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カカシの手を掴み、彼は微笑んだ。最後の最後に小さく。 埋められた刃の痛みなど、まるで感じさせない様に。 ゆっくりと倒れ込んだカカシの肩先にその顔を埋め、一度瞬いて、空を見上げた様だった。 その最後は、暗部としての最後か。それともただの人間としての最後か。 彼はどちらを望んだのか。それともどちらも望んだのだろうか。 その白銀に輝く薄青の瞳に空が映る。 彼の視界には、最後に何が見えていたのだろう。 空を飛ぶ鳥を映したその瞳は――そのまま、その光を永遠に失った。 それは、遠い日の、記憶。 「――ほんとにいい天気ですね。抜けるような青空ってこういうのかな」 目の前に見えていた幻想が消えた。 干したての布団の様に温かい声がして、我に返る。 視線を上げれば確かにカカシの言う通り、人間の手からは生み出せそうに無い程の 見事な青い空間が自分達を包み込む様に見下ろしている。 風が頬を掠めながら、鼻へ太陽の匂いを運んで来た。 もう季節は冬ではないのだと、そっと囁いて行く様に。 「明日は晴れるかな」 久しぶりに二人で出かけるんですもんねえ。 弾むような声に、思わず小さく笑う。 今の今まで見ていた幻想は跡形も無く消え、そこにはいつもと同じ空間が静かにあった。 終わった話はまるで無かったかのように、いつもと同じ口調。 カカシの方を見やると、緑茶を大きな音を立ててすする所だった。 「――行儀悪いですよ、カカシさん」 「んーそうですか?蕎麦食べる時と一緒なんだけどなあ。ダメ?」 「別にいいですけど。・・あ、羊羹食べます?」 「はい。どうも」 「・・・何してるんですか?」 「何って――食べさせてくれるん」 「寝言は布団で言って下さい」 ちぇーっ、と上忍にあるまじき反応を返すと、ぽすっと音を立てて その頭が大きく傾いた。 日向の匂いがして、温もりが更に近くなる。 「ここ、縁側なんですからね。誰が見てるかわからないでしょう。止めてください」 「いいじゃないですか。たまにちょっとぐらい」 「たまにも何もいつもでしょう。それに――重いです」 「俺は気持ちが軽いです。嬉しいなあ」 「あんたね」 思わず苦笑を返して、イルカは寄りかかられる際に取り落としそうになった湯呑みを ゆっくりと縁側の上に降ろした。 実際は多くを語らなかったカカシの過去話は余韻も無く唐突に終わりを告げた様で、 居間から縁側に移動してからまだそれ程経っていない。 「んーいい気持ち」 「このまま寝ないで下さいね。風邪引きますよ」 「イルカ先生は優しいね。寝ちゃってもずっとこのままでいてくれそう」 「そんな訳ないでしょう。叩き起こしますよ。ナルトみたいに」 「そうなの?それはそれで幸せかもなあ」 まるで大きな子供だと思いつつ、手を伸ばした。 照れ隠しに乱暴に頭に手をかけて、そのまま耳元に唇を寄せた。 そうしないと言えそうにない言葉を今から言うつもりだったから。 「ねえ、カカシさん」 「んー?」 「・・もう、寝たふりしないで。一度しか言わないから聞いて下さいね」 そこで呼吸を一つ。やっぱり恥ずかしかった。 けれど、今でないと言えない様な気がした。 この気持ちが届くかわからないけれど、 このまま煙に巻くように誤魔化されるのが、嫌だった。 「俺は――貴方が居なくなっても、ちゃんと生き続けますよ。 貴方を好きな俺を抱えたまま、きっと」 肩先でカカシの頭が微かに動いた。 けれど、それを押さえて続けた。 「例え貴方の居なくなった世界でも、貴方をずっと忘れずに 全部抱えたまま生きたい、と思います」 一瞬の空白の後、カカシの手がゆっくりと伸ばされた。 イルカの顔を攫うように引き寄せて、唇が言葉を奪うように重なった。 「ありがとう」 そう言って、もう一度唇が重なった。 返す返事を呑み込んでしまおうとする様に。 そして、そっと離れると、そのまま胸に顔を押し付けた。 「すごいなあ――すごいね」 大事な物を失う痛みを知っている、イルカ。 その痛みを背負って生きるのがどういう事かを知っている、イルカ。 「すごい殺し文句。また惚れ直しそう」 愛してると繰り返されるより、貴方が居ないと生きていけないと言われるよりも ずっと胸の奥を締め付ける。 痛みごと何もかも全て受け止めて愛し続けると、こんな優しい声で。 「俺だったら――うわ、ダメかもしんない。 イルカ先生が居ないって考えただけでこれだもんなあ」 ぎゅっと抱き付いて笑うと、イルカが背中を抱き返した。 頭の上で笑い返す気配がした。 「何言ってんですか。上忍のくせに」 「そんなの全然関係無いです。イルカ先生を愛して愛して愛し抜いて死ぬってのが 俺の忍道です。幸せです。もう決まってるの」 「やる事残してあの世まで付いて来たら、その時は付き返してあげますからご心配なく」 「ひどいなあ」 もう一度顔を上げて口付けると、唇の下の温かい吐息を感じた。 陽の匂いがする、温かく優しく、そして強い息吹。 指先を絡めると鼓動を感じた。 唇を首筋に落とすとそこに、先程付けた赤い痕が見えた。 目を閉じて、もう一度そこに軽く噛み付いた。その命を味わう為に。 自分はこれからも忍びとして生きる。 愛する者を守る為に、誰かが愛する者の命を奪い、生き続ける。 愛する者を失っても、この命が奪われるまでずっと生き続ける。 生き続ける事が、愛する事だと、今はそう思うから。 そしてそれを教えてくれた人が、こうして今自分の想いを受け止めてくれているから。 それが、今の自分の答え。 今の自分の全て。 ――風が、吹いた。 何処かで、誰かが、小さく微笑んだ様な気がした。 終 → 後書 |