ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第9話 次郎とジロウ その1
9月中旬。
フェニックスネスト・ディレクションルームの午後10時。
アイハラ・リュウとともに遅番担当の任に就いていたのはシノハラ・ミオ。
その報せを受けた彼女は、ヘッドセットに手を当てたままチェアを回して振り返った。
「隊長、天文台から通報です。つい今しがた、N地区の山林に隕石が落下したとのことです」
「隕石?」
自席で書類に眼を通していたアイハラ・リュウは顔を上げた。
「N地区ってーと、郊外……ではあるが、街にはちょっと近いか。被害は?」
「今のところ特に報告されてません。隕石自体がさほど大きくなかったようです。近傍の気象庁地震計で計測した落着時の震動らしきデータから、コンピュータで計算してみましたが、クレーターは出来たとしても直径数m程度。本体の大きさは大きくても数十cm。それに、N地区の山林は国有林ですし、山を下りないと民家もないので、人的被害もないと思われます」
「そうか。で? 俺たちでも確認した方がいいか?」
アイハラ・リュウの問いかけに、シノハラ・ミオは困ったように口をつぐんだ。
GUYSは緊急事態に対応する組織だ。
それに対し、隕石は常時地球に降り注いでいる。大半は大気圏突入時に燃え尽きるが、地表まで落ちるものも結構ある。その意味では隕石の落下自体は日常茶飯事といってよく、GUYSが出動せねばならないほどの特段の緊急事態とはいえない。対応するには優先度はどうしても低くなる。
実際、毎日落ちてくる隕石の全てにGUYSの隊員が出向いて確認していたら、とてもではないが通常業務も遂行できない。
それでもなお、アイハラ・リュウがシノハラ・ミオに問いかけたのは、これまで隕石に擬装して侵入してきた怪獣・異星人が数多くいるためである。
しばらく考えていたシノハラ・ミオは、頷いた。
「そうですね。連絡を受けているわけですし、落下地点の確認ぐらいはしておいた方がいいかもしれませんね。あと、落着時の高熱で山火事が起きてないかどうかも少し気になるところですが……とはいえ、もう夜ですし、その辺は現地の専門家に任せていいと思います。GUYSとしては明朝のパトロール順路に落下地区周辺を組み込んで、上空から落下クレーターとその周辺の視認をする、ということでいかがでしょうか」
「そうだな。明日午前のパトロール要員は?」
「クモイ隊員とセザキ隊員です」
「OK。じゃあ、二人にはパトロール順路の変更と一緒に申し送りしておいてくれ」
「はい」
頷いたシノハラ・ミオは、傍らのブリーフボードにすらすらとペンを走らせる。
再び書面に目を戻すアイハラ・リュウ。
その夜、二人がこれ以上隕石について話題とすることはなかった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
翌朝、オオクマ家。
いつも通り朝食前に仏壇へご飯とお茶をお供えして、手を合わせるシノブ。
シロウもいつも通りちゃぶ台の前で正座をして、シノブが戻ってくるのを待つ。
朝のニュースを報道しているテレビが花びらの細くて真っ赤な花を映し、季節の便りを伝えている。
「そういえば、お彼岸なんだねぇ」
そう呟きながらシノブはちゃぶ台に戻ってきた。
「オヒガン?」
「お墓参りをする時期ってことさ」
手を合わせるシノブに、シロウも手を合わせ、お互いに頭を下げながら『いただきます』。
味噌汁をすすり、ご飯を一口食べたところで、ふとシノブは手を止めた。
「ああ、そういえば。とーちゃんにあんたのこと、まだちゃんと紹介してなかったね。お盆は色々あってそれどころじゃなかったし」
「?」
日本人独特の言い回しに、シロウも食べる手を止め、きょとんとした。
「紹介してないって……とーちゃんって、かーちゃんの旦那だよな? 死んだんじゃなかったか?」
「ああ。だから、毎日お仏壇にお供えしてるじゃないの」
「???」
困惑の表情で首をかしげているシロウにお構いなく、シノブは食事を続けながら言った。
「シロウ、確か今日は畑仕事なかったね?」
「あ、うん」
「じゃあ、ご飯が済んだらとーちゃんのお墓参りに行くよ」
「???」
箸の先を咥えたまま、シロウはただ不思議そうに仏壇とシノブの顔を交互に見やっていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
