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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第13話 進み行く先、路の彼方 その1

 3月中旬、ある日の宵の口。
 西の山の彼方に、夕照の残滓が血の色めいた輝きとしてわずかに残っている。
 頭上の空は既に濃紺。
 雲間に浮かぶ月は下弦。吹く風は強くはないがいまだ冷たく、芯まで身体を冷やす。春は名のみの風の寒さよ。
 川原を見下ろす土手の上に、人影が一つ。ジャンパーのポケットに手を突っ込み、川面を見つめて微動だにしない。 
 やがて、下流方面からエンジン音を響かせてヘッドライトが近寄ってきた。
 人影の傍まで来て停まったのは、ジープ。
 ヘッドライトを落とし、エンジンを切った運転手はのそりと外へ出てきた。
「待たせたな」
 そう告げた運転手――郷秀樹に対し、待っていた人影――オオクマ・シロウは鼻を鳴らした。
「ふん、お前から直々の呼び出しってのは珍しいしな。大抵はテレパシーで済ませられるのによ。対面しないと出来ない話ってこたぁ……なんかあったか?」
「近々、光の国へ帰還することになった」
 郷秀樹は単刀直入に言った。軽く驚いているシロウに、続けざまに告げる。
「お前も帰るんだ、レイガ」
「……………………」
 いきなりのことに言葉が継げないシロウ。
 郷秀樹は、一旦口をつぐんで待つ。
 やがて拳を握り締めたシロウは、月下でもわかるほど表情を険しく変えていた――が、すぐに表情の険も拳の力も抜いた。心を落ち着けるためにか、視線を斜め下に落とし、頭を軽く掻く。
「あー……」
 言葉を探す視線は虚空をさまよった。
「……もう身体の方は全然問題ないが?」
「身体の件とは関係ない」
「じゃあ断る。俺は当分、この星から離れるつもりはない」
「ふむ………………変わったな」
 ジープに腰を預け、腕組みをする郷秀樹。その表情には柔和な笑みが浮かんでいた。
「以前はケンカ腰で拒絶したお前が……ふふ、この星での一年で、大きく成長したものだ」
 シロウは見透かしたようなその物言いにむっとする。
「話を逸らすなよ。だいたい、俺を捕まえに来たわけじゃないって最初に言ったろーが。それがなんで今さら」
「私の任務は地球の平和を守ることだ。その中には当然、罪を犯して光の国から逃亡したお前が、さらなる間違いを犯さないようにするということもある。もし、お前が地球の平和を侵すような真似をしたら、その時は対応するとは言っていたはずだ」
「……………………。それで? 任期が終わって、これ以上監視が続けられないから、連れて帰るってのか」
「理由はいくつかある。その内の一つではある」
「勝手だな」
「お互い様だろう」
 ぴしゃりと言い返され、シロウは思わず目をそらした。
 しばらくの沈黙。風が鳴る土手に佇む二つの人影。
 やがて、口を開いたのはシロウ。
「……どうしても連れて帰るってんだな?」
 郷秀樹は、今度はすぐには答えなかった。数秒、言葉を探すように周囲に視線を走らせる。
「そうだな。星間移動を要する仕事についての基礎知識や、他星系への関わり方すらきちんと学び終えていない未熟なお前を、この星に一人で残していくわけにはいかない」
「……………………」
 シロウは黙り込んだまま、じっと郷秀樹を見据える。しかし、今その眼差しに敵意や憎悪はない。
「レイガ、お前は今、この地球に残りたいと言ったな。それは、何のためにだ?」
 郷秀樹のその問いに、シロウは口を開――こうとして、硬張った。しばし、目をそらして考え込む。
「連れて帰るとは言ったが、例外もある。セブン兄さんやレオのように地球防衛の任を以って宇宙警備隊員に入隊した前例もある。もし、お前が私の代わりに地球防衛という宇宙警備隊員の任務を引き継ぐというのなら――」
「ウルトラ兄弟だの宇宙警備隊だのの下っ端になる気はねえっつってんだろ」
 そこだけは即答したシロウは、少し目尻を吊り上げた眼差しを郷秀樹に戻していた。
「前から言ってんだろ。地球人全部を守るつもりはねえってよ。この星にいたい理由だ? そんなもん、居心地がいいからに決まってんじゃねえか。光の国に帰ってくだらねえ平和の勉強なんかするより、こっちの方が面白えしな」
「平和の勉強がくだらない、か」
