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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第4話 史上最大の逆襲 反逆のロボット怪獣軍団 その1

 突き抜ける蒼空にぎらつく太陽。
 揺れる陽炎。
 白き砂浜。
 打ち寄せる波。
 さんざめく潮騒。
 熱い風にはためく『氷』ののれん。
 建ち並ぶ海の家。
 漂うは焼ける砂の、潮の、そして……しょうゆの、ソースの、ラーメン汁の芳ばしき香り。
 どこからともなく流れるミュージック。
 蠢く人人人。
 いつ果てるともなく続く歓声。

 ここは夏の海――津川浦海水浴場。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 砂浜の遙か後方、小高い堤防の上に一行の姿があった。
「海だー! 海だよ、ユミ!」
 手でひさしを作って沖合いを見ながら歓声を上げるのはエミ。
 夏らしいブルー地のアロハ調ワンピースに麦わら帽子。
「今年は無理かもーって思ってたから、嬉しいよ〜」
 その横で手を組み、目を輝かせているのはユミ。
 こちらは白いフリルつきのワンピースに、エミとお揃いの麦わら帽子。
「それにしたって人が多いな。なんでこんなに――邪魔くせー」
 二人より少し下がって腕を組み、不満顔のシロウ。
「海なんて久しぶりだよ。うわ〜……焼けそう」
 見当違いな心配をしているのは大学生のカズヤ。一行の中で一番肌が白い。
 その後ろにはサングラスをかけた若い男と老人。
 二人は息ぴったりに同じ動作でサングラスを取ると、アロハシャツの胸ポケットに収めた。
 若い男はクモイ・タイチ。そして、老人はイリエ。
 クモイ・タイチは飛び出したくてうずうずしている少女たちに、にんまり笑った。
「よーし。今日は夕方まで自由時間にする。好きに遊んでこい」
 たちまち振り返った少女たちの顔は、天上の太陽より輝いていた。
「し、師匠!? いいの!? ほんとに!?」
 クモイ・タイチを師匠と呼んだのはエミ。
 ユミは飛び上がって喜んでいる。
 シロウは特にわけもわからず二人が喜んでいるので、そうかそうかと手を叩いている。
 カズヤもニヤニヤしている。
 クモイ・タイチは腕を組みながら頷いた。
「ああ。せっかく夏休みだ。今日ぐらいはいいさ。その代わり、明日は朝から修行漬けだからな。心して楽しんで来い。だが、破目は外しすぎるなよ? 特に二人はまだ高校生なんだからな」
 クモイ・タイチの背後では、イリエがうんうんと頷いている。
「はいっ! わかりましたであります、ししょー!」
「はーい!」
 異様なほど高いテンションで、手を上げて返事をするエミ。その隣でユミも両手を挙げて喜ぶ。
 しかし、シロウは困惑顔だった。
「けどよー、オレは遊びに来たわけじゃねーから、別に……」
「オオクマ・シロウ、これも修行だ」
 そう言ったクモイ・タイチの顔は、真剣そのものだった。
「お前が命を懸けて守ったものを、その目で確かめろ」
「だから、オレは強くなりたいだけで、別に何かを守ろうとか」
 さらに言い募るシロウの腕を、ユミが取った。
「シロウさん、せっかくだし遊びましょ? 何事も経験ですよ。海で遊んだこと、ないでしょ?」
「お、おう。ない。けど……」
「じゃ、行きましょう行きましょう。絶対楽しいですよ〜」
 そういって、ユミは強引にシロウを連れてゆく。エミもノリノリでシロウの逆の腕を取る。
「そうそう。泳ぐぞ、弟子! 海ってプールより浮きやすいし、シロウの水泳の腕も上がるかもだよ〜」
「そ、そうか?」
 二人に連行されて、浜辺へ下りる長い坂を歩いてゆくシロウ。
「ヤマグチ君」
 三人の後を追おうとしたカズヤを、クモイ・タイチが呼び止めた。
「すまないが、三人の面倒は頼んだ。特に女の子二人は――」
「わかってます。ぼくら虫除けでしょ? もっとも、あの二人はシロウ君にしか興味ないみたいだけど」
「それはそれで問題だがな」
 あきれたように吐息を一つ漏らすクモイ・タイチ。
