ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第8話 誰がために その1
夜。
ヘッドライトの激しい光が夜闇を蹴散らす。
かつて、シロウがある暴走族を叩き潰した林の中の舗装道路からほど近い川原。
だが、そこに集まっている車、バイク、そして珍妙な姿をした連中はあの時の倍以上はいる。
今回はエミもユミもいない。シロウただ一人が、ヘッドライトの円陣の中に佇んでいる。
その表情に、無論恐れはない。ただ、物憂げに眉をしかめている。
「なー。俺、早く帰らねーとかーちゃんに殴られるんだがなー」
「ひぇっひぇっひぇ。聞いたかよ、この年でママのおっぱいが恋しいんだとよー」
下品な笑い声がヘッドライトの向こうから湧き上がる。
「ボクちゃーん、いくちゅですかー」
「このまま帰れると思ってるんでちゅかー?」
「……アホか」
耳をほじりながらの一言に、笑い声がぴたりと止む。
「お前らもあれだな。前の連中と同じで、がたがたぴーぴーうるせえっつーんだよ。だいたいお前ら、この間のでメト――馬道龍のおっさんからこの辺走るなって、釘刺されたんじゃなかったのか」
「はあ? 知るかよ、そんなもん。けひぇひぇひぇ、俺たちゃ自由にやってんだ、どこの誰だろうがこの都愚路・巣廃蛇阿の邪魔なんか出来るかよ!」
「とぐろすぱいだぁ? ……怪獣みたいな名前だな」
「おおよ、怪獣なんざ怖かねーや! 俺たちゃ無敵だー!!」
リーダーの声に合わせて、一斉にホーンやクラクションが鳴り響く。
物憂げだったシロウの表情にその瞬間、明らかな敵意と怒りが走った。
「あーうるせー。……ったく、とぐろまきだかドクロ怪獣だかしらねえが……前の連中に聞かなかったのか? 俺に手を出すなってよ」
帰ってきたのは、癇に障る甲高い笑い声。
「けひゃひゃひゃひゃひゃ、確かになぁ。ここらは以前から、小せえくせにやたら武闘派なチームの縄張りだったからな。けど、そのメッキも剥げた!」
別の連中も調子に乗って喚きだす。
「ひゃっはー! てめえみてえな三下一匹ごときにぶっ潰され、お礼参りも出来ねえような腰抜けと一緒にするんじゃねーや!」
「こここらは、もうオレ達の縄張りだぜー!!」
「成り上がるぜ、てめえらー!!」
再び一斉にホーンやクラクション、空ぶかしの激しいエキゾーストノートが夜空に鳴り響く。
「そういうわけでとりあえず、この地区最強ってぇ噂のてめえに挨拶しに来たってわけだ! けひゃひゃひゃ――」
「そうか、わかって来たのか。なら、いい」
言うなり、シロウは正面の自動車に歩み寄った。
電飾でピカピカきらめいているフロントバンパーを右手でわしづかみにすると、まず手を90度捻って横倒しにした。
箱乗りしていた連中が投げ出されたり、車の中に滑り落ちたりして悲鳴をあげる。
周囲の者は、驚きのあまり声もなかった。ただ、ぽかんと見ている。
獲物を認めて舌なめずりする肉食獣の笑みを浮かべるシロウ。なぜか、その瞳が蒼い残光を放って揺れる。
「知ってて挑んで来るんだ、痛い目に遭うのは覚悟の上、ということだな。いいとも、奴らと同じ目に遭わせてやる」
まるで、下敷きであおぐかのような気軽さで車が振り回され、裂かれた空気は川原を渦巻いて折からの突風を発生させた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
シロウは自分の血まみれの右拳を見つめていた。
「……おかしいな」
返り血にまみれた姿。その胸に力なくもたれかかる上半身裸の少年。
周囲に渦巻くうめき声。
ひっくり返った自動車、燃え上がるバイク、累々と転がる人影。そこらじゅうの石や岩に飛び散った、夜目に黒い染み。
そして、木刀を構えたまま呆然としているリーダーの青年。立っている暴走族は、今や彼一人。
「て、てめええええええっっっっ!!!! きぇえええええええええええええっっ!!」