「そこも前から言ってるだろ。地球人のしてきたことと、それに目をつぶって放置してるウルトラ兄弟、そんな奴らがぬかす平和ってやつにどんな正義があるんだってよ。――っつーか、それが発端みたいなもんだからな。メビウスを襲ったのも、光の国を捨てたのも。いくら力づくで連れて帰られても、もう今の俺には光の国のお題目なんか微塵も心に響かねえぜ」
「ふむ」
 なにを思うのか、頷く郷秀樹。
「そうか。そこはこの一年でも変わっていない、か。わかった」
 もう一つ頷いて、郷秀樹は腰を浮かせた。
「だが、これだけは忘れるな」
「なんだよ」
「お前はウルトラ族だ。お前がどれだけ故郷を捨てたと否定しても、その事実は揺らぎはしない。そして、お前の罪は、ウルトラ族が裁かねばならない。過去も、今も、未来も」
「……………………」
「ともかく、明日明後日で去るわけではないが、今月中にはと考えている。まだしばらく時間はある。心と身辺の整理をしておくといい」
 ドアを開け、運転席に身体を滑り込ませる。ポケットからキーを取り出し、差し込んでエンジンをかけた。
「郷秀樹」
 唸りを上げ始めたエンジンにまぎれ、シロウの抑揚のない声が問う。
「お前が以前地球を去った時も、こんな風にいきなりだったのか」
「俺の時か……」
 郷秀樹は手を止め、目を細めた。過ぎ去りし情景を思い出しているのか。
「最初の時は、もっと唐突だった。バット星人が攻めてきた時だ。その戦いで、俺は地球人としては死んだことになった。光の国のピンチでもあった。次郎君以外、ろくに別れも言えなかったよ」(※帰ってきたウルトラマン第51話)
「……そうか」
 郷秀樹と顔を合わせずにそれだけ返すシロウ。
「時期が来たら連絡する」
 発進したジープは立ち尽くすシロウを巻くように転回し、元来た方向へと走り去った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 同時刻。GUYS日本支部・フェニックスネストのディレクションルーム。
「――トリヤマ補佐官が退官? ほんと?」
 ヤマシロ・リョウコの驚きの声に、アイハラ・リュウは報告書を挟んだブリーフボードから顔を上げた。
 話をしているのは、ヤマシロ・リョウコとシノハラ・ミオ。
「ええ。マル秘書官からお話があって。今月いっぱいで辞められるそうよ」
「ええ〜……急な話だね。なんかあったのかな?」
「急ってわけでもないんだがな」
 アイハラ・リュウはボードをデスクに置いて立ち上がる。話をしていた二人だけではなく、それぞれに作業をしていたセザキ・マサト、クモイ・タイチ、イクノ・ゴンゾウも手を止めて注目する。
「三月っていや、異動の時期だしな。それに、そもそもあの人は一回退官してるんだぞ」
「え? そうなの?」
 ヤマシロ・リョウコの驚きに、アイハラ・リュウは頷いた。
「お前らの一代前の先輩の時にな。そん時は定年退職だったんだが、サコミズ総監が慰留して残ってもらったんだ。まあ、平時の業務と広報に関してはちょっと隙の多い人だが、避難誘導の監督指揮に関してはGUYSジャパン随一だしな。そのあと、現場が俺以外お前ら新人だけってな体制になったんで、辞めるに辞められなかったんだよ」
 話していると、大きなくしゃみをしながら当の噂の本人がディレクションルームに入ってきた。
「噂をすれば、ですね」
 タイミングの良さに苦笑するシノハラ・ミオ。一同も苦笑を浮かべる。
 そこに漂う空気に、トリヤマ補佐官はきょとんとして辺りを見回した。
「ん? なんじゃ? 何かあったのか?」
「ちょうど補佐官の話をしてたんスよ」
 アイハラ・リュウが代表して答える。
「今月でGUYSをお辞めになるとか」
「ん、ああ。その話か。まあ、な」
 珍しく得意がることもなく、鼻の下を軽くこする。
「とりあえず来年度の体制で異動になるのが、ミサキ女史の副総監職正式就任だけだと聞いたのでな。補佐官一人交代しても、諸君らなら十分フォローできるじゃろう。……最初の退官からもう幾年、わしも歳だ。そろそろ後進に道を譲ってよかろう」
「そうですか……これまで、ご苦労様でした」
 神妙な顔つきで軽く頭を下げるアイハラ・リュウ。
 トリヤマ補佐官はその肩を軽く叩いた。
「なんの。まだ月末まで日にちはある。それまでは気を抜かずにがんばらんとな」
「それで、新しい補佐官にはマルさんが就くの?」
 ヤマシロ・リョウコの問いに、マル秘書官は大慌てで両手を振る。
「いえいえ、まさかまさか。私は秘書官の資格しか持っていませんので。新しい補佐官がお望みになれば、引き続き秘書官の仕事を続けられるかもしれませんが、そうでなければ配置転換になるかもしれません。まだその内示は出てないので」
「まあ、マルが残ったら、引き続きよろしく頼むぞ諸君」