「ともかく、出来る限り目を離さずにな。何かあったら携帯に連絡を」
「わかってます。――おーい、みんな待ってくれよぉ」
 頷いたカズヤは、シロウたちを追いかけて堤防を下りる長い坂へ駆け出す。
 女子高生二人は既に坂の下で、ワンピースの裾を翻しきゃいきゃい騒いでいた。
「ユミユミ、シャチシャチ! シャチのボートがあるよ! 借りよう!」
「エミちゃん、着替え着替え。先に荷物置いて着替えなきゃ」
「そだね。あと、カキ氷と焼きそばとフランクフルトと――」
 バッグを振り回し、黄色い歓声をあげながら浜へと入ってゆく二人。
 かったるそうに後に続くシロウ。それを追いかけるカズヤ。
 そんな後ろ姿を見送り、クモイ・タイチとイリエは顔を見合わせて頷きあった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 時を遡ること数日前――ツルク星人の一件から数日後。

 オオクマ家にはチカヨシ家、アキヤマ家の母娘が集まっていた。
 シロウの正体や事件の詳しいいきさつこそ知らないものの、娘を暴漢から助けてもらったということでお礼に訪れたのである。
 しかし、シロウはいまだ包帯男のていで床に伏せっている上、何を話しかけても放心状態なのか沈思黙考なのかまったくの無反応。そのため、シノブは母親達を台所に案内し、茶飲み話に花を咲かせていた。
 エミとユミはそのままシロウの部屋に残っていた。

 台所から聞こえてくる母親達の笑い声を聞きながら、エミとユミは同時に大きなため息をついた。
「……なんだか、ようやく気が抜けた気がするわ〜……」
「親にも言えないって、苦しいよね。エミちゃん」
「うん………………それにしても」
 きゅっと唇を引き結び、顔といい身体といい包帯だらけのシロウを見やる。
 シロウはまだ血の跡の残る布団に横たわっていた。
 いわゆる死んだ目、というやつが天井をぼんやり見つめている。
「シーローウっさんっ」
 エミはシロウの額をぺちっと叩いた。
「せっかくお見舞いに来たのに、無視はないでしょ、無視は。無事でよかったくらい、言ってよ」
「エミちゃん……」
「ほら、ユミだって元気になったんだよ? お礼を言いたいんだから、元気になってー。ね?」
 ぺちぺち何度もはたいてみるが、反応はない。
 エミは口を尖らせた。
「もう。――ユミー、ダメだよコレ。どうするー?」
「どうするって……言われても」
 困惑顔で苦笑いするユミ。
「でも、よかった。シロウさんも無事で……GUYSでも正体バレてなかったみたいだし」
「そうだけどさー……バカだよねー。あたしたちを助けてくれたウルトラマンにケンカ売って、やられるなんて。何考えてるんだか」
「………………うん……」
「こらー。あたしはそんな恩知らずなこと、教えてないぞー。このバカ弟子ー」
 言いながら、唯一怪我の痕のない鼻をつまんでぐにぐに動かす。
 二人は顔を見合わせ、笑った。
 その時、ドアチャイムが鳴った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 訪問者と入れ替わるように、二人の母親は帰って行った。
 そして、シノブとともにその男はシロウの部屋にやってきた。サイケなデザインのプリントTシャツに七部袖のフリースパーカー、ジーンズの若い男。
 まず、エミが男を指差して驚く。
「あー!! CREW・GUYSの!」
「えー……と。クモイ隊員、でしたっけ?」
 ユミの誰何に頷き、二人に軽く頭を下げるクモイ・タイチ。
「二人とも、元気そうで何よりだ」
「その節はお世話になりました」
 膝を揃え、きちんと指をついて深々と頭を下げるユミ。
 その隣でエミは頷いていた。
「ああ、それでさっき玄関でお母さん達がなんか盛り上がってたのか。誰と延々頭下げ合ってるのかと思った」
「GUYSの隊員さんって……。どうしてそんな人がシロウのお見舞いに?」
 立ったまま問い質すシノブの表情は警戒の色が濃い。
「あの、おばさん……ええとねぇ」
 正直にそのままを伝えるわけにも行かず、エミは曖昧な笑みを浮かべた。