木刀を大きく振りかざして襲ってきたリーダーに対し、胸にもたれかかる少年を突き飛ばしたシロウはそのまま大きく踏み込んだ。
脳裏に閃くフラッシュバック。
右手が蛇のようにうねくり、木刀を持つ右腕を内側からはたく――ぼきり、と鈍い音がした。
折れたのは木刀ではない。それを握る腕の骨。夜闇を震わせる野太い悲鳴。
「むぅ」
シロウが困惑げに目を細めている間に、次のフラッシュバック。
ほとんど無意識に突き出した左手の掌底が、青年の胸を突く。
覚えのある嫌な感触、嫌な音が響き、手の形に胸の肉が落ち窪む。
たちまち青年の悲鳴は途切れ、口と鼻から鮮血を噴いて吹っ飛んだ。二、三度跳ねて、暗がりの向こうに消える。
「……やっぱり……」
新たに浴びた返り血で顔がべったり濡れている。顎先から滴る鮮血を拭こうともせず、シロウは自分の手を見下ろしていた。
不意に、その手を横から伸びた手が捕まえた。
何事かと見やれば、見覚えのある黒服の男。
「遅くなりまして申し訳ございません。ですが、もうこれまでに」
「んん? お前、確か……馬道龍の」
「はい。実は、彼らは新しくこの辺りに縄張りを広げてきた新興勢力でして、馬道龍様は御存じなく、それゆえ我々の動きも後手に回りまして――」
「あっそう。ま、別にどーでもいいけどな。なにが来ようと、返討ちにするだけだし」
「は。お手を煩わせました。しかし、これはいささか……」
シロウの手を離した黒服は、周囲の惨状に目をやって眉をひそめた。仲間の黒服が何人か、ことごとく倒れ伏した暴走族たちの状態を見やっている。こちらを見て、首を振っている者が多い。
「近隣の救急車総出動か……オオクマ様、何かあったのですか?」
「なにがだ?」
聞きながらも、シロウの眼差しは自分の、血まみれの手の平を見下ろしている。
「いえ、以前でもここまでひどくは……よほど腹に据えかねることがあったのかと」
「いや。ん〜……俺もここまでする気はなかったんだが……なんか、力の抜き加減がわからなくてな。いや、力の加減を考える前に身体が動いちまう感じだ」
「しかしこれは……最悪、死人が出るかもしれません」
「殺しゃしねえよ」
両手を握り締めて、シロウは顔を上げた。
鋭い眼差しが黒服の男を射抜く。
「てめえの不始末くらい、てめえでつけるさ」
ほんのり白く光る拳。
「使って悪いが、死にかけの連中から確認してくれ。全員死なねえ程度に治しておく。死人とかが出ちまうと、お前らも面倒が増えるんだろ?」
「それは、そうですが……」
「俺も理由はどうあれ、殺しちまったとなると色々まずいからな。かーちゃんにも拳骨では済まなくなるし。さあ、始めようぜ」
「しかし、治すとは……?」
その言葉で、シロウはようやく思い出した。馬道龍の部下は、自分がウルトラ族だとは知らないのだ。
とはいえ、このまま連中を放置すれば、黒服の言うとおり死人が出る可能性がある。
やることだけやって、あとは黙っているのが賢そうだ。
自分から話さなければ、馬道龍がなんとかごまかすだろう。
「まあいいから。……んじゃ、手間かけて悪いけど頼むぜ」
「は、では」
頭を下げた黒服は、手近な仲間の元へと向かう。
シロウもその後を追って歩き始めた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
戦いの場に身を置くということは、生死の現場に身を置くということだ。
卑怯や卑劣の線引きなど、弱者の遠吠えか強者の自己満足、あるいは傍観者の無責任な基準に過ぎない。
勝てばいいのだ。勝たなければ、道は開けない。それが唯一の真実。
そして、我が身を曝して力の応酬をする限り、生命的な意味での生死の線引きは常に自分の足元にある。
無論、相手の足元にも。
自分と相手、どちらかがその線を踏み越える時もあれば、両者が踏み越えてしまうこともある。その逆に両者とも踏み越えない場合も多々ある。
力及ばぬ者にとって生死の線を踏み越えるか否かは、時に運任せとなる。
運の影響を極力排除するならば、相手より強くなるしかない。
だが、相手とは?