「わかりまし――た?」
 アイハラ・リュウの返答の最中、シノハラ・ミオのコンソールから呼び出し音が響いた。慌てて画面を見やり、操作する。
 正面メインパネルにミサキ・ユキが現れた。
『アイハラ隊長。たった今、総本部経由で全世界のGUYS支部に連絡があったわ』
「全世界に? なんです?」
 大袈裟なほどの規模に、アイハラ・リュウの表情も曇る。
『GUYSスペーシーの早期警戒衛星が、地球へ飛来する宇宙怪獣の集団を確認したの。以前、地球へ飛来しようとしたレジストコード・宇宙斬鉄怪獣ディノゾールの群れよ』(※TV版ウルトラマンメビウス 第11話)
 画面に地球の公転面を上から見た模式図が表示される。それが拡大してゆき、月の公転軌道線、群れの移動進路予想の矢印などが追加されてゆく。
『群れの現在の進行速度なら、地球到着はおよそ4日後。おそらく彼らのエネルギー源である水素を探知・追跡してくるでしょうから、間違いなく地球へ飛来すると考えられます』
 画面上、群れの移動進路予想の矢印の前方に、いくつもの赤い点が発生した。
『GUYSスペーシーでは前回の飛来時と同じく、ライトンR30マインを進路上に配置、群れを叩く作戦を予定しています。ですが、前回もあったように、討ち漏らしが地球へと到達するかもしれません。GUYSジャパンの防衛圏内に侵入した時には、緊急出撃もありえますので心しておいてください』
 一同のG.I.Gに満足げに頷いて、通信は切れる。
「……やーれやれ、またディノゾールか」
 画面が消えて、最初に声を上げたのはトリヤマ補佐官だった。
「思えば、わしが最初に怪獣対応せねばならなかったのもこやつだったな。最後の最後もとは、まったく何の因果か……と、なんじゃいマル」
 しみじみ愚痴っていたトリヤマ補佐官は、マル秘書官に肘でつつかれた。目顔でアイハラ・リュウの背中を見やらされ、はっとして口を押さえる。
「す、すまんアイハラ隊長。最初のディノゾール襲来では……」
「いや、いいんスよ」
 最初のディノゾール襲来時(※TV版ウルトラマンメビウス第1話)に、当時のCREW・GUYS隊長・隊員を全て失った過去を持つアイハラ・リュウは、しかし苦笑していた。
「過去は過去。もう気にしてないっス。むしろ、もうあんなことは二度と繰り返させないように気を引き締めるだけです」
 少し目を細めたトリヤマ補佐官は、しみじみと頷く。
「うむ……。実に隊長らしくなったなアイハラ隊長。これならわしも安心してここを発つことが出来そうだ。ま、その前に万が一の時は、及ばずながら全力で被害を食い止める。アイハラ隊長達が全力で戦えるようにな」
「よろしくお願いします」
 頭を下げるアイハラ・リュウの肩を軽く叩いて、トリヤマ補佐官は踵を返した。マル秘書官もその後をすぐに追う。
「マル、記者会見の準備を頼む。今の件、国民に報告してあらかじめ対応できるようにしておこう」
「ミサキさんや総監にお伺いは立てないので?」
「あの二人が反対するわけなかろう。お前が準備しておる間に同意を取り付けておくわい」
「かしこまりました。それでは早速、会場の手配から」
 二人は打ち合わせしつつディレクションルームを出て行く。
 その背中を見送ったアイハラ・リュウは、振り向くなり言った。
「おい、お前ら。わかってるだろうな」
 頷く一同。
「ええ。最後の花道、きちんと飾ってあげましょう」
 セザキ・マサトの軽口に、クモイ・タイチも頷く。
「ああ。安心して後を託せることを証明しよう」
「それはそれとして、退官おめでとうパーティもしてあげないとね♪」
 茶目っ気たっぷりにウィンクするヤマシロ・リョウコ。
 すると、シノハラ・ミオは三角メガネをきらりと光らせた。
「既に下準備は出来ています。あとは日取りだけ」
「では、今は目の前のことですね」
 イクノ・ゴンゾウの指がコンソールを叩き、正面パネルにディノゾールの画像が表示される。
「とりあえず、我々の中で実際にこれと戦ったことのあるのは隊長だけです。万が一に備えて、今レクチャーをしてしまいましょう。よろしいですか、隊長?」
「ああ、そうだな。作戦は4日後とは言っていたが、なにが起きるかわからねえ。備えておこう」
 そこで、クモイ・タイチが手を上げた。
「じゃあ隊長。俺とヤマシロ隊員は明日非番だが、念のために詰めておくか?」
「いや、そこまではいい。瞬間移動を使う怪獣でもねえし。休むのも仕事の内だぜ? 二人はここでしっかりリフレッシュしておけ。その代わり――ミオ、当日前後のスケジュールは少しいじっておいた方がいいな」