「シロウさんが倒れかけた時に、この人が飛び込んできてくれて、暴漢を撃退してくれたの。私たちとシロウさんの命の恩人です」
「あらまあ。そうだったの。……あ、ひょっとして息子をタクシーに乗せて送ってくれたのは」
「はい、自分です」
「それはそれは。息子が大変お世話になりました。本当にありがとう」
 深々と頭を下げたシノブは、クモイ・タイチの右手を両手で捧げるようにそっと包み持った。
「いえ、それが仕事ですから」
「それでも、わざわざお見舞いにまで来てくれるなんて、立派だわ。その気遣い、うちのバカ息子にも見習わせたいわね、ほんと。……あら、ごめんなさいね。お客さんにお茶も出さず。今、用意しますから」
「お構いなく。……先に言っておきますが、私、彼の正体も知っておりますので」
「え?」
 台所に向かいかけていた足が止まる。
 エミとユミも目を丸くしたまま硬直していた。
「それと」
 女三人が呆然とした隙をつくように、クモイ・タイチは歩を進めシロウの横に立った。
「お見舞いに来たわけではありませんので。――おい」
 呼びかけるなり、シロウを蹴り転がした。
「ウルトラ族のくせにあれしきの怪我で寝込むとは、精進が足りんな。起きろ、負け犬」
 うつ伏せになったシロウの背中に浴びせかける、容赦ない言葉。
 しかし、反応なし。
 クモイ・タイチの目尻がぴくりと引き攣った。
「ふん。あれだけたいそうな口を利いておきながら、負けたショックをまだ引きずっているのか。それとも、そうしていれば女がちやほやしてくれるのが嬉しいか。まったく、そのザマでよく新マンにケンカを売ろうなどと思い上がれたもの――」
「……――うぅぅるせええええええっっっ!!!!」
 いきなりシロウが跳ね起きた。
「枕元でグダグダグダグダ、寝てらんねーじゃねーかっ!」
「見舞い客を放っておいて寝てるな、バカ」
 シロウの顔面を容赦なく踏みつけるクモイ・タイチの足裏。
「むが。……って、うるせぇっ!」
 足を払いのけたシロウは、歯を剥いて威嚇した。
「てめえ、なんだ!? こちとら土手っ腹にでっけえ風穴空けられた上、スペシウムの直撃受けたんだぞ! 寝てて何が悪いっ!!」
「自業自得だ。それに、それだけ叫ぶ元気があれば十分。曲がりなりにも貴様が守った笑顔、こんな下らんことで曇らせるな」
「なぁにをえらっそうに……。ケンカ売りに来たのか、ああ!? だったら――」
「いくつか貴様に伝えておくことがある。座るぞ」
 そばで見ている女性陣にはほとんどケンカ腰にも聞こえる厳しい口調と表情で言って、その場に正座する。
 そのまま、両手を畳につき――深々と頭を下げた。
「――先だっては、申し訳ないことをした。すまなかった」
「………………――は?」
 応戦する気で拳を握り締めたまま、きょとんとするシロウ。
「銃を向けたことはともかく、君をあおりたて、あまつさえ殺してやるなどと息巻いたのは完全に行き過ぎだった。この通り、お詫びする」
「はぁ」
 シロウは気の抜けたような返答しかできなかった。何が起きているのか、はっきり把握できていない。
「ちょ、ちょっと待て。お前……オレの敵じゃなかったのかよ」
 頭を上げたクモイ・タイチは、小さく一息ついた。
「オレは――いや、私はCREW・GUYSの隊員として、地球人に害をなす者と戦う責務を負っている。君が地球人の敵に回るなら、敵になるかもしれないが……君は先日、命を懸けて地球人を助けてくれた。そのことには率直に感謝する」
「えーと……」
「それから、あの時のことは上には報告していない。君の存在は私と、あの場にいた隊員だけの秘密だ。そして、君の正体は彼らもまだ知らない」
「つまり、GUYSでシロウさんの正体を知っているのは、あなただけということですか?」
 首をかしげているシロウに代わってユミが不安げな声で訊ねると、クモイ・タイチは振り向いて頷いた。
「そうだ。そうしなければならない理由もあったものでね」
「理由? どんな?」
 怪訝そうに眉根を寄せるのはエミ。シノブはもう大丈夫と判断したのか、そっと台所へ立った。
「それはこの場ではちょっと……しかし、君はわかっているはずだな」
 鋭い視線がシロウに向けられる。
