋々といったていで本音を吐いた火影に、カカシは一つ大きく息を吐き出した。
「……明後日からの私の任務とも関係がありそうですね」
「そうじゃな。どうも、きなくさい。イルカを襲った忍は、額あてもない半端者を装っていたようじゃが、追いつめられて風の術を使ったそうじゃ」
「……砂ですか」
ちょっと前から兆候はあった。
少しずつ少しずつ軋みだすそんな空気を、気配を。誰よりも火影自身が一番よく知っているのだろうけれど。
「そうじゃろうと思うが、それだけでもないかもしれぬ。とにかく先日戻った本国への使いのものが、術をかけられていたようでの」
「記憶操作、ですか……。極力、痕跡は残したくないと、」
「そういうことじゃな。術跡の少ないものでの、ひょっとしたらまだ見落としもあるやもしれん」
呟くようなカカシの言を、火影は苦々しい表情で認める。
スパイや何らかの術をかけられたままのものがいる可能性があるうちは、あまり話を大きくもできないのだろう。
確実な何かを掴むまで、暗部や火影直下で秘密裏での任務が増える。
「厄介ですね」
「……おそらく本国の大名もしくは直属の有力者に、取り入るか、操るかして何らかの関わりのあるよそ者がいる筈じゃ。おぬしにはそれを探って欲しい」
「わかりました」
「イルカが中忍以上の忍の顔を見ているらしい。話を聞いてみるとよかろう」
渡りに船だった。
イルカと関われる機会が増えるのは、純粋に嬉しい。気になっていた任務の話を自然に聞けるのだ。
けれど表面には感情を微塵も滲ませずに、カカシは尤もらしく頷いて、しらっと話を進めた。
「まだ、泳がせているんですか」
「そうじゃ、関わる人間が予想以上に多そうでな」
「……芋蔓式にわかるといいんですけどね」
「そうじゃな」
裏事情がわかれば、話は早かった。
部下達への対応他、任務の詳細部分の指揮権はカカシにある。必要部分についての話を詰めて、カカシは火影部屋を後にした。
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update 20041221
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