 即座にシノハラ・ミオがコンソールに手を這わす。
「G.I.G。作戦予定日前後二日の当番を詰めておきます」
「頼む」
 そうこうしている間に、ディノゾールの基本データと報告書が正面パネルに追加された。
「隊長、準備完了しました。始めます。皆さん、この怪獣の基本データを見て下さい――」
 ディノゾールに関する対策会議が始まった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 同時刻。東京P地区、オオクマ家最寄のバス停。
 郷秀樹と別れたシロウは、そこにいた。今日はユミの母親が仕事の都合で迎えに来られない日だ。
 ユミたちが乗っているはずのバスを待つ間、シロウは考えていた。

 宇宙警備隊隊員が連れて帰ると言ったのだ。それはすでに決定事項。異を唱えたところで、変えようがないだろう。
 ほぼ一周期も放置していたくせになんで今さら、という思いはあれど、あくまで自分はこの星に逃げ込んだ犯罪者であり、そんな文句を言って見逃してもらえるはずがない。そもそも犯罪者が捕まえる側に文句を言うということ自体おかしな話だ。
 とはいえ、このまま唯々諾々と光の国に帰るのは嫌だった。宇宙警備隊に膝を屈するというのがまず気に入らない。光の国へ帰ったところで、何があるというわけでもない。まあ、犯罪者として裁かれるだけだ。さすがに命を奪われたり、昔話に聞いたベリアルとかのように牢獄へ永く繋がれて、ということはないだろうが……。
「まーた逃げるしかねえのかなぁ……」
 そう漏らして、空を見上げる。すっかり暮れた空はもう濃紺一色。そこに星の瞬きがちりばめられている。
(……宇宙で独り、か……)
 その横顔に光が差した。見やれば、バスのヘッドライトが道の彼方から近づいてきていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ただいま、シロウさん。お迎えありがとうございます」
 もうすっかりお馴染みになったシロウのお迎え。しかし、今日バスから降りてきたのは、アキヤマ・ユミ一人だった。なぜか学生カバンを二つ。それと大き目の紙袋を提げている。
「……師匠は?」
 訊ねるシロウに、ユミはバスの来た方角をちらっと見やった。
「走って帰って来るって。……カバンと制服だけ預かってきたから、エミちゃんの家に寄りますね」
「なんでまたそんなことを」
 エミの分のカバンを受け取るシロウ。その問い掛けが終わる前に、ユミは歩き出していた。シロウもエミが走っているであろう方角を気にしつつも、その後について歩き始める。
「エミちゃんは」
 背後からついてくるシロウを振り返らず、ユミの言葉が流れる。
「今年が最後だから。今年の夏が最後のチャンスだから、やっておけることを全部やっておくんだって。時間があれば走り込んで、スタミナをつけて、今度の今度こそ、誰にも文句を言わせない圧倒的な力で勝って、表彰台に登るんだって」
 ふと、シロウは眉根を寄せる。ユミの言葉に、なぜか弱々しさを感じた。まるで、他人事のような……。
「つまり、『特訓』ってわけだ」
「うん。そう。……だから、クモイさんの護身術教室も、明日で最後にするって言ってました」
「そうか。じゃあ、当分ユミだけか」
 自分も光の国へ帰らなければならない、とはこの場では言えず、シロウはわざと自分の存在をぼやかした。
「……………………」
「……ユミ?」
 沈黙とともに、少女の足が止まる。
 長い髪を夕風になびかせて振り返ったユミは、唐突に頭を下げた。
「ごめんなさい、シロウさん」
 驚いたシロウの足も止まる。
「は?」
「私も……実は、明日で最後にしようかな……って」
「ユミまで? ……ああそうか。そういやユミは師匠につきあってたんだっけな。師匠がいなけりゃ来る理由はない、か」
「ええっ!?」
 跳ね起きるように顔を上げたユミは、激しく首を振った。
「違う違う。シロウさん、違います! 確かに最初はそうだったけど……今は違いますよ? 護身術は大変だけど楽しいし、自分が強くなれるって実感したから……。私がやめるのは、エミちゃんとは直接関係ないことなの」
「そうなのか? だったらなんで?」
 再び歩を進め始める二人。
 ユミは、今度は先に立たず、シロウの横に並んで歩く。
「予備校に……行かないといけないんです」
「ヨビコウ? なんだそれ?」
「ええと……今行ってる学校の他に、勉強するところ、かな」
 シロウは露骨に顔をしかめた。