「これが、君に与えられた『一度だけのチャンス』だ」
 シロウとクモイ・タイチ以外には意味不明の、だが思わせぶりなセリフ。エミとユミは顔を見合わせてお互いに首を傾げる。
 しかし、シロウは不機嫌そうにぷいっと横を向いてしまった。
「なぁにが。上から目線で見るなっつーたろうが」
「ここからが、今日の本題だ」
 クモイ・タイチは開いていた膝を再び揃え、居住まいを正した。
「レイガ。今後は地球上での変身・戦闘を一切禁じる。これは……GUYSからの最後通告だと思ってもらおう」
「なにぃ」
 そっぽを向いていた顔が戻ってきた。怒りに燃えて。
 受けるクモイ・タイチも睨み返した。
「チャンスを与えるとは言ったが、無軌道に暴れることまでは認めていない」
「てめえ……」
 拳を握って片膝を立てるシロウ。
 その動きを制するように、クモイ・タイチは三本指をシロウの前に突き出した。
「君の選択肢は三つ。地球を去るか、今後一切変身しないか……」
「てめえをぶっ殺して口を封じるか、だろ――」
 立ち上がろうとした刹那、かっと見開かれたクモイ・タイチの目に殺気が宿った。
 必殺光線のように放たれた何かがシロウの体と心を貫き、立ち上がりかかった膝がかくん、と砕ける。そのまま、その場に尻餅をついていた。
「な……なんだ……? 今の……」
 クモイ・タイチは三本指を突き出した姿勢のまま、微動だにしていない。
「……三つ目は、強くなるかだ」
「え?」
 声を上げたのはエミだった。シロウは何が起きたのか理解できず、まだ呆然としている。
「どういうことですか? 強くなるって……」
 背後からの質問を受け、クモイ・タイチはエミ達に膝を向けた。
「実際のところ、レイガの一番の問題点は弱い、勝てないの一点に尽きる。戦場に現われる青い巨人レイガ――その行動は正邪を論じるレベルですらなく、ただ単純に我々の活動の邪魔なのだ」
「はあ」
 あまりに直截的なその言葉に、反論も出来ずに頷く女子高生二人。
「邪魔なだけでなく、考え無しの行動で地球人を危険にさらしたこともある。場合によっては敵に利することにもつながりかねない。CREW・GUYSではそういうものも排除対象だ」
「で、でも、シロウさんはこの間は私たちを」
「だから今回、警告しに来たのだ。ウルトラマンとまでは言わないが、せめてもう少し見られる戦い方をしてくれたら――」

「うぅるせええええっっっ!!!」

 突然叫んだシロウに、エミとユミは肩をすくませた。台所から戻ってきたシノブも、お盆を持ったまま思わず足を止める。
「弱いだの邪魔だの、うるせえうるせえうるせえ! うるせえっつーんだよ!! てめえ何度言わせるつもりだこの野郎! オレに命令するなっ! オレを見下ろすなっ! そっちの都合なんざ知ったことか! オレはオレの自由にやるっ!」
「自由?」
 クモイ・タイチは嘲るように目をすがめ、シロウを見やった。
「自由か。ふ、出来るものならやってみろ」
「なんだとぉ!?」
「古今東西、自由とは勝ち取るもの。与えられるものでも、まして生まれながらに持つ資格でもない。抗い、戦い、勝った者だけが手にすることの出来る資格だ。だが……今の貴様に、望む自由を勝ち取るだけの力はない」
「上っ等だっ! てめえ、今すぐオレの力を見せてやる! 表へ出ろ!」
 布団の上に立ち上がったシロウは、縁側を指差す。
 クモイ・タイチは鼻で笑った。
「オレは別にかまわんが……もう一度言っておくぞ。貴様の地球上での変身・戦闘は一切禁じた。今ここででも、次のいつかの機会でも、変身して無様な真似しやがったら遠慮なく叩く」
「うるせえ、誰が守るかそんなもん! その前に踏み潰して――」
「いいだろう。なら、オレは――」
 シロウの言葉もそこそこに、クモイ・タイチはフリースの裏ポケットから、メモリーディスプレイを取り出した。
「――これから貴様の正体を、CREW・GUYSに報告しよう」
「な……」
 シロウだけでなく、クモイ・タイチを除くその場にいた全員の表情が青ざめた。
「その瞬間から、貴様の敵は地球全土のGUYSだ。オレ一人始末しただけでは済まん。それに、地球人を殺したとなれば、新マンも黙ってはいまいな」