同時刻、フェニックスネスト・ディレクションルーム。
通信の呼び出し音を受け、イクノ・ゴンゾウがコンソールを操作した。
「はい、こちらディレクションルーム」
正面メインパネルに、パトロール中のセザキ・マサト隊員が映った。
『こちらガンローダー・セザキでーす。例の隕石落下地点付近上空だけど……』
「何か異常は?」
『ダメだね〜。雲海って言うか、霧が出ててさぁ。上空の飛行には全然問題ないんだけど、下は山林の梢部分――樹冠部って言うんだっけ? しか見えない。もう少し日が昇って霧が消えてからでないと、視認は無理だね。多分、地上から向かう人たちも、この霧じゃあ麓で足止めでしょ? ま、見えてる限りでは山火事は出てないみたいかな。一応、熱源センサーにも高熱の反応は無しだし』
セザキ・マサトが送ってきたガンカメラの映像は、水墨画の世界を思わせた。白くたゆたう海の中から、濃い暗緑色の梢がぽつぽつと群島のように並んでいるのが見える。
その画面を確認したイクノ・ゴンゾウは、小さく頷いた。
「仕方ありませんね。ずっとその上を哨戒するわけにも行きませんし、元のパトロールコースへ戻っていただいて結構です。一時間ほどしたら、今度は別ルート哨戒中のクモイ隊員に再度確認してもらいます」
『ま、見えないものはしょうがないよね。クレーターは見てみたかったけど、自然現象には勝てませんよ、と――あれ?』
苦笑しながら、キャノピーの外を見やったセザキ・マサトの表情が、ふと曇る。
「どうかしましたか?」
『ん〜……いや、一瞬なにかの影が見えたような気がして。でも、センサーや……レーダーにも……何も映ってない、ね』
少し身を乗り出して、コクピット内のコンソールをいじっている。
『……うん。何の反応もなし。そっちはどう?』
「いえ、こちらも特に何の反応も――」
『あ、また――ん〜ん? ………………うん。やっぱりいないや』
「どんな影が見えたんです?」
『ん〜〜……どうって……説明しづらいんだよね。目の端で何かが動いた感じで……でも、霧の中で何かが動いたってよりは、ブロッケン現象みたいに霧に影が映った感じ。だと思うんだけど。……飛蚊症かな。尼崎のおばあちゃんがそうでさぁ――』
「もしそうなら、CREW・GUYSは休職しなけりゃいけませんよ?」
イクノ・ゴンゾウのその一言に、冗談めかして笑っていたセザキ・マサトは、たちまちぎょっとした顔つきになった。
飛蚊症は、網膜はく離の初期症状として現れることがある。そして、網膜はく離はパイロットの資格剥奪要件でもある。GUYSライセンス剥奪までは行かないものの、CREW・GUYS隊員としてこのまま続けることは、無論出来ない。
『あー!! 今のなし! なし! 多分気のせいだから! 通信終了! パトロールを続けます!』
それだけ喚くと、セザキ・マサトは返答を待たずに通信を一方的に落とした。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
霧に包まれたN地区。
山林の奥に、古びた4階建てのビル施設が建っていた。
元々は官僚が公務員の療養施設名目で建てた施設だった。しかし、その手の官製施設にありがちな話だ。立地が山奥過ぎて使う者もおらず、政策転換などもあって施設は閉鎖。地元自治体へ二束三文で売却されたものの、自治体の方でも財政の身の丈に合わぬ施設を維持・利用できるはずもなく、持て余した挙句、山林整備の資材倉庫として幾度か使いはしたものの、今ではその存在すら忘れられたようにただ風雨に晒されているだけ。
化粧タイルの剥げ落ちたコンクリート壁の表面はひび割れだらけ、内部の鋼材や鉄筋から漏れ出した赤錆が涙のような跡を残している。窓ガラスもいくつかが割れ、そうでないものも砂汚れで中の様子を覗けないほどに曇ってしまっていた。
周囲の敷地には雑草が生い茂り、その緑の波間に不法投棄されたらしい車両の天井がいくつか、垣間見える。
鬱蒼と茂る森に囲まれているため、まだ日の当たらぬ時間。そこは濃密な霧と静寂につつまれていた。
否、上空を飛行体が飛んでゆく音がかすかに聞こえている。
不意に、ビルが壊れた。
崩れたとか倒れたというのではなく、また爆発したのでもなく、壊れた。まるで上空から見えないハンマーで殴られたかのように半分が砕け、壊れ、辺りに破片を撒き散らす。