「コウコウ以外でまだ勉強するのか? ユミ、お前そんなに勉強が好きだったのか」
「好きってほどじゃないですけど……大学受験に備えなきゃいけませんし」
「ダイガクジュケン?」
「んとね、これは私だけじゃなくてエミちゃんもなんだけど、今通ってる高校って、来年の三月には卒業しちゃうの。高校を卒業すると、大学っていうさらに難しい勉強をする学校へ入るための試験が受けられるの。その試験が大学受験」
「次の学校ねぇ。コウコウ行きながらヨビコウ行ったり、ダイガク入ったり、地球人ってのは忙しいなぁ」
 顔をしかめて頭を掻くシロウに、ユミは微笑む。
「ふふ、シロウさんは学校は嫌いなんですか?」
「大ッ嫌ぇだ。ウルトラ学校の教師のしたり顔を思い出すだけでムカつく」
「そっかー……。でも、世の中にはそういう難しい学校を出ないと就けないお仕事がたくさんあるんです。私が目指しているのもそう。だから、今以上に勉強しなくちゃいけないんです」
「へぇえ。どんな仕事がしたいんだ? ユミは」
「お医者さん、です」
 少し得意げに、少し頬を染めて、ユミははっきりと言い切った。伏せがちだった顔も真っ直ぐ上げ、目を輝かせる。
「命を救うとか、そんな大それたことは言えないけど……困っている人を助ける仕事がいいなって考えたときに、お母さんがやってる看護師の仕事が一番素敵だって思ったんです。でも、お母さんがユミはせっかくお勉強が出来るんだから、もっと上を目指しなさいって言ってくれて……だから、お医者さんに」
「ふぅん。……医者か。うん、確かに優しいユミには合ってるかも知れねえな」
「えへへ。ちょっと照れくさいな……ありがとう、シロウさん」
「それで、今よりもっと勉強しなくちゃいけないから、明日で最後にしようってことか……じゃあ、しょうがねえな」
「うん…………………………………………でも、ね」
 再び、ユミの足が止まった。
 二、三歩先に進んでしまったが、シロウも気づいて足を止め、怪訝そうに振り返る。
 ユミは再びうつむいていた。辺りが暗いせいか、その表情はかなり曇っているように見える。
「……ほんとにこれでいいのかな、って……」
「どういう意味だ?」
 顔を上げたユミは懊悩を隠しきれず、眉を八の字に寄せていた。
「だって、予備校へ行き始めたら私、多分部活の練習とかちょっとしか出来ない。エミちゃんは最後の夏に全てを賭けて戦うつもりなのに、私は自分のことばっかり……夏にシロウさんと約束したことだって、このままじゃ結局……」
 夏の約束、といわれてシロウは改めて思い出した。

『それに……オレだってこのまま負けっぱなしはイヤだ。少なくともクモイとジャックの鼻は明かしてやりたい。だからユミ、約束してやる。強くなってやる。そのかわり、ユミもオレと約束しろ。エミにやるな、って言わせてみせろ』
『……は……ハイ!!』
(※第4話その4)

(あれ、か)
 シロウは少し考え込む。その後のユミを見ていたが、がんばっている、と思う。
 そもそもエミ師匠は、ユミのことを勉強も出来るし、ブカツでも真剣だし、それ以外でも自分の無茶にもしっかりついて来る凄い子なんだよ、と一目置いている。ユミは知らないことだが。
 エミ師匠から直接そういう話を聞いている身としては、その約束はもう果たされているようなものだが……ユミ本人としてはやはり、エミ師匠から直接その言葉を言わせたいのだろう。主に水泳で。
「じゃあ、ヨビコウはやめて師匠と一緒にトレーニングすればいいじゃねえか」
「それは……できないんです」
 哀しげに首を振るユミ。
「うちはそんなに裕福なわけじゃなくて。だから、大学受験は一度で合格しないと……ただでさえ受験や入学でお金がいるのに、浪人なんかしたらお母さんにもっと負担をかけちゃう」
「ふぅむ……。ジュケンとやらが何か、いまいちピンと来ないが……要するに、ユミはユミで退くに退けない戦いが待ってるってわけだ」
 頷く少女。
 シロウは一つ、溜息をついた。今の彼女に、光の国帰還のことは話せそうにない。
「師匠と一緒に戦いたいが、自分も手一杯か。……身体が二つあったらいいのになぁ」
「ぷふっ」
 難しい顔をしていたユミが吹き出した。
「くっく……くくく、あははは。――ええ。ちょっと不意打ちで笑っちゃいましたけど、ほんとに気持ちはそんな感じですね。ぷっ……うふふふふ」
「??? そんなに面白かったか?」
「はい」
 そう答えたユミの声から、重さが消えていた――どころか、笑いすぎたように、目尻を指の背で拭っている。
「なんか……なんだろ? うふふ、すっごくツボに入っちゃいました♪ 最近笑ってなかったせいかなぁ……く、く、くふふふふ……」