広い宇宙に存在する、まだ見ぬ『相手』。
長き生の中でいつか見える敵という名の障害。
それらより強くあり、運の影響を排除して生き残るには――結論は一つ。
誰よりも強くあれ。
そう思ってきた。
だから、戦いの中で相手が命を落としたとしても、それはこちらの強さについてこれない相手の運が悪かったのであって、こちらが悪かったわけではない。弱い者は戦うべきではないのだ。
弱者の死は、強者が背負うべきものではない。
なのに。
なぜ、こんなに気分が悪いのだろう。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「――クマ様、オオクマ様」
呼ばれる声に、正気づく。
シロウはまた、自分の手を見て物思いに耽っていたことに気づいた。
声のした方を見やれば、黒服が心配そうにこちらを見ている。
理由はわかっている。今の自分は相当酷い表情をしているだろう。左腕と右足の激痛が止まらない。それに伴う脂汗も止まらない。
「ああ……なんだ? もう終わりか?」
「顔色がお悪うございます。もうこの辺りでお止めになっては……」
「怪我人は? もう治療の必要な、危ない奴はいねえのか?」
「はい。オオクマ様の、その……不思議な力で、応急処置で十分な者ばかりとなりました。オオクマ様がここを立ち去り次第、後は救急車に任せます。それと――」
「なんだ?」
「オオクマ様も返り血の汚れが酷うございます。そのまま帰宅なさっては、ご母堂に要らぬ心配をかけるかと。衣服の分も含め、その汚れ、落とされてはいかがでしょうか? 近くにキャンピングカーに擬装したシステムトレーラーを用意してございます」
「んー、でももう遅いしなぁ」
「なんなら、電話をおつなぎしますが」
シロウは自分の体を見下ろした。
返り血で変色した服。変色してない部分の方が少ないくらいだ。また、何度か受けた攻撃のせいで、あちこち破れている。
確かに、このざまで帰ったら何を言われるかわからない。
シロウは渋々頷いた。
「……わかった。じゃあ、ちょっと世話になる。かーちゃんに電話、つないでくれ」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
翌日。
昨晩の騒ぎは暴走族の内紛、ということで新聞の地方版の片隅、三行ほどの記事になっていた。
これ見よがしのため息をついて新聞を閉じたシノブは、ちらりと縁側を見やる。
昨晩何があったのかを説明してくれた当の本人は、なぜか今日は一日、自分の手をじっと見ている。その背中が、妙に小さく見える。
「何を悩んでいるんだか」
庭の生垣の向こうから、聞き覚えのある声の談笑が流れてくる。トオヤマさんとマキヤさん、それとあと近所の奥さん連中が井戸端会議を開いているらしい。明日の日曜、街の方へ子供連れで買い物に行く話に花が咲いていた。
シノブはちゃぶ台を支えに立ち上がった。
縁側の背中に声をかける。
「シロウ、晩御飯はからあげでいいかい?」
「……あー……」
覇気のない声に、シノブもため息を返す。台所へと向かおうとした時、電話が鳴った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「明日? ですか?」
シノブに代わって電話に出たシロウは、怪訝そうに聞き返した。
電話の相手はエミ。
『うん。ヒマ? だったら、一緒に修行しない? ちょうどクモイ師匠も非番でさ、久々に稽古つけてくれるって。ユミも来るって言ってるし』
「ああ、まあ。特に用事はないので、行きます」
『……………………? シロウ、なんか元気ない? なんかあった? あ、ひょっとしてシノブさんに怒られた?』
「いえ、そんなことは。……とにかく明日、公園ですね。わかりました、師匠。それでは」
慌てて電話を切ると、すぐに台所からシノブが顔を覗かせた。
「明日、公園に行くのかい? エミちゃんと?」
「ユミと、クモイも来るってさ。……ちょうどいいかもしれねえな」
「何がだい?」