間髪入れず、今度は低層階の壁が横様に削り取られるような勢いで、壊れた。それこそ、見えないハンマーで横様に殴られたかのように。
その後はもうめちゃめちゃだった。かろうじて残っていた部分も徹底的に薙ぎ倒され、叩き潰された。
その間、実に1分程度。
全てが破壊しつくされると、再び静寂が戻ってきた。廃墟を包んで漂う粉塵だけが、今の現象が幻ではなく現実に起こったことだと証明している。
だが、その粉塵もやがて白い霧に紛れ、誰の目に触れることもなかった。
もし誰かがその場にいたなら、ビルが壊される瞬間に不思議なものを目にしたことだろう。
現実には何も見えないにもかかわらず、ビルを壊している巨大な影が霧に映っているのを。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
オオクマ家。
ちゃぶ台の前でシノブの準備を待ちながら、シロウは左手に目を落としていた。
以前のように痛みが引かない。超能力を使っていないにもかかわらず。
実際には、痛みというより痺れのようなものだ。気を逸らせていれば別段気にはならないが、ふとした拍子に自覚する。今のように手持ち無沙汰で時間を潰さねばならない時など。
これが……自分の身体の中の異物が、自分を食っている感覚なのだろうか。
実際、シロウは迷っていた。
このままでは、郷秀樹の言っていた通りに自分は消滅するのだろう。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
――光を打ち消す闇の粒子、レゾリューム粒子。
かつて、暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人と戦った折、レゾリューム光線を受けたメビウスは一度消滅したという。
だが、ウルトラマンとして鍛えられ、地球人との強い絆で結ばれていたメビウスは、その『 光の意志 』を礎として、奇跡的にその消滅から何とか甦った、と聞いている。だが、自分にそんな奇跡が起きる気はしない。
また、あの宇宙警備隊最強のゾフィーでさえ、エンペラ星人のレゾリューム光線を無効化するためには、地球人の力を借りる必要があった、とも聞いた覚えがある。
そう、光の国の学校で受けた授業で。
地球で暗黒宇宙大皇帝を倒し、自らの経験を後輩に伝えるために帰還したメビウスを迎え、講演が開催されることになった時のことだ。メビウスを迎えるためにと学校側は、地球におけるウルトラ兄弟の戦歴についての特別授業を組んだ。
ウルトラマン、ゾフィー、ウルトラセブン、ジャック、エース、タロウ、レオ、80、そしてメビウス。
名だたる勇者達の戦歴を学ばせられ、ふつふつと沸き起こる反発心。
無邪気にはしゃぎ、憧れ、彼らを夢のゴールと定める多くの学友たちの中で、レイガ一人が冷めていた。
己の命を削り、光の国とはまったく関係のない未開の地に棲む蛮人どもを守るなど、甘いどころではなく、狂気の沙汰としか思えない。まして、地球人はウルトラ兄弟が地球を守っている間にもギエロンやムルロアなど、いくつかの星を破壊している。
宇宙の平和を守るべき宇宙警備隊が、宇宙の平和を乱している地球人を守り、復讐に訪れた怪獣を倒す――矛盾している。罰されるべきはどちらかなど、宇宙を知らぬ自分でもわかる、簡単な話だ。
だいたい今回の講演にしたところで、後輩に経験を伝えるためなどと抜かしてはいるが、要はエリート様の戦歴自慢だ。そんなもの、聞きたくもない。
ウルトラ兄弟など、興味はなかった。救いようのない甘ちゃん(自分にも地球人にも)どもが、自分の目の届かぬ宇宙の果てで何をしてようと知ったことではない。だが、そんな偽善者連中のしたり顔が、高みから自分を見下ろしていることが許せなかった。
連中に対しての興味があるとしたら……ただ一点、『どれほどの強さなのか』。
講演会で学生を相手に地球での経験を話すメビウスを見据えながら、レイガはその強さをじっと測っていた。
そして、うんざりするほどクソ甘いこの偽善者に一泡噴かすべく計画を練り――ある日、それを実行した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「……甘かったのは、俺の方だ」
メビウスの甘さやウルトラ兄弟の偽善はともかく、地球へ来て怪獣や侵略者と戦うということの過酷さを、十分に思い知らされた。そのことについてだけは、認めてやっていい。とにもかくにも、ウルトラ兄弟は、強い。