「まあ、ユミが楽しそうなのがなによりだからいいけどな。あんまり暗い顔してると心配だしよ」
「ごめんなさい。でも、おかげで少し心が軽くなった気がします。……そうですね。暗い顔してると、心配かけちゃいますね」
「けど、問題は解決してないぜ? どうするんだ?」
 ようやく笑いを止めたユミは、小首を傾げて夜空を見上げる。
「ん〜……どうしましょうね、本当に」
 考えながら歩き始める。シロウもそれに合わせて歩き始めた。
「――あ、そっか」
 また唐突になにかを合点するユミ。
「今気づいちゃいました。大変なことに」
「なんだ? まだあんのかよ」
「予備校に行って部活を辞めちゃうと、こうしてシロウさんと歩くこともなくなっちゃいます」
「……………………。それが大変なのか?」
「私にとっては大変なことですよ。……それとも、シロウさんは私のおもりがなくなってせいせいしちゃいます?」
 ちょっと上目遣いに聞いてくる。シロウは呆れ気味の溜息をついて、そんなユミの頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「そんなわけあるかよ。ブカツだろうがヨビコウだろうが、そうしてほしいならそう言え。いつでも迎えに行ってやるよ。……俺が出来る限りはな」
「あ、嬉しいな♪ そっか、じゃあその件に関してはどちらでも大丈夫なんだ。うふふ♪」
 シロウが最後の一言に込めた意味に気づくことなく、ころころと笑うユミ。
 その姿を目の端に映しつつ、シロウは複雑な思いを抱く。
 いつ、彼女に別れを切り出すべきなのだろうかと。そして――師匠にも。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 ユミを家まで送って帰ってきたシロウは、念のためエミの家を訪ねてみた。
 母親に呼ばれて出てきたエミは、ジャージ姿で、まだ頬が紅潮していた。
「あー、シロウ。あたしも今帰ってきたとこー。ごめんねー、せっかく迎えに来てくれたのに」
 背後で母親が、それが終わったらすぐお風呂は入りなさいよー、と声をかける。それに返事をして、再びシロウを見やる。
「――それで、わけはユミに聞いてくれた?」
「はい。夏の大会に向けて、特訓するとか」
「ああ、うん。特訓、なのかなぁ? とにかくスタミナはあって困らないからね。スタミナつけるのは走るのが一番。そんだけ」
「気合い、入ってますね」
「ちょっと――」
 ちらっと背後を見やって人がいないのを確かめたエミは、少し声を落とした。
「――ちょっと学校の進路指導でヤなことがあってね。シロウにはわからないかもだけど、簡単に言うと、先生に部活なんかしてても無駄だから、勉強しろって言われてさ。絶対都大会に出てやるって誓ったのよ。女の意地っつーか、あたしのプライドっつーか。それと、去年とおととしの借りもまとめて返したいしね」
「ユミは……悩んでいるみたいですが」
「うん、知ってる」
 こともなげにエミが頷いたことに、シロウは軽く驚きを覚えた。親友が悩んでいるのに、放っておくなんて師匠らしくないように思える。
 その思考を読んだように、ユミは腕組みをして続けた。
「ユミはさ、あたしと違って頭いいし、勉強を優先すべきなんだよ。家のこともあるし。でもだからって、あたしが『ユミ抜きでも都大会に出てみせるから勉強に集中して』なんて言ったら、ユミは自分がいらない子扱いされたって思っちゃうでしょ? だから、あたしはあえて何も言わない。……相談もされてないしね」
「でも、あいつは……」
「それもわかってる」
 言い募るシロウに、エミは手を突き出して遮った。そして、頷く。
「あたしと一緒に戦いたいって思ってることぐらい、よくわかってる。だから、あたしはユミが勉強の方を選んでも……あたしとしても、ユミのためにそっちを選んでほしいけど……あの子の分までその魂を背負って戦うわ。ただし、このことはユミには内緒ね」
 はにかんだエミは、小指を立てて突き出した。
「約束よ、シロウ。今の話、シロウだけが知っていてくれればいいの」
「そんなんでいいんですか?」
「うん。今の話をユミにしたら、あの子、あたしに余計な気を遣わせたって思って、また考え込んじゃうだろうし」
「……わかりました」
 そう答えながら、シロウも小指を突き出し、エミの小指に絡ませた。
「でも……ユミが一緒に戦うことを選んだら?」
「そん時は全力で戦って、一緒に都大会――ううん、行けるとこまで行くまでよ!」