「……いや、こっちの話」
うやむやに話を打ち切ったシロウは、再び縁側へと出て腰を下ろした。
夕映えに染まる空。
残暑の名残りにヒグラシが物寂しく鳴いている。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
翌日。
公園では、ジャージと七分丈トレーニングパンツ姿のエミとユミが、クモイ・タイチの指導の下、突きの稽古をしていた。人目のあるところでしているので、彼女たちの背後で真似をしている子供たちもいる。
「――拳を突き出す。殴るというのは、ただそれだけの行為だ。だが、その行為一つの中に無数の奥義があり、その行為一つで無数の事象が変わりうる。あだやおろそかに突き出すな。考えろ。女だからこそ、非力だからこそ、考えて突くんだ。……チカヨシ、力任せに突けばいいというものではない! 肩に余分な力が入りすぎだ、抜け!」
「は、はいっ!」
そう返事をしながらも、抜きどころのわからぬエミは、必死で腕を突き出し続ける。
やがて、クモイ・タイチはエミの拳を手で押しとどめた。
「いいか。殴れば、殴っただけの衝撃がお前の腕に返る。女の細腕では、その衝撃に耐え切れず、お前の腕の方が壊れかねん。護身術で、身体と引き換えの一撃必殺を身につける必要はない。相手が一人とは限らんのだからな。そういう想定でものを考えろ。拳の威力で相手を打ち砕くのではない。正確無比な拳で、急所を打ち抜くんだ。空中に、突くべき一点を想定しろ。そこをいかに正確に、十回連続で突けるか、まずはそれだけでいい」
押さえていた拳を解放し、軽くぽんぽんと叩く。
「はい」
「力を入れるな。お前は姿勢がいい。腰も入っているし、重心移動も十分できている。それ以上力を入れる必要はない。前に教わったガードの姿勢から軽く腕を突き出せば、筋肉ダルマでもない限り、それなりのダメージを負うだけの威力はある。――アキヤマ!」
エミの返事を聞く前に、クモイ・タイチの視線はユミに移っていた。
「はい!」
こちらの突きはエミとは違い、やたら頼りなく空を漂っている。
こちらの拳も、クモイ・タイチは押しとどめた。その拳を手の中に置き、開かせる。
「拳は親指を握り込まない」
「あ、でも、中に入れた方が芯ができて痛くなるかな、って。それに、外に出してると、何かに引っかかって親指が……」
「お前はお前で頭でっかちだな。その考え方はそれなりには正しい。が、それなら石でも握れ。もしくは石で殴れ。この状態だと、拳の衝撃が親指の根元に全部かかって、痛めるぞ。握り込んだり、他の四本を親指で支える拳の作り方は、ないわけではないが、上級者向けだ。女子高生の即席護身術向けではない。単純に威力を高めたければ、拳よりカバンで殴る方が効果は高い。……下手なところに当たると死にかねんぐらいな」
「え……そうなんですか?」
「あくまで可能性の問題だ。それを言えば、辞書の角で人を殺すことも出来る。だが、カバンでも辞書でも平たい面で殴れば、そうそう死にはせん」
「そっか……力の集中と分散で、同じ力でも威力って変わるんだ」
クモイ・タイチは苦笑した。
「そういう認識の仕方は、飲み込みが早いなアキヤマ。だが、それが真理だ。お前の拳も、相手を怯ませるだけの威力を得ようと思ったら、力の集中が必要だ」
「ええと……何が悪いんでしょう? 昨日、エミちゃんにも見てもらったけど、いまいちエミちゃんの解説じゃわかりにくくて……」
「あたしのせい!?」
隣で一心に拳を突き出していたエミが、慌てた様子でユミを見やる。
「ユミが理解できないのが悪いんじゃない! ほら、腰をぐわっと回した力が、背中を伝って肩、腕にこう走り抜けるんだよ!? こう、ぐりんって回すと、しゅぱっと力が走ってっていうか、腰から腕を一つの柔らかい棒だと思って、ここのねじれがこう腕へきゅきゅっと移っていく感じで、でもそれは一瞬で――」
「ぐわっとか、ぐりんとか、きゅきゅって言われてもわからないってばぁ」