特に、直接相見え、肩を並べて戦った郷秀樹=ウルトラマンジャックだけに限れば、その心身の強さについて、自分は測る言葉を持たない。
戦うべき時に命を賭けて戦い、大事な物をいくつも失ってなお戦い続けたあの男の過去を偽善と切って捨てることは、今の自分にはもう出来ない。
スチール星人を逃すために立ち塞がった時、GUYSはともかく、もしジャックが本気を出していれば、今頃自分もスチール星人も無事ではいられなかったはずだ。
犯罪者を見逃す――その甘さを、昔の自分なら嘲笑っただろう。それとも、もうその力もないほど消耗していたと判断したか。
そうではない。何も言わずに見逃してくれた、それが厳然たる事実だ。もし、それを偽善と指弾するなら、その偽善によってしか救われなかった自分は何なのか。
今ならわかる。郷秀樹は、自分が考えていた善だとか悪だとか、そんな単純なものとは全く別の思いを以って戦ってきたのだ。そういう戦いがあることさえ知らなかった自分の、迂闊さ、甘さ、そしてなにより幼さに呆れて物も言えない。
挙句の果てに、このザマだ。
半身を暗黒粒子に冒され、今や変身どころか超能力を使うことすらままならない。
「……………………」
左手を拳に握る。
この世は強いか弱いかだけが基準だ――かつて、そう思っていた。
この星に来て、少しだけその思いは変わった。
この世は、強いか弱いかだけが基準だ。
……『多くの場合』。
そうではない場合も、まま、ある。
どうやら、強さの基準は一つではなく、いくつもあるらしい。
だが、自分は、その基準のどれ一つとして、上位に食い込むことが出来ていない。
つまり、かつて無邪気に、疑いなく信じていたほどに、自分は――レイガという名のウルトラ族は、強くなかったのだ。
そして、強いか弱いかという基準で測れば弱者になる自分は、つまるところ敗者であり――実際、ジャックには真正面から打ち破られている――勝者に従わねばならない。
宇宙では勝者が敗者を支配する。
それこそが、世界の根源的唯一のルールだと信じてきたのだから。
無論、そのルールの適用は、常に自分は勝者側であるという推測の下に決め、宣言していたものだ。
その思惑を外れ、自分は敗者側に立ってしまった――状況が変わったのだから、それに合わせてルールも変更するというのも、一つの手段としてありうる。ルールを変えれば、敗者も勝者となれる。
だが、そう思ったところで、敗北した事実、己が敗北を認めたという事実は消えてなくならない。
考え付く限りの卑劣卑怯な罠を以ってジャックに挑んだとしても、勝てる気が全くしないことは、自分の中のルールをどう捻じ曲げても認めざるをえないのだから。そして、実際に卑劣卑怯な罠を考えたとしても、今の自分は実行できないであろうことも、認めざるをえない。
だから、勝者がそう望むのならば――ジャックが光の国へ帰れと言えば、敗者である自分は、本当はそれに従わなければならない。
だが……。
「――ほい、お待たせ。それじゃ行きましょうか、シロウ」
声をかけられて、とめどなく円を描く思考を中断して顔を上げる。
普段より少し着飾ってはにかむシノブがそこにいた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
セザキ・マサトが哨戒をした一時間後、クモイ・タイチのガンウィンガーがN地区上空の哨戒へ入った。
太陽は昇り、山肌を覆っていた霧も晴れている。
「――フェニックスネスト、こちらガンウィンガー・クモイ。N地区の隕石落下地点上空」
秋晴れの青空に大きく飛行機雲の弧を描きながら、傾いたコクピットから地上を見やるクモイ・タイチ。
彼の目には別段異常な光景は映らなかった。
眼下に広がっているのは、ただ日の光浴びて佇む緑の絨毯。
「隕石落下の痕跡は、視認できない。斜面に大量の木々がへし折られた形跡もなく、山火事が発生している様子もない。高度を下げるか着陸すれば、細かい痕跡も視認できるかもしれないが……緊急事態ではないし、着陸場所も見当たらん。安全高度を保つことが優先と考える――そちらに何か情報は入っているか?」
モニター画面にフェニックスネストの管制、イクノ・ゴンゾウが映った。
『いえ、特に何も。そういえば、セザキ隊員が何か霧の中に影を見たようなことを言っていたんですが、そんな痕跡はありますか?』