 軽く二、三度振って指を切る。その時のエミは、ユミの表情とは対照的に晴れ晴れとした笑顔だった。
「だから、シロウも応援よろしくね♪」
「は、はい」
 その笑顔を前にして、シロウはやはり別れの話を持ち出せないまま、帰途に就くのだった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 オオクマ家。

 帰宅したシロウは、夕食配膳の手伝いもせず、ちゃぶ台に突っ伏した。
 手伝いを言いつけようと台所から顔を覗かせたシノブは、その様子に顔を曇らせた。
 一旦台所を見やってガスの類を消していることを確認し、ちゃぶ台に着く。
「どうしたんだい、シロウ? ユミちゃんエミちゃんとケンカでもしたのかい?」
「……俺、帰らなきゃいけないんだって」
 突っ伏したまま呻くように告げたその言葉に、シノブは目をぱちくりさせた。
「なに言ってんだい? 今帰ってきたところじゃないか」
「いやだから」
 のっそり顔を起こして、右手に座るシノブを見やる。
「光の国へ」
 シノブは数秒じっと黙り込んで、ああ、と手槌を打った。
「そういや、あんたの生まれ故郷は光の国だっけね。最近馴染みすぎててすっかり忘れてたよ。それにしても、急だねぇ。なにかあったのかい?」
「なにかって……俺も良くわからん。ウルトラマンジャックが呼び戻されるみたいで、そのついでに」
「ついでってなんだい、ついでって」
「俺は光の国のおたずね者だからさ。今まで見逃してたけど、流石に監視する者がいない地球上には置いとけないって」
「勝手な話だねぇ」
 シノブは顔をしかめて首を振る。
「それで? あんたはどうするんだい? それに納得してるのかい?」
「納得なんかしてねえよ。ただ、どうするもこうするも、気持ちとしちゃ残りたいけど、地球に残してくれってお願いできる立場でもないしなぁ。逃げても、ジャックと戦っても、結局地球には残れないだろうし……かといって宇宙警備隊になるのもいやだし」
「宇宙警備隊? 今度は何の話だい?」
「宇宙警備隊に入隊するなら、ジャックの代わりってことで地球に残れるかもしれないんだと。ただし、地球を守るために戦わなきゃいけない。かーちゃんの前でなんだけど、そんなのはいやだ」
「うん、そこはあんたが守ろうとしてる一線だからね。……まあ、そこはいいとして……それにしても、いきなりで乱暴な話だねぇ。確か、ウルトラマンジャックの正体は郷さんだったわね? 今度、ちょっと家に呼びなさい」
「い!? い、いや、それは……これは俺の問題だし」
 慌てるシロウに、首を振る。
「勘違いしなさんな。あんたの援護とかそういうんじゃなくて、オオクマ・シロウの母親として言うべきことがあるからだよ」
 そう言うと、シノブは立ち上がった。台所へ向かいながら話を続ける。
「あんたが光の国でやったことの落とし前はきちんとつけないといけないだろうけど、だからって無理を通してなんでもしていいってことじゃないはずだよ。だいたい、あんたを預かってた私に何の断りもないなんて、ちょっと筋が通らないじゃないか。一年足らずとはいえ、母親としてあんたを育てたのは間違いなく私だよ? それを引き離そうってんなら、事情の説明ぐらいあってしかるべきじゃないかい?」
 台所でかちゃかちゃ音が聞こえるのは、どうやらお盆に夕食を載せているらしい。
 シロウは慌てて立ち上がり、台所へ向かった。
「そこはその通りだとは思うけどさ。まあ、郷秀樹のことだから、明日明後日には挨拶に来るんじゃねえかな。――それは俺が持っていくよ」
 持ち上げようとしていたお盆を、横から受け取る。今夜のおかずはハンバーグだった。
「じゃあお願い。その間にご飯よそって、味噌汁入れておくから」
「こっちのポットにお湯入ってる? お茶淹れとく?」
「ああ、それもお願い。――ってことは、今日明日に帰るってことじゃないんだね」
 居間に戻ったシロウは、ちゃぶ台に皿を並べながら答えた。
「今月末までには、とか言ってたけどな」
「じゃあ、もし帰るんなら、それまでに挨拶回りしとかないとね」
「……………………かーちゃん、やっぱ俺……帰った方がいいのかなぁ」
 水屋を開けて湯飲みとお茶っ葉入れを取り出し、急須にお茶っ葉を入れる。この一年でこの作業ももう手馴れたものだ。
「やっちまったことの償いって意味では、罰を下す人が帰れって言ってんだから帰らなきゃダメでしょ」
「やっぱ、そっかぁ……」
 落ち込む気持ちをポットの押しボタンに託して、ぐっと押し込む。湯気を立ててお湯が急須に注がれる。