「……く…………」
 わなわなと震えるシロウ。
 クモイ・タイチは、メモリーディスプレイを印籠のようにかざしたまま続けた。
「覚えておけ。地球人は確かに貴様のように巨大化は出来ない。その代わり、磨き上げた知恵と団結力で貴様をも圧倒する。これが――地球人の戦い方だ。地球人を弱いだの何だのと御託を並べたければ、その地球人の力を打ち破ってから言え」
 ポケットにメモリーディスプレイを戻し、立ち上がる。そうして、布団の上で屈辱に身を震わせているシロウを見下ろす。
「どうした? さっさと表へ出ろ」
「なに?」
 シロウの表情が困惑に歪む。
「巨大化と超能力は禁止したが、ケンカまで禁止した覚えはない。貴様が売ったケンカ、買ってやる」
「……てめえ……後悔すんぜ」
「貴様がな」
 睨みつけるシロウ。醒めた目つきで見返すクモイ・タイチ。その拳をボキボキと不気味に鳴らす。
「貴様のはケンカと呼ぶことすらおこがましい、無様な一人相撲だということを、その身に刻んでやる」
「もう許せねえっ!! ぶちのめして――」
 布団を蹴ってつかみかかった途端、シロウはクモイ・タイチの周囲を一回転して、そのまま縁側に投げ飛ばされていた。
「ぉわあああああああっっっ!?!?」
 サッシの網戸をへし折り、一緒に庭へ転がり落ちる。
 女子高生二人はその音に思わず両耳を押さえて悲鳴をあげていた。
「やれやれ……修理代はGUYSが出してくれるんでしょうね」
 ちゃぶ台にお盆を置いたシノブが嫌味たっぷりに言うと、クモイ・タイチは振り返って深々と頭を下げた。
「申し訳ない。弁償は私が必ず」
「そう。なら、好きにやっちゃっていいわ」
「ありがとうございます」
 もう一度頭を下げたクモイ・タイチは踵を返して縁側へと出て行く。
 その背中に、再びシノブの声がかかった。
「あー、そうそう。そこにあるサンダル、使っていいわよクモイさん」
 振り向かずに頷いて、クモイ・タイチは縁台の下に置いてあったサンダルを突っかけた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 シロウとクモイ隊員のケンカは、もはやケンカとすら呼べないほど、一方的なものだった。
 ただ喚き、吼えて、突っかかるシロウを、軽くいなして投げ飛ばすクモイ隊員。
 拳も蹴りも出さない。投げ飛ばすばかり。結果、シロウは自分の突進力で自らを痛めつけているような有様になっていた。
 こんな光景を、テレビで見たことがあるとエミは思った。
「……ああ。あれだ。お相撲さんの巡業とかで、子供力士を相手にしてる横綱。あれに似てると思わない、ユミ?」
「似てるといえば似てるけど……不謹慎だよエミちゃん。シロウさん、あんなに必死なのに……」
 ユミは痛ましげに眉をひそめている。
 シロウはオオクマ家の庭で、何度も何度も何度も何度も投げ飛ばされ、叩きつけられ、ひっくり返っていた。
 息は乱れに乱れ、全身は汗みずく。体中に巻かれた包帯はほどけて枝垂れ下がり、もはや子供力士対横綱というより、ホラー映画に出てくるミイラ男対闘牛士と言った方が正しい。
「二人とも、ぬるくなっちゃうわよ」
 シノブの声に二人は、ちゃぶ台の上に麦茶の入ったコップが並んでいることに気づいた。シロウとクモイ・タイチの分もある。
 ちゃぶ台についた二人は、ちらりと庭を見やってシノブに目を戻した。
「オオクマのおばさん……いいの? あれ?」
「別にいいわよ。ケンカですらないし」
 辛辣な意見に、二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
 確かに、シロウはまったく歯が立たない。好き放題に投げ飛ばされている。ケンカには見えない。
「でも……あれじゃ、シロウさんがかわいそうです」
「あの子がケンカを売ったんだから、しょうがないわね。自業自得。相手だって素人じゃないんだ。ケンカのやめ方、やめ時ぐらい知ってるでしょ。ま、動けなくなったら終わるわ。それに……今はその方がいいんじゃないかしらね。あの子にとっても」
 ため息をついて庭の方を見やるシノブの表情は、どことなく寂しげに見えた。