「セザキ隊員が? ……しかし……」
もう一度眼下を見下ろし、クモイ・タイチは眉をひそめた。
「この高度から霧の中に見えたとしたら、少なくとも怪獣クラスの大きさだろう。霧とともに動く怪獣と言えば――」
『レジストコード・岩石怪獣サドラがいますね。ただし、サドラが体表から揮発性の分泌液を出して発生させる霧には、強力なジャミング効果があります。今回、そういう障害はなかったので、おそらく違うと思いますが……』
「ああ。上から見る限り、山林の中を怪獣が歩いて行ったような跡もない。……地下に潜った痕跡も見当たらない」
『なら、やっぱりセザキ隊員の見間違いだったんでしょう。――と、無事霧が晴れたので、登山組も登り始めたようです。隕石の件は、もうそちらに任せましょう。そこの哨戒は切り上げていただいて結構です』
「了解した。では、これより所定のパトロールルートへ戻る」
通信を切ったクモイ・タイチは、向かうべき方向へと操縦桿を大きく切った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
R地区の外れ。
空は秋晴れ、青が濃く、差す陽射しはまだ少し夏の厳しさを残している。
山の斜面を埋め尽くすように建ち並ぶ石のモニュメントに、シロウは目をぱちくりさせていた。
バスと電車を乗り継いで到着したのは、山の斜面を目一杯使った霊園だった。初めて目にするシロウには、その光景は奇異なものと映る。
「かーちゃんかーちゃん! これ、なんなんだ?」
「なんなんだって」
霊園の入り口で営業している花屋で、供花を一束購入していたシノブは面倒臭そうに眉をしかめていた。
「お墓だよ。お墓の下じゃあたくさんの人が眠ってるんだから、はしゃぐんじゃないよ?」
「お墓!? これが!? 全部!? ……へー、地球人ってこんなお墓なのか」
「地球人のっていうより、日本人の、だけどね。外国には外国のお墓があるんだよ」
支払いを済ませて戻ってきたシノブに、シロウは手を差し出した。
シノブは片手にバッグを下げているので、花は持ってやろうと思っていたのだが、やんわりと断られた。
「お花はいいから、水の方を頼むよ」
「水?」
地球の――日本のお墓参りのしきたりを知らないシロウには何のことかわからない。
シノブに並んで霊園の入り口を抜け、バスにタクシー、ジープや自家用車の停まっている駐車場を渡り、斜面を登る階段手前にある水場へ至って初めて、ようやくシノブの求めるところを理解した。
水場には先客が数組おり、それぞれ手水場で柄杓を使って手を清め、横手の蛇口からバケツに水を汲んでいた。
見よう見まねで手を清め(直接手を突っ込もうとして、シノブに怒られた)、水を汲み(手水場に直接バケツを沈めて汲み上げようとして、シノブに怒られた)、柄杓を借りて(このままぶっかけりゃいいじゃんめんどくせえと発言して、以下略)、長い長い階段へと向かう。
かなりの高さまで、途中いくつかの踊り場(と言うより広場という方がいいほどの面積。休憩所らしき屋根付きのベンチもある)を通過して伸びている、コンクリートの階段。左右にはシロウには馴染みのない墓――石を積み、あるいは成形したモニュメントが見渡す限り広がっている。
どうやら地球人のこのタイプの墓石は、一定面積の中央に置く決まりでもあるようで、それぞれの墓の所有面積が比較的わかりやすい形で仕切られている。とはいえ、同じ敷地内に大小の石碑を並べている場所もあり、完全に統一されているわけでもないようだ。
「……どこにでもルールを守らん奴はいるということなのかね」
「なんか言ったかい?」
「あ、いや。広いなぁ、と思って。なあ、かーちゃん。これ、死んだ人間全部墓作ってるのか? そんなんじゃ、いずれ地球は全部墓だらけになっちまうんじゃないか?」
並んで階段を登るシノブは、苦笑した。
「最近は個人の墓も増えてきたみたいだけど、日本人のお墓は家ごとだからね。親やご先祖様が入ったお墓に入るのさ。それに、心配しなくても新しく造られる霊園もあれば、無くなる霊園もある。こんなところで言うことじゃないけど……いざとなれば、人間は死んだ人より生きてる人を優先するものさ。色んな意味でね」
「色んな意味?」
「それこそ言わぬが仏、かね。まあ、日本で長く過ごしてるうちにわかるようになるよ」
「ふぅん」
生返事を返して、再び首を巡らす。