「なんでさ。ここまでわかりやすく言ってんのに! あたしには、何でユミが理解できないのかが理解できないよ!」
「あー待て待て。師匠の俺が説明する前に割り込む奴があるか」
クモイ・タイチの仲裁で、二人はようやく口をつぐんだ。
「チカヨシ、お前の感覚はお前だけのものだ。他人も同じ感覚を共有できると思わない方がいい」
「え? そうなの? ……ですか?」
「そういう身体感覚を共有できる人間と出来ない人間はいる。どちらがいいかという話ではなくてな。アキヤマは考えて、実践を積み重ね、自分の感覚をつかみ取り、そこから徐々に研ぎ澄ましてゆくタイプなんだろう。ともかく、アキヤマ」
「は、はい!」
再び話題が戻ってきたユミは、背筋を伸ばした。
「そうだ。背筋を伸ばせ。へっぴり腰では、力はあらぬ方向へ逃げてしまう。肩も定まらず、結局、腕の力さえバラバラになって、思うように突けない。そうだな……じゃあ、そのまま拳を前に出せ」
「はい」
直立不動のまま、拳を握った右腕を、水平に前へ上げる。
「左足を一歩前へ」
「はい」
一歩踏み出したユミの正面に、クモイ・タイチは立った。ユミの右拳の前方10cmほどのところに、左手の手の平を見せて構える。
「その状態で、ゆっくりでいい。腰だけを捻って、拳をここに当ててみろ」
「こう、ですか?」
腰だけを回そうとすると、拳は弧を描いて正面の手の平から逸れてゆく。ユミはそれを右へ修正して、右拳をクモイ・タイチの左手に押し当てた。
「そうだ。じゃあ、まずは今のを十回。――チカヨシ、お前は言われたことをやれよ」
ユミの受けている指導を、感心しきりのていで興味津々に見ていたエミは、クモイ・タイチの指示に明るく返事を返して再び突きの練習を始めた。
その間、シロウは近場のベンチに座り、じっとその様子を見ていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
30分ほど経って、クモイ・タイチは両手を鳴らした。
「よーし、そこまで」
ひたすら突き続けていたエミと、次の段階として、左拳の突き出しを経て、両拳の交互突き出しをしていたユミが、動きを止める。
二人とも水泳部で使っているジャージ姿が、汗びっしょりになっていた。
前に並ぶ二人に、クモイ・タイチは満足げに頷いた。
「さすがにチカヨシは飲み込みが早いな。だが、気持ちが入りすぎだ。いかなる状況であれ、護身術が必要になる『いざという時』というのは、冷静さがものを言う。チカヨシのこれからは、まずその冷静さを磨くことだ。幸い、アキヤマはその典型だから彼女をよく見ていろ」
「ええと……ユミの言うことを聞けって事ですか?」
エミの言葉に、不服の響きはない。ただの確認だった。
しかし、クモイ・タイチは首を振った。
「違う。アキヤマはアキヤマ、チカヨシはチカヨシだ。従う必要はない。だが、同じものを見ているのに意見が異なった時は、なぜアキヤマがそう考えるのかを、自分なりに考えろ。彼女のものの考え方を理解することで、今のチカヨシに見えていない、別のものが見えてくることもある」
「は〜。なるほど」
「そして、アキヤマ」
「はい」
向き直ったクモイ・タイチに、ユミは背筋を伸ばした。
「今日直接指導してよくわかった。アキヤマはまず自信を持つことだ。いや、自信を持っていい。確かに今は身体の動かし方について、自分でもよく理解できていない。一見ならドンくさい娘、で終わってしまうだろう。だが、その思考――理解力や想像力は強力な武器だ。身体感覚優先型のチカヨシと一緒にいるせいで、自分は劣っているように感じているかもしれないが、アキヤマはよく言えば大器晩成型だ。教わったことを忘れず、きちんと反復練習していれば、いずれチカヨシにも追いつける。努力を継続できるか否か、それがアキヤマが成長する鍵だ」
「ほ、本当ですか!?」
「弟子の親友に、喜ばせるためでも嘘はつかんさ」
「へえええ、すっご〜い! ユミって、そうだったんだ」
自分のことのように喜ぶエミは、ユミの手を取って激しく振る。ユミもまた、満面に笑顔をたたえていた。