 ジャンプ一番、飛び蹴りを放ったシロウがその足をつかまれて振り回され、投げ飛ばされている。
 短く息を吐いたクモイ・タイチの表情は、心なしかさっきより険しくなっているように見える。疲れからではなく、何かに苛ついているように。
「おばさん。……シロウさん、いい人だよ。なのに、なんでこんなことになってるのかな」
 エミの問いに対するシノブの答には、少し間があった。
「そうだね。シロウはいい子だよ。でも……力を使おうとすると、誰もが壁にぶつかるものさ。特に誰かのために力を使おうとするならね」
「どうしてですか? 自分のためじゃないのに、どうしてそんな――」
 やるせなく首を振るユミの声は、少し震えていた。
「自分のためじゃないからだよ。力がなければ、誰かを助けるために別の誰かを傷つけることしかできない。正義なき力は暴力なり、力なき正義は無力なり――とは言うけどね。場合によっては、その誰かを助けたことで、助けなかった場合より被害が酷くなることだってある。あちらもこちらも立てて全部丸く治めるには、それだけの力が必要なんだよ。それを知ってるから、GUYSの隊員さんはシロウに選択を迫っているのさ」
 エミは怪訝そうにもう一度庭を見直した。
 シロウの拳を躱したクモイ・タイチがそのままシロウの腰を抱え、ひっくり返すように投げ飛ばしていた。
「選択? ……投げ飛ばしているだけにしか見えないけど」
「待っているんだよ。シロウから切り出すのを」
「なにを、ですか?」
「さあねぇ」
 言葉とは裏腹な訳知り顔で笑みを浮かべたシノブは、立ち上がった。
「おばさん?」
「お風呂の用意してくるよ。二人は見ていてあげな」
 そう言い残し、シノブは台所へと姿を消した。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「くそっ!」
 片膝立ちの姿勢のまま、シロウは両手で地面を叩いた。
「てめえ、なんなんだ!? なんで殴りも蹴りもしねえ! 投げてばっかりいやがって! ふざけんなっ! まともに戦え!」
 荒い息を整えもせず吼える。包帯はもはやあらかた失われ、今や炎天下にパンツ一丁。
 クモイ・タイチは腕組みをして、大きくため息をついた。
「ふざけるなはこっちのセリフだ。そんなこともわからずに、戦場に立っていたのか」
「ああん?」
「貴様のようにろくな受身もできん奴には、投げ技の方がダメージはでかい。それに……拳ってのはただ殴るためにあるんじゃない」
 ずいっと握り締めた拳を突き出す。鋭く射抜く眼差しに、青い炎がゆらりと揺れる。
「覚えておけ。拳ってのはな……この掌の中におのれの魂を握り込んで、相手に叩き込むために使うんだ。今の貴様ごとき半端者になど、拳を使うまでもない」
「半端、もの……だとぉぉ!? 貴様……貴様ああああああああっっっ!!!」
「悔しければ、オレに拳を使わせてみろ」
「うぅるせぇっ! 使う前に木っ端微塵にしてくれらぁ!」
 カエルが跳ねるような格好で立ち上がりざまに突き出した拳を、難なく躱すクモイ・タイチ。
 そのままシロウの足を足ですっぱり払いながら後頭部をはたく。シロウはうつ伏せに倒れ伏した。
 腹を自重で強打し、悶絶して呻き転がるシロウの右腕を、クモイ・タイチは手早く背中にひねり上げ、無理やりに立ち上がらせた。
「いい加減にしろ。貴様自身、もうとっくにわかっているはずだ。言わねばならない言葉があることを」
「こ、こと……言葉、……だと……?」
 声を出すのも辛そうな息の下、シロウは苦悶に歪んだ表情のまま唇を噛む。
「相手はオレでなくとも構わん。だが、それを口にできなければ、貴様は永遠にこのままだ。……口に出さぬが本当の誇りか否か、考えろ」
 突き飛ばされたシロウは、そのまま二、三歩進んで振り返った。
 極められた痛みがうずくまる右肩を左手で押さえ、クモイ・タイチを睨みつける。
 陰る素振りもない炎天下、睨み合いはしばらく続いた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「エミちゃん……なにかな? シロウさんが言わなきゃいけない言葉って」