山の斜面が石碑で埋め尽くされている光景は確かに異様といえば異様だが、この空間に漂う穏やかな空気と静けさ、それにあちらこちらでちらほらと見える人の姿は、シロウですらなにやら神妙な気持ちにさせるものがある。
手を合わせて目を閉じ祈る人、手は合わせているもののじっと墓碑を見つめている人、はしゃいで怒られている子供、柄杓で汲んだ水を墓に掛けている人、花を活けている人、談笑している人達……。
やがて三つ目の広い踊り場に辿り着き、そこから横へと入る。形状の差は確かにあるものの、全く無個性としかシロウには思えない数々の石碑群の前を横切り、シノブはある墓碑の前で足を止めた。
「ここがとーちゃんのお墓だよ」
そう言って振り返ったシノブ。
示された墓石を見やれば、その表面には『オオクマ家代々の墓』と彫られている。
その正面下側左右に花が活けてあり、その間に家の仏壇にある線香鉢と同じ物が置いてあった。
花が比較的元気なのを見たシノブは、ふと顔を曇らせた。
「この花……ここ二、三日のうちに、誰か来たのね。イチロウかしら」
「花が無駄になっちまったな、かーちゃん」
「何言ってんの。ちゃんと活けるわよ。とりあえずシロウはその柄杓で水を掛けて、お墓を清めてあげなさい――間違ってもぶっかけるんじゃないよ」
ドスを効かせた最後の一言に、柄杓を振りかぶろうとしていたシロウは慌ててそれをバケツに戻した。
「話しかけるつもりで、ご苦労様という気持ちで、労わるようにゆっくりとかけてあげるんだよ。自分がそうしてもらったら気持ちがいい、と思うぐらい優しくね」
言いながら、シノブは慣れた手つきでしおれかけの供花をいくつか抜き、持ってきた花を二つに分けて新たに活けた。
その間、シロウはシノブに引っ掛けないように気をつけながら、ゆっくりと墓石を濡らし、清めた。たかだか石碑。なぜそれほどナーバスにやらなければならないのか、とは思いつつも墓碑を座った人間に見立て、慎重に。
花を生け終えたシノブは、シロウから柄杓を受け取ると線香鉢の手前にあるくぼみへ、水を注ぎ込んだ。
「これは水をお供えするところなのよ」
そう説明しながら、花束を巻いていた新聞に火をつけ、線香を灯すシノブ。
その半分をシロウに渡すと、線香を線香鉢に刺し、水を汲んだ柄杓を傾けて墓石を清めた。
しゃがみこんだシノブは、数珠を手に手を合わせ、頭を垂れて目を閉じる。
数秒して目を開けたシノブ――その横顔に、シロウは少し戸惑った。
悲しそうな眼差し。でも、優しい光が宿っている。
シロウがその意味を問う前に、シノブの口が開いた。
「……タロウさん、今日は新しい息子を連れてきましたよ」
シロウは、なんとはなしにシノブの視線を追って墓石の正面を見つめていた。
「この子がシロウです。ほんと、あなたの若い頃みたいにやんちゃで暴れん坊で、すぐ女の子を泣かしちゃうけれど、優しくてとってもいい子です。どうか、この子もイチロウ、ジロウ、サブロウと同じように見守ってやってくださいね」
にっこり微笑んで、再び目を閉じ、祈る。
「さ、シロウも」
「あ、ああ」
作法など知らないシロウは、今シノブがやったことをそのままなぞった。
線香を鉢に刺し、手を合わせて目をつぶる。
目を開けて、墓碑を見上げる。
石だ。
どこからどう見ても、石の塊だ。
「………………」
何をどう祈ったものかわからぬまま、わずかに小首をかしげ――
いきなり、シロウは勢いよく振り返った。
また改めて手を合わせていたシノブが、不審げにシロウを見やる。
「どうしたんだい。いきなり」
「い、いや……かーちゃん、だけだよな?」
「は?」
シロウは誰かを探すように辺りを何度も見回した。
「だから、今俺の後ろにいたの、かーちゃんだけだよな?」
「当たり前じゃないか。他に誰がいるっての――」
何に思い至ったのか、シノブは言葉を切った。視線だけが左右をさまよい――
「何か、感じたのかい?」
「んん……なんか、肩を叩かれそうになった気がした。……っかしいなぁ」
「そうかい」
薄気味悪そうに辺りをうかがい続けるシロウに対し、シノブは嬉しそうに微笑んでいた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
駅。
1時間ほど前にシノブとシロウが下り立ったその駅舎は、郊外によくあるタイプの鉄筋コンクリート平屋建てだった。駅前ロータリーに面した改札からしか出入りできない構造で、線路を挟んで反対側にはすぐ山が迫っている。