クモイ・タイチは咳払いをして、二人を再び直立不動に戻した。
「まだ未熟な俺が言うのもなんだが……お前たちの年齢では、何事につけまだ未完成なのが当たり前だ。慌てることはない。急ぐこともない。自分なりのやり方を見つけ、自分を育てていけばいい。足りなければ、信じるに足る友人を頼ればいい。自信はそうして伸ばし、広げてゆくものだ」
「はい! 師匠、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる二人。
「うむ。では、昼ご飯休憩に入ろうか。――ああ、それから二人とも、筋肉のケアはしっかりしておけよ? 今日は日頃使ってない筋肉をたっぷり使ってるからな」
師匠と弟子から女子高生に戻った二人が解放感に満ちた返事を返す。
頷いたクモイ・タイチはベンチを見やり、肩を大きく回した。
「さて、オオクマ。待たせたな。昼飯前に、久々の組み手でもやるか」
二人にタオルとスポーツドリンクの入った水筒を渡していたシロウは、その途端わずかに表情を硬張らせた。
「?」
クモイ・タイチの怪訝な表情に、シロウは首を振った。
「い、いや。せっかくだが、今日は遠慮しておくぜ。ちょいとこの後、用事があってな。――っと、あ、もう時間だ。悪ぃ、お先に」
それだけ言うと、二人との挨拶もそこそこに、妙な早足で立ち去ってゆく。
「なんだ? 様子が変だな? ――二人とも、何かあったのか?」
不思議そうに顔を見合わせていたエミとユミは、その問いに対し、ばっちりの呼吸で首を振った。
「ううん。あたしは知らない。……です」
「わたしも。……でも、ずっと何か考え事してたみたい……」
「わお、さすがユミ。見てるね〜」
「やだ、茶化さないでってばぁ」
「あ、でも……昨日電話した時から、ちょっと元気なさげだったかも。気のせいかと思ってたんだけど……」
「え、そうなんだ。……どうしたんだろ、シロウさん」
不安げにシロウの去った公園入り口を見やるユミ。
その背後で、クモイ・タイチはやれやれ、と呟いて空を見上げた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
クモイ・タイチは改造人間――ではない。
世界の自由と平和のために戦ってはいるが、人造人間でもないし、異次元人でもない。無論ウルトラマンでもないし、不死身のヒーローでもない。
それは重々承知している。
合宿のあの時、遮二無二放った一撃でクモイ・タイチの胸板をへし折り、殺しかけてから。
どれだけ強かろうと、クモイ・タイチは、その肉体は、ウルトラ族から見て実に華奢な地球人のものでしかないのだ。
力加減を間違えれば、自分の手刀が肉を引き裂き、骨を砕き、胸板を貫いて背中に突き抜ける。
飛び蹴りがガードする腕をへし折り、身体を真っ二つに叩き割る。
今こうして改めて向かい合えば、まざまざと甦るあの恐怖。
殺される恐怖ではない。
殺してしまう恐怖。一度失われてしまえば取り戻しようのない命を、この手で散らしてしまうかもしれないことへの、理解しがたい恐怖。
なぜ、他者の命を奪う、というだけのことにこれほどの恐怖を感じているのか――シロウにはわからない。
戦い、死ぬということは弱かったというだけに過ぎない。それはただの結果であり、弱ければ弱いほどその結果を左右するものは運任せになる。
例え、さっき誘われた組み手稽古に応じていて、力の加減を誤って殺してしまったとしても、それはクモイ・タイチの運がなかったというだけのことで、シロウ自身に責があるわけではない。
あるわけではないはずなのに……なぜ自分がそれを恐れ、あの場を離れたのか、シロウには理解できない。
こんな恐怖は、月面での戦いでは感じなかった。
だが、一昨日の晩の暴走族どもとの戦いでは確かに感じた。
ヤバイ、殺してしまう、という警告を。ゴミクズのような存在であるはずの連中に対し、その命を絶つことをためらい、恐れた。
これは、なんだ。