「うん…………」
 ユミの問いかけに、腕組みをしたエミは黙って首を傾げていた。
「あ、あ、例えば『迷惑かけてごめんなさい』とか、かな? エミちゃん。さっきあの人謝ってたし。お返しにシロウさんも謝れってことで」
「……………………」
「じゃあじゃあ、『降参』? 降参したら投げ飛ばすのやめる、とか」
「……………………違うと思う」
 エミの目は庭先で睨み合いを続ける二人にじっと注がれている。
 その横顔の真剣さに、ユミはうなだれてしまった。
「……ごめん。私、思いつきばっかりだよね」
 しばらくの沈黙。
 セミの鳴き声だけが漂う。
 麦茶のコップ表面に浮いた無数の水滴――自らの重みに耐えかねて、つぅと流れ落ちた。
「……あ」
 不意にエミは小さく声をあげた。
「わかっちゃった……かも」
「え?」
 怪訝そうなユミに顔を向けたエミは、照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。
「多分、間違ってないと思うけど……ユミにはちょっとハードル高いわ、これ」
「え? え? え? なになに? なんなの? どういうこと? ねえ、教えて? 教えてエミちゃん」
 目を輝かせて身を乗り出すユミ。
 エミはしかし、すぐに表情を引き締めていた。その真剣な面持ちは、クラブで後輩を指導している時のものだ。
「拳を『魂を叩き込むためのもの』なんて言い方したり、シロウさんが勝てなかった星人をあっさり倒しちゃうような人が、いまさら謝罪やその場逃れの降参なんか待ってるわけないんだよ。あの人が待ってるのは、もっと大事なことなんだよ」
「謝罪でも降参でもなく……もっと大事なこと……?」
「うん。でも……シロウさんは言わない。ううん、言えない。特にあの人相手じゃあ。でも、それじゃ何も解決しない……どうしたらいいんだろ」
「だから、なんなの? 思わせぶりな言い方しないで教えてよ」
 仲間外れにされているような気持ちなのか、唇を尖らせるユミ。
 しょうがないな、と一息ついたエミは、ユミの横顔に顔を寄せると、ぼそぼそっと耳打ちをした。
「……わかった、ユミ?」
「あー……なるほど。確かにそれ、私じゃ思いつかない」
 ようやく得心のいった顔つきで、何度も頷くユミ。
「でも……シロウさん……言わないよね。キャラ的に」
「だよね〜。でもさぁ、あの人も相当意地っ張りみたいだし……言わなきゃ、多分今日はシロウさんが動けなくなるまで続くよ、これ」
「それでも……言わないんだろうな、シロウさん」
 漂う物憂げな沈黙。
 庭では睨み合いが続いている――というより、シロウが襲い掛かるタイミングを計りかねている。
「……でも、言わせなきゃダメだよ。ユミ」
 その口調に込められた決意の色に驚いて、ユミはエミを見やった。
 唇を噛んでいるようにさえ見えるその横顔は、真剣そのもの。
「シロウさんは私たちを命がけで助けてくれたけど、あの星人に勝ったのはGUYSの隊員さんで、ユミちゃんの命を救ったのはウルトラマンだった。シロウさんがそのことを悔しいって思っている限り、シロウさんはあのままじゃいけないよ」
「エミちゃん……」
 エミは膝に乗せた両拳を、ぎゅっと握り締めていた。
「負けて悔しいって、私も思った。去年も。今年も。だから、もっと、もっともっと強くなりたい。今の私じゃなくて、表彰台に上がれる私になりたい。そこへたどり着きたい。……シロウさんも同じ思いをしてるはずだから、言わなきゃいけない。絶対に」
「でも……無理やり言わせても意味ないよ。こういうことは特に、本人の意思が大事だと思うし……」
「………………」
 エミは険しい表情で腕組みをして、庭の男どもを睨みつけている。 
 真剣さ以上に、怒っているような表情にユミには見えた。
 やがて。
 エミは立ち上がった。決然と。
「シロウさんが――いや、あのバカ弟子が言えないなら、あたしが言わす!」
「え…………えええ!?」
 驚くユミを尻目に、エミは靴下のまま縁側へ降りていった。


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