生き続ける事は、愛し続ける事に似ている。

死ぬ事は、最後の瞬間、許す事に似ている。








以前、暗部に所属していた頃、同僚に変わった男が1人居た。
確か実際は少年だった自分より2、3才程年上なだけだったように思う。
だが、彼はそのようやく少年期から抜け出しかけた様な外見にも関わらず、
自分よりも一回り以上年上に思えた。
彼は他の忍びから明らかに浮いていた。究極にまで削ぎ落とされた無駄の全く無いその考え方から
他の追随を許さない卓越した強さに至ってまで全てが彼という1人の存在を隔離している様に見え、
そして彼もまたそれを望んでいるように見えた。
出会った最初の頃はその冷徹なまでの強さと感情の完璧なコントロール能力を単純に尊敬していた。
彼の髪の先からその決して足音を立てない黒豹の様なしなやかな爪先まで全てが忍びという存在に
そぐわない程に圧倒的な存在感を醸し出し、それは「動」の中でも「静」の中にあっても
音の無い月夜の中で万華鏡を覗く様に恐ろしく、美しく、時には扇情的にすら映った。
彼は、まだ少年で未熟だった自分にとって「忍び」としての理想を具現化した様に映っていた。
忍びたるもの感情を容易に表に出すべからず。力を誇示せず、必要な時に必要と思われる分だけ
的確に迅速に動くべし。無駄口は一切叩かず、隙は見せず常に先を見越して
将来敵になるであろう要素を持つ者には一片たりとも容赦はせず、是を抹消すべし。
彼はまさにそれを全て実行していた様に見えた。一ミリの狂いも無く、どこまでも完璧で
「彼は火影がとある目的の為に秘密裏に作らせた機械人形らしい」という噂が囁かれる程
「色」も「匂い」も無い様に感じられた。だが無い訳が無い。人間ならば誰でも持っている物だ。
それでも走っても、声を上げても、血を流し戦っている間すら、彼の存在は人間の物とは
全くかけ離れている様に見えた。全てが予定通りの舞台。その役割を淡々とこなす役者の様に。
それは当時、「忍び」としての役割に多感な思春期特有の困惑や迷いを覚えていた自分にとって
少なからず目を引いた。


その、「迷い」すら入り込む余地の無い様に見える、彼の淡々とした生き方に。
無機質にすら見える、その生き方に。




――どうか、しましたか?」


唐突にかけられた声に我に返る。そして、その相手が今の今まで自分を気遣う様に沈黙していた事に
気付く。目の前に見える温かな、どこか遠慮がちな瞳を見返して小さく苦笑した。


「いえ、何でも。――すみません。呆けてましたね、俺」


さらり、とほどかれた髪に指を伸ばす。呼吸をする程に自然にその髪に触れる。
最愛の大切な人を、その肩をそっと抱き寄せてカカシは小さく息を吐いた。
その、どこかやるせなさそうな吐息は無意識だったのだろうが、腕の中のイルカの耳元には
はっきりと聞えた。
それが気になって、また躊躇いながらもつい、口にしてしまう。


「何か――思い悩む事でも?」

「いえ・・そんな事じゃないんです。ただ、今日は――」


今日は――と、そこまで言ってカカシは白い壁にかけられたカレンダーにちらりと目をやる。
日めくりのカレンダーは窓から吹き込んでくる少し冷たさを残した春の息吹にあおられて
カーテンと同じ仕草で揺れている。
それを視界に入れたまま、カカシは寄り添うように言った。


「今日は――知り合いの、命日なんです」


ひらり、とカレンダーが大きくめくれ上がった。一際大きく吹いた風はイルカの黒髪を翻す。
顔にかかるそれを、そっと優しい仕草で梳くカカシの微笑みは――どこか哀しげで綺麗だった。
その微笑みを見つめて、イルカは口にしてしまった言葉を後悔する。
忍び、しかも元暗部ならば別れはそれこそ数知れぬ程味わってきただろう。
その痛みは少なからず、自分にもわかる。軽はずみに尋ねたりしなければよかったと
後悔が胸を掴んだ。