平日の昼前ということもあってほとんど人通りもなく、ロータリーにもタクシーが2、3台停まっているだけ。運転手は隅に集まってコンビニ弁当を食べている。バス停にはバス待ちの人影すらない。
どこにでもある、郊外の駅前の風景。
不意に、駅舎が崩壊した。
何の前触れもなく、いきなりひしゃげ潰れた。まるで、上から圧搾機で押し潰したかのように。
ついで、駅周りの鉄筋ビルが、次々と崩壊してゆく。
人通りがないので悲鳴さえ上がらない。
少し早い昼ご飯を摂っていたタクシーの運転手たちも、ただ呆然と壊れ行く町並みを見つめているほかなかった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
立ち並ぶ墓の間を、アキアカネが滑ってゆく。
「なーなーかーちゃん。俺、朝からずっと不思議に思ってることがあるんだけどな」
立ち並ぶ墓の前を歩いて広場へと戻る道すがら、シロウは訊ねた。
「前に説明された覚えがあるんだけど、地球じゃ死んだ人を神様扱いして祀(まつ)るんだよな?」
「そうだねぇ。宗教によって扱いは違うけど、まあ、ざっくり言うとそんな感じだね」
「んで、家にあるブツダンってのは、とーちゃんの魂を祀ってるんだよな?」
「そうだよ。それ以外のご先祖様もいるけどね」
「じゃあ、なんで墓がいるんだ?」
広場に入ったところで、シノブは足を止めた。怪訝そうに振り返る。
「お前、何言ってんだい?」
「いやだから。ブツダンとお墓の違いがわからねえ。……今日は死んだとーちゃんに俺を紹介するって言って連れてきてくれたけど、じゃあ、毎朝ブツダンに手を合わせてるのは何なんだ? 前はイチロウの無事をブツダンに祈ってたよな? あそこに魂があるんなら、こっちは必要ないんじゃねえの」
「あー……」
シノブは思案投げ首に視線をさまよわせながら、広場の真ん中にある日除け付きのベンチへやってきた。
そこへ座りながら、難しい顔をして唸っている。シロウはその脇にバケツを置き、自分はシノブの前に立った。
「難しいねえ。日本のしきたりを知らないあんたに、腑に落ちるように説明するのは……。簡単に言うと、仏壇には魂だけが祀ってあって、お墓にはお骨――つまり、体が眠ってるんだけどね」
「ふぅん?」
返事こそ肯定っぽいが、シロウは首を捻っている。
その様子に、シノブはまた考え込んだ。
「………………そうだね。こう考えな。仏壇っていうのはね、あの世にいる魂と話をするための窓口なんだよ」
「窓口?」
「インターホンと言った方が、お前にはわかりやすいかね」
「インターホンて、うちの玄関にもついてるあれか?」
「そうそう。ぴんぽーんて鳴らすやつだよ。それで、お墓はあの世にいる人の、この世での家なのさ。新しい息子ですよって大事な大事な報告を、インターホン越しの話だけで済ますわけにはいかないじゃないか。だから、とーちゃんのいるお墓まで報告しに来たってことなのさ」
「ふぅん」
同じ生返事でも、今度は首を捻らない。
「お前だって、エミちゃんやユミちゃん、それにカズヤ君との大事な話は、電話で伝えるより会って直接話したいだろ? つまりはそういうこと」
シノブはさっき参ってきた墓の方を見やった。
「あたし達は、死んだからってその人をないがしろにはしない。さっきあんたは神様扱いって言ったけど、実際は生きている人と同じように大事に扱うってことさ。崇め奉るのは本筋じゃないんだよ。ただ、目に見えないから神様に近い扱い方になっちゃってるだけなのさ」
「死んだ人をないがしろにしない、ねぇ」
シロウは少し呆れたように吐息をついて、辺り一面に広がる石碑の群れを見回した。
「死人は死人だろ。死んだら全部お終い。そこまでだ。生きてる者と同じように扱うなんて……なんか、俺にはよくわからん」
「だって、そうしなきゃ自分を大事に出来ないじゃないの」
「は?」
オオクマ・タロウの眠る墓の方を見やったまま、微笑を浮かべているシノブの横顔はとても穏やかに見えた。
「誰かと出会って、生き方が交わって、良かれ悪しかれ影響を受けて、新しい自分を見つける。新しい自分になる。それが人間の成長ってもんさ。あんただって、あんたを生んでくれた母親がいて、今ここにいる。その母親も親がいて生まれてきたんだ。人間だってウルトラマンだって時を積み重ねてゆくことと、その積み重ねた時の中で出会いと別れを繰り返して今の自分になる、という点では変わらないはずだよ? 違うかい?」