「ただ、これまでどういうつもりであんたを捕まえなかったのかは聞いておきたいわねぇ。もし、地球での生活をあんたの矯正生活みたいに考えてたんなら、今でなくても、とは思うけどね。――ご飯と味噌汁入ったわよ」
「ほーい」
 お盆を持って台所に戻る。シノブは差し出されたお盆に手早くお椀を載せてゆく。
「ところで、キョウセイ生活ってなんだ?」
「ん〜、そうだね。あんたや昔のサブロウみたいなはねっかえりを、真っ当な人間にするってことかねぇ。ま、わたしにとっちゃ、あんたやサブロウなんて可愛いもんだけど?」
 ははは、と笑いながらシロウをうながして居間へと戻る。
 シロウがお盆のお椀をちゃぶ台に並べている間に、仏壇へお供えをして手を合わせる。
 シノブが席に着くのを待って、シロウは手を合わせた。
「いっただきま〜す」
「はい、おあがりなさいな。わたしもいただきます」
 シノブも手を合わせて頭を下げる。
 食べ始めてしばらくして、シロウは再び話を切り出した。
「――それでさ、かーちゃん。悩んでたのは、帰ること自体じゃねーんだよ」
「おや、そうなのかい?」
「んー、そっちも悩みっちゃ悩みなんだけど……エミ師匠とユミのことなんだよ」
 食事を続けつつ、今日あった二人のことを話すと、シノブはふぅん、と頷いた。
「……そうかい。二人ともそういう時期かい。大変だねぇ」
「かーちゃん、ユミはどうしたらいいと思う? なんか、俺のことよりそっちが心配でよ。なんか、いい方法ないもんかね」
「放っておきなさい」
「えー……かーちゃんもかよ」
「シロウ」
 不意に、シノブは箸を置いた。自分を見やる真摯な眼差しに、シロウも慌てて箸を置いて姿勢を正す。
「はい」
「あんた、この一年間よく悩んでたねぇ」
「あ、うん。そりゃまあ……」
「そのお前の目から見て、ユミちゃんの悩み方は間違ってるかい?」
「……間違いっていうか…………なんとかしてやりてぇ」
「間違ってないならいいじゃないか。あんたの帰る帰らないもそうだけど、人間、自分の行く先、行く末は自分で決めないとね。どこへ進もうと、それで得られるものは自分だけのものなんだから」
「自分だけの……。……後で後悔する羽目になってもか?」
「後悔も経験のうちだよ。人間の人生、無駄な経験なんて一つもない。時に後悔することがあったっていいじゃないか。その後悔を元に反省して、進路を修正すればいい。同じことを繰り返さないようにね。それが成長ってもんさ。あんたも、この一年そうやって一つ一つ強くなってきたんじゃないかい?」
「……………………」
 シロウは何も言い返せなかった。相変わらず、シノブはなんでもお見通しのようだ。自分が忘れていることさえも、まるで当たり前のように憶えていて、きちんと折々に自分の立っている場所を思い出させてくれる。
(かなわねえなぁ……)
 そんなシロウの思いを知ってか知らずか、にっこり微笑んだシノブは箸を取り上げて食事を再開する。
「今度はユミちゃんとエミちゃんの番ってこと。ま、温かく見守ってあげなさい。それも、大事なことだよ」
「歯痒いなぁ……」
 シロウも箸を取り上げたものの、ため息が漏れた。
 エミ師匠とユミのことだけでなく、まったくシノブに太刀打ちできるようにならないことへの歯痒さもある。思えば、自分はこの人に何の恩返しも出来ていないような気がする。なんだかんだと恩返しをしたつもりが、その直後に十倍になって戻ってくるようで、まったく割に合わない。いつまでたっても終わらない。
「そうだね」
 ふと箸を休め、湯飲みを取るシノブ。シロウが淹れたお茶をゆっくりと飲む。
 湯飲みの中を見つめる眼差しは、遠い。
「……見守るってのは歯痒いもんさ。どんな場面でも、ね。この一年、あんたを見てた郷さんも、歯痒かったんじゃないかしらねぇ?」
「……………………」
 シロウも箸を止めて、じっとシノブを見やる。
 この一年見守ってきたということでは、シノブも同じだ。今のは、シノブの感想でもあるのだろうか。
 湯飲みから目線を上げたシノブは、またにっこり笑った。
「でも、いいじゃないか。あんたが本当に地球を離れるか否か、まだわからないけど……もしもこれが最後だっていうんなら、なにもせずにただ見守るってことを覚えてから、行きな。それは絶対あんたのためになるからね」
「うん……」
 シノブに別れの日のことを言われた途端、胸に疼きを覚えた。
 まるで、宇宙に独り放り出されるかのようなそんな感情を。


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