戦いの中で相手を殺さず、生かして決着をつける時、それを『優しさ』という者がいる。
だが、自分はそんなものを信じてはいないし、何より『優しさ』という言葉では、今感じているこの恐怖を説明できない。
『優しさ』は甘さ。自己満足。
そう。
甘さで、自己満足である以上、そこには気持ちよさがあるはずで、恐怖などというものが入り込むはずがない。
では、なんだ。
今、自分は、オオクマ・シロウは、レイガは、何を感じているのだ。
これはどこから来る感情なのだ。
理解できない。
あの合宿を通し、新たな力を得て、新たな能力に目覚め、確実に強くなったはずなのに。
強くなればそれだけ、不安や恐怖など感じずに済むはずなのに。
弱者を踏みにじることを恐れるなんて。
自分は一体、何者になってしまったのか。
わからない。
どうすれば、この迷路から出られるのか。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
公園を後にし、あてどなく歩いたシロウは、とある神社の前を通りがかった。
急坂な階段の参道を上がった先にある境内の広場から、元気な子供の遊ぶ声がヒグラシの声に混じって聞こえてくる。
ふと、陽が翳った。
空気を裂いて襲い掛かった物体が、気もそぞろに歩いていたシロウの後頭部を打った。
肉を撃つ鈍い音と金属の打摘音が響き渡る。
完全に油断していたシロウは、前のめりに倒れ――る寸前に、踏みとどまった。
「――んだぁ?」
てろり、と額に一筋走る血。
険しい表情で振り返ったシロウの視界に、再び襲いかかる物体が映った。
脳内で弾けるフラッシュバック。
前のめりの姿勢のまま、体を捻りつつワンステップ下がる――ボクシングのステップ。
空を切った物体はアスファルトに叩きつけられ、間の抜けた金属音を立てた。
向かい合う二つの影の動きが止まる。
シロウの前に居るのは、残暑厳しい折にもかかわらず分厚い黒マントをまとった人影。その丈は地面に届くほど。顔は黒い鍔広帽に隠れて、男か女かすら判別できない。
そして、その黒マントの裾から覗いているのは直径3cmほどの鉄パイプだった。その端に、シロウの血痕がついている。
「てめえ……いきなり、何しやがる」
がりり、と鉄パイプの先がアスファルトをなぞって弧を描き、剣を構えるかのように黒マントは鉄パイプを構えた。
シロウは額の血を撫でながら、手を白く光らせて傷口を塞ぐ。左腕と右足が痛む。
異様な雰囲気――いわゆる、殺気というやつだ。
シロウは目を細めて、迎撃の構えを取った。
「何者か知らねえが……俺にケンカを売るとはいい度胸だ。今の俺はちょっと虫の居所が――」
「黙れ、ウルトラマン」
「はあ?」
その低い声で相手は男だとわかった――が、今のセリフは聞き流すわけにはいかない。
「ちょっと待て、俺は――」
「弟の仇、ようやく見つけたぞ。死ね!」
「ちょっ……」
再び鉄パイプを振りかざして襲い来る相手に、シロウはステップを駆使して距離を取る。
「ちょっと待て! 待て! 待てって! ウルトラマンってなんだ!? 俺はちが――」
「そんな嘘が通ると思っているのか。問答無用だ、死ね!」
「くっ……!!」
闇雲に振り回される鉄パイプが空を裂く。
それを躱しつつ、シロウは相手の実力を測っていた。
不意打ちで慌てはしたものの、今の状況がこちらの油断を誘う罠でないのなら、相手の腕はそれほどでもないらしかった――というか、ほとんど素人だ。一昨日の夜に襲ってきた暴走族と大差ない。
冷静になったシロウは、振り下ろされた鉄パイプを両手ではっしと受け止めた。
「む!?」
本気になればこんな素人攻撃で傷を負ったりはしない。
「てありゃっ!!」
そのまま、力任せにひねって相手を投げ飛ばし、鉄パイプをもぎ取る。
空中で黒マントを翻しながら華麗に態勢を立て直した相手は、しかし、得物を失っても動揺の素振りを見せない。
(むぅ……落ち着いてやがる。場数を踏んでるのか? それにしては腕はあんまり……なんなんだ、こいつ?)
