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任務に失敗し重症を追った日から、気付けば二月以上が過ぎ去っていた。 ようやく仕事に復帰し、最近は至って順調に仕事の方もこなせている。 この数ヶ月殊更危険度は高くない依頼ばかりのせいか、仲間内の空気も何処と無く平穏に見えた。 大事無く、一見穏やかに見える仮初の日々。だが――その静かな日々は少しずつ彼を変えていた。 「彼」を。 三月が過ぎ、自分の紅い傷口が少しずつ薄紅色に癒え始めた頃。 「彼」は微かに、ほんの少しではあったが穏やかな瞳を見せるようになった。 四月が過ぎ、傷口はすっかり塞がって薄桜色に名残を残すのみになった頃。 口数が――少しずつ、増えた。 五月が過ぎ、もう怪我の痛みの記憶が身体から薄れ始めた頃。 今まで全く関心を示さなかった軽い性格の同僚とも、組む事を厭わなくなった。 六月が過ぎ、怪我をした事が遠い過去に思われるようになった頃。 時折唇の端で笑うようになった。請われれば、とつとつと任務と関係の無い話をする様になった。 皆が明らかに不思議に思った。彼に何があったのだろう、と。 だがそれを口にする程彼と親しい者は無く、結局憶測で噂が立つばかりだった。 一度だけ、カカシに「お前、聞いてみてくれない?」と冗談まじりに頼んできた者もいた。 半年近くという期間でそれ程彼の変化は急激だった。 まるで、草木が水を吸い込んで生長するかの如くに。 そしてそれは本来彼くらいの年齢の者が体験するであろう思春期から青年期への変化とも 見えた。 ・・だが、自分は知っていた。二月を過ぎた頃から、ずっと。 その変化が何によって引き起こされた物なのかも、薄々気付いていた。 そしてそれは、冬化粧が削がれ薄紅色に桜が覆われる頃には疑問から憶測へと変化していた。 「女――ですか?」 こんな事を詮索するのはらしくない。特に彼に対しては。それはわかっていたのだが つい一度だけ好奇心に勝てずにぽつり、と尋ねた事があった。任務の間の休憩中に。 何の応えも反応も返る筈がないだろうとわかっていた。それでもつい動いた唇。 だが意外にも、その白い温度の感じられない指先が小さく動いたのが、視線の端に映った。 応えは、無かった。――だがその微かな仕草と沈黙が、何となく応えと思えた。 推測はゆっくりと確信へと変わる。それを意外だと思わない自分が居た。 大切な物はおろか、機械の様だとすら思っていた彼に、大切な存在が出来たという事が 何故か自分も嬉しかった。 そして視界で動いた白い指先に改めて目を止める。 「――行くぞ」 そう言って差し上げられた彼の指先から、微かに甘い香りがした。 色にすれば、薄桜色が漂っているかのような、柔らかな香りが。 その冷たく無機質に見える指先から、そっと静かに寄り添うように。 よくはわからないけれど――幸せなのだろう。 カカシはそう思い、小さく笑って、その風の様な背中を追いかけた。 以前よりも精悍さの増した――ほんの少し大きく感じられるようになった男の背中を。 ・・だが、その確信が、疑惑へと変わったのは――それから間も無くの事だった。 「奥へ行け。本懐を1人とり逃した。――まだそう遠くへは行っていない筈だ」 「わかった。ここは任せる」 桜林の中、さわさわと葉擦れの音の間をすり抜けながら、カカシは犯罪者の行方を追っていた。 ここ数週間に及ぶ久々の大きな任務は佳境を迎えていた。 追っていた者の主格は1人この奥へと逃げ去ったらしい。 切り傷だらけの腕で血の流れ落ちる頬を乱暴に擦り上げると、ひらりと桜色の花片が視界を掠める。 冷たい殺気と緊張感で凍りついたこの空間をその満開の花が不似合いな程柔らかに艶やかに 彩っているのをちらりと片目で見やった。・・もう少しか。気配はすぐ傍に迫って来ている。 カカシは見当を付けながら、懐のクナイを素早く取り出した。 この奥は小さな空き地がぽっかりとある筈だ。おそらく誘い出してそこで勝負をつける つもりなのだろう。だが――それこそ自分の望む所だ。 そう思い、針の様に鋭い呼吸を一つ。茂みを大きく掻き分ける。 ・・その先に見えた者は。 「もう――済んだ。報告を」 そこに静かに佇んでいたのは、彼だった。 その片手に見える物は、真紅に塗れた手裏剣、そしてクナイ。 その目は静かに目の前の大きな桜の大木の根本に向けられていた。 そこに寄りかかるように俯いている、その男の影に。 「――息絶えましたか」 「最後に吐かせたい事があったんだが」 そう言って彼は血濡れた面を外し、顔を上げた。 その顔にはどこか翳りが見えたような気がしたのは、気のせいだろうか。 「残りは全員対処しました。・・・報告を」 「ああ――わかった」 何度もやりとりされた、言葉の応酬。 クナイと手裏剣を拭き取り懐に戻すと、彼は共に白く拭き取られた手で 軽く自分の肩を叩いた。 「今回の任務はひとまず完了だな。まだ問題は残っているが」 「あ・・・はい」 ポン、と肩に置かれた手にまだ慣れてはいない。カカシは戸惑いながら頷いた。 後始末の為にこちらに向かっているであろう人間を呼びに行こうと踵を返そうとした、その時。 ふわり、と花の香りが、した。 桜ではない、何かの。 そして――その香りと共に袖口からひらりと落ちた物。 それに目をやり、カカシは微かに瞠目した。 「あ――落ちましたよ」 それを反射的に拾って彼に渡した。 彼は一瞬黙ったが――何事も無かったかの様に静かにそれを受け取った。 「ああ――すまない」 そのひらり、と舞った物。 それは――目にも鮮やかな真紅の女物の着物の切れ端だった。 何かで鋭く切られたかのような、切れ端。 きっと――彼の大切な物なのだろう。 それが懐に仕舞い直されるのを、横目で見ながら、カカシはそう思った。 だが。 その時彼の目に映った色がそれだけではない印象を与えた。 それは――とても愛おしく、そしてそれだけでない翳りを含んでいるように映ったから。 そしてそれはこの舞い散る桜よりも儚げな物に見えて カカシは数瞬の間、目が離せなかった。 「行くぞ――同僚がすぐそこまで来ている」 「はい」 もう一度、後ろを振り返った。目に映った紅に染まる影。 いつも見慣れている筈の物に――薄紅の淡雪が静かに降り積もっていた。 それがじわり、と目に焼き付いた瞬間、先程感じた気持ちの正体がわかったような気がした。 彼の目に映る静かな清流のような愛おしさの陰に隠れていた物。 それは――紛れも無く、哀しみだったのだと。 〜NEXT〜 |