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雑音に敏感であることの美徳


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3月17日
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 2005

■フジテレビへの義務

なぜ、堀江社長は他局でなくフジを選んだのか。

◎年間視聴率・三冠王
1982年〜1993年 フジテレビ(94年〜 日テレ)

ぼくら74年代生まれの者の多くは、フジテレビに恩義がある。80年代、あれだけ笑わせてくれたのだから、フジテレビには「熱しやすく冷めやすかったあの頃の親友」のような感覚があるっちゃぁ、ある。

「オレたちひょうきん族」
「夕やけニャンニャン」
「夢で逢えたら」
「志村けんの大丈夫だぁ」
「ねるとん紅鯨団」
「とんねるずの○○○○○シリーズ」

昔お世話になったグラビアアイドルへの遠いまなざしのような、一緒にワルサを働いた(ぼくはしていないが)アクユウへのしのびない気持ちのようなものすらある。

だからフジテレビに対するすべての発言を聞くと、妙に他局とは異なる感情が立ち上ってくる。

シニカルな視線でありながら、おれこそがフジテレビを「知って」いるみたいな。新橋のサラリーマンみたいな、思いが沸いて出てくるのだ。

ニッポン放送の株という話とは無関係に、80年代に青春期を送った者の、フジテレビに対する憧憬が堀江氏にもあるのだろう、と思う。

(2005-03-17/K)


私にとってのフジと言えば深夜。「8ちゃん、寝る」「眠らな〜い、眠らせな〜い」などCMも好きだったし、「カノッサの屈辱」、「IQエンジン」、「こどもほしいね」を夢中に観ては翌日友達とその話題で過ごした。「たほいや」を真似た遊びをしたりもした。三谷幸喜、片岡K、佐藤雅彦など、“テレビには映らないおもしろいヒト”の存在に気付かされたのもフジ。あの頃の深夜をじゅんぐりにやるだけでも「ごくせん」以上の視聴率稼げそう。“やっぱりフジが好き”な世代なのかな。(C)


ぼくは全然見ていなかった。とんねるずばかりだった。彼女は比較的サブカルチャーに強い。ぼくは弱い。なので、結婚した。なんてね。(K)



 2004

■センチメンタル・ジャニー

“プロデューサー”というが職業が表面化するようになったのはいつ頃からだろうか。小室哲哉やつんくで、その認知度は一気にアップしたとは思うが、“新人類”秋元康が先駆けかもしれない。

しかし、いまだ表舞台に滅多に顔を出すことなく、原石の発掘・育成に尽力する人物がいる。ジャニー喜多川(本名・喜多川拡)氏。いわずと知れたジャニーズ帝国を築き上げた社長だ。誰もがその名前くらいは知っているのに、顔を知る者はほとんどいない。ミステリアス極まりない。
 
演劇界で権威ある賞(※)を受賞しながらも、授賞式には現れない徹底ぶり。ステキだ!出たがりな仕掛け人ばかりの昨今、彼の姿勢はプロデューサーの本来あるべき姿だ、と思う。おそらく彼には彼の、影の立役者であり続けることへのプライドがあるにちがいない。メイビー。

組織の巨大化にともないジャニーと姉・メリーで、のれん分けなんてことには至らないのだろうか。そうなると問題になってくるのは、やはり事務所名か。「メリーズ事務所」では、なんだか紙おむつ会社のようですもの。

(※)  菊田一夫演劇賞(2003年4月)。永年のショービジネスに対する多大な情熱と功績に対して特別賞が贈られた、らしい。受賞代理人はkinki kids堂本光一氏。


(2004-03-17/C)


ジャニーさんの顔(たぶん写真)を見たことのある友人は 「意外と普通のじいさん」と言っていた。ジャニーもメリーも結構なお年だと思われるが、どちらも亡くなったらどうなるのだろう。メリーさんの娘ジュリーさんが継ぐのだろうか。どうでもいいけれど…。(M)




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