「すみません。俺、余計な事を・・」
「いえ、いいんです」


謝りながら、これ以上負担をかけない様にと努めて軽く流そうとしたイルカの言葉を
カカシは静かに止めて柔らかく微笑んだ。
それは先程の物とは違う、目の前の自分に向けられた微笑み。
その胸に静かに抱き寄せられて、イルカは小さく唇を震わせた。彼はどんな時でも
まるで自分を何よりも大切な物を見るような目で見つめ、まるで壊れ物を扱うかの様に
そっと引き寄せる。自分は――そんな存在ではないのに。
それに全く幸せを感じないといえば嘘になるが、時々息が詰まりそうな恥ずかしさと少しの
居心地の悪さを覚える。
だから照れ隠しと少しの抗議を込めてその背中に手を回し、ぎゅっと少し乱暴に抱き締めた。
それでも抱き返される腕は――あくまで温かく優しいのが何故か少し寂しい。
子供じみていると、自分でわかっていても。


「イルカ先生は――」


耳元で優しく響く低い声に、イルカは視線を上げる。
その目に映る瞳は、先程見せた哀しげな儚さを取り戻していた。


「イルカ先生は――何にも縛られずに生きたいと思った事はありますか?」


ぽつん、と呟かれたその声にイルカは戸惑う。返事を求めていないかの様なぼんやりとした
その問いに言葉が詰まった。何故そんな事を聞くのだろう。
だがカカシはそのまま静かに黙って自分を抱き締めているだけだった。
その真意がわからずに、仕方なく思うままに答えを返す。


「そう・・ですね。無い、と言ったら嘘になるかな。
 特に子供の頃は――自分の事で精一杯な尖った不器用なガキでしたからね。
 自分以外の周りが消えてしまえばいい、と、あるいは自分だけこの世から消えてしまいたいと
 そんな事を思った事もあったと思います。・・はは、恥ずかしい話ですけど」


若気の至りってヤツですかね、と照れ隠しの様に笑って鼻を擦ると、カカシと目があった。
その目が微かに細められて、また柔らかくなる。


キス、されると思う前に――その唇が静かに重なった。
そっと辿るかのような静かさを伴って。


「そう――貴方はそうやってそんな生き方も笑って見つめる事が出来るんですね。
 生徒を見守るのと同じ様に、温かく見つめてやる事ができるんだ。
 俺は貴方のそんな所が大好きです」


でも、とカカシはまた少し切なそうに笑った。


「彼は――違ったんです。
 望めば全てを手に入れる事も出来た筈なのに、全てを拒絶した。忍びである事を貫く為に」


「彼」。それが誰を指すのかはわからないが、イルカは鳩尾の辺りが小さく疼くのを感じた。
嫉妬心ではなく――その何とも表現し難いカカシの視線が僅かに胸に痛かったから。
そんな顔をする彼を見るのは、初めてだったから。


「俺は、貴方を愛してます。貴方が何より大切で、そう思う自分を誇りに思ってる。
 貴方を守る為なら何でもしたい。俺の持てる全てで、貴方を愛したい」


背中に回された優しい腕に力が篭もった。腕の中の存在を壊さない様にと、それでも強く
抱き締めたくて知らず力の篭もる腕は葛藤に震えているように感じた。
いつもは照れくさくて軽く流しているその愛情表現という彼の言葉も、何処か哀しげで。
その知り合いは彼にとって一体どんな存在だったのか。
イルカは戸惑いながら、背中を抱き返してその言葉を聞くしかなかった。


「でも――彼は違った。だから・・殺されたんです」


押し殺す様な声が耳を打つ。それはまるで――何かを懺悔するかのように聞えた。
こんなに感情を露わに過去の別れを語る彼を初めて見る。
過去に深く胸に刻み付けられたであろう別離の悲しみの数々を自分には見せた事のないカカシ。
だが今、それは哀しさだけでなく――怒りすら感じられた。


「殺された・・んですか。他の忍びに・・?」


いつになく彼らしくない激情を宥める様にイルカはそっと応え、その額に額を当てた。
何が彼をこれ程悲しませるだけでなく、怒らせているのだろう。
死に逝く者を悼むだけではなく、静かに怒らせているのだろう。


「違います。彼は――」


イルカの声に我に返り、自分の感情が高ぶっていた事に気付いたのか
カカシは小さく自嘲する様に笑うと、静かに応えた。




「自分に、殺されたんです。
 何よりも大切な者を手に入れたという絶望と――感じてしまった、幸せに」








〜NEXT〜




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