『秋模様』



「跡部か?」


ヒースローで見知った顔と擦れちがったとき、手塚は思いきり怪訝な顔で振り返った。
日本語で自分の名前を耳にした当事者は、同じく不審そうに首を回した。

「あァ? 手塚じゃねーの」
「やはりそうか」
「お前、眼鏡をフレーム無しに替えたのかよ」
「度が合わなくなった」
「いい加減コンタクトにしようぜ。似合わねーだろうけど」
「試合中、目にゴミが入ったら困るだろう」
「そもそも何で目ェ悪いんだよ。スポーツやってるくせに」
「いや、跡部。そうではなくてだな」

方向がずれたまま突っ走っていく会話を、手塚は敢えて打ちきった。
息を吸い、元部長同士の再会場面を仕切り直す。

「とりあえず、久しぶりだな」
「おー、そうだな。中三以来か? 久しぶり」

わりと形から入るタイプの手塚は、型式の挨拶が出来て満足げに頷く。

「てか、全然変わってねーよな。やっと年齢が顔に追いついてきたか?」
「お前は変わったな。背が伸びた」

跡部はしばらく黙りこんで、口元に指を当ててぶつぶつ呟いていたが、やがて真顔で顔を上げた。

「すまん手塚。今のは冗談なのか天然なのか全くわからなかった」
「天然? 少なくとも冗談ではないが」
「いや、もうわかった。もういい。お前のノリはわかってるつもりだったんだが…久々すぎただけだ。ホントだ」

意味の分からない言い訳じみた台詞を立て続けに並べた跡部に、手塚は少し首を傾けた。

「そうか? …まあ五年ぶりになるからな」
「よく覚えてるな、そんな細かいこと」
「細かくないだろう。交差点で会って、話をしたじゃないか。いや、本屋か? そういえば、あの本屋は移転したぞ」
「え? マジ? 最近行ってなかったからな。知らなかった。てゆーかお前、細けぇよ。俺はよく覚えてねえ。なんか話したか?」
「内容までは覚えていないが…お前、同じシャツを着ていただろう。今と」
「はぁ?」
「青いシャツだった。それは覚えている」
「………あ、うん」

あまりにも手塚が自信に満ちた顔で言ったので、「そうだったかもな」と跡部は曖昧に頷いた。

「で、ここに何の用だ」
「人が空港にいる理由はあまり多様だとは思えないが」
「俺は義理で親戚周りだよ」
「親戚周り? それで連れがいないのか?」
「樺地は必修単位あるから来れねえんだよ。なんならお前、来るか」
「俺は今から飛行機に乗るんだが」
「キャンセルはいつでも出来るぞ。てか、帰りの便くらい手配してやる」
「ファーストクラスでか? 謹んで遠慮するぞ」
「バーカ。チャーター便出してやるよ」
「…真剣に辞退させて貰う」
「じゃあどうしろってんだよ」
「いや、行かないから。そもそも何処へ行くんだ。時間は大丈夫か?」
「んー? 今から市内に行って、その後オーストリアとスペインとイタリアとギリシャに行く。二週間程かかるな」
「…そうか」
「てめぇ今「なるほど」って思っただろ」
「痛い。顔を引っ張るな。なるほどと思って何が悪い」
「悪いわ。「なるほど、やはり南欧出身なのか」と思っただろ」
「跡部、昔ラテン系だと言ったことをまだ気にしているのか?」
「バカかお前は。「まだ気にしている」んじゃなくて「現在進行形で怒ってる」んだよ。この戦前」
「残念ながら俺は戦後生まれだ」
「そうだな。誠に残念ながら、てめぇは俺サマより年下だよな」

それを聞いた手塚は、ムッと表情を固くした。
け、と跡部は笑ってお得意の仕草で肩を竦めて見せた。
通行の邪魔だからと売店の脇に移動して、手塚はコーヒーを買う。
跡部はそれを待って、おもむろに口を開いた。

「それで、ホントに何の用なんだよ」
「イニル・バーンズ氏に誘われたので、とりあえず来てみた」
「すげえじゃん。彼がコーチ立候補? …ってなんで帰るんだ」
「御厚意は有り難かったし、正直コーチは切実募集中なんだが…」
「…またかよ」
「まただ」
「てめぇいい加減にしとけよ。雑誌になんて書かれてるか知ってるか? 『日本のテヅカは超オクテ』、だぞ?」
「お前にはわからないことだ」
「いや、わかるけど。我が侭だと思ってるんじゃないぜ? 運がないなって哀れんでるだけ」

プロに転向した目の前のこの男は、ジュニアの時代からコーチがいない時期の方が長かった。今もだ。



「ソリが合わないんです」



計七人のコーチと候補を断った理由を苦悩の表情で語った様子は、実は跡部もブラウン管で見た。
おいおいそれを言っちゃうのかよ、とも思ったが、ため息垂れ流しで憔悴している手塚の様子は、十分同情するに足りた。

「けど、あんまり竜崎センセに迷惑掛けるんじゃねえよ。あの人は教職が本業なんだからな」
「お前こそ榊コーチに随分と世話になっているそうじゃないか」
「だってあっちは、副業だしな」
「はぁ」
「週の半分しか学校にいねえし」
「それでいいのか? 氷帝は」
「まあ、部長時代はそれで苦労したけど。相談しようにもあのコーチ、掴まんねえんだもんな」

でも別にいいんじゃねーの、と跡部は瞬く。
そうか? と再度手塚は疑念を提示し、話題は中学時代に遡った。




搭乗のアナウンスが響いて、手塚は手持ちの紙コップを跡部に渡した。
空いた手で荷物を背負い直し、そのまま「じゃあ」と手を掲げる。
歩き出した手塚に、跡部は同じ言葉を返さなかった。

「ちょっと待て。これ、どうすんだよ」
「あぁ」

手塚は「しまった」と表情で語った。

「悪かった。つい話し込んでしまったから。冷えてしまったな」
「冷えたのはどーでもいいが、口も付けてねえのに捨てる気か? てか俺に捨てさせようってのか」

いい度胸じゃん、と跡部は毒づく。
対して手塚は、ゆっくりと笑顔を作った。

「それは、やる」
「いらねえよ」
「ホットコーヒーは好きだと聞いた」
「あ?」

怪訝な顔をした跡部をそのままに、手塚は踵を返す。



「Birthday Presentだ」



その台詞を聞いたとき、跡部は口を開けたまま、凍った。
似合いすぎると評判の背広姿を、唖然とした表情で見送る。
最後に、搭乗口近くで手塚は軽く振り返ったが、その時にも跡部の呪縛は解けていなかった。

狭い入り口に吸い込まれるように姿が見えなくなって数秒。
やっと解放された跡部は空いている左手で思い切り顔を掴んだ。

「…高っけえコーヒーだなあ、オイ」








案の定、不味かった。












  →蛇足