「………………」
シロウは光の国の両親をふと思い出した。
これまで考えたこともなかったが、二人はこのバカ息子をどう思っているのだろうか。息子の現状を、宇宙警備隊辺りから聞いているのだろうか。
「その人がいたから、今の自分がある。ご先祖様や、自分と生き方の交わった人をないがしろにするのは、今の自分をないがしろにすること。それはやっちゃいけないことだって、今のあんたならわかってるはずだ」
「……けど、会って口を利いたこともないとーちゃんのことを大事にしろって言われても、ピンとこねえなぁ」
「あんたは本当に正直だね」
そこがいいところでもあるけど、と笑う。
「ま、それはそれでいいさ。けど、いい機会だからちょっと考えな。例えば……あんたにとって大事なエミちゃん、あの子がもし死んだ時、あんたは死んだからってぞんざいに出来るかい?」
「できるわけないだろ。師匠だぞ」
「だろ? お墓があれば、そこに行って話も出来る。死んだからって、大事な人が大事でなくなるわけじゃない。そして、自分に関係ない人だって、誰かを大事に思っている。そんな風に人間はつながって……こういう形を作るんだよ」
シノブの視線が、霊園に立ち並ぶ無数の石碑をぐるりと見渡す。シロウも思わずつられてその視線を追っていた。
ただの石細工を並べただけの場所に見えていたものが、シノブの言葉を飲み込んで見直せば、別の景色に見えてくる。
「……そうか。よく考えたらこれ全部、誰かが誰かを大事に思って、作ったものなのか。そう思うと……なんか、すげえもののように思えてくるな」
強力な支配者に命じられたわけでもなく、強力な存在への信仰が突き動かしたわけでもなく、ただ誰かが誰かを思いやって積み上げた石の群れ。見渡す限りの斜面を埋め尽くす――それぞれバラバラの、しかし共通した『誰かへの想い』という形。風景。
「確かに、あんたの言うとおり、死んじまったら何にもできない。だから、生きてる人がその思いを受け継いで、何とかしなきゃいけないんだ。あたしにとっちゃ、息子たちを真人間に育て上げるのがとーちゃんとの約束、とーちゃんから受け継いだ思いだからね。ここへ来るのは、その思いをきちんと確認するためでもある」
シノブは、優しい目でシロウを見やった。
「そういう意味じゃあ、これは死んだ人のためじゃなくて、生きてるあたしたちのためにこそ必要なものなのかもしれないねぇ。ひょっとしたらあんたは、生きてる者の勝手な思い込みだって言うかもしれないけど」
「は」
シロウは皮肉っぽく頬に笑みを刻んで、鼻の下を指の背で擦った。
「言わねーよ……昔ならともかく。かーちゃんの言ってることの意味がわかる程度には、成長したつもりだぜ。エミ、ユミ、ジジィども、トオヤマ、マキヤ、それに、リョーコ、クモイ、あと郷ひで――」
不意にシロウの動きが止まった。少し眉を寄せ、少し上の墓地の一角をじっと見据えている。
「どうしたんだい?」
シノブが不審がってその方向に目をやると、一人の男がお墓の前で腰を屈め、手を合わせていた。白髪で彫りの深い横顔、この日差しのきつい時に黒い革ジャン。
その横顔を見ていたシノブは、ぽんと手槌を打った。
「ああ、あれ郷さんじゃないの」
たちまち、シロウは意外そうに目を瞬かせた。
「え? かーちゃん知ってんの? なんで?」
「なんでって……あんた、何べん意識失ってあの人に送られてきたと思ってんの。一体、どういう知り合いなんだい?」
「………………」
シロウは少し逡巡したが、すぐに小さく吐息をついた。
「あいつがウルトラマンジャックだよ」
「え?」
予想通りに、驚くシノブ。とはいえ、彼女が誰かにバラすような真似はすまい。
「ほら。今、地球を守ってるウルトラマンだよ。だから、俺を送ってきてくれてたのさ……かーちゃん、悪いけど先降りててくれるか?」
「え、でも挨拶ぐらい」
「二人きりで話したいことがあるんだ。下へは一緒に降りるから、挨拶はその時にしてくれ」
それでも渋るような表情を見せたシノブだったが、シロウの横顔に宿る張り詰めた空気に諦めの吐息を漏らした。
「……わかったよ。じゃあ、下の売店あたりで待ってるけど、あんまり長くなるんじゃないよ。お墓の前で長話なんて、するもんじゃないからね」
「りょーかい。んじゃ、行って来るわ」
戦いに行く前のように唇を一舐めして、シロウは歩き出した。