訝りながらも、シロウは鉄パイプを握り直し、身体の後ろに隠しながら軽く息を吐いた。
「おい、てめえ。いい加減にしろよ。俺はウルトラマンなんぞじゃねえ。人違いだ」
「ふん。うまく地球人に化けているつもりだろうが、私の目はごまかせない。弟を殺した、偽善者のウルトラ族め」
「いや、確かにウルトラ族だが――って、お前……俺の正体を見破るとは、地球人じゃないな!?」
「問答無用! 死ね!」
黒マントが翻った。
その瞬間、視界の中から色んなものが消えた。
金属パイプ製のガードレール。金属製の道路標識。神社の向かいの家の金属性雨どいと雨水排水パイプ。それに、その隣の駄菓子屋の、いつもはばあさんが座っているパイプ椅子。その脇の自転車。反対側の隣の住宅の鉄製玄関門扉と金属製の物干し台と竿(駄菓子屋のは竹製)。神社の敷地を囲う石柱同士をつなぐ金属棒。侵入防止用の金属網の柵。向こうの通りを走り抜けようとしたトラックの荷台に載っていた鉄筋の束。
そして、シロウの手の中の金属パイプまでも。
「なに!?」
驚いて思わず自分の手を確認した瞬間、黒マントが再び翻った。
圧倒的な質量が空気を裂いてシロウに迫る。
ガードレール、道路標識、金属性雨どい、雨水排水パイプ、パイプ椅子、自転車、鉄製門扉、物干し台、物干し竿、金属棒、金属網の柵、鉄筋の束。
周囲から消えたそれらが、一斉に黒マントの中から飛び出して来た。
「なんじゃそりゃああああああああああああっっっ!!!!????」
シロウの脳裏で、一週間前にテレビで見た映画のワンシーンがフラッシュバックした。
迫る無数の金属棒(厳密には棒と呼びづらい物も含まれているが)の隙間に身体を滑り込ませ、あるいは重力を無視して身体を仰け反らせ、躱してゆく。あまりの速さにその身体は幾人にも分身して見えるほどだった。
そして、最後の一本まで躱し切ったシロウは大きく踏み出した。相手の方へ。
こちらの言うことを聞かぬなら、まずは叩きのめす。
死んだら――いや、問答無用で襲ってきたのだ。死んでも知ったことか。
周囲の景色がゆっくり流れているように感じられるほど高速で踏み込んだシロウに対し、黒マントの男はどうやってか奪い返した鉄パイプを突き出して迎撃してきた。
「――甘いぜっ!!」
この手の場面は飽きるほど見た。どの場面にするか迷うほどに、色んな映像作品やマンガで描かれたワンシーン。
フラッシュバックに身を委ね、その動きを再現する。
相手の得物を頬の皮一枚で躱しつつ、手にした刀で相手の胴を一薙ぎ――そこで重大なことに気づいた。
「しまった!! 俺……刀持ってねえっ!?」
しょうがないので、急場しのぎに指を揃えた右手刀で、相手の胴を薙ぐ。
だが、目測を誤ったどころではない。足りない踏み込みを無理矢理継ぎ足した一撃は、かろうじて相手に届かせるのがやっとだった。
結果――男は速度に乗った手刀でタイミングよく胴を薙ぎ切られることはなかったものの、シロウの突進速度を全て乗せた手刀の一閃で胴を薙ぎ叩かれた衝撃で、大きく虚空に吹っ飛んでいた。それこそ、車に衝突されたような勢いで。
黒マントの男が20mほど先に落ちる鈍い音を聞きながら、シロウはいささかげんなりした表情で相手を殴った右手刀をふるふると振った。
「いってぇ〜。なんだあいつ、あの硬さは。……一体、何者なんだ?」