悪夢の様な一日は恐ろしく緩慢にゆっくりと感じられた。
全てがひどく長く長く、感じられた。


油断する隙など全く無い筈の任務だった。
その筈だったのだ。
なのに何故こうも恐ろしい誤算が起きてしまったのか。
神経質な程精巧に組み立てられ綿密にシミュレートされた計画は
砂の城よりもあっけなく脆く綻び、崩れ去った。
事前の調査では実力はほぼ互角だと思われていた筈だったのに
今現在一方的に圧倒的に追い込まれているのは紛れもなく自分達だった。
危険な任務だった事は勿論わかっていた。けれど反撃する余地すら与えられない程
ここまで完膚無く叩きのめされるなどとは誰が予想していただろう。
相手の精神力が一枚上手だったのか。――それとも。


それとも。








「・・・・・っ」

チリッと腕に走る微かな痛みでカカシは我に返る。
そうだ。今はこんな事を考えていても仕方が無い。
仲間は完全に皆散り散りになってしまった。誰が無事なのかはわからない状況まで
追い込まれているのは確かだ。
今回の任務の優先順位は幾つかあり、任務失敗の場合最優先されるのは生き残った者は
戦線を離脱し帰還する事を第一に考えよ、という事だった。
今回の任務は最終目的を達成するまでに長い時間がかかるという眺望がある為に
情報は何よりも最優先される。命懸けで持ち帰り、冷静に組み立て直された貴重な情報が
次の対策に有効な手がかりとして使われる筈だ。
その為に今は堪えるしか、ない。自分は何としても――里に帰らねばならないのだ。


小さな舌打ちを一つ。


五感の彼方にチリチリと触れる反応が三つ。追っ手がまだしつこく追って来ている。
たった一人の死に損ないの若輩も帰す気は全く無いらしい。
これで何度目の襲撃だろうか。腕も脚も本能のままに疾走しているが、
風を受けても燃えるように熱い。止まった途端にどうなってしまうのかは
わかっている。この脚を止める訳にはいかない。
まるで自分の体が重い荷物の様だ。けれど引き摺っていては追いつかれる。
懐を探る指がぬるり、と滑る。生温かい錆びた匂いが麻痺しかけた嗅覚を
覚醒させようとするかの様に更に刺激する。
握られたクナイの数はあと僅か。
あとどの位で里に辿り着けるのか――


否、あとどの位、持ちこたえられるのか。


そんな事が頭を一瞬過ぎると背筋に冷たい物が一瞬走り、小さく苦笑する。
今のは恐怖なのだろうか――まさか。
こんな場面はいくつも切り抜けて来た筈だろう。
今出来るのは最後の最後まで信じぬく事のみ。迷いは許さない。


息遣いが微かに聴こえて来た。鼓動も感じる。五感は限界まで鋭く研ぎ澄まされている。
戦闘準備は整っている。まだ大丈夫だ。
もう少し引き付ければいい。あと、ほんの少し。




「・・・・・・っ!」




次の瞬間鋭い息と共に振り返り、投げた輝きが標的に命中したのを感じる。
声も無く木から落ちる気配が一つ。
もうすぐ森を抜ける。そこからはすぐだ。
相手も相当消耗し、焦って来ている筈だ。
もう少し。あと数百メートル。
首筋に迫ってくる息を微かに感じ、指先を渾身の力を振り絞って掲げる。
次の瞬間に下方に一気に遠のいた息遣いに、最後の攻撃が届いたのを感じた。
息を吐く暇も無く、あと残された気配は一つ。
そして残された武器も――あと、一つのみ。


腰から乱暴に紐を落とし、刀を抜いて更に加速を付ける。
その足元に鋭い風が襲い掛かった。紙一重でかわすと共に木から飛び降りる。
その衝撃だけで足首がみしり、と軋むような音を立てた。
残された力はあとどの位だろうか。一瞬のチャンスを狙うか、
それとも。




――覚悟」




淡々とした声が首元を襲う。背筋に無意識に震えが走る。これは武者震いだ。
返した手で相手の喉下を狙う。その手を余裕のある素早い仕草で払いのけられる。
実力は勝っていても、体力の差は歴然だ。そんな事はわかっている。
崩れかけた体制を瞬時に立て直し、足元を払う。それをかわした相手の指がきらりと
宙で光った。


覆面の下でにやりとその口元が微かに歪んだのが見えた。

汗で一瞬ぼやけた視界に傾きかけた世界が見えた。




だが――先に地に倒れこんだのは自分では、なかった。




温かい物が自分に疾風の様に吹きつけた。狂ったように照りつけた陽の光と共に
一瞬にして視界を赤黒い熱砂の様にむせかえる熱が吹きつけた。
身体に降り注ぐ、赤。どこまでも、どこまでも。








見慣れた、見慣れすぎた筈の、赤。








――生きているか」








その赤く温かい世界の後ろから、氷の様に冷たい声がかけられた。ただ、一言。
その声の静かな冷たさに氷に指先が触れた様な感覚を覚え、
カカシは瞬時に現実にすくい上げられるように引き戻された。








・・・ああ、彼だ。








〜NEXT〜



Back